■ 農業は死の床か再生のときか               濱田 幸生

放射能の雲の下に生きる ~農業は希望を語れ~

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■「ケガレ」から希望へ
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 茨城の北部、峠ひとつで福島県に入る奥久慈のお茶が新基準値を楽々とクリア
し、出荷が決まりました。森林汚染をまともに受けてしまったタケノコ、シイタ
ケなどはまだ気が許せませんが、食品は確実に安全圏に入りつつあると見ていい
でしょう。
(厚労省 食品中の放射性物質の検査結果について(第363報)(東京電力福
島原子力発電所事故関連)
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000027rft.html

 さて、このような農業の頑張りとは別次元で、放射能に対する過敏な反応は消
えることなく、今や消費者の一部にしっかりと根を下ろしてしまったようです。
それは今や社会現象にすらなっています。福島避難児童に対するる保育園入園差
別事件、福島県避難者宿泊拒否事件、青森の雪拒否事件、福島ショップ出店拒否
事件、福島女性婚約廃棄事件、そして瓦礫拒否運動などです。

 残念ですが、このようなことは氷山の一角に過ぎないと思われます。そしてこ
の流れは、この人たちにとって超低線量まで閾値なしと考える以上、永遠に終わ
ることなく続かざるをえない性格を持っています。さて、昔子供だった時「エン
ガチョ」ということをしませんでしたか?たとえば、道路に落ちていた犬の糞を
踏んでしまった子供は、別な子供にエンガチョを移さないとたいへんです。

 逃げ回る友達たちを追いかけて、泣きながらエンガチョを移すわけです。この
エンガチョは民俗学で「穢れ」といいます。網野善彦氏はこれを「縁をちょん切
る」が語源だと述べていました。また民族学者の石川 公彌子氏は「穢れ」をこ
う説明しています。

「「穢れ」とは神道や仏教における観念であり、清浄ではなく汚れて悪しき状態
を指す。とくに死、疫病、出産、月経や犯罪によって身体に付着するものであ
り、個人のみならず共同体の秩序を乱し災いをもたらすと考えられたため、穢れ
た状態の人は祭事などに関われずに共同体から除外された。」

 これを今の3.11以降の状況に置き換えてみましょう。放射能という「清浄
ではなく汚れて悪しき状態」にまつわるすべてが「穢れ」なのです。農産物も、
車も、雪も、瓦礫も、そして人すらも。放射能とは疫病や死のシンボルであり、
それを持ち込もうとする者は、清浄な共同体の秩序を保つために排除されたので
す。しかし、前近代的な「穢れ」に対する恐怖であるが故に、いくら私たち農業
者が「まったく検出されていない」と言おうが言うまいが、一切耳を貸さない根
深く理屈抜きな部分からの恐怖なのでしょう。

 では、どうしたらいいのでしょう?
  私は「土」を知ることだと思います。去年ある消費者との集まりで、ある母親
から子供がニンジンについているわずかの土を嫌がったという話を聞いたことが
あります。「土にはホーシャノーが付いている」とクラスメイトに言われたのだ
そうです。あるいは、去年の田植えのイベントで、今まで子供が大好きだった泥
んこ遊びを、拒否する母親が多かったために中止したという話も聞きました。

 土は穢れになってしまったのです。そして哀しいことに、多くの人にとって時
間はここで止まってしまっています。私たち農業者は、この先のストーリーを見
せていかねばなりません。土が単なる放射能汚染された「穢れ」ではなく、無敵
に思われた放射能の天敵だということを語っていかねばなりません。私がこのブ
ログで去年の夏以後何度となくお話してきたことです。土は強い、土は味方だ、
土の力を信じる、そしてそれに少し人間が力を貸すことが大事だ、と。

 これは実感です。空虚なネット情報ではなく、私たち農業者が毎日のように測
り、耕し、そしてまた収穫物を測りといった繰り返しの中で得た知恵です。この
知恵は、農業分野だけではなくさまざまな場所で地域でいかされるべきものです。
「耕す」という行為には、ただ表土を削る、汚らわしいと捨てる、洗い流して別
な場所に見えないようにしてしまう、拒否する、といったネガティブな行為では
ない、もっと明るく楽天的なものがあります。

 なぜなのでしょう。それが、それが新しい次の生命を育むための食だからで
す。食は未来であり、希望です。食を恐れることからはなにも生まれません。食
べものを作ることこそが「除染」なのです。確かに作ることと、食べることは違
います。だが、私たちはその開いてしまった隙間を埋めようとしています。穢れ
ているなどということはほんとうはないのだ、という新たな物語を農業から語っ
ていかねばなりません。農業は希望を語らなくてはならないのですから。

