【アフリカ大湖地域の雑草たち】

(19)国連職員のクライアント

大賀 敏子

敵がいない軍隊

 仕事にはクライアントがいる。医師には患者、弁護士には依頼人、国家・地方公務員には国民・住民など、サービスを受け取る人だ。国連職員にもクライアントがいる。広義には世界の人々だとも言えるが、狭義には加盟国である。つまり、加盟国を代表者する公務員だ。
 「国連軍とは、敵がいない軍隊、いるのは難しいクライアントだけ(army without an enemy – only difficult clients)」
こう言ったのは、創設時からの国連職員だったブライアン・アークハート(1919-2021年、イギリス人)だ。コンゴ動乱では、ハマーショルド事務総長(スウェーデン人)、ラルフ・バンチ事務総長特別代表(アメリカ人(アフリカ系))を補佐した。
 国連は中立の立場をとるものだ言われる。確かに、紛争当事者のどちらにも加担しないので、そのとおりである。しかしこれは、国連職員は、自分の専門性と価値観に従って、何が中立であるかを判断して仕事をするという意味ではけっしてない。国連職員にも、個人としては各自の利害がある。ではどうするのか。クライアントのために働くのだ。
 コンゴ動乱で言えば、コンゴ*政府、ベルギー政府であり、また、安保理メンバー、国連総会メンバーといった主体である。それぞれが異なる立場を固持していたから、みなを同時に満足させることは不可能に近い。確かに「難しいクライアント」だ。
 *1960年当時のコンゴ共和国、いまのコンゴ民主共和国、本稿ではコンゴと呼ぶ。

悪循環

 コンゴは1960年6月30日にベルギーから独立したが、その直後の7月11日、ベルギー軍がカタンガ州に侵攻し、これに助けられて現地政権(チョンべ政権)が分離独立を宣言していた。天然資源が最も豊かな州だ。ベルギー側は、ベルギー人を保護するため、現地政権と合意のうえ、やむを得ず侵攻したものだという。
画像の説明
(コンゴ・カタンガ地図、ウィキペディアから転写)

 コンゴ政府(ルムンバ首相)の依頼を受け、国連安保理は決議をあげた(7月14日決議143(1960)及び7月22日決議145(1960))。コンゴ全土に国連軍(ONUC)を配置し、ベルギー軍を撤退させるという趣旨だ。ところが、カタンガ州政府は抵抗した。市民まで武器をもち、あくまで戦うという。国連軍が来ないかぎり、ベルギー人保護という目的が残るので、ベルギー軍は撤退しない。悪循環になってしまった。事務総長は安保理にこう報告した(1960年8月6日付け事務総長報告書S/4417、パラ10)。
「武力攻撃しないかぎり国連軍はカタンガに入れません」

安保理の指示

8月9日、安保理は、さらに次のような趣旨の決議を採択した(146(1960))。
 (1) 先行決議を確認する
 (2) ベルギー軍はただちにカタンガ州から撤退すること
 (3) 国連軍はカタンガ州へ入り、配置されなければならない
 (4) 国連軍は、国内紛争のいずれかの当事者に加担したり、結果に影響を与えるように使われたりしてはならない
 この時点ではまだ、武力行使もやむなしという指示は出されなかった。
 当時の中央・東・南部アフリカを俯瞰すると、独立していたのはコンゴだけだ。カタンガ州と隣接する北ローデシア(1964年の独立後、いまのザンビア)のほか、ルワンダ、ブルンジ、ウガンダ、タンザニア、ケニアなど、いずれも微妙な政治的過渡期にあった。カタンガ州をあくまでコンゴの一部であるとするのは、1884-85年ベルリン会議の合意を所与としたものだ。さもなければ、パンドラの箱を開けることになりかねない。
 なお、この時期のコンゴについて、米ソ両国が一致したのは、これが最後である。以降、東西対立が鮮明になり、拒否権が発動されるようになった(当時の安保理メンバーは、5常任理事国のほか、アルゼンチン、セイロン、エクアドル、イタリア、ポーランド、チュニジア)。

政府の命令は受けません

 翌8月10日、ルムンバ首相は安保理に謝意を表し、国連事務総長と協力することを約束した。ところがわずか5日後、8月15日には、「コンゴ政府もコンゴ国民も、事務総長のことをもはや信用できない」と書簡を出した。いったい何があったのか。
 コンゴ政府はこう考えた。安保理はカタンガ州はコンゴの一部だという。ならば、国連軍は中央政府の味方だ。国連軍には、中央政府代表者(文民、軍人とも)が反乱政府を鎮圧するのを助け、保護する義務がある。だと言うのに、事務総長は指示どおりに動いていない。これは安保理決議違反である。
 次のような事例が、公式記録にある。事務総長が中央政府に断りなく州政府と直接接触したが、これは越権行為だ、事務総長代理のカタンガ出張に際し、中央政府代表者を同じ飛行機に乗せるように依頼したのに断られた、同州に配置する国連軍の構成はアフリカ兵(スウェーデン兵ではなく)にせよと指示したのにこれも断られた、などだ。
 事務総長の返答の趣旨はこうだ。決議の趣旨はあくまでベルギー軍を撤退させることである。国連は国内紛争のどちらにも加担しないので、どの政府の命令も受けるものではない。このような法解釈は、1958年レバノン、1956年ハンガリー、それぞれの先例に従ったものだ。

