■ 農業は死の床か。再生の時か。(3)          濱田 幸生  

赤トンボはどこに行った?

  よく街から来た方に聞かれます。「どうして田んぼに生き物がいないのか?」
今日はそのことについて考えてみましょう。


◇■田んぼの上の美しい赤いもや


  ゼーゼー、さっきまでタニシの歌声に惹かれて、夢中で自分の田んぼを這いず
っていたので、お百姓は息が上がっています。軽トラックが停まって、消防団仲
間のヨッチャンが笑いながら顔を出しました。
  「なにしてるんだ。財布でもなくしたんけぇ」(語尾を上げていただくと、正
しい茨城訛りになります)。「タニシが歌っていたんで」とお百姓は言いそうにな
って、あわてて口をつぐみました。無農薬で田んぼを作っているだけで、充分村
うちでは変わり者なのに、その上「タニシの歌声が聞こえた」ではいっそうヘン
な奴だと思われてしまいます。

  「それにしも、お前の田んぼは汚いなぁ。草もでているし、虫だらけじゃねぇ
けぇ。オレの田んぼはクリーンなもんだぜ。じゃあな」とはヨッチャンは元気に
行ってしまいました。ヨッチャンは5町歩もの田んぼをやっていますが、農薬を
キッチリ振って実にクリーンなもの。
  クリーンかぁ、でも、クリーンな田んぼじゃあアキアカネは生きていけねぇん
だよな、とお百姓は思いました。アキアカネ、通称赤トンボ。そういえば、昨日、
田んぼの見回りに来た時に、自分の田んぼのあたりがうっすらと赤いもやがたっ
たようになっていたことを思い出しました。一株に3匹も4匹もアキアカネがと
まっています。アキアカネは6月の終わりくらいに田んぼで羽化し、熱い夏には
高い山の方に移動するとモノの本に書いてありました。
  生まれたてのアキアカネは白っぽく、オレンジ色を経て、だんだんと色が乗っ
て涙ぐましいような鮮烈な赤い色に変わっていきます。稲刈りの終わった頃に、
田んぼで産卵をするのがアキアカネの習性なのです。


◇■アカトンボの生んだ卵が燃やされてしまう


でも、今は村内でもこのお百姓の田んぼと数カ所にしかアキアカネは出てきませ
ん。きっとコンバインのせいかもしれないとお百姓は思いました。
この10年ほど、村ではコンバインでの収穫があたりまえになりました。コンバ
インがバリカンで刈るように稲穂の波を押し倒し、食い取り、あっという間に稲
の茎をバラバラに切り刻んでいきます。それまでバインダー(*結束機)で稲束
にしていたのですが、コンバインを使うと稲刈りがほんのわずかの手間で終了し
てしまうのが魅力です。

  バラバラにされてしまった稲藁は、昔のように藁細工を作ることもできません。
そういえば、ジッチャンはオレが子供の頃には藁で正月の飾りを作っていたよな、
とお百姓は古い記憶を引っ張り出しました。お百姓が大きくなった時には完全に
消えていましたが、野菜の株間にはこの藁をたんねんに敷いていったものです。
それでも、自家用の畑はジッチャンが作っていたので、敷き藁を使っていました。
ある時、その敷き藁をはがすと、藁に無数の白いニョロニョロした糸がたくさん
着いてきました。気持ちわりぃと当時子供のお百姓は、エンガチョとばかりに敷
藁をふんづけたのですが、考えてみればあれは畑を豊かにしてくれる枯草菌(納
豆菌の一種)だったのです。

  コンバインで収穫するようになって、お百姓は腰が折曲がるような稲刈りの重
労働から解放されました。それはいいことです。今でも、沖縄の村では稲刈りで
曲がってしまった腰を伸ばすために、稲刈り後の休みを皆でとることを「コシユ
ックイ」(腰ゆっくり)と言うほどです。だからコンバイン自体が悪いわけでは
ないのです。第一、コンバインまで否定してしまっては農業は成り立ちませんも
の。
  しかし、稲藁を使ってたい肥を作ったり、ホウセン菌の出る敷藁にしたり、藁
細工を作ったりもできなくなりました。日本の農民文化がひとつ消えました。こ
の田んぼに捨てられた藁は、春先には雑草(という名前の野草はありませんが)
の種を燃やすということで、火が着けられます。

