「民主主義の進むタイ」

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「民主主義の進むタイ」 

                          
                            松田 健
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 筆者は団塊の世代の元新聞記者で、この12年間は、年の半分以上をアジア各
地にいながらフリーライターをしています。

 大学紛争時代に大学生だった筆者は、通っていた上智大学がロックアウトで一
時閉鎖された頃、自宅が神奈川県にあった関係から、米軍座間キャンプでベトナ
ム戦争の休暇兵のガイドというアルバイトにありつけた。しかし米国兵(GI)
の世話ではなく、国連軍の休暇兵として座間キャンプに休暇にやってくるタイ人
の兵隊(主に将校クラスと軍曹クラス)や軍属に対し東京近辺での日帰りツアー
のガイド役のアルバイトで、筆者のアルバイト代(1時間1ドル=360円と当
時の学生アルバイトでは考えられないほどの高給だった)や観光ツアーのすべて
の経費は米軍を通じて支払われていた。
 そしてこのアルバイトを数年間続けてから、日刊工業新聞に途中入社して新聞
記者となり、85年以降のアジア担当の時にはタイをたびたび訪問、今もタイの
バンコクを拠点にアジア各地に出かけている。少なくてもこれまでに500回以
上タイに出入りしている。
 
 このようなタイとの長年の付き合いの中で、タイは東南アジアの優等生と言
われるほどの大きな経済成長、とりわけ80年代後半から97年の金融危機まで
は、タイが後進国から急に先進国になっていくといった感じも受けてきた。タイ
がミャンマーなどの周辺諸国と異なっているのは、もとは軍事政権だったにも関
わらず、民主化の面でもタイは大変貌を遂げたことだ。
 
 タイには年に100万人の日本人観光客が訪問し、2000社を超える日系企業が
操業していることからもこの読者の中にもタイをよくご存知の方も多いでしょ
う。タイの人口は約6,000万で首都バンコクに600万が住んでいるが、バンコ
クには短期も含めると約6万人の日本人が住んでいると推察されるので、100人
に1人が日本人という多さである。
 神聖不可侵で国軍を統帥するタイのプミポン国王(ラーマ9世王)は1946年
即位、1988年7月からタイで在位最長の国王として記録を更新し続けている。
タイで名君の誉れが高いプミポン国王は2005年12月5日に78歳を迎え、06
年6月には国王に即位してタイ史上最長の60周年になる。そこでこの6月には
タイで盛大にこれを祝うが、日本の天皇、皇后もこの式典に参加することが06
年1月に決まった。

◆長期政権になると見られていたタクシン政権に暗雲

 タクシン首相(Thaksin Shinawatra)は2001年2月9日に連立内閣での首相
に就任しており5周年となったが、バンコクでは反タクシン運動が盛り上がって
おり、とても5周年を祝える状態ではなかった。タクシン政権は、少なくても
2005年11月までは、タイのほとんどの人が、もちろんタクシン首相自身も、現
政権は少なくても今後10年間は続く長期政権になると考えられていた。
 
 それは、05年2月6日に行なわれた下院議員選挙で、与党であるタイ愛国党
(Thai Rak Thai)が7割以上の374議席を取得、タイ憲政史上で初の単独
政権を樹立したタクシン政権は圧倒的だったからだ。しかしこの政権が揺らぎ始
めたのは、昨年後半から、「史上最悪の汚職政権」などのレッテルが反対勢力か
ら貼られたからで、毎週開かれる集会では『タクシン出て行け』の合唱が続いて
いる。タイのテレビや新聞などで見かける最近のタクシン首相はどこか元気と笑
顔が無くなり深刻な顔をしている。
 
 2005年12月13日付タイの有力英字紙である『ザ・ネーション』の1面トッ
プは、「終わりの始まり(Beginning of the end)?)という見出しで、難
問が山積するタクシン氏の漫画を載せ、「当初は誰もが長期政権になると予想し
たが、そう長くはない」と予測する記事を1面トップに掲載した。
 そして2006年2月3日、タクシン政権で女性大臣だったウライワン文化大臣
(Uraiwan Thienthong)が「政治倫理を守りたい」、として辞表を提出した。
翌4日にはソラート(Sora-at Klinpratoom)情報通信技術大臣も辞職、他の幹
部も辞表を出す動きにあるなど、身内である与党の閣僚からもそっぽを向かれて
始めている。

◆仏教国で愛国心高いタイ

 タイはきわめて熱心な仏教国であり、ギャンブルなどでタイの文化が乱れるこ
とに対しては極めて厳しく向き合う勢力が存在している。かつて日本の煙草のマ
イルドセブンがパッケージにバンコクで最も有名な観光地である『エメラルド寺
院』の写真を使ったことで仏教界から大きな反発を受け、即時販売停止して回収
破棄されたこともあった。煙草に王室とも関係が深い寺院の写真を使うなどもっ
てのほか、というのが反対理由だった。
 
