「日本社会党―組織と衰亡の歴史」

■書評

岡田一郎著 『日本社会党―その組織と衰亡の歴史』新時代社、2005年

評者 木下真(東京大学法学部客員研究員・県立高知短期大学助教授)
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 「55年体制」を分析するうえで、一方の主人公であった社会党に関しては、これまで研究書は多いとはいえなかった。しかしながら近年、政治学者の間で社会党をめぐる研究書があいついで刊行された*(1)ことは、社会党研究が着実に進展し、一層厚みを増してきていることを示している。

 そうした状況での岡田氏の本書は、戦前の無産政党から2004年までの社会党(及び、社民党)を総覧するという、実に野心的・大胆な試みであり、若い研究者のこの意欲には敬意を表したい。

 これで、社会党研究もより充実したことは間違いない。これまで、社会党に関してはこのような概説史は、党が刊行した『党史』を除いてなく、携帯できるものとしては、初めての画期的な書である。

(1)福永文夫『占領下中道政権の形成と崩壊』(岩波書店、1997年)、 [#a4c6f45e]
五十嵐仁『政党政治と労働組合運動』(御茶の水書房、1998年)、
新川敏光『戦後日本政治と社会民主主義』(法律文化社、1999年)、
原彬久『戦後史のなかの日本社会党』(中央公論新社、2000年)、
森裕城『日本社会党の研究』(木鐸社、2001年)等。

著者の岡田氏は、弱冠31才であり、著者によれば、「本書は、筑波大学大学院社会科学研究科に提出した博士論文「日本社会党と戦後政治―日本社会党研究序説―」に大幅な加筆・修正を加えたものである」。岡田氏は、「労働組合と政治・政党研究会」の立ち上げに参加、2003年7月には「戦後期社会党史研究会」を立ち上げ、ほぼ毎月、社会党関係者からの報告を継続して聴く機会を作り出しただけでなく、国会図書館への調査、さらには、個人的な聴き取り調査も精力的に実施している。今後、着実に学会に貢献できる新進の社会党研究者である。

本書は、5つの章と「はじめに」、「おわりに」からなり、時系列に社会党史を記述している。無産党から扱っている第1章「労組依存体質の形成」、西尾派の離党問題を中心に論じた第2章「党改革運動のはじまり」、江田派と佐々木派の対立を中心に論じた第3章「構造改革論争から派閥抗争」、と進み、さらに、第4章では「連合政権の模索」と題し、社公民路線を中心に分析し、最後に第5章「「日本社会党」の終焉」では、1986年以降の動向を論じている。

本書の特質は、章、節だけでなく、(今、仮に「項」とすると)「項」ごとにタイトルをつけている点である。これは岩波新書等が早くから始めたことで、読者にとってわかりやすいだけでなく、内容の検索も容易になり、見習うべき点といえよう。

とりわけ、本書の特徴(特長)は、緻密な聴き取りによって得られた構造改革論争にかかわる社会党内の駆け引きを細かく描写していることである。本書によって、当時の党内の動向が一層鮮明になったことは間違いない。著者は、先述の研究会を継続しており、今後、新たな証言が得られれば、さらに充実した「構革史」が描かれることだろう。

歴史を書くことは難しい。かつて藤田省三も述べたように、特に、現代史は難しい。関係者が生存しているからというだけでなく、著者が研究対象に対する「思い入れ」から、どうしてもフリーになれないからである。政治史、経済史、社会史、いずれもそうだろう。加えて、我々は「結果」を既に知っている。だから、困難なのである。

結果を知らなければ、どれだけ政治過程の分析が「冷静」にできることであろう。社会党に関して言えば、われわれはその衰退の過程をつぶさに見てきた。まるで母校がなくなるような気持ちを持っている者も少なくないだろう。対象との距離の取り方には細心の注意を要する。

本メルマガの読者の方々は、党史に関しては熟知されていると思われるので、本書の要約は割愛し、今後の社会党研究の重層化のために、ここでは本書に含まれる問題点を検討したいと思う。

評者(=木下)が読んでいて最も気になったのは、頻出する社会党への「苛立ち」を表す表現である。「はじめに」において著者自身が次のように述べている。「読者の中には、本書が社会党の意義をいたずらに軽視し、社会党の欠点ばかりをあげつらっていると感じる方がいるかもしれない」(p.ix)。

また、「本書では、社会党を貶める意味ではなく、社会党の過去を反省し、将来再び台頭するであろう社会民主主義力の教訓とするために、あえて社会党の負の側面にも触れていこうと思っている」(p.x)。これらの意図は十分伝わるが、問題は言葉の選択だろう。

