【コラム】1960年に青春だった!(22)
自分自身~トライアスリートの人としてのロマンを想う
中学は多摩川の土手沿いにあり、高校も近くでしたから、丸子橋、ガス橋、大橋を渡り、上り下りのコースを自在に作って走っていました。マラソンランナーは夢のひとつでした。体を動かすほかに遊ぶことのない時代でしたから、自転車で風を切ったり、泳ぎの季節には家から六尺を締めて行ったりしていました。
思えばそうなのでした、トライアスロンの3種目。
トライアスロンが身近で話題になったのは、半世紀後のこと。仕事以外の時間はすべてゴルフのプレー研鑽とロマンづくりに費やしていました。
もしトライアスロンを嗜んでいたら、きっと、ゴルフのあるがままの厳酷さとほかのすべてのプレーヤーへの心くばりでストーリー探しをしていたのと同じように、トライアスロンにもそういう楽しみ探しに励んでいたことでしょう。
トライアスロンの端緒はまだ100年足らず前。夏季オリンピック競技になったのも2000年からで、新しい部類のほうの競技種目です。
1920年代にマラソン、水泳、自転車の個別では勝負がつかない負けず嫌いのフランス人が、3つをぶっ通しでやろうじゃないかと始めたのだとか。
74年に米国サンディエゴの陸上クラブで、太ってきた中年男たちがダイエットのためにトライアスロン競技を始めたのだとか。
欧米の男たちが3種目ぶっ通し競技を企んだとき、なぜ「スイム」「バイク」「ラン」の3競技を選んだのか。ボクにはとても意味深で、そこに象徴的なストーリーが連なっていると思えてならないのですね。
その、ボクの戯言はあとにして…。
一口にトライアスロンといっても、屈強な元軍人たちがはじめたアイアンマンレースやオリンピックディスタンスなどメジャーものから、地形などの特色を生かしたローカルな大会まであります。その規定はさまざま。
各種目の距離の規定にしても四角四面にきっかり「10km」と刻むのではなく「10kmまで」と柔軟で適当な設定もあります。
ほかの競技にくらべて数字のことにはたいへん柔軟に、細かいことはいいじゃないかといった大らかな感覚で設えてあります。
トライアスリートたちの目標は、記録や順位ではありません。自分の内なるもの、自己ベストです。彼ら彼女らはこれを誇らしげにおっしゃる。
すべてのトライアスリートがスタートの朝、しっかと胸に抱いて見据えるのは、きょうの自己ベストの達成。
そしてゴールしたすべてのトライアスリートが掲げる栄冠は、きょうの自己ベストを達成した事実です。
達成するという言葉が表わす世界は素晴らしく大きい。参加する大会の第1位とか、世界新とか日本新ではありません。人との速さくらべではなくて、自分とのゲーム、我慢くらべなのです。
ですから、マラソンなどの競技種目ではトップでゴールする優勝者にはテープを張り、ローリエの冠で迎えますが、トライアスロンでは違います。
最終完走者までがチャンピオン(本来は主義を貫いた闘士の意味)。ひとりひとりテープを張って、自己ベスト達成を讃えて迎えます。
人は人、人それぞれの自己ベストがあります。
今日は今日の自己ベスト。明日は明日の自己ベストがあります。
10年前には10年前の若さの自己ベスト、今年は今年の年齢の自己ベスト。
人生100年時代の価値観・人生観と呼応する思想です。
一二三三二一という措辞どおりフィニッシュまで足取り確か、下り坂もまた素晴らしきかな…。数字の頂点が人生の頂点ではない。トライアスリートたちはすずやかな眼差しでそう考えているようです。
トライアスロンはまだニッチスポーツではあるけれども、順位や数字にこだわらない、この柔軟な、スタイリッシュでグルービーな美徳が、国を超え、価値観を超えて、多様な人々の参加につながったことを快哉したいと思います。
マラソンでは前のランナーの背後にぴたっとくっつく風除け走行をよく見ます。トライアスロンのバイクではドラフティングといって違反です。
しかし判定が微妙。ドラフト名人は競技委員の目を盗んですれすれのところでします。されるほうは睨み返したり手で払ったりして抗議したいのですが、ペースもメンタリティも乱れ、気分も悪いので、ここも我慢くらべ。
常習犯は「ドラ野郎!」「ドラえもん!」などの蔑称がついて有名になります。
判定が難しいので、エリートクラスの競技では禁じなくなっているとか。
ルールといえば、ジュリー・モス選手の逸話が素晴らしい。
1982年のアイアンマンレース、Women の部でジュリー選手は悠々トップで来ましたが、ゴール目前に脱水症状に見舞われて夢遊病者のようになり、立つこともかなわず路面に這いつくばり、後続選手に次々に抜かれました。しかし、彼女は亀になってでもゴールしました。
このエピソードによってルールの条文「選手は、走り、歩いて進むことができる」に「または這って」が付け加えられました。
細かい数字はいいじゃないかの大らかなところは事務局(日本トライアスロン連盟JAU)もそうであるらしく、最近の動向についてのデータが見当たりません。かろうじて南紀白浜大会2014年のものが見つかりました。
参加者平均年齢 42.7歳
自由裁量所得 平均56,937円
過去3年間の大会参加数 5.8回(つまり年2回弱?)