現場で気になること

 ボスたちが書簡のやりとりに忙しい間、部下たち、現場の兵士たち、一般の人々はどうしていたのだろう。国際法の解釈や、レバノンやハンガリーの事例にまで考えが及んでいたとはかぎらない。
 公式記録にはないものの、コンゴ兵の中にはこんな気持ちもあったらしい。国連の資金でサラリーを払ってほしい、撤退したベルギー人の代わりに役職につけてほしい。あっちのグループ(国連軍兵士)は、こっちよりいいものを食べている、こっちより身なりがいい、あの腕時計は高価だろうな。ついつい気になることだ。小規模な事件も起きた(8月17日、18日)。コンゴ兵が国連兵を拘束し、暴力をふるい、ポケットの小銭を奪った。
 国際協力の現場ではなにかとコンフリクトがあるものだ。さまざまな出自の者が、異なる資金力と異なる身分で集まっているのだから(2020年7月号拙稿を参照されたい)。コンフリクトは一つ一つ処理する必要があるが、それに振り回されず、共通の大きな目的を忘れないことが肝要だ。しかし、なかなか難しい。

風見鶏ではなく

 「コンゴは事務総長のことをもはや信用できない」という非難に対し、事務総長はこう返答した。事務総長への信頼について評価し判断するのは、安保理の仕事だ(8月15日付けルムンバ宛て書簡)。
 国連の働きは、その時その時、一瞬一瞬の、多国間のバランス次第である。繰り返しになるが、事務総長や国連職員が、自身の正義感に照らして、あるいは職員同士で話し合って、決めるものでは、けっしてない。ただし、加盟国が決めるまま、風見鶏であればよいというわけでもない。助言、示唆、提案を通じて、合意形成を促すことが必要だ。いったん決められたことは、誠実に実行することも必要だ。大事なのは、片や会議場で話し合いを補佐しながら、片やその微妙なバランスのなかで、会議場の外の現場で、いかに一人でも多くの人の命を守れるかどうかだ。いかに一つでも多くの将来の戦いを防げるかどうかどうかだ。

多国間関係

 上述のほかにも事情はあっただろうが、このころ(1960年8月中旬)、ルムンバ首相とソ連との距離が縮まったと言われる。西側はそれを看過しなかった。後に開示された資料によると、殺害とはかぎらないが、ルムンバの政治力を何かの方法で抑制した方がよいと、インテリジェンス活動が活発なったという記録がある。
 このほかの多くの国々が細心の注意をもってフォローしていた。安保理メンバーでないものの、特例的に貢献したいと手を挙げた国も少なくなかった。ギニア(国連加盟、1958年)、ガーナ(同、1957年)、モロッコ(同、1956年)、エジプトとエチオピア(原加盟国)のほか、アフリカ域外ではユーゴスラビア(原加盟国)、インドネシア(同、1950年)などだ。
 国連職員にとっては、東側、西側、非同盟、それぞれがみなクライアントだ。

過渡期の弱さ

 ベルギー領コンゴの首都レオポードビル(いまのキンシャサ)は、快適で美しい街だったそうだ。ヨーロッパ人にとっては、教育・文化の施設や医療サービスの水準もけっして低くはなかったという。その一方、現地人のための投資はかぎられていた(2022年6月号拙稿参照)。アフリカ人がヨーロッパ人に(つまり、黒人が白人に)口答えするなど、社会通念ではありえないことだったらしい。独立にともない、両者が対等の当事者になった。それは、政治と経済の転換であると同時に、価値観の大転換でもあった。
 新しい秩序がいきわたるまでには、過渡期がある。過渡期の社会は脆弱である。社会にかぎらず、個人の人生でも同様だろう。観察、評価のゆがみに気づきにくく、判断の誤りを犯しやすくなる。だからこそ、周囲からの思いやりと助けが必要になる。
 筆者は国連で、とある途上国の外交官出身の同僚に「政府間関係に思いやりとやさしさを期待してもむだ」と言われたことがある。たしかに外交交渉は、ビジネススーツをまとった戦場だ。
 国連加盟国は82(1960年初め)あった。生まれたばかりのコンゴを見て、これを東西対立の場にだけはしてはならないと、真剣に考える者がいなかったわけではないだろう。しかし、必ずしもそんな期待どおりにはならなかった。

(ライター・ナイロビ在住)

(2022.7.20)
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