【視点】

高市流の「国論2分化政策」が進む

—これでいいのか 日本の将来と戦争責任
羽原 清雅  

 なんとなくいやーな世相が続く。ワールドカップのサッカーは惜敗しても、4年後にはもう一段の成長も期待できる気配を感じさせたが、政治状況はただただ低劣化し続ける印象しか生まれない。高市政権が言ってのけた「国論2分化政策」が着々と進められているのではないか。そのような出来事が多く見受けられる。
 確かにメディアによる60%もの支持率を得ている政権だが、本当にこの政権への期待を示す数字なのか。あるいは、初の女性首相の強気で挑戦的な言行に酔いしれ、黙従すればいいといった投げやりな構えなのか。はたまた、戦前の暗い時代の歴史を知らず学ばず、目先の現状だけに目を向けて生きているだけなのか。

 日本のアジア太平洋戦争をめぐる国際関係の愚かな取り組み、軍事体制を構築し挙国一致の音頭取りに追従した「愛国精神」の民意、この二の舞の道を進みかねない様相が、姿を変えながらもほの見えてきている。
 戦後になって、気づいた時には遅かった!の繰り返しでは済まされないし、昨今に事象をもう一度過去の歴史を学び直し、あるべき姿の将来を見つめ、そのうえで目下の多数派優位の国会での論議や、世情の動きや思惑を見つめ直してはどうか。

 本来、政治権力は強者優位、劣者排除の論理ではなく、両者の主張に広く耳を傾け、双方の不満を一定の納得に結び付けつつ、融和を図ることが民主社会の常道のはず。社会を2分するような懸案の課題について、その意味合いや将来への波及を考えずに、国会議席の優位のままに、一方的な多数決でことを決めれば、後顧に憂いを残し、あるべき進路を踏み外し、好ましくない方向に向かいかねない。

 日本の政治は2026年1月の衆院選挙の自民圧勝をベースに、ただ突き進むだけでいいのか。有権者もそれを許すだけでいいのか。強者の仕切る進路を多角的に、過去現在未来をにらみ、その可否の論議を深め、周知し、個々人がそれぞれの意見を述べ合うべきではないか。
 それは、権力側に強く求められるだけではない。少数化し、かつ小党が跋扈し、保守化ないし中道化した野党サイドの責任も重大だ。先行きの進む方向を語ろうとしない意識の狭さや、歴史に学ばない軽薄さも、厳しく責任を問われなければなるまい。与野党ともに、議員の質が下降、低迷していることを忘れてはなるまい。「ダメ」を許すべきではない。
 昨今のいくつかの事象を見ても、感じることが多い。

 *検察、これでいいのか 冤罪救済を求める刑事訴訟法改正論議が高まるさなか、滋賀県日野町での酒店女性経営者殺害事件で、病死した受刑者の無罪、つまり冤罪が判明した。証拠の開示、証拠一覧の提示、証拠の報道などによる目的外使用などが激しく論議される中での、42年目の冤罪だった。前年には、福井県の女生徒殺害事件で冤罪が認められ、それには39年の歳月を要した。静岡県の袴田事件は、冤罪判明まで実に58年を要し、釈放されたものの精神的にその事実を受け入れられる状況でなかった。
 4大冤罪事件と言われるのは、免田事件(1948-83/35年間)、財田川事件(1950-84/34年間)、松山事件(1955-84/29年間)、島田事件(1954-89/35年間)である。全犯罪中では数少ないとも思えるが、しかし人生を破滅させられた人たちをどう考えたらいいのか。
 冤罪事件の傍ら、放置されがちになっているのは、その事件の真犯人が追及されないことである。警察、検察の捜査網は、半面では犯罪の隠ぺいに加担したことになる。被害者の家族は、事件の実態を知らぬままに無実の「犯人」を恨んでいたことになる。真実を知りたい、と思う家族とその周辺は警察と検察を信じていたはず。それが長い歳月を経て無に帰しているのだ。
 犯行者は明らかにいた。だが、冤罪と判明した時点では、真犯人を捕らえることも、事実関係を知ることもできない。時間は戻らず、捜査はやり直せない。
さらにひどいことに福井の女子中学生殺害の事件では、不注意にも誤った捜査の結果、下級審ではすでに検察側の捜査の誤りが一部判明していながら、検察も裁判官も、また報道も見過ごしていた。いや、目をつむってやり過ごすという「意図的過誤」だったのだ。

