■宗教・民族から見た同時代世界

~ムンバイ同時多発テロがあぶり出したインド国内外の矛盾 ~  荒木 重雄

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  昨年11月、インドの商都ムンバイを襲った同時多発テロはいまだ記憶に鮮明で
あろう。ライフルや手榴弾で武装した襲撃という異常さや邦人を含む犠牲者の多
さの報道とあわせ、ムガル様式の豪壮華麗なタージマハルホテルが黒煙を噴き上
げる映像はテレビを見る人々に大きな衝撃を与えた。

 このタージマハルホテルは、インド最大のターター財閥の創設者ジャムセトジ
ー・ターターが、インド人であることを理由に英国人経営のホテルの利用を拒否
された反発から、1903年に、カイロのシェファーズホテルからシンガポールのラ
ッフルズホテルまでの間の最高級国際ホテルをめざして建設したという、インド
の植民地支配と民族主義の歴史を象徴する建物でもある。


◇◇事態は印パ関係緊張へ


 今回の事件は、周到な計画や米国人・英国人・ユダヤ教徒が狙われたことから
、当初、国際テロ組織アルカイダの関与が取り沙汰された。しかしやがてインド
政府はこれを、パキスタンのイスラム過激派組織ラシュカル・エ・タイバ(正義
の軍隊)の犯行として、関係者の引渡しをパキスタン政府に要求した。パキスタ
ン政府はこれに対して、同組織の幹部など数名を逮捕や自宅軟禁したが、「パキ
スタンの組織が関与した明白な証拠はない」、「関与の証拠が示されれば自国で
裁く」としてインド側の要求を拒否した。この事態をめぐって、インド側からは
、パキスタンの対応が不十分ならば「軍事作戦の選択肢も否定しない」、パキス
タン側からは、インドの出方によってば「自衛権の行使もありえる」などの言説
が飛び交い、不穏な空気に覆われた。


◇◇2002年の再来か


 事態の推移からは2002年の出来事が想起された。
  その前年の12月、開会中の国会議事堂に5人の武装ゲリラに侵入されたインド
は、この年の5月、再び、カシミール地方の陸軍駐屯地を3人の武装ゲリラに襲わ
れ、軍人の家族ら30人余りが殺害されるにおよんで、これらをパキスタン軍統合
情報局(ISI)に支援された過激派組織ラシュカル・エ・タイバやジャイシェ
・ムハンマド(ムハンマドの軍隊)の犯行として、パキスタンを厳しく非難し外
交関係を断った。
  インド側が「もはや我慢も限界、いまや決戦のとき」と吼えればパキスタン側
は「我々は戦争を恐れない。通常兵器で劣る我が国は核兵器を先に使う権利があ
る」などと応え、両国は過激な言説の応酬をエスカレートさせながら兵力を臨戦
態勢に配備し、一触即発、印パ核戦争の悪夢が迫った。

 アフガニスタンにおける「対テロ戦争」の頓挫をおそれる米国はじめ英・露な
どが要人を派遣してとりなしに努める一方、米国防総省は、印パが核戦争に突入
すれば「900万人から1200万人が即死し、200万人から700万人が負傷する」との
推計を発表して牽制した。6月初めには欧米諸国と合わせて日本もインドとパキ
スタンの在留邦人に退避勧告を出し、インドからは出国用チャーター機も飛ばし
て、当時登録されていた約1800人の在印邦人は200人弱を残して去った。筆者が
プネー大学客員教授として滞在中のことである。


◇◇軍情報機関と過激派組織 


 軍統合情報局(ISI)と過激派組織の関係に触れておこう。ラシュカル・エ
・タイバやジャイシェ・ムハンマドは、アフガニスタンに侵攻した旧ソ連軍と戦
うムジャヒディン(イスラム聖戦士)の一派として80年代後半に組織された。こ
れらの組織に米国からの資金や武器を供給する通路となったのがISIである。
  ソ連軍の撤退後、これらの過激派組織は印パが領有権を争うカシミール地方に
活動の舞台を移し、ISIの別働隊としてインドの治安部隊へのテロ攻撃を繰り
返し、やがてはカシミールを越えて活動の範囲を広げた。
  米国からの圧力を受けたパキスタン当局は02年にこれら過激派組織を非合法化
するが、実態は依然、組織の活動もISIとの関係も維持されているといわれて
いる。インド側が、今回の事件を含め、ISIが計画し、ISIから訓練と武器
・装備の供給を受けた過激派メンバーの犯行とみるゆえんである。


◇◇テロ・騒乱をうむ多様な矛盾


 インドにおけるテロや騒乱には、その背景や実行者に幾つかのパターンが挙げ
られる。
  (1)印パ両国の直接対決。英国の植民地政策に起因するヒンドゥー・イスラム両
教徒の利害対立から100万人に及ぶ犠牲者を出す混乱の中で分離独立した両国は
、カシミールの領有権をめぐって3度の戦争を経ながらいまだ敵対意識が続く。
  (2)パキスタンからのイスラム過激派による越境攻撃。上にみた三つの例に加え
、06年のムンバイ列車連続爆破テロ(約200人死亡)もインド政府はこのケース
とみる。
  (3)国内の少数派イスラム教徒による抗議行動。社会経済的に遅れ、差別・抑圧
・貧困の状態に置かれているイスラム教徒が、「対テロ戦争」で全世界のイスラ
ム同胞が迫害されているとの意識もからめて起こすテロ。07年以来頻発している
諸都市での爆弾テロ(数人~数十人死亡)は彼らによるものとされ、インディア
ン・ムジャヒディンという国内イスラム組織からの犯行声明も出されている。
 
(4)ヒンドゥー至上主義組織・政党が仕組む政治キャンペーンとしての騒乱。
インドにはRSS(民族義勇団)、VHP(世界ヒンドゥー協会)、BJP
(インド人民党)などの一大ヒンドゥー至上主義勢力がある。宗教暴動などと
よばれるが、殆どはそれらのメンバーに率いられて暴徒と化したヒンドゥー群
衆よる一方的なイスラム教徒襲撃である。テロというとイスラムのイメージが
強いが、犠牲者はこちらの方が圧倒的に多く、90年・92年のアヨーディヤ事件
や02年のグジャラート州事件ではそれぞれ2000~3000人のイスラム教徒が虐殺
されている。
  (5)ヒンドゥー教徒とシク教徒、キリスト教徒など他宗派との対立。この場合も
少数派の他宗派が被害者。(6)ヒンドゥー教徒内のカースト間の対立。(7)東北部に
おける分離独立運動。(8)毛沢東主義派によるテロ。
  華やかな経済成長を謳われるインドにはこのような陰、すなわち諸矛盾がつき
まとっている。


◇◇先行きに国内政局と米戦略


 ムンバイ同時多発テロに戻ろう。今回、印パ両国政府とも主張は抑制的であり
国際社会の仲介乗り出しも早く、対立はくすぶりつづけているものの、2002年の
事態の再来にはいたらなかった。しかし、5月までに総選挙を控えたインドの政
権にも8年ぶりのパキスタン文民政権にも、相手国に弱腰や妥協と映る姿勢は命
取りになる国内の政治状況がある。それに加えて、米オバマ政権が「対テロ戦争
」の軸足をイラクからアフガニスタンに移す政策は、印パ両国に多大な影響をも
たらすことが必定である。南アジアの先行きには依然、多難が予想される。
      (筆者は社会環境フォーラム21代表)

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