「横井小楠―維新の青写真を描いた男―」徳永 博著

■書評:

「横井小楠―維新の青写真を描いた男―」 徳永 博著   新潮新書定価 680円(税別)                    鶴崎 友亀

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本書は横井小楠の生涯を扱った伝記である。筆者は熊本生まれの同郷人。銀行に勤務の傍ら長年、小楠に関する資料を収集し、その業績の研究、顕彰活動を続けている。

筆者は「横井小楠ほど不遇な人間はいない」といっているが、たしかに幕末維新期に活躍した人物の中で、西郷隆盛、坂本龍馬、勝海舟らにくらべると知られていない。だが、小楠はこれらの人々に絶大な影響を与えた「陰の指南役」として「小楠を抜きに維新はありえなかったと言っても過言ではない」とさえいっている。それを証明するのは小楠が幕府に提出した「国是七条」と福井藩に提出した「国是十二条」が、坂本龍馬が作成した「船中八策」と「新政府綱領八策」の下敷きになり、また由利公正が起草した「五か条の御誓文」もその影響を受けてる。

明治新政府の政体は、ここから構想されたのである。
さらに小楠と交流のあった人々の語った言葉には、幕末維新の英傑たちがこぞって小楠を師と仰ぎ、一目置いていたことがわかる。

勝海舟は「氷川清話」の中で「おれは、今までに天下で恐ろしいものを二人見た。それは、横井小楠と西郷南洲とだ」「横井の思想を西郷の手で行われたら、もはやそれまでだと心配していたに、果たして西郷は出て来たワイ」と語っている。

坂本龍馬は「西郷や大久保たちがする芝居を見物されるとよいでしょう。大久保たちが行きずまったりしたら、その時、ちよいと指図してやって下さい」と小楠に語り、吉田松陰は「ぜひ萩に立ち寄って藩の君臣を指導してほしい」と懇請しているし、高杉晋作さえも「小楠を長州藩の学頭兼兵制相談役に招きたい」と久坂玄瑞に相談している。

小楠は文化6年{1809}熊本藩士の三男に生まれ、藩校「時習館」で朱子学を学び、藩命で江戸に遊学、藤田東湖や川路よしあきららと交わり、帰国して実学党を結成し、藩政改革を試みるが、藩内主流派の反撃を受け失敗。私塾「小楠堂」を開く、のちに諸国を遊歴し、吉田松陰、橋本左内らと交わり、福井藩の藩主・松平春嶽に招かれ政治顧問となる。万延元年{1860}、「国是三論」を著わし、開国通商、殖産興業による富国強兵を提唱。春嶽が幕府の政事総裁職に就くと、その顧問として幕政改革や公武合体の推進に努力する。その後、失脚して熊本に閑居を余儀なくされるが、その間も坂本龍馬らの訪問を受けるなど、多くの志士たちに影響を与える。維新後には新政府の参与になるが、一年たらずの明治2年(1869)正月に京都で暗殺される。

小楠の主張は「日本を共和一致の平和な国家にしなければならない」とした。これが明治新政府の目指した政体そのものであった。小楠は政体の構想だけでなく、国のあり方として高い理想を掲げ、現実に根差した柔軟な対応を説いている。

小楠はアメリカに留学させた二人の甥に次の言葉を送っている。「堯舜孔子の道を明らかにし西洋器械の術を尽くさばなんぞ富国に止まらんなんぞ強兵に止まらん大義を四海に布かんのみ」

ここに表明されるように、小楠の唱える富国強兵は単なる西洋文明の輸入ではなかった。西洋文明の行き着く先は「覇道」であり、日本の歩むべき道は「王道」である。覇権でなく「仁義」に基づいた「富国強兵を超えた理想国家」となって世界に役立て、と説いた。幕末の混沌とした時代に、このような未来を構想する思想家がいたことは瞠目すべきであろう。

小楠の思想の根底に朱子学がある。西郷隆盛を含め幕末志士たちは朱子学から学んでいる。それは、あらゆる言動の根源には道義・道徳がなければならない。したがって政治的には「道義に基づく理想政治」を目指すことになる。政治は支配の技術である。政治権力を行使する者は、特別の道義性が要求される。現代日本はやたら私利私欲を追い求める政治家が多すぎる。明治維新における政治家の清廉潔白さは、もつて「他山の石」とすべきだろう。

もう一つ特筆すべきは、小楠の影響は死後に長く行き続けたことだ、小楠塾の弟子たちが熊本の近代史をつくり、さらにその子孫の徳富蘇峰・蘆花兄弟をはじめ海老名弾正、横井時雄、北里柴三郎らのほか、小楠の志を継いだ多くの女性がいた。竹崎順子、矢島楫子、海老名みや子、横井玉子、嘉悦孝子らである。殻らは教育、言論、医学、社会改革の分野で日本の近代史を彩っている。

西洋文明の限界が問われ、東洋文明の叡智が求められ、世界共和の思想が環境問題とともに浮上している今日、小楠の思想と行動が再評価されるべきであろう。

                          評論家 鶴崎友亀

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