「政府・沖縄」関係、重大な局面に」

「政府・沖縄」関係、重大な局面に」

                          
長元 朝浩


 怒濤のような1年だった。
 沖縄の戦後史は社会運動の歴史だといわれるが、仲井真弘多知事が名護市辺野古の埋め立てを承認した2013年12月から、衆院選の行われた2014年12月までの1年は、大人しく控えめな沖縄の人々が怒りのあまり狂いそうになるぐらい憤怒の感情をたぎらせた1年だった。それでも沖縄の人々は暴力を排して非武装抵抗を貫き、思いの丈を選挙にぶつけた。代議制民主主義を信じて。

 名護市長選、名護市議選、県知事選、県議会議員補欠選、衆院選—。米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を争点にした選挙が、今年だけで5回行われた。そのいずれの選挙でも「辺野古に新基地はつくらせない。これ以上の理不尽な基地押しつけを許すわけにはいかない」と主張し、移設計画の見直し・撤回を求めた移設反対派が勝利した。とりわけ、11月の県知事選と12月の衆院選沖縄選挙区の結果は、1996年の返還合意以来、紆余曲折を重ねてきた普天間問題に決定的な影響を与えることになるだろう。

 衆院選後の会見で安倍晋三首相は「名護市辺野古への移設が唯一の解決策という考えに変わりはない」と強調した。選挙のたびに政府は「(選挙の)結果と関係なく粛々と進める」と語り、反対派の動きを牽制してきた。

 ここに一つの政治的構図が出来上がる。政府が強硬姿勢を示せば示すほど、沖縄側の反発が強まり、選挙で移設反対派が勝利する、という対立拡大の構図である。この構図の下では、解決は遠のき泥沼化が進む、だけである。

 11月の県知事選で、辺野古移設反対の公約を掲げて立候補した前那覇市長の翁長雄志氏は、辺野古推進に転じた現職の仲井真弘多氏に約10万票の大差をつけて当選した。
 翁長氏を当選させ勢いに乗る移設反対派は、12月の衆院選で、四つの選挙区に4人の候補者を立て、すべての選挙区で自民候補を破った。自公あわせて衆院定数の3分の2を獲得し圧勝した与党は、唯一、沖縄の4選挙区で完敗したのである。安倍政権の施策に対し、明確にノーの意思表示をしたのは全国で沖縄だけだったのではないか。

 知事選と衆院選沖縄選挙区。この二つの選挙結果は衝撃的である。経済振興で一定の成果を上げたにもかかわらず、現職の仲井真氏はなぜ、かくも無残な敗北を喫したのか。衆院選沖縄選挙区で全国と沖縄が極端に対照的な結果になったのは、なぜなのか。

 最も大きな理由は、知事も国会議員も選挙公約を破ったからである。普通の選挙公約であれば、公約を絆創膏のように貼り替えても、有権者は今回のような激烈な反発を示すことはない。だが、県民の権利を脅かし、尊厳を傷つけ、傷口に塩を塗るような公約変更があれば、有権者は黙っていない。

 仲井真知事と沖縄選出国会議員の公約転換は、県内の有権者にかってない反応を引き起こした。
 1年前の二つの映像が多くの県民の脳裏に鮮明に焼き付いている。
 2012年の衆院選で、党本部の公約とは異なる「県外移設」のローカルマニフェストを掲げて当選したにもかかわらず、党本部の圧力と恫喝に屈し、公約を転換した国会議員。石破茂幹事長は昨年11月25日、5人の県関係国会議員を従えて党本部で記者会見した。表情をこわばらせ、終始、うつむき加減の国会議員は、琉球処分官に捕らわれ、恭順の誓いをたてさせられた琉球王府高官の姿を連想させるものだった。

 沖縄の人々にとっては「不届き者を征伐したぞ」という幻聴が聞こえてくるような屈辱的な場面であった。

 それに輪をかけて沖縄の人々の怒りをかったのは、昨年12月25日の仲井真知事の言動である。官邸で安倍首相と会談し、沖縄振興策について説明を受けた仲井真氏は「有史以来の予算」だと持ち上げ、「驚くべき立派な内容を提示していただき、県民を代表して心から感謝申し上げる」と最大級の賛辞を連ねた。会談後、記者団に対し、「前へ進み始めた実感がある。これはいい正月になるなあというのが私の実感だ」とも語った。