 多くの冤罪事件の発生は、警察、検察ばかりではなく、政府の責任も問われるべきだ。無辜の国民の人生をゆがめ、半生を奪っているのだ。
その「再審」をめぐるありようは国会で論議されたものの、真の事件追及をゆがめた警察、検察、そして政府与党は「証拠」の開示を制約、検察官抗告の余地を残し、証拠の「目的外使用の禁止」・つまり犯罪防止につながる報道を制約する姿勢を打ち出す。
 むしろ問題は真犯人を見逃す方向に走った捜査陣の責任が問われているのだ。政府側はその責任を自覚し、捜査自体の難点を洗い直すべきである。検察は、検事正が部下の女性を凌辱したり、捜査に当たる検察官が被疑者側を怒鳴り上げて侮辱したり、と事件の当事者化する始末!「権力」の横暴である。
まさに国論2分、しかも真犯人追及を望む大多数の世論に対して、少数側の権力が反抗する構図である。

 *変化する自衛隊のありよう 海陸空の自衛隊の幹部統率のもとに制服姿で靖国神社などに参拝する事例が各地で見えている。
4月の自民党大会では、制服姿の女性隊員が君が代をうたった。高市首相は「私人として」の参加とみなし、ソプラノ歌手としてうたったという隊員とツーショット写真を撮った小泉進次郎防衛相は「事後に聞いた」という。政治への関与で中立性を欠き、自衛隊法違反だとする一般人からの告発も出されている。
 また、自衛隊階級の呼称を、陸将、海将、空将を大将とし、以下は中将、少将、一佐は大佐、二佐は中佐、三佐は少佐など、戦前の日本軍と同じ名称にすべく、国会に自衛隊法改正を図ろうとする。
 すでに、敵対する他国に対する「自衛」をめぐって、「反撃能力」を「敵基地攻撃能力」と認めている。「自衛」を超える相手国の基地などへの先制攻撃でもあり、戦火を開く大義名分にもなりかねない姿勢である。こうした姿は、相手国に軍事体制の強化をもたらし、軍事増強の競争を激化、一触即発、そして挑発の契機にもなる。相手国に戦争の大義名分を与え、偶発的な衝突を招き、それを機に戦火を開くことにもなりかねない。
 すでに4月、高市内閣は殺傷能力のある武器輸出の解禁を閣議決定している。武器輸出のランキングで9位の位置にあり、いずれ4大輸出国を目指す韓国では、こうした日本の武器市場への参加に対して、将来の日本が強力なライバルになるとして警戒、中長期的には韓国企業との正面衝突もありうるとの見方が出ている(毎日新聞4月28日)。日韓間の防衛体制強化に取り組もうとするなかでの動きである。

 近年の自民・維新の連立政権の軍事力強化路線は急進的で、スウェーデン・ストックホルム国際平和研究所によると、2025年の世界の軍事費は前年比2.9%増に対して、日本は9.7%増の622億ドルで世界10位だという
 こうした急ピッチの軍事費増強が、先に触れた自衛隊の変化、つまり戦前の日本軍への接近ぶりになっているのではないか。高市首相は就任早々の25年11月、「台湾有事が起きた場合、日本の存立危機事態になりうる」と発言し、集団的自衛権の行使可能になるとの対中国関係を悪化させ、今日まで中国の対日関係を悪化、現実的な被害を激化させている。このような高市政権の国論2分化させる発言は、平和の維持ないしその発展を害し、自衛隊内部に旧軍体制への復帰に向かわせる背景にもなっている。

