【コラム】神社の源流を訪ねて(71)

琉球開闢の神々(1)

「神殿」はなく韓国の「堂」に似る
栗原 猛

◆御嶽(うたき)は琉球神道の「原始」を継承
 柳田国男は、必ず社殿のあるものでなければ、神社でない如く考えたのは明治以来とてもよく、また少しも根拠のないことであった、と言っている。 
 沖縄の御嶽(うたき)が、社殿がなく朝鮮半島の堂に似ているということなので、ぜひ見なければと思ったが、なかなか機会がなかった。
 沖縄は九州南方に位置し、亜熱帯の島々からなっている。年を通じて雨が多く植物の生育も早く食料も豊かなので、明るくおおらかな気質ができたといわれる。沖縄の島を回っていると、どこまでも広がっている青々とした海と空の影響が大きいのではないかと思われた。                     弥生文化は北九州への稲作の上陸とともに始まった。一方沖縄はその影響を受けることなく、固有の縄文的な信仰は長く引き継がれたとされる。
 沖縄の村では祖霊を守護神として祀る。この祭祀施設が沖縄独特の御嶽と呼ばれる。那覇市で見た御嶽は、小さな森の大木の根元に小さな祭壇と祠があるだけだった。森全体が信仰の対象で、鎮守の森に通じるものが感じられた。近くから須恵器が出土したといわれるから、朝鮮半島との交流もあったようだ。
 狛犬とか灯籠などはない。祠の前は小さい広場があって、ここでお祈りやお祭りが行われる。どこか済州島で見た堂に通じる。いたってシンプルだ。「簡素は知恵の要諦なり」といった文学者がいたが、樹木の中に祠だけがたたずんでいるのだが、なかなか存在感がある。祠の前に鳥居があるところもあるが、これは明治政府の皇民化政策で強制されたものという。
 御嶽には祠だけのものや森や川、泉、島、巨岩からノロ(祝女)の墓などの場合もある。発掘調査などによると、古代人の集落が近くにある場合が多いという。この御嶽にも男女の役割分担があって、男性は補佐役になり、女性は王族の女性が務める聞得大君(きこえおおきみ)をトップに、各村にはノロと呼ばれる女性による宗教の仕組みが儀式を行っている。さらに、その外に女性霊媒師といわれるユタ(巫女)が、人々の日常生活にかかわっている。
 ユタは人々から困りごとの相談を受けると、共に悩み解決策を見つけ出そうとするので日常、人々に接している。韓国の堂の男女の役割にも通じ合うものがあるように思われた。御嶽の収穫祭は、中心になる祭りで、村の人が総出で夜通し行われる。また個人の祭祀行事などもある。
 御嶽の行事は女性中心に行われるので、「男性立ち入り禁止」の掲示が目立つ。一方韓国では儒教が国教だった時代が続いたために、男性の祭礼は儒教式で、女性は「堂」を中心に、伝統の巫俗信仰で行われている。
 儒教との関係も注目点だが、儒教は琉球に近世になって入ってきたが、信仰には影響はなかったようだ。民俗学者で民間信仰に詳しかった桜井徳太郎氏は、(ノロとユタの役割について)「この両者とも沖縄民間信仰の底辺を貫流するシャーマニズムの根の上に立ち、沖縄の民間信仰を支える車の両輪」と、説明している。
 また琉球神道に深い関心を持った折口信夫氏は、著書の「沖縄の存する我が古代宗教の残孽(ざんげつ)」の中で、「沖縄の宗教は、僧袋中(そう、たいちゆう)の命けて、『琉球神道』と申し候とほり、我が国の固有信仰と全く同一系統に属するものに有之、神道の一分派或は寧ろ、其原始形式をある点まで、今日に存したるものと申す事を得べきものに御座候」と言っている。琉球神道は、神道の原始の姿を継承していると言っている。
 以上

(2024.10.20)
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