【コラム】八十路の影法師

漢字漫歩 こむらがえり

竹本 泰則

 何年かぶりに「こむらがえり」に見舞われた。
 単にふくらはぎの筋肉がけいれんを起こすだけのことだが、これがことさら痛い。けいれんが治まった後もしばらく痛みが残り、動きがままならぬ厄介なしろものだ。
 発症の原因には定説がないようだ。素人から見れば、さほどにむつかしいものでもあるまいと思うが、これという決定打は出ていない。多くの医師が挙げる原因を集約すれば、筋肉疲労、水分不足、冷え、運動不足、加齢といったところ。中で、加齢は大抵の人が挙げている。いわれてみれば、自分も学生時代や若いころには経験していないように思う。あるドクターはインターネット上で「アスリートですらこむら返りが起こる。筋肉を鍛えていない普通の人でも、日中、少し無理をした日には起こり得る。筋肉量が少なくなっている高齢者ではなおさらです」といっている。ほかに、微小血管系の異常をいう人もいる。毛細血管を中心とする血液循環システムに異常が生じ、疲労物質や老廃物の回収がうまくいかず筋肉疲労が慢性化して、痙攣が起こるということらしい。驚くことに、毛細血管は年齢とともに減ってゆくそうで、60代では30%減という。ならば、80代なら半分以下か……?

 加齢のせいと言われれば二の句が継げられない身であるものの、わが「こむらがえり」の原因にはもう一つ、今夏の陽気が影響したのではないかと考えている。
 今年は、梅雨など素通りの感でいきなり酷暑が連日のごとく襲った。そうでなくても出不精なので運動不足どころか運動欠如といった状態になっていた。さらに熱中症対策として一晩を通して室温が28℃以上にならないようエアコンをつけっぱなしにしているが、この温度でも夜中には足先が結構冷える。こんな条件が呼び水になっているように思えてならない。そうだとしても、これといって対策があるわけではないが……。
 
 この稿を書くにあたって、「こむらがえり」なのか「こむらがえし」なのかあやふやだった。
 『広辞苑』を引いてみると「こむらがえり」が正しいようで、漢字は「腓返り」と当てていた。「腓」は初めて見る漢字。これを「こむら」と読むらしい。しかし「こむら」という独立した単語にもなじみがない。
 ものはついでと、『日本国語大辞典』(小学館・精選版)で「こむら」をみた。
 その解説によると、平安期以降では脛(すね)の裏側のふっくらしたところをいう言葉として「こむら」と「こぶら」の二つが併用されており、近世初期までは「こぶら」の方が規範的と考えられていたらしい。近世になってから東国系の「ふくらはぎ」という呼び方が出現し、これが後期江戸語に受け継がれて現在に至っているという。つまり、もともとの大和言葉である「こむら」あるいは「こぶら」が、地方語の「ふくらはぎ」にとってかわられてしまった。古株の方は「こむらがえり」という現代共通語の呼び名に、かろうじてその名残をとどまるだけになってしまったということのようだ。
 古代の日本人も「こむらがえり」を経験していたのだろうか……? それはともかくも、脛(すね)の裏のふくらみに大昔からちゃんと呼び名があったということに軽い驚きを感じる。
 
 からだの部位・個所を指すわが国固有の呼び名は自分が知らないか、あるいは、言葉そのものがうもれてしまっているだけでのことで、存外に多いのかもしれない。日本語学者・今野真二さんのコラムに膝の裏側のくぼんだところをいう和語について書かれたものがある。その呼び名は「よほろ」「ひかがみ」であったという。膝の裏側までに名前があったとはこれまた驚きである。たとえば手首のあたりや膝小僧の下などに小さな骨の出っ張りがある、あるいは耳の穴には蓋のごときものがある。こんなところにも呼び名はあるのだろうか……。
 
 からだのいろいろな箇所の日本語呼称を思い浮かべてみた。
 こめかみ、うなじ、あばら(骨)、たなごころ、くるぶし……、普段あまり口にすることはないが、なんとなく知っている名称が結構ある。調べてみると、これらに対応する中国伝来の漢字もある。「こめかみ」に国語辞書は「顳顬」などを当てている。「ショウジュ」とよむらしいが、珍しく二文字熟語で、しかも、その画数を足し合わせると五十画もある。
 ややこしい漢字は手に負えないので、常用漢字にしぼってみる。その中にはもちろんからだの部位・個所を表す漢字は入っている。頭、顔、手、足などなど……。これらのほとんどは義務教育の場で音(おん)・訓(くん)の両方の読みを教わる。
 その一方で、身近な呼び名であり、それを表す漢字も知っていながら、その音(おん)が出てこないものがある。常用漢字表の中で漢字音が定義されていない一群だ。
 爪、尻、肌、肘、脇、膝、頬の七文字。これらについては、その漢字が入る漢語(熟語)も思い浮かぶものはなく、日常で使っている言葉といえば、爪切り、尻餅、肌合い……といった具合に、みな和語同士の複合語になる。
 高齢者の割合が増えてきたせいだと思うが、近年「膝関節」という語を見聞きすることが多くなってきた。これなども、正式な医学用語は「シツカンセツ」というのかもしれないが、一般には「ひざカンセツ」と音訓混在で読まれている。
 これら訓読みがもっぱらの漢字は、身近であり意味もすぐに通じ合うので、中国流の発音は知らなくても困らない。漢字音はあるのだが表には立たない。まさにこれぞ日本語表記のための漢字といえそうだ。
 蛇足ながら、音(おん)読みが定義されておらず訓読みだけ示されている常用漢字は、からだにかかわる呼び名以外にもたくさんある。鍋、釜や皿、丼がそう。枕や棚、鶴・熊もそうだし、姫や娘もそう。全部合わせると七十文字くらいにはなる。しかし、常用漢字の総数2千字余りの中にあっては、ほんの少数派である。
 
(2025.8.20)
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