 *安保3文書改定の危険 2022年の岸田政権下で生まれた国家安全保障戦略などの安保関連3文書。目下、高市政権下の有識者会議で検討が進められている。トランプの国際緊張を刺激する言動によって、NATOなどヨーロッパ勢も軍事体制強化を進め、ウクライナ・ロシア、イラン・イスラエルの戦争も本格的な打開の見通しは暗い。さらに、ドローンや進歩激しいミサイルなどの新兵器の常用化といった戦争様式の変容もあり、軍需産業の強化、増強を求められる防衛・軍事費の捻出など、課題も多い。高市政権は、一時低迷気味だった軍需産業にテコ入れし、「強い日本経済」の牽引車に仕立て直そうとする。
 従って、トランプ傾斜の保守政権下での、この安保3文書改定は安心して任せられるような雰囲気にはない。目標は「平和の確保」だとしても、結果的に突発事態を招き「戦乱への準備や着手」になりかねまい。また、財政全般への影響も定かにはなっていない。
 3文書はわずか3年余で改定となる。10年間の軍事防衛体制を想定するもので、高市首相の言う「我が国の平和と独立を守り抜いていくためには、防衛力の抜本的強化を主体的に進める」との意気込みを額面通りに受けとるわけにはいかない。デメリットへの配慮が全くない。その取り組みは極めて雑駁で、過去の経験をもとに日本の将来のありようを見定める広い視点を欠く。

 一例は、この検討に当たる有識者会議のありようである。座長は元駐米大使佐々江賢一郎ら15人。学者、企業経営者のほかに防衛省関係2人、さらに読売新聞とフジテレビ社長が入る。もちろん大筋での反対者はいないから、若干の修正はあっても大筋は政府案通りに終わる。世論代表のつもりか、報道2社の代表は社論の姿勢自体が政府案支持に近いメディアだ。明らかにこの文書の権威付けのための会議である。従って、過去、現在、未来をにらんでの構想ではなく、目先の軍事強化策にとどまり、その影響は今後に影を落としかねない大決定である。平和と反戦を求めようとした憲法制定時の理念を外れ、解釈憲法下の産物でもある。
 そこに、国論を2分する問題を、一方の側の「有識者」の論議で固める。正常とは言えない手法であり、いいはずがない。

 *皇室問題の扱いはまっとうか 国会の焦点として重要なのは、皇室典範の改正だった。具体的には、女性・女系天皇を認めるか、男性・男系天皇の「伝統」を貫くか、である。高市首相はじめ自民党内の保守系の面々は、明治憲法下で決められた「万世一系」「男系主義」を継承するのだ、と力む。
 そのいずれが望ましいか、という以前に国会での動きは狡猾に過ぎた。まず自民党副総裁の麻生太郎配下の衆院議長森英介のもとで衆参正副議長が「国民の総意」としての案を作り、政府はこれを閣議決定した。手続きはそのように動いたが、その間に森議長が「旧宮家から養子となって皇族の女性と結婚した男性から生まれた子が男性なら皇位継承の資格を持つ」と付け加えた。こうした趣旨の協議はされておらず、つまり「国民の総意」ではない発言をしたのだ。だが、高市首相の閣議は不規則的な森発言を受け入れ、皇室典範改正案を国会に提出した。たしかに、木原稔官房長官は言葉を濁したものの、現行の皇室典範には「男系男子による皇位継承」とあることを意図的に述べて、皇室典範の改正がなければ「男系男子」が続くことを示唆、つまり女性の天皇の余地はなく、養子から生まれた男の子が天皇になる可能性を示した。国会野党も受け入れた付帯決議では、「必要がある場合は30年ごとに見直す」としたことで、女性天皇はかなり遠い先の検討課題になり、まずは「男系養子の子」の天皇継承の可能性を強めた。皇室典範改正の衆院での賛成は97%なので、メディアの世論調査による「女性天皇」への強い期待は砂上の楼閣に過ぎないようだ。

