■ 【横丁茶話】   ~AKB48 アカンベェのヨッパライ?~   西村 徹

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 AKB48とはなんのことか最近まで私は知らなかった。「アカンベェのヨッパラ
イ?」といったところでやりすごしていた。どうでもいいことだから知識欲は湧
かなかった。しかしそうはいかないらしいほど人みな知っているべきことらしい。
そんな気配を感じて関東に住む娘にたずねた。アキバ・エーティーフォーという
のだと知った。48人の少女が台上で発声しつつ運動するものであることを知った。

 ツンクとかいう中年男?が大将で似たようなのにモーニング娘というのがあっ
たからイメージはすぐ掴めた。そしてNMB48というのもあると聞いた。大阪のナ
ンバ・エーティーフォーだそうだ。

 私の同年輩でAKB48を知るひとは多くはないと思う。モーニングさえあやしい。
大正生まれの多くはプレIT族だし、ケータイはたとえ持っていても、あるいは持
たされていても、徘徊対応や救急など高齢者危機管理目的に限定されている。テ
レビもたぶん、もっぱら風景などを好み、けばけばしくて目まぐるしいのは草臥
れるから見ない。

 AKB48は知らないと思う。私も見たことがなかった。慶応のセンセイをしてい
る金子勝という経済学者は文化放送の大竹ゴールデンラジオでAKB48をぼろくそ
に言っていた。そんなことを言うと、熱狂的なファンがいるから地下鉄ホームの
線路際には近づかないようにと、ゼミの学生から注意されたそうだ。金子センセ
イは「ションベン臭い普通の女の子」と言っていた。

 AKB48を知らないまま、先日NHK大阪の、荒木美和という東京から左遷されてき
た(といわれている)女子アナが司会する、日暮れどきの放送でNMB48をはじめ
て見て、なるほどと思った。近くに中学校があって下校時は校門からあふれ出る
中学生の波で歩けなくなることがある。女子生徒を見ていると、なるほどと思う。
その後7月10日の日曜日、おなじ時間帯で、荒木美和アナは出なかったから制作
は大阪ではないらしくて、本場ほんもの東京のAKB48が映った。

 48人全部でないが、いよいよますます金子センセイの言うとおりだと思った。
女子中学生が普通でも特別でも格別「ションベン臭い」とは思ったことはないし、
男の加齢臭ほどに事実に根ざしてはいないと思うが、事実に乖離しつつも慣習上
有効な比喩として、まったくなるほどと思った。

 「ふんわりした振り付け」とか言っていたが、どうしてあんなに締まりなく口
を横にひらいて涎をくりそうにして歌うのか。昔いっときポカン口というのが蔓
延した。若い女に急に蓄膿が増えたのかと思ったがそうではなかったらしい。ま
だ今ほどには女の肢の寸法が長くはなっていなかったと思う。その後女の肢は急
激に長く伸びたように思う。テレビで男と女が並んで立つと女が高い場合のほう
が多くなっているように思う。田原総一郎なんていつも隣の女に見下ろされてい
る。

 NHKでも大抵女のほうが高い。「にっぽんの芸能」は「花鳥風月堂」も「芸能
百花繚乱」も女が男より高い。もはや逆の場合よりおさまりがよくなってしまっ
た。たまに過剰にノッポの男が出てくると気分が落ち着かない。昔、女のノッポ、
大女が出てくると異様な雰囲気だったとおなじような気分になる。肢のハナシで
はなかった。まだらボケの兆候かもしれない。それにしても暑い。ハナシを戻す。

 毎年11月にはおなじ高校の文科に昭和18年に入学した阪神在住の同窓会がある。
一度聞いてやろう。7~8人いるが、AKB48を知るものは、たぶんいるまい。カメ
ラ持参で来るのがいるが、デジカメでない。新聞記者あがりだってダメだろう。
短大でマスコミ論なんか講義していたって、たぶんダメだろう。10年あまり前に
70万円だかでVAIOを買ったのはよいが、駅前のパソコン学校で若い女インストラ
クターに小バカにされたと怒ってしまって、段ボール箱に突っ込んだきりだとい
ってたからダメだろうと思う。11月ともなれば知ってるというのも多少は現れる
かもしれないが。

 私はケータイを持たないが、パソコンを少し覚えた。森内閣のとき小学校で講
習があったからだ。おかげで退屈しないですんでいる。毎月ここで書かせてもら
えるのでボケ防ぎになっている。いや、なっているような気がする。パソコンは
便利だ。現代のサブカルチャーについてメールで娘に訊くことができる。ときお
り孫からケータイでくる短いメールからは、トレトレの現代日本語を学ぶことが
できる。
 
  さて、こんなバカバカしいことはどうでもいいことだが、やはり多少はITのお
かげで入手する情報の幅が広くなることもある。たとえば最近話題をさらった松
本龍という人の一件についてである。ちょっとおさらえをする。


■民主党も自民党も公明党も嫌い?


