【オルタ広場の視点】

茨城の自治体議会の現場から~地域に根を張ってこそ

玉造 順一


◆ 1.はじめに

 統一自治体選挙の年は、自治体議会のあり方を問う記事が全国紙で特集される。特に今年は、議会の「担い手不足」が取り上げられることが多かった。地方議員年金の復活論議や、無投票当選の増加傾向などがその背景にある。高知県大川村議会では、定数割れの危機から全住民による町村総会の検討もされた経過がある。

 問題は「立候補者不足」だけではなく、自治体選挙の投票率低下にも表れている。これまで一般的には、国政選挙よりも自治体議員選挙のほうが投票率が高いと言われてきた。狭い選挙区で多数の候補者が立候補して投票を呼びかけ、しかも地縁血縁を頼る自治体選挙は、より多くの有権者を投票所へ向かわせると考えられていたからである。しかし、総務省や明るい選挙推進協会のデータを見ると、概ね平成に入ってからその傾向は逆転し、国政選挙のほうが自治体選挙の平均投票率を上回るようになった。
 なぜ地方政治が住民から離れつつあるのか。このことを自治体議員の経験を踏まえ考えてみたい。

◆ 2.大学生から「退屈」と言われる議会

 昨年12月の県議選で当選したばかりの私の事務所に、2人の大学生がインターンとして派遣されてきた。受け入れる側としては、まずは議員本来の仕事である議会活動に触れてほしいと思い、県議会の本会議を傍聴してもらった。終了後に感想を聞くと、「質問する議員も、答弁する知事も、ただ原稿を読んでいるだけで退屈」と言われてしまった。確かに質問通告に基づく本会議は形式的過ぎて退屈である。
 この間、各自治体議会では一問一答制やインターネット中継の導入、そして議会報告会の開催など、住民に議会活動を知っていただくための改革が行われてきた。しかし、それでも興味を示してもらえないのは、今の議会運営のあり方そのものに原因があるのではないだろうか。

 そもそも議会は、高度に専門化した行政に対するレイマン・コントロール(素人による統制)の機能を期待されている。にもかかわらず、例えば三月議会なのに予算案に対する質疑を行うことなく、自分の地元からの要望や所属政党の機関紙に掲載された“先進事例”をもとに「あれをやれ、これをやれ」と一般質問で提案ばかり並べる議員のなんと多いことか。

◆ 3.地方政治に政党政治は馴染まないか?

 議会制民主主義は、政党政治が基本である。従って、自治体議会も政党がしっかりと役割を果たさなければならないはずである。しかし、都道府県議会議員(2,609人)の512人(19.6%)、市町村議会議員(29,839人)の20,958人(70.2%)、首長では47都道府県知事のうち46人(97.9%)、市町村長(1,740人)の1,732人(99.5%)が「無所属」となっている(総務省調べ・2018年12月31日現在)。この政党所属数は、選挙時に提出する「所属党派証明」をもとに算出しているため、自治体議員がどこかの政党の党員かどうかを正確に反映しているわけではない。そして政党所属を公表するかどうかは、候補者である政治家個人の判断に任されている。

 私自身は、政党の存在がこれでいいのか!という思いである。選挙戦術上、政党の看板を掲げることを躊躇う候補者の政治的信念・資質が問われることはもちろんであるが、国政で政権交代を目指す熱意と同様の意気込みで首長を取り、自治体議会で過半数を獲得しようとする意識が特に現国政野党の側に希薄だったことが緊張感を減退させ、チェック機能を充分に果たし切れていない自治体議会にしている原因ではないか、と思っている。

 自治体議会では、首長派と反首長派、あるいは議会人事における議長派と反議長派が対立し、その結果、議案や政治姿勢が一大争点となる場合もあるが、それは単なる感情的対立でしかなく、住民の幸せという発想を起点としたオールタナティブに繋がる論争ではない。
 首長選における与野党相乗りが政党の違いを分かりにくくし、国民の政党不信の原因になっている。首長や自治体議員を担う人材を育成して、地方も中央も権力を奪取できる気迫が政党に必要だと考えている。それができれば、「議員選挙の人材不足」は解消するのだから。

◆ 4.立憲民主党の県議として

 私は、「党人派」と言われてきたし、自分自身そうありたいと活動してきたつもりである。20歳(大学3年)の時に日本社会党に入党し、労働金庫に8年勤務した後、30歳で県議選に社民党で立候補し落選。その翌年の水戸市議選に初当選、東電福島第一原発事故が起きた2011年の水戸市議選では、社民党公認で3期目の当選を果たした。

