【コラム】八十路の影法師
誹謗中傷
竹本 泰則
2026年6月の国会では、高市首相に対する野党からの追及が行われていた。火種の一つは、例のごとく週刊誌の報道。直近の衆議院選挙や自民党の総裁選などで、高市氏の陣営がほかの候補を誹謗中傷する大量の動画をSNSに投稿したということらしい。
この種のさわぎの真偽は「闇の中」が通り相場。くだんの動画も拝見していない。したがって、市井の閑居老人には手に負えない問題です。そこで「誹謗中傷」という言葉について考えてみました。
この言葉は、しょっちゅうではないものの、以前から耳にはしていたし、意味も大まかにはわかっているつもりでした。
国語辞典で「誹謗中傷」を引いてみますと、まず『広辞苑』(1969年;七版)では見出し語になっています。さらに「誹謗」、「中傷」それぞれも見出し語です。一方、『日本国語大辞典』(2006年;精選版)では「誹謗」と「中傷」とがそれぞれ独立して立てられているだけで、「誹謗中傷」はありません。
どうやら、両者の意味合いが似通っているため、二つの熟語を一つにして四文字熟語のようにしてしまうというわが国独自の言い方らしく思われます。
このような例はほかにもあって、近頃一般化しつつある「安心安全」(あるいは「安全安心」)などという表現もその口でしょう。ところで、この「安心安全」はどうにも違和感がぬぐえないのですが、それはおきましょう。
「誹謗」と「中傷」とはいずれも古くからある言葉のようです。
「誹謗」の方は紀元前百年ころにまとめられた中国の歴史書『史記』に見えますし、わが国では『続日本紀』のほか『枕草子』にも登場しているようです。また、「中傷」は紀元百年より前の成立とされる中国の歴史書である『漢書』に見られます。ただ、「中傷」の方は我が国では『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』(934年頃に作られた辞書)に取り上げられているようですが、どうしたわけか、それ以降の用例がなく、広く使われるようになったのは明治以降といいます。前出の『日本国語大辞典』でも「中傷」という語が用いられている例として挙げているのは、内田魯庵という明治期の評論家による1902年の作品の文章です。
「誹謗」の方はどちらの漢字も「そしる、悪口をいう、非難する」といった意味で重なっているために熟語になっても意味が分かりやすい。ところが、「中傷」の方は字面からはなかなか意味が浮かんできません。「中」は列とか場所などの真ん中、あるいは、うち・内側など。「傷」はキズ、キズつく(つける)くらいが思いつきます。しかし、それらをつないでみて「真ん中の傷」では何のことやらわからない。はてさて……。
『日本国語大辞典』をみると、「中傷」の説明ではまず 「人の過失を中(あて)て傷つけるの意 」と注したうえで語意を「ありもしないことをわざと言いたてて、他人の名誉を傷つけること」となっています。
この注書きは少し舌足らずではありませんかね。漢字の「傷」は、身体や物ばかりではなく、名誉や心を傷つけることもいう、それはわかります。しかし、これだけでは「人の過失をあてて」が「ありもしないことをわざと言いたてる」にすんなりと対応しません。
漢字の「中」には「あたる」という意味もあります。「百発百中」とか「的中」などにある「中」がそれ。さらには「毒にあたる」という意味の「中毒」といった語もあります。したがって、「中」を「あてる」の意味に解するのに抵抗ないものの、それだけでは不十分ではないでしょうか。
話は飛びますが、中国の歴史書の一つである『後漢書』(5世紀の半ばに成立)の中には「以事中充」との句があるそうです。「事(こと)を以(もっ)て充(じゅう)を中(ちゅう)す」と読み下します。
充は後漢の時代の思想家・王充(紀元27~100年ころ)という人だそうです。
この人は学問を十分に積んだ人で、官途においても大いに出世できたはずの人であったらしい。ところが、生涯の大半は地方官署で不遇の属吏生活に終始し、役人を辞任した後は文筆生活に入ったという人のようです。
著書の代表作とされる『論衡』はながく中国知識人に読み続けられます。
この人は、自伝の中で自らは「口は立つ方だが人との対話は好まない。大した人でなければ一日中、口も利かない」と書いているそうです。どうやら人を寄せ付けない性格だったのでしょう。そのため、上司や同僚から嫌われ、ことあるごとにいわれなき誹謗中傷を受けていたらしいのです。
そうした王充に対する周囲の人々の態度を表現したものが「事(こと)を以(もっ)て充(じゅう)を中(ちゅう)す」でしょう。そのまま訳せば、「ことあるごとに王充を中(チュウ)した」となります。そうだとすると、「中」の一字に中傷するという意味合いが含まれているとも思われます。三省堂・『漢辞海』はこの用例を引き、「中」の字義のひとつとして「悪口を言って他人を罪におとす」をあげています。ほかの辞書では見かけない説だと思いますが、与したい解釈です。
蛇足になりますが、誹謗中傷の4文字のうち、前の2文字は「誹謗」という熟語以外ではまずお目にかかることがない漢字です。どちらも「そしる」という和語にはあてることができますが、常用漢字ではないし書きやすい字体でもないので、ほとんど人はひらがな書きを選ぶでしょう。
ところが「誹」は変わった使い方をされているのを目にすることがあります。日本だけの話ですが、この字を「俳」と同じに使う例があります。その場合、音(おん)も「ヒ」ではなく「ハイ」となります。
俳諧が普通の表記ですが、誹諧と表す時代がありました。また『誹風柳多留』(はいふうやなぎだる)という川柳の句集があります。用例としてはこの二つくらいのものです。
『誹風柳多留』は江戸時代の刊行されていた書物で、市民から投句された一年分の川柳からよいものを選びまとめたものです。初期の選者は柄井川柳(からい せんりゅう;1718~1790年)が当たっています。
「役人の子はにぎにぎをよく覚え」などはその一句です。このほかにも、現代まで膾炙されるものがあります。一部を下に引きます。
本降りになって出ていく雨宿り
寝ていても団扇のうごく親心
かみなりをまねて腹がけやっとさせ
これ小判たった一晩ゐてくれろ
清盛の医者ははだかで脈をとり
さらに「子が出来て川の字なりに寝る夫婦」というのもあります。
「川の字」は現代でも生きている形容語です。『精選版 日本国語大辞典』では、この語の初出の実例を
「夜毎夜毎川の字に寝た其大事な一条(ひとすじ)が欠けて、僕は母と唯二人此宇宙に残されたのである」(出典:思出の記(1900‐01)〈徳富蘆花〉) としています。
大辞典に物言いする気はありませんが、江戸時代の川柳の方が先輩じゃないでしょうかね。
(2026.7.20)
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