 自民党内でこの問題について強い発言をしたのは副総裁の麻生太郎。彼の妹は皇族の三笠宮寛仁親王妃信子で、寛仁氏が亡くなったあと、新たに「三笠宮寛仁親王妃家」を名乗る。麻生一族がなにか下心を持つものか、本来なら発言を慎むところだが、なにかと疑惑を生む言動である。
 また、政界周辺で聞くのは、安倍晋三首相が戦後70(2015)年談話で述べた「あの戦争には何ら関わりのない私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」という発言がらみのことだ。
この安倍の言葉を踏襲するのは、高市首相はじめ自民党内保守派の議員たち。一方、戦争に関わったあと戦後は反省の弁を重ねた昭和天皇、平成期30年の上皇、現行の令和期の天皇の3代は一貫して、戦争を忘れるどころか、戦乱下で多くの犠牲を受けた各地、各国を行脚して往時の犠牲を慰め、詫びて和平に努めるなど、安倍の発言とは対極にある。したがって、自民党議員の大半は儀礼的には皇室を敬うものの、実の内心は天皇3代は煙たい存在なのだという。
 平和を求める3代にわたる天皇一家の姿勢、片や政治権力は中国との間に挑発的に事を構え、戦乱覚悟の軍事体制に走る。そうした「対立」的な関係から、皇室の存在意義が国民の間に浸透し、愛子内親王はじめ皇室支持の高まりは、自民党保守派の面々には面白くなく、こんな思いから、男子天皇の存続にこだわるのだ、という。
 皇室典範改正をめぐる国会の論議が高まるなか、こともあろうに中曽根弘文・憲法改正実現本部長が「愛子天皇」への期待が高まる事態に、「ありえない」「天皇になるということになったら、結婚する人もいない」「愛子さまも、男性のお子さんを生まなくちゃならないという、すごいプレッシャーもかかる」など、ある意味で小ばかにした、非礼な発言をした。こうした対応が自民党幹部から出るのも、皇室を軽んじる一つの表れだろう。

 世論調査では、愛子さまを想定しつつ、女性天皇待望論が根強い。憲法第1条に天皇は国民統合の象徴であり、その地位は日本国民の総意に基づく、とされ、第14条では法の下の平等を認め、門地(家系)などの差別を禁じている。これからすれば、女性天皇は許容されなければなるまい。
 2005年の小泉純一郎首相の私的諮問機関である皇室典範についての有識者会議では、宮内庁も男系男子の継承が原則、としながらも「やむを得ない場合のみ女性・女系天皇を容認」している。だが、秋篠宮の長男悠仁親王が生まれたことで、皇位継承問題は立ち消えになっている。
 男性天皇は古来日本の伝統だ、と自民党の多くは言う。日本会議など保守的な諸団体などの勢力に迎合する側面もあるだろう。今さら神話の時代を持ち出すこと自体、時代錯誤だし、平安時代や江戸時代には10代にわたる8人の女性天皇もいた。明治の時代に入り、富国強兵路線、そして軍事化と大陸侵出の野望が国家の方向付けになると、軍事に絶大な権力を握る以上男性天皇が必要、といった背景から明治憲法に投影された。そして戦後、「男女同権」といった民主化が進み、遅ればせながら国民主権第一の日本に脱皮した。とはいえ、女性の地位向上はまだまだ具体化していない。世論の多くに「愛子天皇」待望論が出るのも、「伝統保持」の主張以上に、天皇制自体が民主化、時代の変遷、あえていうなら「女性が『日本国の象徴』『日本国民統合の象徴』さらに『主権の存在する日本国民の総意に基づく』」あらたな挑戦であるのかもしれない。
 いまの時代、女性が天皇の座についても自然であり、女性の地位向上にも寄与するに違いない。むしろ男性のみにこだわり続ける保守派は古い、ということにもなるのだろう。

