【コラム】宗教・民族から見た同時代世界
SNS規制に反発したネパールZ世代の本当の怒りは何か
ネパールというと、思いつくのは何だろう。旅行したことがある方なら、きっと挙げるのが、カトマンドゥ旧市街の、ヒンドゥー教寺院や祠が立ち並ぶダルバール(王宮)広場や、荼毘の火が絶えず、満月や祭りの夜には参詣の人々で溢れるバグマティ河畔の感興だろう。
仏教に関心がある方なら、故地インドでは失われた貴重な大乗経典のサンスクリット語写本を、世界で唯一継承してきた伝統への敬意も加わるだろう。
このように、外の眼からは、宗教の彩り濃い別天地に映るネパールではあるが、その内部には、じつは、政治的な葛藤が渦巻いてきた。その矛盾が爆発したのが、この9月に起きた、激しいデモと政変であった。
◆王政から民主化へ紆余曲折
ネパールは、18世紀半ば、ゴルカ王国のシャハ王家が統一するが、19世紀半ばから宰相のラナ家に簒奪され、1951年に亡命先のインドから戻ったトリブバン国王が王政を回復し、立憲君主制をとった。後を継いだマヘンドラ国王も当初、民主化を志し、59年には初の総選挙が行なわれてネパール会議派のB.P.コイララが政権を立てるが、封建的諸制度の改革に反発した国王が、翌年、クーデターを起こして、王政に戻す。以後、次のビレンドラ国王に亙り30年余り、国王独裁が続くが、90年、民主化運動に圧されて議会君主制に移る。が、政党間の争いや国王による解散で2年以上続いた内閣はない不安定な政局に陥る。
そのような中、96年、ネパール共産党毛沢東主義派(毛派・マオイスト)が王政打倒をめざして武装闘争を開始し、ゲリラ戦で山間部・農村部に支配地域を広げた。
そこに起きたのが、2001年の猟奇的な王宮内王族殺害事件であった。ビレンドラ国王の長男のデペンドラ王太子が父王、王妃(母)をはじめ王族9人を銃撃で殺害し、自害した。王位を継いだのは、事件の首謀者との噂が消えぬビレンドラの弟ギネンドラであった。
ギネンドラ国王は再び国王の独裁をめざすが、以後、国王、政党、マオイスト(毛派)が絡み合う混乱状態が続く。
毛派武装勢力が国土の8割を実行支配したとされる中で、05年、王制打倒に毛派と議会内7党の共闘が成立し、翌年のゼネストで、国王が直接統治を断念し、議会と内閣が復活。08年には制憲議会が王制を廃止して共和制を宣言し、ギネンドラ国王は退位して、ついに、240年余りに亙ったヒンドゥー王国は終焉を迎えた。毛派を率いるダハル氏が首相になり、大統領は会議派、議長は統一共産党と権力を分かち合って、連邦共和国初代政権が誕生した。
だが、民主化の希望が輝いたのは、一瞬に過ぎなかった。それから17年、3党は連立をめぐる取り引きを軸に13回も政権交代を重ねながら、各党の実力者、会議派のデウバ氏、統一共産党のオリ氏、毛派のダハル氏らで、要職のたらい回しを繰り返し、自らの蓄財と身内優遇の利権政治を貪ってきた。
◆腐敗とコネ社会に若者が怒る
デモが起きたのは、9月半ば。政府がフェイスブックやYouTubeなどのSNSを、偽情報の拡散を防ぐという名目で使えなくする措置をとったことだった。これに、Z世代とよばれる10代半ばから20代の若者らが反発。外出禁止令を無視して数千人が首都の街頭に繰り出し、暴徒化した。
若者たちは、警官隊の発砲を受けながら、閣僚の住宅や、警察署、政府機関、連邦議会議事堂などに次々放火。前述の、政界有力者、デウバ氏、オリ氏、ダハル氏らの豪華な邸宅や、有力者の子弟が経営にかかわるホテルなども破壊され、放火された。閣僚やその家族らは軍のヘリコプターで避難し、オリ首相は辞任を表明した。
きっかけはSNSの使用中止だったが、若者たちの激しい行動の背景には、腐敗した政治やコネ社会、格差社会、自分たちの失業・貧困や将来の不安への怒りがあった。
一例を挙げれば、このデモの前、ネット上に、nepokidsというハッシュタグで、ネポティズム(縁故主義)で恵まれた暮らしをしている大物政治家や高級官僚の子どもたちの豪邸暮らしや海外旅行の映像に「これが私たちの税金の行先だ」とのコメントを載せた動画が拡散されていたが、若者たちを行動に駆り立てたのは、自らの境遇をこれらに重ねて湧いた憤りである。
◆ネパールでSNSがもつ特別な意味
政府がSNSの使用中止を決めたのは、必ずしも、政府批判を防ぐ意図だけではない。じつは、一昨年、偽情報の拡散でTikTokを禁止したことがあって、それに対し、TikTokはネパールに事務所を新設して対処することを約束し、観光振興にも協力する協定を結んで、半年ほどで再開された。政府はこの経験から、他の大手SNSにも同様の対応を期限を設けて求めたが、応じないので、この措置に出たと伝えられている。
だが、政府が見落としていたことがあった。
山がちの国土に目立った産業がなく、失業率も高いネパールでは、多くの国民が中東やマレーシアなどで出稼ぎをしている。国の人口約3000万人に、海外出稼ぎ者はなんと200万人だ。厳しい環境で暮らす出稼ぎ者と同じく厳しい環境で暮らす留守家族が日々繋がれるよすがが、唯一SNSである。かれらにとって、SNSは、通常以上に重い意味をもつ。
因みに、傭兵としての出稼ぎは、伝統的な英国とインド以外は国から認められていないが、兵士不足に悩むロシア軍にも500人ほどのネパール人が雇われていて、ウクライナの過酷な前線に立たされているという。
3日ほどの騒乱の後、軍、大統領、若者代表らの協議を経て、若者たちが求めるスシラ・カルキ氏が暫定首相に就いた。女性で初の最高裁長官を務め、汚職犯罪への断固たる姿勢で評価が高い人物である。総選挙は来年3月に予定されている。
若者たちが求めた正義は実現するのであろうか。
(2025.10.20)
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