  6月28日テレビでいきなり「民主党も自民党も公明党も嫌い」とテレビ画面で
誰かが言った。「そうだ。そうだ。そのとおりだ」と思う人も多かろうと先ずは
思った。・・・いや!ちょっと待て。この人誰だ?どっかで見た顔だ。なんだ、
大臣じゃないか。環境相兼防災相だったかが今度新設の復興相になった人だ。復
興相になった就任挨拶でいきなりしゃべったのがこれだった。民主党政権の内閣
で大臣だからといって民主党とはかぎらないが、この人は民主党だ。社会党→社
民党→旧民主党→民主党と移って現在に至っているらしい。社民党に戻りたくな
ったのだろうか?それとも共産党に入りたいのだろうか?
 
  そうだ。思い出した。「自民党をぶっ壊す」と言って自民党の総裁になった人
がいた。しかも大当たりだった。菅総理も近ごろめっきりその人の真似をする。
「自分もそれで行こう。当たるかもしれない」と、この人も思ったのではないか
と思う。きっと誰か褒める人いるだろうと思っていたら当日の夜に古舘伊知郎氏
が「久しぶりに政治家らしい発言を聞いた」と言った。

これは褒めたのではないが褒めないのでもなかった。7月3日(日曜)の朝には青
木理氏がはっきりと褒めた。みんなの思いを代弁した、というような褒め方だっ
た。自己否定とか自己告発とか、そういうのが流行った時代があった。

 全共闘世代にはそういう突飛な大見得に「異議なし」とか言って自己陶酔する
ヘキがあった。褒めるのはその人の勝手だし、どのように言うのも勝手だが、や
はりどっかヘンだ。民主党に居座って民主党の大臣をして、あっちこっち他党に
まで泥はね散らかして良い子ぶるのは虫がよすぎるではないか。鳩山由紀夫氏が
「ウソをついてはいけません」と言うのとおなじように筋道から外れている気が
する。

 死刑反対なのに死刑の執行に手を貸した法務大臣と変わらない気がする。子供
がフリチンで客間に飛び込んできたような幼児性が感じられて滑稽だった。よほ
どスポイルされて育った人らしい。ここまでは政権も末期になるとずいぶんな大
臣が任命されるものだという程度で、それっきり人々は忘れたかもしれない。と
ころが次があった。


■お客さん問題


  7月3日先ず訪れた岩手では、朝日新聞によると、仮設住宅の要望をしようとす
る達増知事の言葉を遮り、「本当は仮設はあなた方の仕事だ」と指摘。仮設住宅
での孤独死対策などの国の施策を挙げ、「国は進んだことをやっている。(被災
自治体は)そこに追いついてこないといけない。知恵を出したところは助けるが、
知恵を出さないやつは助けない。そのくらいの気持ちを持って」と述べた。また、
「九州の人間だから、東北の何市がどこの県とか分からない」と冗談めかして話
した。
 
  次いで訪問した宮城県庁では村井知事が出迎えなかったことに腹を立て顔色が
変わったという。民主党は「明治維新以来続いた中央集権体制を抜本的に改め」
「国と地方自治体との関係を上下・主従から対等・協力の関係へ改める」と二〇
〇九年衆院選マニフェストで言っている。

 以上は新聞報道をほとんどそのままコピーしたものである。冷静に考えて岩手
で言ったことは歯に衣着せなかっただけ。本当のことを言っただけだろう。冗談
もそのとおりの冗談だろう。ずいぶん「失礼だ」と怒る人がいるが、関西人であ
る私自身、東北六県の位置概念はあやしい。関東のことも群馬とか栃木とかどっ
ちがどっちかときどきあやしい。

 軽井沢は長野と思っていたら群馬の軽井沢があって目をまわす。鳥取、島根が
こんぐらがったり、佐賀、長崎も同様だ。ましてや基礎自治体の所属県はますま
すあやしい。文字だけで読めば別にどうってことではない。

 宮城のほうはテレビが流した。映像のあたえる印象は強烈だ。新聞の比でない。
異様な場面は一般国民のみならず東北の被災者の心を傷つけてしまった。神戸で
被災した私の友人もメールで怒ってきた。映像は立ちどまって考え直す余裕をあ
たえない。テレビは見出しからして「松本龍復興相が知事を叱責」だった。

