【コラム】八十路の影法師

漢字漫歩  国訓 その三 (やる、くれる、もらう)

竹本 泰則

 石破首相は2月7日にホワイトハウスでトランプ大統領との会談を果たしました。この折、大統領への贈答品として地元・鳥取市に本社をおく会社が制作した金色の「亜麻色縅満天金星兜(あまいろおどしまんてんきんぼしかぶと)」と銘うたれた兜飾りを贈呈したそうです。何とも長ったらしく難しい名前ですが、写真で見ると金色に輝く大きな兜です。
 故安倍晋三元首相は、トランプ大統領がゴルフ好きというということで「金のドライバー」をプレゼントしています。あらためて思いついたのですが、トランプさんは金がことさら似合いそうな人です。
 
 金製品とまではいかなくても、人とのかかわりの中では物をやったり、もらったりすること(授受)は普通に行われます。そんな場面をいう言葉としては、やる、くれる、もらうが基本だろうと考えられます。もっとも、「やる」は近ごろ不人気で、丁寧な言い方の「あげる」が優勢でしょうか。昔は犬や猫に餌を「やる」であったのが、今や「あげる」の方が多数派かも知れません。それはともかく、これらの語にあてられる漢字はちょっと不思議です。
 国語辞書で各語に当てられる漢字を見ますと「やる」には遣、「くれる」には呉、「もらう」には貰となっています。このうち遣だけは常用漢字です。常用漢字の内閣告示についている表には漢字の読みや使用例が示されていますが、遣に「やる」という訓は採用されていません。残る二つ、呉と貰は常用漢字に入っていません。漢和辞書でこの三字をそれぞれ確認すると「やる」、「くれる」、「もらう」という読みはみな国訓(日本に特有の漢字用法)でした。
 
 「やる」にあてられた「遣」は遣唐使、派遣するなどといった使われ方をするように「人を差し向ける」、「送り出す」の意味があります。文語体でいえば「つかわす」ですが、この意味では現代でも「調査のために人をやる」という言い方があります。つまり、この漢字の原義と「やる」という和語とは意味が重なる部分があり、和語の「やる」に「与える」という別の意味もあることからこの漢字が使われたものかもしれません。
 
 「呉」の字ですぐ思いつくのは広島県の呉市でしょう。同県では、広島市、福山市に次ぐ人口を擁する大きな都市です。戦前は鎮守府が置かれた帝国海軍の軍都といわれ、戦艦大和もここで建造されました。もちろん市の名前の読みは「くれ」です。呉市の知名度が影響しているのか、「呉」を「くれ」と自然に訓読みするのですが、なぜそう読むのか、その背景や理由は考えつきません。なにより、「くれ」という和語が何を意味するのかも明確ではありません。
 もともと「呉」という漢字は大声で話すといった意味合いをもつ漢字だそうです。だからでしょうか、この字の部首は口(くち)です。しかしそのような意味での用例はほとんどの漢和辞典には出ていないと思います。この字は中国でも国名・地名あるいは姓(みょうじ)に使われることが普通であったようです。
 「呉」が国名として最初に登場するのは現代から三千年以上さかのぼる周王朝の時代です。長江の下流の南側(国都は現・蘇州市)に建国されています。この国は隣国の越と仲が悪く争いが絶えなかったことでも知られています。「呉越同舟」や「臥薪嘗胆」といった成句は両国の間の軋轢に因むものです。この呉国は『論語』にもその名が登場しますが、孔子が没する数年前に越に破れて滅びてしまいます。
 七百年ほど経って後(3世紀の初めころ)には、『三国志』でよく知られる孫権の国、呉が現れます(都は現・南京市)。
 歴史的に最も新しい呉の国は五代十国の時代です。唐代末期の混乱を経て、多数の国が乱立する中で、短期間ですが江蘇・安徽・江西といった地域を支配した呉という国がありました。
 中国の歴史的な行政区画(郡県制)でも江南地域には古くから呉の呼称が度々使われています。
 
 古語では「くれ」は中国全体を広く指す言葉でもあったと辞書にありました。さらに、「くれ」は暮(クレ)の意、日の没する所とみる説もあって、アクセントの面からも支持されるという解説もありました(岩波古語辞典)。
 洋服の着用が大勢となった今では呉服を売る店は数が減ってしまいましたが、かつてはさほど大きな町でなくとも呉服屋はあったように思います。
 呉服は古語では「くれはとり」です。「中国から伝来した織物(生地)」をこのように呼んだのではないでしょうか。呉服という語について、インターネット(ウィキペディア Wikipedia)には「原義では中国の呉の機織りによって作られた衣服を意味した。『世説故事苑』によれば応神天皇の時代に伝来したという」とあります。語注はありませんが、この「呉」は呉国ではなく江南地方でしょう。応神天皇が実在の天皇だとしても周代の呉の国はその前に滅亡しています。
 中国伝来を示す呉(くれ)が頭につく単語には、ほかにも「くれたけ(呉竹)」(淡竹の別名)、くれない(紅花あるいはその汁で染めた赤いろ;呉の藍)などがあるようです。
 海を越えた中国大陸の地勢、政治の情報などはまだよく分っていなかったでしょうから「くれ」が広く中国をいう言葉になったのは理解できます。その後になっても「から」(唐)が同じような使われ方をしています。ただ肝心の、なぜ「呉」を「くれ」と訓じたのかが謎として残ります。こうした謎は国訓の多くに付きまとうのですが……。
 
 次に「貰」ですが、この字はセイと音読みする漢字です。しかし、わが国ではもっぱら国訓の「もらう」という意味でしか使われない字といってよさそうです。もともとの字義をみてみますと、借りる、さらには物やサービスを受け取るとき、その時点では金銭を払わずあとから代金を支払う、つまり、つけで買うということを表すようです。
 「つけで買う」という字義の漢字を「もらう」という和語にあてた……何か理由がありそうで勘ぐってみたくなります。
 社会に出たてのころ(昭和四十年代)、「つけ」は身近でした。飲み屋さんには精勤したものですが、普段は「つけ」にしておいてもらい、給料日やその少し後くらいに前の月の分をまとめて支払うというやり方でありました。
 「つけ」という意識はありませんが、現代の生活の中でも新聞料金は月に1回の集金の折に払っています。ガス・水道・電話料金なども1ヶ月分まとめて後払いになっています。通信販売ではクレジットカードによる支払いを選択した場合、代金の決済は品物の受け取りよりもだいぶ後になります。これらはつけ払いというのでしょうかね。
 インターネット上にある日本銀行のページで面白いことを教わりました。江戸時代の商業では「つけ」が常態で、代金決済はお盆前と年末の年2回にまとめて行うという慣行であったそうです。『東海道中膝栗毛』の弥次さん喜多さんは、年末とお盆の間である春先、「酒屋や米屋の払いも済ませずに」江戸を発ったのだそうです。弥次さんの胸中は「ま、いいや。もらったことにしとこう」だったというのでしょうか。
 
 物をやったり、もらったりすることは、大昔の中国でも行われているはずで、現にそうした字義に近い漢字もあり、与(與)、給、恵、供や収、得などが思い浮かびます。ですから、たとえば「与る」を「やる」と訓じるような方法も考えられるような気がします。字義に近い和語をあてて国訓とする例は稀ではありません。それをしなかったのは、和語と漢字の字義との間にニュアンスの差を感じたのでしょうか。それとも別の理由でしょうか。悩ましい問題であります。

(2025.3.20)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