「原発のあと」を考える

■ 「原発のあと」を考える(掲載するもの)

                       船橋成幸
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  3月11日の大震災と福島原発の崩壊は、第2次大戦以来の深刻な緊張と脅威
を日本国民に強いることになった。3万人に迫る犠牲者の方々、数十万人の被災
者の方々には、心からのお悔やみとお見舞いを申し上げたい。

 かつての戦争の惨禍は全土に及ぶものだったが、国民挙げての努力によって数
年足らずで復興と再建の道に就くことができた。だが、今度はそうは行かない。
原発の崩壊によってこれから先、予測不可能な長期間、わが国民(あるいは近隣
諸国民)は、目に見えぬ放射能の脅威におびえ続けなければならないのである。

 これは「想定外」の事故だったという。そんな言い逃れは断じて許されない。
すでに1960年代の半ば、わが国で原発建設が本格化し始めた当初から、原発が排
出する放射性物質の危険は少なからぬ識者から指摘されてきたのである。例えば
高木仁三郎氏のような専門家でなく、全くの素人である私自身にも原発への強い
危惧と抵抗感があったことをいま改めて想起している。その経験から2、3の事
実を報告し、今後の課題を考えてみたい。

 いまから20年ほど前のこと、私は当時世話になっていた小さな会社のT社長
に誘われて東電本社を訪ね、当時の荒木浩副社長(後に社長、会長を経て現在は
顧問)と原発問題で議論したことがある。荒木氏とT社長は昵懇なようで、私の
反原発の立場を肴に食事をしようという話だったらしい。T社長のほかに仲井富
氏も同席した。

 その際、私は「原発燃料から排出されるプルトニウム、ストロンチウムなどの
核種には半減期が数万年に及ぶものもあるというが、その超長期の間に生じる地
殻変動を考慮しても、あなたがたは安全を保障できるのか、もしも保障できると
いうのなら、失礼だが、それはあなたがたの思い上がりではないのか」と発言し
たことを覚えている。翌日、東電の原子力部長(名前は佐々木氏だったか?)が訪
ねてきて、一抱えの資料を差し出し、「これを読んでください」と言ったが、ず
ぶの素人の私には、そんな精緻な数字だらけの資料を吟味する能力はない。私は
ただ、素人としての単純素朴な疑問をぶつけただけであり、そんな資料を見ても
疑問が解けるはずはないと思っていた。

 もう一つは、1970年代半ばの話である。当時私は横浜市役所に席を置いて
いたが、「60年周期説」というのが流布されたことがある。過去の歴史をみる
と60年ごとに大地震が発生している。1923年の関東大震災から60年に
迫ってきたというので、学者を含め市役所や市民組織を挙げて地震対策に大童で
取り組んだものである。その後「60年」はとっくに過ぎたが、さいわい京浜地
帯に大震災はまだ起きていない。あのとき市内各地に急遽設置した避難場所の飲
料水や乾パンはどうなっているだろうか。

 それはともかく、私はいわゆる地震学者もあまり信用できないと思っている。
例えば地震予知連絡会が2005年に発表したところでは、「30年以内に大地
震が起きる確率」の予測が、伊豆半島から四国に到る東海、東南海、南海に集中
(26%以上)し、宮城は3~6%、福島は0・1~3%の確率でしかなかったので
ある。 それに今回おどろいたのは、大震災発生直後の3月15日から、海洋開
発機構によって関東~東北沖に、海底地震計39基の設置が急遽開始されたとい
う報道である。東北の沿岸では、2006年7月以降だけで3回も、震度5~6
強の予兆となる地震が発生していたのに、いったい何をしていたのか。泥縄も過
ぎる話ではないか。

 さて、これからの課題である。当面緊急の対策や復旧の課題については、例え
ば元原発設計者の大前研一氏がユーチューブ(動画)で語っている。責任逃れのた
めか、テレビで楽観論を繰り返すだけの学者先生たち(原発推進派)とは違って、
大前氏の説明や提言には説得力があると思う。私はここで、そこから先の「脱原
発」を基本とするエネルギー政策の転換について考えてみたい。