例えば、「社会党は三池争議の解決になんの力を発揮することができなかった」(p.78、15行目)、「ただでさえ弱い末端の組織はますます弱くなった」(p.95冒頭)、「相変わらずの組織力の弱さ」(p.102、下から13行目)、「社会党の運営は相変わらずでたらめなままだった」(p.105、9行目)、「暴露戦術に頼りきっていた」(p.108、下から7行目)、「自ら社会党の存在感を薄くするような行動に明け暮れた」(p.200、11行目)*(2)のような表現はいささか言い過ぎではないだろうか。

たとえ事実だとしても、結果を知っているから書ける(感情的な)表現に属すると思われる。評者もついうっかり用いてしまう言葉ではあるが、他の言葉に置き換えた方が学問的であろう。現代史において、「学問的禁欲」をすることが困難なことは著者も重々承知をしていると思われるが。

次に、行論の仕方として、「~払わされることになる」(p.43、本文最終行)、「~印象づかせていくことになる」(p.62、下から7行目)、「~激しく対立していくことになる」(p.91、24行目)、「~公明党に発展し、社会党に脅威を与える政治勢力へと成長していくことになる」(p.104、6行目)、「~はかっていくことになる」(p.191、下から5行目)等の表現も頻出する。

これらの表現は、講談調で、学術論文には適さない表現だと評者は考える。結果を知っている著者は先を急ぎたくなるもではあるが、(その先をしらない)読者は先に結果がわかってしまってつまらないのではないだろうか。

(2)その他にも以下のような表現は適当とは思われない。「中国にたいする主体性のなさ」(p.62、下から8行目)、「長年の党の病弊が克服されるはずもなかった」(p.119、18行目)、「活動家の待遇も相変わらず」(p.119、下から7行目)、「精細を欠く候補者」(p.121冒頭)、「無為無策に過ごしてきたつけ」(p.133、3行目)、「社会党の民間労組にたいする無為無策」(p.133、12行目)、「さまざまな病弊の影響」(p.134、下から2行目)、「あいもかわらぬ派閥対立」(p.138下から3行目)、「社会党の地方自治にたいする認識はあまりにも低かった」(p.145、15行目)、「社会党の支持票へと結集させることなどできるわけはない」(p.150冒頭)、「4年間、社会党は何をしていたのだろうか?」(p.150、下から4行目)、「急に地域問題に取り組むよう指示してもうまくいくはずもなかった」(p.170、下から10行目)、「俗受けを狙った軽い内容」(p.184冒頭)「~ようやくイラクを訪問するありさまであった」(p.192、9行目)、「過信があったとしか思われない」(p.193、11行目)、「地方選挙は生易しいものではなかった」(p.193、下から7行目)。

また、筆者が精力的におこなった社会党関係者へのインタビューをもう少し活かしてほしかった。あまりに生々しくて活字にはできなかったのであろうか。これまでの資料・史料からは知り得なかった新事実がもしあれば、本書のオリジナリティーは確実に倍増したことだろう。今後の成果を期待したい。

さらに、「はじめに」で紹介されている五十嵐仁氏による社会党衰退要因の類型化によれば、著者自身は、「組織・活動説」に属する(p.viii)というが、であれば、問題史として、なぜ社会党は衰退したのかについて、党組織に絞って(1章使って)まとめて理論的分析をする方が説得力がある。

その点からいえば、(通史に力点を置いたためか)派閥抗争と党組織と(党の衰退と)の関係が(理論的には)やや説明不足であるように感じられた。それを勘案すると本書のタイトルは、『日本社会党通史』の方が妥当ではないだろうか。

以上の問題点を含みつつも、若い研究者のこの業績は、これまで誰もなし得なかった日本社会党結党以前から現在に至るまでの通史に挑戦したものであり、その意気込みだけでも高く評価されるべきものである。評者も経験したが、社会党史を書くことは難しい。それは、衰退という事実を目の当たりにしたことによるだけでなく、社会党から離れていった有権者との関係の研究を抜きには語れないからであると考える。

著者には、今後、この難題に挑戦してほしいというのが評者の希望である。

以下は、印象だが、本書は、研究者のみならず、大学に入って戦後史を、特に社会党史を勉強したいという学生にとっても有益だろう。私も仕事で学生と接すると、現在の大学生が物心着ついた頃の首相は、驚くことに村山富市や橋本龍太郎なのである。

そういう学生に、平易な記述で、約80年の社会党史を総覧した本書は、自信をもって推薦できる好著といえよう。また、既に「社会党って何ですか?」という質問も実際に受けたことがあり、20歳前後の者にとっては、社会党は既に過去の遺物なのである。そのような若者には、2200円という入手しやすい値段である本書は、政治学専攻でなくても必読文献であるといえよう。

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