【槿と桜】(126)

韓国と日本の祝日について(2)

延 恩株

○8月15日「光復節」(광복절 クァンボクチョル)

 「光復」という言葉はもともと中国から移入されたもので、「失った土地を取り戻す、滅んだ国を再興する」という意味です。朝鮮半島は1910年に日本の侵略によって植民地として併合され、日本の統治下に置かれていました。日本語使用が強制され、姓名も日本式に変えさせられる(創氏改名)といった徹底した皇民化政策(〝天皇の民となる〟の意味)が推進されていました。しかし、1945年8月15日、日本が第二次世界大戦で敗北し、朝鮮半島は35年に渡った日本の統治から解放され、まさに「光復」が実現しました。
 しかし、その後の朝鮮半島は政治的立場が異なる朝鮮人同士の意見が対立して新たな一つの国として出発することができませんでした。結局、38度線を境にして、南側をアメリカが、北側をソ連が占領して軍政を開始しました。こうして朝鮮半島は北側は共産主義体制、南側は資本主義体制で占領政策が進められ、米ソ対立の激化に合わせるように南北朝鮮の対立も激しくなりました。
 結果的には1948年8月15日に李承晩大統領が大韓民国政府の樹立を宣言する一方、9月9日には北朝鮮人民委員会委員長・金日成の主導で朝鮮民主主義人民共和国の建国が宣布され、朝鮮半島に一民族、二国家という分断国家が誕生してしまい、それが現在まで続いています。
 このような歴史の流れを見ますと韓国での「光復節」も朝鮮民族が統一された形で〝失われた土地を取り戻す〟という意味では、中途半端な状態での「国慶日」と言えるのかもしれません。ちなみに北朝鮮では9月9日が「祖国解放記念日」とされ、祝日となっています。

○10月3日「開天節」(개천절 ケチョンジョル)

 開天節の「開天」とは「天が開かれた」という意味で、朝鮮民族の始祖とされている「檀君」が古朝鮮(紀元前2333年~108年)を建国したとされる神話に基づいています。この建国神話を極く簡単に紹介すれば、
 天地を支配する神・桓因(ファニン)が息子の桓雄(ファヌン)を北朝鮮にある白頭山(ペクトゥサン)に送り、人間を治めさせました。ある日、虎と熊が「人間にして欲しい」と桓雄に頼みに来ました。
 桓雄は「ヨモギとニンニクを食料として日光を避けて100日間、洞窟にこもれば人間になれる」と言いました。
 虎は耐えられずに逃げ出してしまい、洞窟にこもり続けた熊は21日目に美しい人間の女性になり、この人間の女性となった熊(웅녀 ウンニョ 熊女)と桓雄が結婚して男児の檀君が生まれました。
 この檀君が国を興し、国名を「朝鮮」(「朝、鮮やかな地」の意味)とし、都を平壌(ピョンヤン)に定めました。
 というものです。なにしろ神話の世界の話ですから確実な裏付けがあるわけではありません。檀君神話そのものが高麗時代の高僧・一然が書いた『三国遺事』(1280年代に成立)に初めて登場します。開天節が10月3日となったのも紀元前2333年の旧暦10月3日に檀君が最初の民族国家を建国したとされているからで、紀元前2333とするのは、中国の伝説上の王・堯の在位に基づいて紀元前2333年と算出されていて、韓国では一般的に受け入れられていますが、この神話を事実として信じている人はそう多くはないでしょう。
 でも、面白いことに北朝鮮でもこの檀君神話がそのまま受け入れられ、韓国と同じく「開天節」として認知されていますが、祝日ではありません。北朝鮮の国家としての建国記念日は上述しましたように9月9日です。

 一方、日本にも「建国記念日」があります。日本では1945年8月15日の敗戦後、1948年に新たに制定された国民の祝日に関する法律では、「建国記念日」はありませんでした。それからおよそ20年後の1967年2月11日から設けられ、「建国をしのび、国を愛する心を養う」というのが趣旨のようです。なぜ「2月11日」となったのかについては韓国の「開天節」の日にち決定に似ていて、歴史的な事実に基づいてはいないようです。結局、明治維新後に日本が8つの「休暇日」を初めて制定した1873年時に定められた「紀元節」の「2月11日」をそのまま復活させることになったようです。この日付は、日本の神話に登場する神武天皇が『日本書紀』などで最初の天皇とされていて、その『日本書紀』に記された即位日を日本の建国の日としたとのことですが、私の周囲にはこの「2月11日」に日本が建国されたという説を信じている日本の方はいないようです。