 「メリークリスマス」「ハブ・ア・ナイス・バケーション」。仲井真知事は記者団に笑顔で声をかけ、官邸を後にした。仲井真知事が名護市辺野古沿岸部の埋め立てを承認したのはそのわずか2日後、2013年12月27日のことである。

 体が不自由で入院していた沖縄の「おばあ」は、病床でニュースに接して怒り心頭、「タッピラカセー」と叫んだ。「タッピラカス」というのは、押しつぶす、という意味の島くとぅば。ぺしゃんこにして痛い目にあわせてやれ、という意味である。県立施設の長でありながら、長文の知事批判を地元紙に投稿した人もいる。激励の電話がその人のもとに殺到した。

 仲井真知事は官僚得意のレトリックを駆使して公約を撤回したつもりはないと抗弁し続けたが、県民には、そういう抗弁自体が県民を欺くものと映った。
 仲井真知事はなぜ、この時点で重大な失敗を犯したのか。

 仲井真知事は常々、「国とは争わない」という政治信条を口にしていた。政府上層部との密室交渉ですべてを決めてしまう独断専行の手法も県庁内では有名だった。基地問題を早めに解決してライフワークの経済振興に取り組みたい、というのが知事の本音であった。そこへ安倍政権が誕生し、菅義偉官房長官との間に水面下のパイプができ、埋め立て承認に向けたシナリオが作られたのである。ほとんどの県幹部はカヤの外、だった。

 仲井真知事はこれまで、慰霊の日の「平和宣言」で、「一日も早い普天間飛行場の県外移設、そして、日米地位協定の抜本的見直しなどを強く求めます」と語っていた。平和宣言は、戦没者を追悼し、平和への思いを新たにする厳粛な誓いである。沖縄では特にそうだ。それを事前説明もなしに破り、今年の慰霊の日には、あっさり文言を変更し、何一つ心のこもらない「言い訳」の平和宣言にしてしまったのである。

 今年の9月20日、辺野古の浜で大規模な県民集会が開かれた。北谷町に住む91歳の安和美智子さんは「いてもたってもいられず、急きょタクシーで現場に駆け付けた」のだという(21日付琉球新報)。報道によると、安和さんは戦前、父親のいる満州に渡り、そこで終戦を迎えた。「今でも沖縄の人はばかにされていて、差別が続いているんじゃないか。あのころと同じだ」。

 糸満市摩文仁で開かれた慰霊の日の追悼式典で、沖縄戦を体験した遺族から多く聞かれたのは、「また戦争が来るのではないか」という不安だった。

 知事選、衆院選で移設反対派が完勝した背景には、こうした事情が横たわっている。本土の若い記者は沖縄に取材にくると、いつものくせで「落としどころはどこですか」と聞いたりするが、そんな底の浅い話ではないのだ。

 両選挙とも、単なる選挙ではなく、沖縄独自の歴史とアイデンティティが選挙の主役であるような、かつてない選挙だった。そこに分析のいかりをおろすことなく、これまたいつものパターンで敗因勝因を語るのは、あまりにも表層的だといわなければならない。

 移設反対派完勝の背景には、もう一つ見逃せない変化がある。沖縄社会の地殻変動ともいうべき住民意識の変化である。

 96年の普天間返還合意以来、沖縄では、おびただしい回数の集会、シンポジウム、講演会、討論会などが開かれ、この十数年間、地元紙はそれこそ連日、基地問題を取り上げ、特集してきた。辺野古問題をめぐる住民意識に目に見える形で変化が現れ始めたのは2009年に民主党政権が誕生してからである。翌2010年の知事選のあと、一文を草した作家の大城立裕さんは、こう語っている。

 「おかしな、というか腹の立つことである。日米安全保障のための基地なら、全国で共同責任を持つべきなのに、なぜ沖縄だけの負担なのか、という単純素朴な不平が消えないのである」

 「米軍基地が沖縄だけに過重にあって当然、という風潮が全国にはびこっていて、これは「抑止力」のためというが、この「抑止力」には批判もあるのに、本格的な議論が生まれない。沖縄は日本にとって国内軍事植民地にすぎない、という自覚が沖縄に生まれても、不思議はない」

