【コラム】槿と桜(128)
27年目を迎える日本の大衆文化解禁
延 恩株
韓国と日本は1965年6月22日に国交正常化する基本関係条約、漁業協定、請求権・経済協力協定、文化財・文化協定、在日韓国人法的地位協定という5つの条約に調印しました。それに続いて12月18日にその5つの条約に対する国家としての確認と同意をしたという批准書が交換され、正式に韓日両国の外交関係が樹立されました。今から60年前のことでした。つまり今年は日韓国交正常化60周年にあたります。
朝鮮半島を侵略して植民地(1910年〜1945年)として支配していた日本が太平洋戦争で連合国に敗北しますと、1948年に朝鮮半島には大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が生まれました。それから17年後に韓国と日本は国と国が友好的につきあう関係が生まれたことになります。しかし、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と日本とは現在も国交がありませんし、韓国とは休戦状態のままです。
このように韓日は国交正常化されて60年目を迎えますが、それにもかかわらず、日本の大衆文化の韓国への紹介、受け入れは国交正常化以降も長い間、禁止されていました。それを最も端的に、そして象徴的に示すのが「倭色」(왜색 ウェセク)という言葉です。
「日本風」「日本的なもの」を意味しますが、決して良い意味では使われません。日本による植民地統治時代、強制的に日本化が進められ、それに従わざるを得なかった人びとは大韓民国誕生以後、徹底して日本的な文化要素を批判し、排除するようになりました。そのなかで反日感情が濃厚に込められた「倭色」という言葉が生まれてきましたから、当然、批判、排除すべきものに対して向けられることになります。そして、当初は日本語的言語の排除や追放のための用語として使われていました。それがいつの間にかあらゆる日本文化を「倭色文化」と呼び、排斥の対象とするだけでなく、韓国人の歌や、ファッションなどにも日本的なものが感じられると「倭色」として批判するようになっていきました。このように日本的な文化への拒否反応は韓国社会全体に浸透していて、現在でもこの「倭色」は、強烈なマイナスのイメージがあります。
こうした状況に変化が生じたのは1998年10月7日から10日まで国賓として日本を公式訪問した金大中大統領(当時)と日本の小渕恵三総理大臣(当時)との間で発表された21世紀に向けた新たな韓日パートナーシップを構築するという両国の共同宣言でした。
この宣言を受けて、金大中大統領はそれまで禁じられていた日本で制作された音楽、映像、演劇、アニメなどの大衆文化の韓国での開放を表明しました。国交正常化から遅れること33年が経過していました。
金大中大統領の日本文化開放を表明したことは政府間レベルではなく、民間の文化的な交流を広げるきっかけになったという点では大きな意味がありました。その後の日本での〝韓流〟も金大中大統領が日本文化開放の表明なしには起きなかったかもしれません。
この日本文化開放は一気にすべてが開放されたわけではなく、段階的に進められましたが、以下のようでした。
第1次開放(1998年10月20日)
日本の漫画、映画。映画はカンヌやベネチアなど世界4大映画祭での受賞作品に限って、公式に上映を許可。1997年の第54回ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した北野武監督の「HANA-BI」が韓国で公式に公開された最初の映画となりました。しかし、その公開期間は2週間と短期間で、観客動員数も伸びませんでした。
第2次開放(1999年9月10日)
2000席以下の歌謡公演。ただし放送、レコード、映像作品・ビデオの販売は許可されませんでした。映画の解禁範囲が拡大されて世界83の国際映画祭での日本映画受賞作品まで上映が可能となりました。
第3次開放(2000年6月27日)
国際映画祭で受賞した劇場用アニメの上映。歌謡公演での座席数制限が撤廃されました。テレビゲーム以外の日本のゲームソフトの移入。日本のスポーツ、ドキュメンタリー、報道番組の放送。
第4次開放(2004年1月1日)
映画が全面的に解禁され、音楽レコード、CD、テープ等の販売が許可され、テレビゲームが全面的に解禁されました。
このように段階的にですが日本文化の開放が韓国で進められてきたことがわかります。
ところが2025年3月8日の『朝鮮日報』にK-POPの男性6人組「ボーイネクストドア(보이넥스트도어 BOYNEXTDOOR 略称ボイネク)」の最新曲「今日だけI LOVE YOU」には日本語の「愛してる」が歌詞の中に「オヌルマン(今日だけ)アイラブユー、アイシテル…」とあったはずなのに、1月に民間放送局のSBS(서울방송 ソウル放送 Seoul Broadcasting System)で放送された音楽番組『人気歌謡』では、日本語の歌詞「愛してる」が「I want you(君が欲しい)」に置き換えられていたという記事がありました。