 国会で強行突破を図り、日本国内に亀裂を増すよりも、十分に議論を重ねて結論を出すべきで、国会での数を頼んだ手口は古いのだ。姑息な手段で強行する問題ではなく、天皇がいう通り「国民の皆さんの理解が得られるもの」を念頭に置くべきだろう。
 高市首相は「数」を頼んでも、世論を二分してでも天皇の男系化を存続させようとするが、その間違いを犯すべきではない。
 皇室典範改正案は成立したが、将来社会を大きく見るならば、姑息な手法で意地を張ることもあるまい。

 *違憲の日本国旗損壊罪法 学者や学識者は憲法に反する立法、と指摘するなか、今国会で強行成立した。国論2分の焦点のひとつだ。国旗を重視することで、世論を「国家」に縛り付け、国民を束ねやすくする。わが身のみを思う狭い「愛国心」を植え付け、狭い思考の「日本」に閉じ込め、戦時などにあたって民意の結束を図る。日の丸の旗は国民の多数に愛着を持たれるが、若干の異論が出てくることも当然ありうる。だが、そうした好悪の情は法律で縛り付けるべきではなく、大きな見方で許容すればいい。民意の選択がどうあろうと、それは自由であって、法で縛り付けるものではない。
 あえて賛否の国論を2分するようなものではない。「愛国心」は個々人の集積によるもので、縛り付けたり、押し付けたりするものではない。軍事優先の構えを強める権力者は、国論の一本化を狙って意思統一に拍車をかけるが、それは愚策というものである。

 *維新の会による無理筋強行の是非 与党化した大阪拠点の維新の会は、「数」は得たものの、党内の信頼が必ずしも強固でない高市首相に取り付く。8日間の会期延長で、なんとか副首都構想の立法化に至る。地元の住民投票で2回拒絶されながら、3度目は国会に持ち込んだのだ。この新制度は大阪という一地域にとどまり、したがってほかの地域には理解が薄く、その意味合いは広がっていない。十分な広い検討がなく、世論もわかない。自民党内でも、そっぽを向かれる。ただただ、高市と「数」頼みである。いい加減な手の打ちようで、前例にすべきではない。
 もうひとつの衆院比例区の定数削減は次の国会に見送られたが、この立法化には基本的な問題がある。比例区の定数が減らされると、少数党の伸びしろが犠牲にされる可能性が大きい。小選挙区の定数をそのままにして、比例区だけを減らすという措置を、与党の自民、維新だけで決め、立法化することは大政党のエゴに過ぎず、国会のあり方自体の大問題。少なくとも、議席を持つ全政党で協議するなど、議会制民主主義の建前を守る必要がある。議員定数は海外の議会に比べても、多い方ではなく、有権者に比例した議席数の観点からも、下準備が必要だ。
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 自民党など右傾政党の台頭している衆院で、国論を2分してでも長年の思いを達成しようとする論議が続く。高市首相の高い人気のもと、「数」の力のみで保守勢力の望む施策が進められる。これに対する弱体化して国会対応に苦しむ野党は、論客を失ったばかりか、相変わらず長期的な望ましい社会の形成策を打ち出そうともせず、目先の対応に翻弄され続けている。比較的に議席の多い立憲、中道、公明などは路線もバラバラ、相変わらず広い視野の政策研究はなされないまま。ほかの新興の少数野党は政権への迎合に揺らぎ、政策などの路線は自立できずにうろつくばかり。
 2分化政策に取り組む自民・維新の与党は、ここぞとばかりに突き進む。
 さてこれからの日本はどうなるのか。有権者は高市ムードに慣れ親しまずに、大きな視野を持って過去に学び、未来を考え、そのうえで現時点になすべき方向を多角的に考えていきたい。右傾に努める政権をもう一度原点からチェックしていきたい。

                  (7月18日時点・元朝日新聞政治部長)

(2026.7.20)
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