 その任期途中、野田政権が大飯原発再稼働を決定したことに抗議する官邸前の金曜行動に呼応して、水戸市内にある日本原電事務所前での抗議行動(現在でも毎週金曜日実施中)を始めたり、放射能から子どもたちを守る活動をするママたちと市長要請に取り組んだ。私自身、連合推薦議員として応援してきた東電労組組織内の民主党県議を支援するのではなく、厳しくても脱原発を掲げて社民党が県都水戸市で県議選を闘うことが重要だと考え、社民党県連合幹事長だった私は水戸市議を辞職し、2014年12月の県議選に立候補した。
 この時私は連合茨城から「推薦取消」処分を受けた。だが、それは先方が判断することであり、同じ志を持つ仲間と活動できれば本望とさばさばしていた。ところが、案の定落選したあと、連合推薦で自治体議員になっている、仲間であるはずの社民党の面々からさえ、何となく厄介者扱いされている感じには居た堪れない思いをしたものである。

 こうした中、2017年に立憲民主党が結党された。「原発ゼロ」を明確にした立憲民主党に違和感はなかった。自分の人生そのものだった社会党・社民党を離党するのは死ぬのも同じ気持ちであったが、生まれ変わるつもりで立憲民主党に入党した。そして、昨年末の茨城県議選に立憲民主党公認で立候補したのである。
 立憲民主党公認で闘った2018年の県議選では、東海第二原発再稼働反対を前面に掲げ、支援組織もほとんどない中、東電労組の現職県議を破って初当選することができた。

◆ 5.自治体議会における政党のあり方

これからは「草の根民主主義」「ボトムアップの政治」を掲げる立憲民主党の県議として、市民からの信頼を何より大切にし、自らの活動領域である水戸市、そして茨城県での政権交代を実現することを目標に東奔西走したいと思う。
 個人的には、欧州のように、社会民主主義、自由主義、保守主義などに立脚する政党が機能する政治システムにしていきたいと考える中で、その一翼を担う社会民主主義勢力をこの国で強化したいとの思いで活動している。

 これまで身近に見てきた政治的光景、例えば、安易な与野党相乗りの首長選や、市議会のように定数が多いにも関わらず1人か2人の候補者擁立で満足してしまうような消極的姿勢に疑問を感じてきたし、そうした体質が国民から見透かされ、この国の社民勢力の退潮を招いたものと自省している。
 また、議会内においては、議長や常任委員長などの役職をもらったり、政府に送付するだけの意見書をたまに可決させてもらうことと引き換えに無原則に議会の多数に同調してしまうような対応が、地方における政党の存在感を失わさせるものと厳に自戒しつつ、一方で保守多数の議会で政策的な影響力をどう確保するかを課題としてきた。

 水戸市議時代は、保守がいくつもの会派が分かれているため硬軟の対応が可能であったが、茨城県議会は定数62人の3分の2が自民党会派で占められている状況である。55年体制の一方だけが強力に残っている茨城県議会においても、地域でのボス支配や組織締め付けの選挙が崩れつつある中で、いつまでも今の体制が続くとは考えられないし、我々がそれに取って代わる勢力になりたいと思う。
 
◆ 6.関東で唯一の原発立地県で

 私が社会党に入党した理由はいくつかあるが、そのうちの一つが反原発である。
 チェルノブイリ原発事故は、当時高校1年生だった私にとって衝撃的だった。「自明のことは自明でない」と感じた友人とともに、文化祭で反原発の展示を行ったり、『危険な話』の著者である広瀬隆氏を水戸に招いての講演会の実行委員会を手伝ったりする中で、東海第二原発に反対する市民活動に取り組む社会党員と知り合った。謂わば、初めてかかわった社会運動が反原発運動であり、それを担っていたのが社会党やその周辺で活動する人々だった。

 茨城県東海村は、日本で初めて原子力の灯がともった地であり、日本原子力発電株式会社の東海第二原発が関東地方で唯一の原発として立地している。この原発は、昨年11月で既に法定寿命の40年を経過した老朽原発であり、半径30キロ(UPZ)圏内には約96万人が生活しており、過酷事故が起こった場合には想像もできないほどの惨劇となる。
 現在、UPZ圏内の市町村では、避難計画の策定作業に苦労しているが、そうした苦悩する自治体の首長や職員を含め、市民の力で原発の存在に終止符を打つことを目標に活動していきたい。そのためにも、議会だけの活動に終始するのではなく、地域に根を張った運動をしっかりとつくる努力をしているところである。

 (茨城県議会議員)
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