【コラム】神社の源流を訪ねて(79)
聖林と始祖 朴赫居世
◆光と水で農耕神話が完成
赫居世伝説も聖林が舞台である。「三国史記」と「三国遺事」は多少異なる。赫居世がこの世にあらわれる前に、人々は六つの村に分かれて生活していた。ある日、村長たちが楊山(現在の南山)の麓を見ると羅井(らい)の側林のなか中に、馬がひざまづくようにして嘶いているのを見つける。
近づいてみると、突然、馬の姿は見えなくなり卵だけがあった。皆で瓢箪のような大きな卵を持ち帰って割ると、立派な王子が出てきた。その子は長じて優れた若者に成長する。六つの村の村長たちは彼を推薦して王に立てた。赫居世の誕生である。
赫居世を補佐した重臣の瓠公の出自も面白く、どうも倭人だったらしい。朴赫居世の3年に馬韓に使者として出かけている。赫居世は、瓠(ひさご)に似た大きな卵から生まれたことが出自の話にあり、パクと名付けられている。実は重臣の瓠公という名前も、瓠(瓢箪)に関係するので、話がどこかで入り混じったのではないかとの見方もあるようだ。
この日の見学ルートは、101(婆娑王22)年に作られた聖林に隣接する半月城(月城)から、近くの雁鴨池(あなっち)や王室の祭祀施設、すぐそばの鮑石亭跡などを見て、締めくくりに南山の麓にある話題の羅井を見ることだった。新羅の始祖赫居世が、この林の中で卵の姿で現れたとされる由緒ある言い伝えを持つ林は、ほとんど手入れされていないように見えた。遠くからは大きな松林のように見えたが近づくと、高い松は周辺だけで、全体は草原になっている。
神話に登場する新羅の始祖の生誕の地だが、記念碑などもない。期待していたが、極めて殺風景というかさっぱりしていて、神話の遺跡という感じはない。広場の真ん中が少し高くなっている。敷石が発掘され、その敷石は八角形に置かれていたので、一瞬、重要な建物の跡かなと思ったが、周辺に説明板などはなかった。
新羅の誕生譚は「三国史記」をはじめ「三国遺事」などで語られている。新羅の建国神話では、国号をまず徐羅伐(そらぼる)とし、新羅になったのは、22代智証王の時代」とされる。そして王位は、朴氏から昔氏、さらに金氏へと順次受け継がれていく。新羅の意味は、朝日は新鮮で鮮やかで、その光は四方を網羅することを言っていると説明される。「赫」は光明が大きいという意で、太陽の光は広大無辺に広がっているということなのだろう。
赫居世は王になった時、まだ13歳だった。即位後、居西干(きょせいかん)と名乗り、国名を徐那伐(そなぼる)とした。赫居世の姓の「朴」も「瓠」も「瓢」も朴の意味があり、ただ大きいだけでなく飄然としていて愛敬もあり、民族の誇りのようなものを、埋め込んであると言いたいのかもしれなかった
それから幾星霜。赫居世の子孫とされる現在の密陽朴氏は、大きな一族になっている。朴姓の70%、310万人を越え金海金氏に次いで多いという。面白いのは、羅井に関係する話では、「新井」という苗字の旧友が、「我が家には、先祖が羅井の側で生まれたので「新井」(あらい)という氏を使ったという言い伝えがありますよ」、といっていた。先祖は千年以上も前の渡来人だったかもかもしれなかった。
朴氏家に伝わる神話には、もう一つある。それは赫居世は光かがやく太陽で、閼英(アツエイ)夫人は穀霊に当たる。赫居世は天から降臨し水神の閼英夫人を得たことで、天候と土地が結ばれて、農耕神話としての建国の神話が完成したという筋である。
◆以上
(2025.6.20)
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