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■「除染」は「移除」にすぎない。本質的解決にはならない。
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 「除染」という言葉があります。秘かに、私はあれは「移染」(元有機農業学
会会長中島紀一先生命名)ではないかと思っています。ジャジャーと屋根を洗い
ますね、その水はどこにいくのでしょうか。下水溝から下水処理施設に汚泥とし
て蓄積されていきますが、その先はまだ何も決まっていません。ご存じのように
東京、神奈川といったほとんど被曝していない地域の下水処理施設でも高い線量
が計測されて話題になりました。

 表土を5cm剥ぐといいます。では、その汚染された土はどこに行くのですか?
  行き場所がなくて、校庭の隅に今もシートをかぶって眠っています。国はやっ
と2012年1月26日になって、除染計画の工程表を出してきました。膨大な
予算がかかりますが、私の疑問は晴れることがありません。どこに持って行くの
ですか?避難地域に作るつもりの中間処理施設ですか?

 そのようなものは、国がしっかりとした土地の買い上げと国有化を決めないで
やることではありません。いずれにせよ、放射性瓦礫や汚泥は、どこかに集中管
理するしか方法はないのです。しかし、避難の不手際とその後の復興の無策に対
して、避難地域自治体には怨念といっていいような国に対する恨みがあります。
それをどう説得するのでしょう。当時の最高責任者の枝野氏が、ぬけぬけと原発
再稼働などと言っているうちは、地元自治体がうなずくことはないでしょう。

 その間にまたどんどん汚染物質が溜まっていきます。そのうち溢れ出すことで
しょう。

 二本松市の採石場の採石を使ったコンクリートから高い放射線量が検出された
ことを覚えていますか。まさに放射線の教科書どおりに、まったく減少せずに高
い放射線を新築マンションから放出していました。一方、予想を裏切ってどんど
ん放射線量が下がっている地域があります。どこでしょうか?

 農地です。農地は劇的に線量が下がってきています。 福島県3.11以後ま
ったく耕していない土地での耕耘実験を「耕起前」、「浅く耕起後10cm)」
、そして「反転耕起後」(20~25cm)の変化に注目ください。(「放射能
に克つ農の営み」 伊藤俊彦氏の図表より引用させていただきました。ありがと
うございます。)まったくなにもしない土地を、10cm耕す、次に20~25
cm耕してみた場合線量がどう変化するのを比較しています。

・耕耘しなかった土地の放射線量・・・・地表2.12μSv  空中1.77
・浅く耕起後(10cm)    ・・・・地表1.70    空中1.40
・反転耕起後(20~25cm) ・・・・地表0.79    空間0.85

 お分かりのように、何もしない土地の地表放射線量が2μSvを超える放射線
量だったのに対して、反転耕起した後は0.79μSvと半分以下になったのが
分かります。

 それに連れて空間線量も約半分になりました。まさに劇的な線量低下です。私
たちの茨城地方でも、耕耘前と後では8分の1から13分の1にまで線量が低減
したのが実測されています。福島や茨城の農産物が、私たち農業者の予想をはる
かに超えて基準値超え農産物を出さなかった理由はこれです。耕すことで、土壌
放射線量が大きく下がったからです。

 去年3月から5月に多数検出されたのは、当時は空間線量が高く、未耕耘だっ
たために、作物が外部被曝したからです。現在とは状況がまったく違います。さ
て、私たち農業は、「耕す」という農業の本源的な営みの中で放射能を低減する
ことに成功しつつあります。私たち農業者は、いかにして放射線量を下げるため
の解決の鍵を握ったと考えています。

 一方、都市部は未だ洗浄一本槍で、先行きが見えません。そこで私たち農業か
らの提案です。頭を切り換えてはいかがでしょうか。校庭を耕したらどうでしょ
うか。そして線量を計ってとみてください。そして校庭に大きな畑でも作ったら
いかがですか。移行率が低い野菜は分かっています。そして計って安全だと分っ
たら食べたらいい。放射能と闘う食育になるはずです。子供たちに「土地の神
様」の偉大さを教える、素晴らしい食育じゃないでしょうか。怖がって避難する
だけが、放射能から子供を守ることではないのです。

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■ウクライナ、ベラルーシ農業は蘇ってより強くなった
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 あまり知られていないことですが、ウクライは、チェルノブイリ事故以後、農
業生産が上昇しています。データを揚げます(東京大学農学生命科学研究科の川
島博之准教授による)。

 まずは1986年の事故後6年後からです。
・1992年作付け面積・・・1250万ヘクタール
・同農業生産量・・・・・・・3550万トン

 これが17年後には
・2009年作付け面積・・・1510万ヘクタール
・同農業生産量・・・・・・・4540万トン

 次にウクライナの穀物輸入量を見ます。
・1992年穀物輸入量・・・180万トン

 それが2009年には穀物は輸出に転じ、輸出穀物量が1640万トンになっ
ています。チェルノブイリ事故禍から、完全にウクライナ農業は復活し、むしろ
強くなったと言っていいでしょう。実はウクライナの事故後の情景は、あまりに
も現在の日本と酷似しています。

