【コラム】八十路の影法師

石器時代

竹本 泰則
 
 米国とイランとの間のせめぎあいは決着がつかぬままに三か月以上が経つ。
 開戦からおよそ一か月後のこと、トランプ大統領は国民向けの演説を行い「今後二、三週間で彼ら(イラン)に極めて激しい打撃を与え、彼らを本来あるべき石器時代へと引き戻すつもりだ」と述べたといいます(2026年4月2日ロイター)。
 相手に対する強烈な威嚇、そして国内支持者への最大限のアピールかもしれませんが、ここまで言いますかね……。
 この人の言うことなすこと、何か大事なものを欠いてはいないかと気になります。
 
 石器時代は日本にももちろんありました。しかしそのあり様がちょっと変わっています。
 人類の原始時代は、それぞれの時期に使われていた道具類の主たる材料によって区分されるようです。石を加工した道具をもっぱら使っていたのが石器時代(旧石器時代、新石器時代)、その後、青銅器時代、鉄器時代と続きます。
 もちろん木などの植物系の素材による道具もあったでしょうが、土中にあって何万年という時間の中では朽ちてしまい跡形も残らないのでしょうかね。
 石は身近にあり、丈夫で長持ちする所為でしょう、長い期間(なんと2百万年以上!)にわたって人々の生活を支え続けたようです。
 日本史に眼を転じると、時代区分は原始時代→古代→中世→近世→近代→現代とするのが一般のようです。その原始時代の内訳は、旧石器時代→縄文時代→弥生時代、さらには古墳時代が加わったりしています。
 旧石器時代はあっても新石器時代という時代区分が日本にはないのです。これにはちょっと驚きましたが、ところ変われば暮らし方も異なるということなのかもしれません。
 旧石器時代から新石器時代への移行は磨製石器の登場が指標とされるようです。
 磨製石器とは、石を打ち砕いて形作るだけではなく、砂や砥石で石の表面を磨いて平滑にした石器であり、旧石器時代は磨かれていない打製石器だそうです。
 しかし、わが国では旧石器時代が終わらぬうちから磨製石器は使われていたといいます。また、西アジア・ヨーロッパなどでは、新石器時代のはじまりは農耕や牧畜が始まった時期と重なるようですが、日本ではそれらの地域より早くに農耕・定住がはじまっています。
 
 世界史の新石器時代に当たる時期の日本における生活道具はというと、圧倒的に土器だそうです。日本各地の遺跡からは、地域によって意匠は異なるものの、多くの土器が見つかっています。つまり、この国では人類史上でも最も早い時期に土器が誕生しています。
 かつて長崎県(泉福寺洞窟遺跡)で見つかった土器(豆粒文土器)が「世界最古」と言われたらしいのですが、その後、中国を含む東アジア地域で日本の初期土器群に匹敵する古い土器が次々に発見され、現在判明している最も古い土器は中国からの出土品だそうです。
 古さが世界一であるかどうかは別として、日本は土器使用の古さでは人類のトップ集団に属しています。そしてその後、一万年以上にわたるとてつもなく長い期間を通じて、この国に土器文化が花開いたようです。
 
 ところで、日本列島を含む極東地域における最古級の土器には煤状の炭化物が付着したものが多く、当初から煮炊きの道具として使われていたと推測されています。これも大変興味深いことです。食べ物は生(なま)のまま食べるほかは、煮る、焼く、蒸す、揚げるなどの方法で調理されますが、なんといっても「煮る」が主役でしょう。日本民族は「煮る」をとても長く経験してきたのです。
 「煮る」ことができるメリットは、原始の時代においては、ことさらに大きかったはずです。
 まず食材の範囲が広がる。縄文時代といえば貝塚が思いつきますが、煮炊きできたからこそ貝類を多量に摂取できたのではないでしょうかね。生(なま)で食べようとすれば殻を割るという面倒さがあるけれども、煮ることによって食べやすくなるうえ煮汁も味わえる。
 野菜、木の実も、生(なま)では堅くて食べられないものが、煮れば食べられるようになる。
 さらに、貝や野菜、木の実といった食材を得ることは、動物の捕獲(狩猟)などと比較すると危険が少なく、食物入手の確率も高かったはずです。もっとも縄文人は獣道に落とし穴を仕掛けてシカやイノシシなどを捕らえるという安全度の高い方法を心得ていたようですが……。
 
 かつて原始の人類が石の道具を使っていた時代、それぞれの道具に呼び名があったことは考えられます。しかし文字で残っていなので名称を含めて答えはわかりません。
 人類最古の文字の一つとされる漢字もいつできたのかはっきりとはわかりません。しかし、考古学的に実在が確認されている中国最古の王朝である殷代(紀元前16世紀~)にはあったようです。それでも、石器時代はすでに過ぎ去っています。
 漢字から想像される石の面影みたいなものを探してみました。
 石の字は部首「いしへん」ともなって様々な漢字をつくります。例えば、現代でも使われている大砲という熟語の「砲」は「いしゆみ」といって石を遠くまで飛ばす武器が源のようです。「磔」は、わが国では「はりつけ」を指しますが、もとはひどい刑罰のひとつです。それには刃のように加工された石が使われたのかもしれません。
 東京の世田谷区には「きぬた」という地名が残っています。漢字は「砧」です。大昔、植物繊維そのままで織った布地はごわごわするため、石の上などで叩いて柔らかくしたりつやを出したりしていた。その道具が「砧」です。和歌によく見かける「ころもうつ」などはこれです。
 石の道具は金属器の時代になると駆逐されるものも多かったろうと思います。「碇(いかり)」がその例でしょう。石を綱で結び、水中に投げ込んでいたかつての歴史を語るようです。
 
 あらためて見てみますと、「石」を部首とする漢字の数は決して少なくはない。現代日本の常用漢字を持ち出すのは的外れかもしれませんが、あえて書きますと、2百余りある部首のうち、石を部首とする漢字の数は多い順に36番目くらいに位置しています。車(くるまへんなど)、雨(あめかんむりなど)や米(こめへんなど)、食(しょくへん)、虫(むしへんなど)よりも字数が多いのです。
 数の多さは、石と私たちの生活との結びつきの深さを語るものでありましょう。
 
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 蛇足になりますが、縄文時代という呼称は縄文土器に由来するということはわかります。その縄文土器という呼び名は、土器の紋様が縄目であったことから、日本の考古学者の間で、だれとはなしに言い出したものが、いつの間にか一般化したものだろう……くらいに思っていました。ところが、名付け親ともいうべき人がいました。「大森貝塚」(東京都品川区)を発掘したエドワード・S・モースだそうです。
 モースは、お雇い外国人として来日して、わが国考古学の扉を開いた人とされています。
 この人が「大森貝塚」発掘のレポートの中で貝塚から出土した土器を「Cord Marked Pottery(縄目文様の土器)」と表記しているそうです。この訳語として「縄文土器」という言葉が戦後に定着したということです。このことは本稿をまとめる過程で初めて知りました。

(2026.6.20)
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