 世を挙げて轟々たる非難の渦となり、大臣は就任9日で辞任した。しかし、よ
くよく見ると、水産特区について「県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと我
々なにもしないぞ。ちゃんとやれ」はいささか居丈高に聞こえるが、じつは知事
と対立する漁協の立場を代弁しただけなのかもしれない。

 村井知事は松下政経塾出身の新自由主義者だ。県の復興会議も地元より中央の
顔役を偏重して会議も東京でやること多い。彼の特区構想は養殖漁業に民間参入
を促し3つか5つに集約しようとするものだ。そんなことをしたら漁師は従業員に
されてしまって利益は都会資本にさらわれてしまうだろう。県漁協が反対してい
ることを大臣は既に把握していたのかもしれない。7月2日福島県知事に会った後、
記者団に「私自身はあまり東京にいることなく、被災地に行き、ご用聞きのよう
に住民の意見を聞いていきたい」と述べている。

 「お客さんが入ってくるときは自分が入ってからお客さんを呼べ」は確かにヘ
ンだ。これはあきらかにトンチンカンだ。茶室でも待合の腰掛で先ず客は待ち、
その客を亭主が迎え出ることになるだろう。しかし新聞の「出迎えなかったこと
に腹を立て顔色が変わった」というのはかならずしも事実に合致しない。顔色が
変わったかどうかはテレビでも確認困難だったが、「出迎える」というのは玄関
か門か、外に出て迎えることだろう。 

 先に部屋にいて迎えるのは「出迎える」のではなかろう。強いて言うなら逆に
「入り迎える」か「居り迎える」になるだろう。お客さんではない、対等だとい
うが、対等でも外来者のほうは來客だろう。知事が東京の大臣に会いに行けば知
事が客だろう。大臣が知事のところに行けば大臣は客だろう。
 
  それはそれとして、客あしらいに難癖をつけるのは客のマナーには反する。つ
まり礼を欠く。知事も後に不快の意を表明した。それがそういうものだと松本氏
が知らないはずはない。でなければ「今のはオフレコです」などとは言うまい。
知事も笑った。悪い冗談だとお互い了解できていたかもしれない。そのあとがい
けなかった。「書いたらその社は終わりだから」。


■松本龍氏の業績


  ここまで来ると、ほんとうにバカなのかと思った。そこでちょっと調べた。防
災相として何をしたか、何をしなかったかについて私は知らない。しかし2010
年環境相就任わずか一ヵ月後に名古屋市で開かれた生物多様性条約第10回締約国
会議(COP10)で議長を務め、みごとに難交渉をまとめたという。また同年12月
カンクンで開催されたCOP16では温暖化問題は生物多様性とはまったく違うと主
張し、「義はわれにある」と言い切って、会議では京都議定書の単純延長に反対
するという日本の主張が受け入れられたという。

 産業界では「松本大臣はわずか数カ月で、COP10とCOP16の二つの国際会議の取
りまとめに主導的役割を果たした。偉大な業績だ」と褒めたたえているとのこと。
たいしたものだ。バカどころではない。どうやら弾みがつくととまらないところ
があるのでないか。「今のはオフレコです」で笑いを取った勢いで「書いたらそ
の社は終りだから」まで走ってしまった。まだ自分だけは笑っていたから。この
調子だとコトバ狩りの餌食になりやすかろう。

 オッチョコチョイといってもいい。アグレッシブな性格でもあるらしい。共産
党の小池晃元参議院議員は「部落解放同盟の地金が出た」と評した。きわめて俗
耳に入りやすいが、その分きわめて皮相の、そしてミスリーディングな評に思う。
環境相としてきわめて短い期間に離れ業とも言える業績を収めた。その自信から
復興相として満を持していたことであろう。その逸る気負いのあまりの勇み足で
はなかったのであろうか。

 タイヤにエアを詰めすぎて破烈してしまった。もうひとつ、辞任の弁のなかで
カズオ・イシグロのネバー・レット・ミー・ゴーを引き合いに出していたことが気
にかかる。この人を知る鍵になるような気がする。いまのところ私の手にあまる
が、そんな気がする。
 
  もうひとつ無責任に言うと、この人のマスクなら政治家なんかでなく俳優にな
ったらよかったような気がする。昔、森雅之という名優がいた。森雅之のイアー
ゴは絶品だった。昨年暮れにロンドンのグローブ座のオセローをテレビで見た。
そのときのイアーゴなど森雅之イアーゴの足元にも及ばなかった。あんなすごい
イアーゴはなかった。この人が俳優だったら森雅之に迫れる気がする。

                 (筆者は堺市在住・大阪女子大学名誉教授)

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