 原発の安全神話は崩れてしまった。原発依存のエネルギー政策を持続すること
はもはやほとんど不可能である。稼働中のものも含めて、一日も早く原発依存の
時代に幕を下ろすことを日本国民はもとより世界中の世論が求めるようになる。
ならば、代替エネルギーの創出は可能か。これが今日の時代のさし迫った問いか
けである。
 
  すでに太陽光、風力、地熱、バイオ、燃料電池などコジェネレーション・シス
テムの研究と利用は多くの国々で進んでいる。いずれも重要なテーマであり、推
進の施策を特段に速め、強めるべきである。私はここで、その一例として燃料電
池の開発・利用を取り上げてみたい。燃料電池には大小さまざまなタイプがあ
り、携帯電話や自動車、家庭用発電機などでは一部商品化されている。現状はま
だ規模、発電効率、コストなどが隘路になっているといわれるが、すでに火力発
電所の代替施設とする試みも進んでいる。

 例えば東電は、五井発電所に設置した燃料電池で1991年に出力1万1000Kw
を実現しており、中部電力は、2002年に廃棄物ガス(廃材やプラスチックな
ど)を利用した燃料電池の試作に成功している。それらの特長は、稼働中に排出
するのは水(H2O)が基本であって、放射性物質はもとよりCOなど有毒ガス
の心配もないことである。 そんなに以前から燃料電池の研究が進み、電力会社
だけでなく石播、東芝、三菱など日本の代表的メーカーたちも期待して開発に手
をつけてきたのに本格的普及が遅れたのは、エネルギー源を原子力に求めること
が国策とされ、他の方策を軽視して集中的に推進されたからである。歴史的に重
大な選択の誤りだったと言わなければなるまい。

 原発のメリットとして、ランニングコストが相対的に安価だとされているが、
放射性廃棄物の最終処理のコスト、方策、場所の困難まで考えれば、今回の事態
を離れてみても、決して「安価」などではありえない。他方、燃料電池のコスト
や規模の問題も現状はまだネックなのかもしれないが、私は、これまで原発に注
ぎこんできた莫大な予算と技術者の集中を転換することによって、十分な効率で
解決できるに違いないと思う。

 限られた地域への原発の集中を早急にやめ、燃料電池を軸にしたコジェネレー
ション・システムを全国的に分散配置する施策を急ぐべきである。
  とりわけ、東北地方の復興ビジョンの中で工場や地域を単位にして、それぞれ
の生産環境やニーズに応じたコジェネレーションの構築を位置づけ、国の強力な
支援のもと、エネルギー源と産業の再配置計画を推進すべきである。そのネット
ワークが整うにつれ、「ニュー東北」の鮮やかな再興も期待できるはずだ。これ
が当面火急の課題ではないか。

 もちろん東北だけではなく、柏崎や浜岡のように活断層の上に立地したり地震
予知で危険度が高いとされる原発から優先して廃止し、また全国的にも、地方・
地域を重視して日本のエネルギー源と産業配置の再編を急ぐべきであろう。その
ことこそ地方主権原則の具現化にほかならないのである。

 報道(4月7日、朝日)によれば、政府の中央防災会議は、駿河湾から西に伸び
る南海トラフ沿いで、今世紀前半にも東海、東南海、南海が連動する巨大地震の
「恐れが高まった」として、今年度内にも被害想定を見直すという。まさに非常
事態である。 政権が過去のいっさいの経緯にとらわれず、安心・安全な新しい
日本の展望を提示する日を、国民は固唾を呑んで待望している。

 (付記、この小論はかつて脱原発政策を勉強した仲間たちとの議論を想起して
記述したものです。また、中国科学院が最近、安全でクリーンな原子炉としてト
リウム溶融炭酸塩炉の開発に乗り出したことを久保孝雄氏から教わりました。3
~40年かけての長期計画で課題も多いようですが、私の問題意識も含め、専門
的知見による検証を待ちたいと思います)

(筆者は元横浜市参与)

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