 事故後の1年後、国会議員がウクライナの地方都市を訪れてこう言いました。
「この地域にいる住民は放射能で死ぬから、避難しろ!」

 私たちがこの1年飽くことなく聞かされていた言葉です。ウクライナにおいて
も、外国の報道機関を通じた「放射能による死者数万人」という誤った報道が幾
度となく流されました。そして部外者の「ウクライナから避難しろ!」という言
葉が、住民をパッニックに追い込みました。これにより、ウクライナは「人口統
計上の大惨事」と後にいわれるような急激な人口減少をみせます。事故後失われ
たウクライナの人口は12.1%にも登りました。

 まさに戦争や中世ペスト流行に等しい災厄がウクライナを襲ったのです。原因
は放射能そのものによるものは少なく、デマゴギーの流布でした。人口減少の大
きな原因は、強ストレスによる流産、中絶などだったと国連科学委員会は述べて
います。ウクライナ政府がとった対策は、初期の避難の遅れ、隠蔽などを反省し
た的確なものでした。

 根拠のない風説や煽りに対しては徹底した「見える化」しか方法はありませ
ん。どこかの国の高官のように「ただちに健康に被害はありません」などと口
走ってもかえって火に油を注ぐだけなのです。

 ウクライナでは政府や自治体の計測と並行して、大量の測定機器を店舗や学校
に配布しました。同時に内部被曝を発見するための簡易型ホールボディカウンタ
ーも学校に配備します。学校においては年齢応じた放射能教育を開始しました。
このような市民対策と同時に強く推進されたのが農業対策です。

 ウクライナ農業は壊滅的打撃を受けていました。初期被曝の放射性ヨウ素対策
を旧ソ連が怠ったために、高放射線量の牛乳を飲んだ多くの子供たちから甲状腺
ガンが発生しました。このためにウクライナ製農産品は市場から排除されます。
かつての東欧の穀倉はたちまち穀物輸入国に転落してしまいました。日本の場合、
基準値超えを出荷停止にするだけで終わりでしたが、ウクライナはこの放射性物
質が入った牛乳を国が買い取り、バターなどの乳製品にして保管するという方法
をとりました。

 おそらく日本で同じ方法をとったら・・・、まぁスゴイでしょうね。瓦礫の比
ではない。ああ想像するだけでイヤになる。それはさておき、ウクライナ政府は
被曝牛乳を国が買い取って加工して、放射性物質が基準値以下になるまで保管し
ました。これと同じ方法は、ベラルーシでもとられています。ベラルーシは被曝
した小麦を国がアルコールに加工しています。

 そしてもうひとつの農業対策が、多くの放射能対策パンフレットの作成でし
た。ベラルーシだけで多くのパンフレットがあります。細かく分野ごとに分け
て、地域ごとの対策も記してあるそうです。そして畑作用にはカリウム肥料、畜
産用にはプルシアンブルーが配られました。耕耘方法については、ウクライナ農
業放射線学研究所・バァレリー・カシタロフ所長はこういっています。

 「天地返しによって、土壌からの外部被曝を10分の1にすることができる。
汚染土を処分することなくコストも低く押えられる。(ウクライナでは)農地は
このように処理した」(12年1月31日福島講演会「チェルノブイリ事故処理
と福島への教訓」)
  ウクライナ、ベラルーシが消費者保護と同時に、農業に対して決めの細かい対
策を打ったたとがわかります。

 わが国は・・・、ここまで無為無策だとかえってすっきりするほどです。避難
地域の牛、豚、鶏は見殺し。未だ供養されることもなく、無残な白骨を畜舎にさ
らしています。

 消費者の不安には、ただひたすら責任逃れのための厳しい基準値を作るだけ。
出たら農家がどうにかしろ、東電に金をもらいに行け、だけです。放射能測定機
は自治体の役場にポツンと1台申し訳のように置かれています。学校にも給食セ
ンターにさえ見当たりません。

 基準値を上回る米が出た地域は国が買い上げるそうですが、その使途は決まっ
ていません。おそらくほとぼりが冷めるまで置いて、秘かに捨てるのでしょう
か。放射能にいかに闘っていくのかの農業指針もなし。除染資材の配布などある
はずもなし。いかに国にとって私たち農民など眼中にないのかが分かります。

 よくNHKや消費者グループはウクライナやベラルーシを見習えと言うのを聞
きます。そのとおりです。見習うべきです。ただし、農業対策もお忘れなきよう
に。私たち日本農業も、ウクライナ、ベラルーシのように事故を経てもっと強く
ならねばなりません。チェルノブイリから40km離れたベラルーシ農民の福島
農民への伝言がありました。
  「日本もたいへんだとは思うが、絶対にあきらめないでほしい」

 (筆者は茨城県・行方市在住・農業者)

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