【コラム】神社の源流を訪ねて(76)

琉球開闢の神々(6)

地から湧いた「良、高、夫」の祖神
栗原 猛

 済州島はその昔は、耽羅(たんら)国と呼ばれ、独立国だった。釜山空港をまだ暗いうちに飛び立ち、済州島の空港に着くころ朝日が差してきた。安い旅行を心掛けていると日程が厳しくなる。                   
 何はともあれ、空港近くのホテルに荷物を預けて、耽羅神話の開闢神話の聖地、三姓穴(サムソンヒョル)に敬意を表しに出かけた。高い楠が点在し広さは一万坪という。林に入る門の手前に、トルハルバン(石爺さん)の石像が2体立っている。三姓穴は、芝生の中ほどにある盆地の真ん中にくぼみがあり、このなかにこぶし大の3つの穴がある。ここから良(梁、ヤン)、高(コ)、夫(ㇷ゚)3つの姓の先祖が、湧くように出てきたと言われる。

 「高麗史」には、「厥初(けつしょ)には人物無し。三神人地より湧出せり。今鎮山の北麓に穴有り。毛興と曰う。是その地なり。長を良(梁)乙那と曰い、次を高乙那と曰い、三を夫乙那と曰う。三人荒僻に遊猟し、皮衣肉食せり」とある。三氏の祖先は、狩猟して生活していたようだ。

 この穴は横に延びる噴気孔に、小さな陥没でできたもので、暖かい空気が出てくるので、周辺の木々はこの穴の方向に枝を伸ばしている。創世神話には、降臨説話が多いが、先祖が大地から湧いてくるという神話はほかにはないらしい。    
 三姓穴は、今でも良(梁)、高、夫3氏の信仰の地になっていて、宗廟をはじめ、祭礼を行う建物や祖先の位牌も置かれている。共同で三姓穴を管理し、春秋と毎月1日の祭日には三姓の子孫が順番で、祭祀を続けている。済州島については、泉靖一氏の「済州島」に詳しい研究がある。祭典は儒教式で、牛や豚を犠牲に捧げる儀式もあるが、宗廟に対する信仰なので学術調査は行われていないという。                        
 三姓人は弓が得意で穴から出ると、島の東海岸・城山(ソンサン)邑の延婚浦(ヨンホンポ)で、五穀の種や家畜とともに流れ着いた3人の姫を迎え、それぞれ結婚する。この3人の姫は、李氏朝鮮期の『高麗史・地理志』によると、「日本国使」が日本から連れてきたとあり、「瀛州誌」(高麗末か李氏朝鮮初期)では、3人の姫は「碧浪国」から来たとある。「碧浪国」とは日本の九州にあった国といわれる。九州のどこかは特定できないが、往古から日本列島と交流が盛んだった証だろう。

 その後の耽羅国だが、ジンギス・ハンの孫のフビライが、高麗王朝を1231年から同42年にかけて6回も攻め、耽羅国も1273年から100年間、元の支配される。耽羅国の仏教寺院は元の影響を強く受けたとされる。                         
 耽羅国と日本の交流は、「日本書紀」の記載があり、司馬遼太郎氏の「耽羅紀行」は「交流は22回」とする。済州島は古くから沖縄とも交流があった。先に見た沖縄の祖霊の祭祀施設である御嶽(うたき)の祭礼が、済州島の堂(タン)に似ていることからもうかがえる。                            
 2000年に行われた韓国の姓に関する調査によると、姓は 728種類(漢字表記のある漢姓は286、漢字表記のない姓は442)。うち金、李、朴、崔、鄭(チエン)の5つの姓が、人口の半数を占める。日本では、同じ苗字でも読み方の違いなどを入れると、30万とされ、韓国の方が地縁血縁の関係が濃いといえるのではないか。

 同じ苗字の人人ばかりで混乱しないのか気になったが、韓国には始祖の発祥の地を「本貫」と呼んで、苗字が同じ場合は、発祥の地をまず確認し合うそうだ。一番大きな氏族は、金海市を本貫とする金氏で全国に446万人、二番目は蜜陽朴(ミリャンバク)氏で310万人という。

◆以上
(2025.3.20)
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