【コラム】八十路の影法師
漢字漫歩 音読み・訓読み
住まっておりますマンションの玄関ホールに、住人有志による手作りの七夕飾りがお目見えしました。毎年のことですが、正月、七夕、クリスマスなど季節に合わせての飾り付けが行われ楽しませてくれます。何色かの短冊と筆記具が置かれた机が傍らにあり、子どもたちが自由に書きこんで笹にむすんでいるようです。短冊の中には「漢字50問テストに百点が取れますように。」などと書かれたものがあったりして思わず笑いがこぼれました。まったくの同文ではありませんが、同じような内容の短冊がほかにも二、三枚ありました。
この漢字50問テストとは、国語の授業でいくつかの単元が終了した後や学期ごとに行われるテストだそうです。合格基準点に満たないときには再テストになることもあるらしく、 子どもにとっても保護者にとってもプレッシャーが大きいテストのようです。
ところで「七夕」は「たなばた」と読んでいますが、「たなばた」の本来の漢字表記は「棚機」です。棚、すなわち横板がついた織機(「機」は「はた」)をいうそうです。棚がどんな役割をするのか、機械のことはよくわかりません。織り姫さんはそんな構造の「はた」を使っていたのでしょうかね。
「七夕」という熟語は漢和辞書にも載っています。古代の中国で、陰暦の7月7日に女子が手芸・裁縫などの技術が上達するように祈った乞功奠(きこうでん)という祭祀が源とのこと。これがわが国にも伝播し、宮中の節会から始まって民間まで普及し「たなばた伝説」との融合を経て現在の「たなばた」となったようです。
現在はグレゴリオ暦に移っていますから、たなばた行事は陰暦の7月7日に合わせて行うわけにはいきません。ところが、東京天文台では、陰暦7月7日に当たる日を「伝統的七夕」として、それを教えてくれています。今年の場合は8月29日だそうです。しかし有名な七夕まつり開催地の予定をみると新暦の7月7日がほとんどで、仙台などは月後れでの開催でした。7月7日は、日にちに意味があるわけではなく、ほかの節句などにあわせて月の数と日の数とが重なることを選んだだけでしょうから現行暦の日にちでいいのでしょう。
漢和辞書では「七夕」の読みは「シチセキ」となっています。一瞬、間があったものの「夕」の音読みは「セキ」と気づきました。一朝一夕にはできないなどの言い方もあります。しかしこの国で「夕」の読みは圧倒的に「ゆう」です。夕顔、夕陽、夕焼け、夕闇……訓読みばかりで「セキ」はまず口にすることがないでしょう。
普段何気なく読んでいる漢字の中に、その読みが「音」(おん)であるのに「訓」と思い違いをしていたり、あるいは、「音」なのか「訓」なのか戸惑ったりすることが結構あります。
最初に浮かぶのは「絵」です。絵葉書、油絵、挿絵、似顔絵……などから考えて「え」が訓読みであり、絵画という熟語から推して「カイ」が音読み、そう考えていたように思います。これが思い違いであることに気づいたのは、仏教関連の講話などを通じて回向、法会、会釈(この語も、もともとは仏教用語だそうです)などのように、漢音では「カイ」と読むものが呉音では「エ」となる例を知ってからでした。
もう一つは「菊」。菊を「キク」と読むのは音読みであることを知って驚いた覚えがあります。
百人一首にもとられている和歌に、
「心当てに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花」
(凡河内躬恒 『古今集』秋下・277)
があります。「白菊」は熟語としては変則とされる「湯桶読み」になります。上は「しら」と訓で読み、下は「キク(ギク)」と音読みになります。「湯桶読み」を避けようにも「菊」には訓がないので術がありません。ちなみにこの語は現代でも日本酒やホテルの名前などにも使われているようです。
興が向くままに訓がない漢字を、インターネットの情報なども取り込みながら探してみました。まずは「肉」がありました。「ニク」は「音」だというのもびっくりします。いにしえには訓読みがあったようですが、それは死語と化しているように思います。
古語辞典では「しし」という和語にこの漢字を当てます。古くは「いのしし」(猪のニク)、「かのしし」(鹿のニク)のような言い方だったらしいのです。それがいつのころからか「しし」がすたれてしまい、音読みの「ニク」だけになったようです。
さらには「陸」がありました。もちろん「リク」と読んでいますが、訓が浮かんでこないのです。辞書の語義には「高くて平坦な土地。くが。おか。」とあります(『漢字海』三省堂)。「くが」は古語辞書には見えますが、現代では聞きません。「おか」は明治の初期、蒸気で走る汽車を「おかじょうき」といったそうで、この「おか」をいうらしい。いずれも今となっては使われていません。
ほかでは仏教にかかわる漢字に見られます。仏教は漢字と同じく中国・朝鮮半島を経て伝わってきたもので、それまでの日本人にとっては未知の世界です。したがって、仏教に固有の漢語には対応する和語がないのが理屈です。そのために訓がないのでしょう。僧や侶や刹さらには坊、法、律などには訓がありません。これらは仏教伝来に伴って入ってきた漢字かもしれないと思っています。
仏教と同じく儒教も外来思想です。儒教に固有の漢字ということではありませんが、人倫をいう「五常」と呼ばれる道徳があります。仁・義・礼・智・信です。智は常用漢字には入っておりません。いずれも漢字の字義に重なる訓は特定できません。
仏教、儒教のように、日本人のもともとの生活の中にないものと結び付いている漢字は音読みだけになるというのは自然といえます。しかし、日本人にも身近な事柄に訓がないというのは不思議です。例えば、農業とか漁業といいますが、この「農」も「漁」にも訓が思いつきません。漢字が伝わる以前から人々の生活を支えた大事な仕事であったはずです。それを表す言葉はなかったとは思えず、不思議な気がします。
現在、常用漢字とされているものは2136字ですが、それには読みがあります。その数は音訓合わせると4388になるそうです。漢字の世界は広く、しかも大人だっておたおたする様々な難所もある。そのすべてが子供たちのテストの範囲に入るわけではないでしょうが、たなばたに「漢字50問テスト」でいい点を取れるように願った子どもたちに陰ながら応援を送りたくなります。
(2025.7.20)
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