 以上、大韓民国誕生からほぼ1年後の1949年6月に制定された最初の9つの「公休日」を紹介してきましたが、日本が1873年に定めた最初の「休暇日」(元始祭(1月3日)、新年宴会(1月5日)、孝明天皇祭(1月20日)、紀元節(2月11日)、神武天皇祭(4月3日)、神嘗祭(9月17日)、天長節(11月3日)、新嘗祭(11月23日))と比較しますと大きな違いに気がつきます。
 一つは、日本の「休暇日」はすべて天皇家と関わって定められていました。しかし、韓国では日本の植民地から解放され、大韓民国が成立した約1年後に「公休日」が定められましたから、4つの「国慶日」(三・一節(3月1日)、制憲節(7月17日)、光復節(8月15日)、開天節(10月3日))のうち「三・一節」「光復節」は日本統治時代の朝鮮民族の抵抗と独立闘争等の歴史を忘れないようにとの思いが強く反映されていることがわかります。
 一方、日本も1945年8月15日の第二時世界大戦の敗戦後、1948年に制定された「国民の祝日」(元日(1月1日)、成人の日(1月15日)、春分の日(3月20日頃)、天皇誕生日(4月29日)、憲法記念日(5月3日)、こどもの日(5月5日)、秋分の日(9月23日頃)、文化の日(11月3日)、勤労感謝の日(11月23日))では、かなり国民に目を向けた祝日として、天皇を中心とした国家から抜け出したことを示めそうとしていることがわかります。もっともこのうち1873年に定められた休暇日と日にちが同じで名称を変えただけの「文化の日」、「勤労感謝の日」もありますが。

 二つ目は、日本は1948年以降、「国民の祝日」を増やしていき現在では16を数えていますが、これまで廃止された祝日はありません(日にちや名称が変更になったものはあります)。ところが韓国では定められた「公休日」について新たに加えられたものを含めて何回か変更が起きています。
 たとえば4月5日の「植木日」は1960年3月に除外され、1961年2月に復活し、2005年6月に再び除外されました。
 また7月17日の「国慶日」とされている「制憲節」が2005年に除外され(2007年まで存続)、「国慶日」ですが「公休日」ではない、つまり国民の休日にならない扱いにしています。
 このほか1950年9月に制定された「国際聯合日」(10月24日)は1976年9月に除外。1956年4月に制定された「顕忠記念日」(6月6日 1976年に「顕忠日」に改称)は現在も「公休日」ですが、1960年3月に制定された「砂防の日」(3月15日)は1961年2月に除外され、わずか1年間だけの「公休日」扱いでした。同じ1960年3月に「ハングルの日」(10月9日)も制定されましたが、1990年11月に除外され、2013年に再び「公休日」扱いとなりましたが、この間の2005年からは「国慶日」となっていますから、韓国では現在、「国慶日」は5つになっています。
 1975年1月に「子供の日」(5月5日)と「釈迦誕辰日」(陰暦4月4日)が制定され、この「公休日」は現在も変わっていません。
 さらに1976年9月に「国軍の日」(10月1日)が制定されましたが、1990年11月に除外されました。ただし、2024年、2025年は臨時に「公休日」扱いとなりました。
 このように制定、除外、臨時が繰り返されてきたのは、これらの「公休日」の決定のほとんどが、議会での立法手続きを取らずに大統領が直接、行政命令を出せる大統領令によって定めることができるようになっているからです。その時の大統領がその時々の政治の方向や周囲の考え方とも絡んで制定されたり、除外されたりしてきました。そのため、こうした事態が起きるたびに韓国民の間に少なからず混乱が生じていました。私も日本での生活が長いために1949年当初から「国慶日」で「公休日」だった「制憲節」が2005年に除外され、「公休日」ではなくなったことをかなり長い間、知らずにいました。