過去1年間のトライアスロン費用 475,632円(旅費・クラブ会費込み?)
国内競技人口は 、2017年のJNEWSコムによると、37.5万人。
男女比は、複数のデータから推察すると、8割強対2割弱です。
KONAチャレEXPOというところの 2019年の数字に関心を惹かれました。
参加者ボリュームゾーンは、40~50代。
職業別にみると、管理職が42.5%、経営者・役員が22.4%、となっています
種目ごとに得意不得意があるでしょうから、作戦の立案能力がだいじになります。1種目競技に比べて作戦ゲームの複雑さは3倍以上になる計算。上記のようなビジネス職にあるアスリートにとって、その複雑さこそはマネージメント・ゲームの面白さともいえるでしょう。
自己ベストが目標ですから、自己管理や自己分析の能力を発揮して冷徹に作戦を練る、その結果をクールに分析する。競技前にも後にも競技があるのですね。
トライアスロンを知って相当強い興味をもって挑んでも、各種目について運動セオリーどおり効率的に体を働かせられる人はほとんどいないでしょう。このことがトライアスロンにとっては幸いなのです。
ふつうビギナーズステップではスイム750m、バイク20km、ラン5kmの合計25.75km、ハーフディスタンスのスプリントに挑戦します。これでも多くのビギナーはカルチャーショックにも似た驚きにぶつかります。スイムのベテランでもバイクには素人同然、ランの天狗でもスイムには鼻をへし折られます。
こうした現実を謙虚に受容し、階段を一段一段上るように各種目の体力を身につけ、技術を学び、知恵を養う。こうした謙虚なトレーニングを継続した人だけがトライアスリートになれるのでしょう。
ひと口にいって、まじめ。そのエネルギーの源泉は「好きだから」「好きになっちゃったから」しか思い当たらないそうです。
ボクなど始めなくてよかったと思います。
理にかなった食事メニュー、計画された運動時間と睡眠時間、姿勢・体調のチェック、精神鍛錬、そして博愛精神の研鑽…。
ケセラセラ…のボクなどはとてもとてもの世界です。
しかし左様なボクでもトライアスロン大会の絵には見惚れます。
スイムの光景。これは、魚、それも群れる魚の絵とだぶる。
1980年、日本水産が魚離れ対策のポスターキャンペーン〈SAKANA80'sニッスイ〉を展開しました。覚えておいででしょうか。都会の主要駅に連貼りポスターを繰り返し掲出しました。
海辺に立って物想う水着女性の写真に、当時の高名ディレクターの指示どおりボクはめったに書かないイメージコピーをつけました。
「われわれの出身地は海である。」
「海の字には母の字がある。なぜかな。」
「きょう海に挨拶をしましたか。」
「海はスポーツマンを詩人にしてしまう。」
バイクの隊列。これは、そのまま宇宙へ飛んでいく絵とだぶる。
海から上がったホモ・サピエンスは手にした棒っきれから道具の便利さに気づき、走るより速い自動車を発明し、汽車、飛行機へと。人間の欲望は宇宙旅行の先、どこまで行こうというのでしょうか。
しかしトライアスリートは知的です。分別をわきまえています。
マシーンのパーツ、アッセンブリーの改良進化が目ざましく、大会側の検閲とのイタチごっこが止まらなくなっているのではないか、と意地悪く詮索したところ、「愛好者レースではチエックはありません。そこは性善説です。虚しいことはしません。機械ではなく自分自身への挑戦だから」と返ってきたのですから。
スイムで水になり、バイクで風になる。としたらランでは…。これには答えは出ていますね。
自分自身になる。
(元コピーライター)
(2021.07.20)
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