ボーイネクストドアの所属事務所の話では、本来の歌詞通りに「アイシテル」という日本語で歌おうとしたが、テレビ局側が「テレビ局の審議」によって不適切と判断し、英語に変えざるを得なかったというのです。この記事は次のように結ばれていました。
「韓国政府が日本の大衆文化に門戸を開いてから21年が過ぎた(2004年の第4次開放から計算していますーー筆者注)。日本の映画やアニメが韓国の映画館で上映されて人気を集め、韓日の俳優が互いの国を行き来しながら試写会に出席する様子は、私たちにとっても既に見慣れた光景になった。日本の年末の代表的な音楽番組『日本レコード大賞』と『紅白歌合戦』にはこのところ毎年、韓国のアーティストが必ず登場している。もちろん、韓国語の歌詞をそのまま歌う。
韓国の地上波放送でわずか1行の日本語の歌詞がなぜ姿を隠さなければならないのか。ある日本人のK-POPファンは「韓国の放送で日本語の歌を制限するのは、法律ではなく感情」と話した。今年は両国が国交を正常化して60周年を迎える年だ。「サランヘ(韓国語で愛してる)」も「アイシテル」も、どちらも自由に言えるようになるべきだ」
韓国の新聞がこのように現実的な意見を書くようになってきていることに(まだ一部ですが)、私は正直、少し嬉しい驚きを感じました。
これに関連しますが、2025年5月1日にNHK総合『ドキュメント72時間』では「日本居酒屋で乾杯を」という45分番組(夜7時半から8時15分まで)が放送されていました。
韓国のソウルにある日本スタイルの居酒屋に密着した番組で、生ビールや枝豆、焼き物など日本とまったく同じメニューで、本物の日本の味を求めて韓国人が訪れる姿が、彼らへのインタビューとその返答を織り交ぜて放送されていました。彼らの楽しそうに飲み、食べ、おしゃべりする姿からは「倭色」という言葉など意に介さないどころか、その居酒屋がなくてはならない、くつろぎの店になっていることがわかりました。
まるで日本のどこかの店を思わせるまったく日本式の店内で和食と店の雰囲気を楽しむ多くの韓国人の姿には、これまた私はびっくりさせられましたが、こうした人たちがもっと増えれば良いのにと思いながら、放送を最後まで見てしまいました。
今から2、3年前までは韓国で日本式の居酒屋が増えると「とんでもない倭色だ」「日本語をそのまま使うとは」として激しく批判していたのもマスコミでした。またこうしたお店に足を運ぶ韓国人にも同じ韓国人から〝裏切り者〟と冷たい眼で見られる空気があることを感じ取っていたと思います。
その意味では、確かに韓国人の対日感情は以前とは少しずつ変化を見せ始めてきているのでしょう。もちろんマスコミの報道にも変化の兆しが窺えます。
しかし、それにもかかわらず、上記の『朝鮮日報』の記事のように文化的影響が大きいという理由から、テレビの地上波放送では日本語の歌詞が〝不適切〟とされてしまう事態もまだ存在しているのです。
日本では韓国ドラマが家庭のテレビで、どこかの局で毎日でも見ることができます。でも韓国では現在も日本のドラマを地上波テレビで見ることはできません(有料ケーブルテレビ、有料動画配信、インターネットでは見ることが可能です)。
これはラジオも同様で、日本人歌手の曲、日本語歌詞の曲は放送局の自主規制によって、放送がほぼ禁止されているのが現状です。「日本人のK-POPファンは「韓国の放送で日本語の歌を制限するのは、法律ではなく感情」と話した」と上記の『朝鮮日報』の記事にありましたが、確かに法律で禁止されているわけではありませんが、「国民感情」を考えて、放送局は禁止しているのです。
それでもやはり韓国の対日感情には変化が起きています。2024年4月にはケーブルテレビですが、「毎日放送」(MBN 매일방송 メイル放送)で5週連続の『韓日歌王戦』という歌番組が放送され、日本語の歌がそのまま歌われ(画面には韓国語訳が流され)、大きな反響と同時に平均視聴率が10%を超えるほどの人気番組となりました。
いわば地上波放送局が「国民感情」を考えて自主規制している間に、その「国民感情」に変化が起きているのを敏感に掴んで、先取りしたのがケーブルテレビ局だったと言えるかもしれません。
韓国ではケーブルテレビ加入世帯が少なくありませんから、今回の『朝鮮日報』の記事のような考え方が韓国人の大多数の「国民感情」になるのもそう遠くないかもしれません。
大妻女子大学教授
(2025.5.20)
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