 大城さんの危機感は、おそらく多くのウチナーンチュが共有している意識である。大城さんは、「(沖縄は)『祖国』に絶望しかけている。民族の危機とはいえまいか」とも書いている。

 詩人の川満信一さんが1980年代に起草した「琉球共和社会憲法」の試案が時を隔てて再び、内外から注目を集めるようになったのも、琉球民族独立総合研究学会が設立されたのも、自己決定権を奪われた現在の政治的境遇への批判の現れ、だというべきだろう。

 住民意識の変化にはさらにもう一つの側面がある。
 「海兵隊の抑止力」や「尖閣へのオスプレイ投入」「基地経済への依存」「普天間の固定化」など、辺野古移設を促すために流布されたさまざまな言説が、この十数年の間に問い直され、根拠の乏しい仕組まれた情報であることが明らかになったことだ。

 安倍首相は辺野古移設を「唯一の解決策」だという。だが、なぜ、「唯一」だといえるのか、なぜ、佐賀空港ではだめなのか、米国が密かに準備しているといわれる別のプランをなぜ、検討しないのか。政府はこれらのことを科学的、具体的に明らかにし、説明責任を果たす義務があるにもかかわらず、それをやっていない。辺野古が進まなければ普天間が固定化されるという物言いは、かって仲井真知事が指摘したように「堕落」というほかない。

 二つの選挙を経て、沖縄と政府の関係は、緊張をはらんだ重大な局面を迎えている。埋め立て工事を強行して決定的な対立に発展するか、それとも、選挙で示された沖縄の民意を尊重して移設計画の見直しに動き出すか。安倍政権が自ら率先して計画見直しに動くことは万に一つも考えられない。沖縄にもその期待感はない。

 翁長新知事は、専門家をまじえた検証チームを組織して仲井真前知事の埋め立て承認に法的な瑕疵がないかどうかを調べるという。「撤回」や「取り消し」などの処分が可能だと言われているが、その場合、政府が知事を訴えるのは確実だ。

 大田昌秀元知事は、未契約米軍用地の強制使用手続きの一つである代理署名を拒否したため政府から訴えられ、最高裁で敗訴した。今回もそうなる可能性が高い。しかし、だからといって、「撤回」も「取り消し」もせず、工事の進行を止められなければ、支持者から厳しい批判が出るのは確実である。困難な判断になるのは火を見るより明らかだ。

 私たちは今、二つの、対立する事実に向き合っている。一つは、衆院選で「1強体制」を固めた安倍政権と、移設反対の強固な民意に支えられた翁長県政の対立。もう一つは、公有水面埋立法に基づいて取得した埋め立て工事のお墨付きと、選挙を通じてそれを否定した民意の対立。

 この時点で明確に言えるのは、政府と沖縄の全面対決は、国民としての一体感をずたずたに引き裂き、日米関係を著しくぜい弱にする、ということである。そうなった場合、その責任はあげて日本政府にある。なぜなら、沖縄の人々は政策決定のプロセスから除外され、結果だけを一方的に押しつけられているからである。

 基地の存在は、地域社会に深刻な影響を与える。基地建設の際、地域の同意を得るのはあまりにも当然の前提だ。

 政府が民意を無視して強引にことを進めれば、県内において全面的な基地撤去運動に発展する可能性がある。国連への訴えなど国際社会への働きかけも活発化するだろう。

 ここではっきりさせなければならないのは、沖縄の大多数の人々は、現在、辺野古移設計画の断念、普天間の危険性除去を主張しているのであって、嘉手納基地の全面撤去を求めているわけではないということだ。沖縄の最大公約数的要求は、沖縄の長い差別と犠牲の歴史からすれば、きわめてささやかな要求に過ぎないのである。
     (筆者は沖縄タイムス専任論説委員)
略歴;
長元 朝浩(ながもと・ともひろ)
1950年、那覇市生まれ。74年沖縄タイムス入社。
編集委員、学芸部長、九州大学助教授(派遣)、編集局長、
東京支社長、取締役論説委員長などを経て現在、沖縄タイムス
専任論説委員、沖縄国際大学非常勤講師。


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