【コラム】八十路の影法師

漢字漫歩 音読み・訓読み 「からだの漢字」

竹本 泰則
 
 読むことが億劫になってしまい、新聞も見出しだけの流し読みで済ますことがほとんどとなりました。そんな中で何となく目にとまったニュースがあります。
 米国のバイオテクノロジー企業が、臓器移植による治験の実行を当局から承認されたという記事です。その治験とはブタの腎臓を人に移植することだという。移植の対象者は55~70歳の末期腎不全の患者で、まず6人に移植して安全性と有効性とを調べる。その結果が有望であれば、さらに進めて最大で50人にまで拡大する計画だそうです。
 人間にブタの腎臓を移植した例は、米国では昨年までに5例あるらしいのですが、これらはあくまで「緊急措置」であり、今回の承認によって「異種移植」(ヒト以外の動物種からの臓器移植)が「研究段階」から「治療手段」に移る画期になるかもしれないとされていました。
 人にブタの臓器を移植するなど、大いに驚かされました。何より、拒絶反応が起きるでしょうに……。
 ところが、腎臓を取り出すブタは移植後の拒絶反応が起きないように遺伝子が改変されているのだそうです。ということは、ヒトに臓器を提供するための特別なブタがすでに飼育されているということなんでしょうね。
 大豆の遺伝子組み換えにさえおびえたのは何年前だったろう。遺伝子操作の技術もえらく進んでいるようです。
 
 臓器移植に関しては、わが国は特異な国だということを以前に読んだ覚えがあります。あらためてざっと調べてみました。2023年のデータですが、移植実績が最も多い国である米国とわが国とを比較して見てみます。
 年間の移植件数は、米国が約4万件であるのに対して、わが国は約6百件。米国は我が国の67倍です。臓器提供者の数をみると、わが国は150件であるのに対して米国はその百倍以上にものぼり、両国の差はさらに拡大します。人口が違いますので100万人当たりの臓器提供者数を計算してみますと、米国はおよそ49人、わが国は1人といった程度です。
 日本で臓器移植を希望して「臓器移植ネットワーク」に登録している人は約1万6千人。しかし、実際に移植を受けることができる人は1年間で約600人(希望者の僅か4%弱)という状況だそうです。
 臓器移植は、わが国では特殊な治療法という域にとどまっていますが、米国ではすでに通常の医療の範疇といった感覚でしょうか。
 
 日本で臓器移植が伸びないのは臓器提供者の数が絶対的に少ないということから生じているようです。
 いわゆる「臓器移植法」は1997(平成9)年に施行されています。しかし、特に脳死段階での臓器提供に関する制約が、他国に比べて厳しすぎるせいで移植数が伸びないという指摘などもあって、法律の改善要望が高まりました。ようやく2010(平成22)年に改正案が施行されますが、法改正後も臓器提供者数は年間100人前後のまま推移し、いまに至っているようです。
 日本において臓器提供がなかなか増えない背景には、よく言われますが、宗教をはじめとする思想や文化を通じて育まれた「死」をめぐる日本人の考え方に特異性が強いせいかもしれません。
 
 話は少し変わりますが、臓器を表す漢字にも興味深いことがあります。
 中国文学者の一海和義氏はこんなことを書いています。
 
 からだの部分を示す漢字は(A)音だけで訓のない漢字、(B)音も訓もある漢字……、この二種類にかなりハッキリと分けられる。(A)は胃・肺・脳などで、これらには日本の漢字音があるだけで、日本式の読み方である訓がない。しかし(B)の腹・胸・頭などは音も訓もある。
 A群は内臓なので外からは見えないが、B群は外からでも見える。つまり、解剖学の知識がなかった当時の日本人は、Bの方は知っていたが、Aの存在については知らなかった。このため、初めてその存在を知ったとき、中国音(日本の漢字音)で呼ぶしかなかったのである。
 
 なるほどと合点しました。
 
 内臓を示す漢字群は古代中国の医学が基だろうと思われますが、その中国医学は朝鮮半島を経由して我が国に伝わったのではないかと想像できます。
 4世紀後半から5世紀にかけて我が国は朝鮮半島とのかかわりが増えています。『日本書紀』には414年に允恭天皇の足の病気を新羅から来た良い医者が治したという記事があるそうです。そのほかにも半島(高句麗・百済)から医師(当時は「薬師」と呼んだでしょうか)たちが日本に渡って来たことも記されているとのことです。
 古代中国の医学には「五臓六腑」という概念があります。五臓は心・腎・肺・肝・脾の五つ。六腑は大腸・小腸・胃・胆嚢・膀胱と三焦(さんしょう)をいうそうですが、三焦は特定の臓器と対応するものではないとのことです。「五臓六腑」とは臓器の名称にとどまらず、人の体内で五臓なり六腑がどんな働きをしているかなどを陰陽五行説にのっとり論じるもののようです。
 江戸時代の真ん中くらい、1754(宝暦四)年に山脇東洋という医師が幕府に願い出て、京都の牢獄でわが国最初の人体解剖を実行しています。この人は「五臓六腑」説に疑問をもち、内臓を実見しようと企てたようです。解剖の結果は『臓志』と題した図録によって出版されています。これによって当時わが国に入ってきていたオランダ語によるヨーロッパの医学書の正確性が証明され、医学界に大きな影響を与えたとのことです。17年後の1771(明和八)年には杉田玄白らが幕府の刑場(江戸・小塚原)における解剖に立ち会い、その後『解体新書』を出版しています。『臓志』・『解体新書』などに記述されている主な臓器の名称は現代のものと変わらないようです。
 
 前出の一海和義氏は、さらにこんなことも言っています。
 
 ところが、こんな例外もある。
 胆(タン、きも)
 肝(カン、きも)
 これらは内臓を示す漢字であるにもかかわらず、「きも」という訓がある。
 日本人は昔から熊(あるいは魚)の内臓である「きも」を食べていたので例外的に和訓があるのだろう、といわれている……と。
 
 一方、江戸時代の国学者である本居宣長は、その著書である『古事記伝』の中で、わが国の上代では内臓は全て「きも」と呼ばれていたと主張しているそうです。
 ところが、平安時代に編まれた一種の百科事典でもある『倭名類聚抄』には、いくつかの臓器の名称が日本固有の言葉(和名)によって記載されており、この辞書が編集された時以前には使用されていたのであろうとする説もあるようです。
 古代の日本人が内臓についてどこまで理解していたかはわかりませんが、中国大陸や朝鮮半島から最新の医学の知識がもたらされると、日本人は漢字で書かれた多くの医学用語を受容し、人体各部の名称も漢語を外来語として使用したのでしょう。時代が進んでからも学問の世界では漢字が幅を利かせていたために、日本固有の臓器名がいつの間にか忘れられていったのかもしれません(もちろん日本固有の臓器名が古代には存在していたとしても、の話ですが……)。
 さらに、江戸中期に至るまで、この国ではヒトの内臓を実見する機会がなく、臓器に関して知見が深まらなかったという歴史も日本の固有名が埋没した(漢字に訓が生まれなかった)ことに影響しているかもしれません。
 
 我が国は、臓器移植という医療に関して、アメリカだけではなく、ヨーロッパ諸国などと比較しても大きく立ち遅れています。さらに、明文化された法令などがないにもかかわらず、近代を迎えるまでの長い期間にわたって人体の解剖が事実上禁忌のような状態であったように想像されます。
 この二つの事象には共通するものがあるのではないでしょうか。
 死にかかわる日本人の思想(死生観といったようなもの)に特異なものが内包されているような気がしてなりません。

(2025.6.20)
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