  さっき言ったように、アキアカネは稲刈り後の田んぼに卵を産みつけます。こ
れは田んぼを中心に生きているほかの生き物も同様です。ところが、この野焼き
ならぬ田焼きで産みつけられた卵は大部分燃えて死んでしまうわけです。
  お百姓はコンバインは使いますが、稲刈りが終わった冬になると田んぼに水を
張って田んぼ全体を一回発酵させるようにしています。そうすると、サヤミドロ
のような藻類がまず生まれ、ついでプランクトンが発生し、それがヤゴやちいさ
な魚の餌になることがわかってきました。


◇■生き物がいない田んぼ


  そういえば、小さな魚、例えばメダカなんかは珍しくなったな、とお百姓は思
いました。
いちばんの原因は、言うまでもなく、世界一の頻度と濃度で散布される殺虫剤な
どの農薬です。この殺虫剤をかけると、今までうるさいほど飛来してきたゴイサ
ギやマガモなどの野鳥は、てきめんに近寄らなくなります。殺虫剤で死んだメダ
カやヤゴ、クモ、バッタなどの死骸をうっかり食べると自分も死ぬことを体験か
ら知っているからです。

  かつて佐渡島ではトキは別に珍しい野鳥でもなんでもなかったようです。し
かし、昭和30~40年代のDDTの大量散布で一挙に全滅に追い込まれまし
た。多かれ少なかれ全国の村でも同じことが起きていました。農家は腰の曲が
るような炎天下の重労働から解放されたかわりに、「生き物がなにひとつ住ま
ない田んぼ」を手に入れたのです。そして肝臓や腎臓を壊す日本農夫病が頻発
しました。今は農民自体がトキみたいに珍しくなっちまった、とはこのお百姓
のひとりごとです。

次の理由はアレだな、とお百姓は用水路と田んぼの落差の部分を見ました。今
の田んぼの大部分は基盤整備されています。これは農水省の肝入りで、一枚一枚
チョコマカとあった田んぼを機械が入るように大型化し、ため池プールとポンプ
ハウスを結ぶコンクリートの用水路網(あるいはパイプライン)を作ったことで
す。確かに便利にはなったのですが、いいことばかりではなかった。


◇■用水と田んぼの魔の落差


  そのひとつが田に水を入れる用水路と田んぼの間に落差がついてしまい、用水
路から田んぼにメダカなどの小さな魚が入ることができなくなったことです。そ
の用水路自体も護岸がされて野鳥や昆虫などにとっては巣をつくったり卵を産
みつけたりしにくいものに変わってしまいました。また、水の流れがない田んぼ
で産卵して、川で成長しようとおもっても、またこのギャップが禍して川に出て
いけなくなるケースもでました。つまり、今まで自然に行われてきた河川と田ん
ぼの循環が断ち切られたことで、生き物の産卵→孵化→幼虫→羽化の流れが寸断
されてしまうか、捕食する生き物がなくなることで生育条件がなくなってしまっ
たのです。


◇■ 田が豊かになることで、お百姓も生き物も豊かになる


  それにしてもオレの田んぼの基盤整備はひどかったなぁ、とお百姓は思い出し
て今さらのように腹がたってきました。だって、そうだろ、暗渠(*あんきょ/
排水をよくする目的で布設される地下の排水路)に川のジャリまじりの砂を大量
に入れたんだぞ。おかげでと床土の下20センチはジャリになてしまった。あの
時にはほんとうに怒って、土地改良区(*基盤整備の単位)にどなりこんで
「オレの田んぼを元に戻せ」と叫んだもんだった。だって、砂地に作った米が
うまいわけがないもんな。
  そうです、よく勘違いされていますが、実は田んぼに生きる生き物の利害と農
民の利害はそんなに差はないのです。おいしい米も生き物も豊穣な田んぼ、それ
が「いい田んぼ」です。 
               (筆者は茨城県有機農業推進フォーラム代表)

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