 三つ目は、韓国の「公休日」には太陽暦(新暦)と太陰暦(旧暦)が混在しています。太陽暦では毎年「公休日」の日にちは固定していますが、太陰暦ではその日にちが一定していません。日本のように振替休日や「国民の休日」(「国民の祝日」とは別で、「国民の祝日」の前後に挟まれた平日を休日とするもの)を増やし、可能な限り連休を多くしようとしていますから日にちが固定していない太陰暦が混在していなくてよかったのでしょう。

 四つ目は、日本は可能な限り国民の「休み」の日を多くしようとする方向で「国民の祝日」が考えられていますが、韓国はまだそうした方向にはありません。たとえば振替休日についても韓国では日本よりも早くすでに1959年3月に「振替休日」が定められましたが、翌年の1960年12月には廃止されてしまいました。当時は勤労者は仕事を休まずに働くこととして国家が求めていたからです。

 一方日本では、1973年に「国民の祝日」が日曜日に当たるとき、その日の後の最も近い平日を休日とする「振替休日」が取り入れられました。さらに1985年には上述しましたように「国民の休日」が定められ、たとえば5月3日の「憲法記念日」と5月5日の「こどもの日」の間にある5月4日は「国民の休日」となり、3日間の連休としました。ちなみに1989年にそれまで「天皇誕生日」(昭和天皇)だった4月29日が「みどりの日」と改称され、2007年にはこの「みどりの日」を5月4日に変更して「国民の休日」が「国民の祝日」へと変えられました。そして4月29日は「昭和の日」という新しい「国民の祝日」になりました。
 さらに週休2日制が定着した日本では連休増の方法が取られ、それまで日にちが固定されていた「成人の日」(1月15日)を「1月第2月曜日」に、「体育の日」(10月10日)を「10月第2月曜日」に、「海の日」(7月20日)を「7月第3月曜日」に、「敬老の日」(9月15日」)を「9月第3月曜日」に変更して土、日、月の3連休にしています。

 一方韓国では2014年になって改めて「振替休日」の制度が導入され、現在では、
◇「ソルラル(旧正月)」、「チュソク(秋夕)」が日曜日と重なった場合は次の平日が振替休日。
◇「三・一節(サミルチョル)」、「子供の日(オリニナル)」、「釈迦誕辰日(ソッカタンシンニル)」、「光復節(クァンボクチョル)」、「開天節(ケチョンジョル)」、「ハングルの日」(ハングルナル)、「ソンタンジョㇽ」(クリスマス)が土曜日、日曜日と重なった場合は次の平日が振替休日。
◇「1月1日(新正 シンジョン)」、「顕忠節(ヒョンチュンイル)」は振替休日なし。
◇祝日が他の祝日と重なった場合は次の平日が振替休日

 韓国には上述しましたように旧暦での「公休日」があるために、定められていますが、日本では起こり得ません。
 という扱いになっています。このように韓国では振替休日のない「公休日」もあり、日本のようにできるだけ国民の休みの日を増やそうとする方向にないことがわかります。
 
 韓国には現在、11の「公休日」があり、日本には16の「国民の祝日」があります。でもこの両国の休みの数の差より日本では国民の休みの日がずっと多いと言っていいと思います。たとえばカレンダー上では1月1日だけが「国民の祝日」ですが、実際には前年の12月27日前後から新年の1月5日前後まで休暇とする企業が多くあります。公務員も似たような休暇となっています。ゴールデンウイークやシルバーウイークなどという言葉も日本にはあります。さらに8月頃には1週間前後、夏休みが取れるようにしている企業も少なくありません。
 かつての高度成長期の日本ではひたすら利潤追求を第一とした企業や人びとが多かったそうですが、現在はそうした猛烈社員は少数となり、経済的豊かさよりも自分の生活スタイルを重んじて働く人が増えているように思います。そうした日本社会の空気が「国民の祝日」の捉え方にも反映されているように私には感じられます。
 このように見ますと、いろいろな意味でゆとりを失っている韓国ですが、今後「公休日」を増やす方針で政府が動き出すなら、多少なりとも韓国人に精神的ゆとりを生み出すきっかけを作ることになるかもしれないなどと思ったりしています。

 大妻女子大学教授

(2025.3.20)
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