 最近では「チャーン」というタイのビールを製造するタイ・ベバリジ社がタイ
証券取引所(SEC)に上場する計画に市民団体が大きな反対運動を続けている。
飲料アルコールの会社が上場するなどは、タイでは「トンデモナイ」という理論
がまかり通っている。タクシン政権ではタイの証券市場の活性化のために、同社
の上場を期待しているのは間違いないと思えるが、現在は政府への批判がこのこ
とでさらに高まるのを恐れて、タクシン首相はこの問題にもまったくコメントで
きないでいる。そこで純タイ企業であるタイ・ベバリジ社はタイの上場を諦めて
シンガポールで上場する方針。
 
 タクシン氏が1代で築き上げた通信企業を外国に売ったことは、その企業(シ
ン社)が通信衛星を保有し電波の割り当ても含めて海外(シンガポール)に売っ
たのは国賊行為だという意識を持つタイ人が増えている。タイ国を外国に売り渡
したのも同然の行為だと非難している。これに防戦するタクシン首相は、野党が
求めているタイの憲法改正について来る4月19日の上院選挙と同時に野党から
の要望が強い『首相を罷免しやすくできる憲法を制定する』ための憲法改正を行
なえるための国民投票を実施すると語っている。これはタクシン首相の変化だが、
反タクシン勢力は「非難の矛先をかわそうとするものだ」と冷静に見ている。
 
 タイでは2006年1月21日付で通信事業法が改正され、発効したが、その中
で、『外国人の持ち株比率が25%から49%に引き上げられた』ことが盛り込ま
れた。そしてその数日後である23日にタクシン首相(Thaksin Shinawatra)のフ
ァミリーであるシナワット家保有の49.61%をシンガポールのテマセック・ホ
ールディングに売却するという発表が行なわれた。05年からウワサされていた
売却で、タイ史上で最大の証券売買のケースとなったこの取引について、記者か
ら質問されたタクシン首相は、またもや「関係ない」の一言だけで否定し、具体
的な説明をしなかった。
 
 タクシン政権反対の大集会が開かれた06年2月4日には、バンコクのシンガ
ポール大使館前では他の活動家が上記の契約は「タイをシンガポールの植民地化
させる」契約だとしてその凍結を求めた抗議活動も行なわれた。
 タクシン首相一族が保有しているタイの携帯電話最大手であるAISや衛星
通信、航空会社、ケーブルテレビなどの持ち株会社であるシン・コーポレーショ
ンの49.6%の株をシンガポール国営の投資会社であるテマセクなどに733
億バーツ(約2,200億円)で売却した。これについてタクシン首相は、「世間の
雑音から離れて政治に集中するため」と説明した。
 
 しかしタクシン首相のファミリーは2千億円を超えるこの売却収入から付加
価値税2,500万バーツ(約7,000万円)しか支払わず、この収入に課税がされな
かったことに対しても批判が増えている。シン・コーポレーションが直接AIS
の株を販売した場合には30%の譲渡税がかかるが、タイではタイ証券取引所(S
ET)での売却によるキャピタルゲインに課税が免除されることになっている。
タクシン氏が首相になる直前にあたる2000年末時点でのシン・コーポレーショ
ン全体の市場価格は461億バーツだった。
 2005年12月頃からタクシン首相のファミリーがシンガポールに全株を売り
そうだとううわさは流れ、このうわさから同社の株価が6割以上値上がりした点
についてもインサイダー取引の疑惑がでている。

 タクシン首相は「タイでは株の売却利益は非課税。前の政権のタリン財務相が
決めたことだ」と、とやかく言われる筋合いではないとしているが、国税当局、
財務省、証券取引委員会などもタクシン首相に甘いと問題視されている。チャム
ロン元副首相はタクシンを政界に引き入れた人物ともされるが、「730億バーツ
の収入から260億バーツを貧しい人に寄付すべきだとタクシン首相に提言した」
と語っている。この額はキャピタルゲインに30%の課税がされた場合の金額に
近いもの。
 
 首相就任前である1999年5月12日、タクシン氏はタックスヘブン(租税回
避地)として知られている英国領のバージン諸島に自ら100%出資の持ち株会社
『アンプルリッチ・インベストメント社』を設立している。設立の翌月である6
月11日に自ら保有していたシン・コーポレーションの株式の約10%をアンプル
リッチに売却、後に息子のパントンテ氏と娘のピントンタさん名義に変更した。
そして2006年1月20日、アンプルリッチは店頭で1株1バーツの額面価格で
パントンテ氏とピントンタさんに株の名義変更を行なったが、額面価格での購買
は無税扱いになる。
 
 しかしこのタクシン家(シナワット家)とタクシン首相の奥さんの実家のダマ
ポン(Damapong)家では49%強を保有していた。ファミリー内部では1株1
バーツで売買されていた株はSETでシンガポールのセマテック社に49.25バ
ーツ、計733億バーツで売った。
 バージン諸島に自ら100%出資の持ち株会社『アンプルリッチ・インベストメ
ント社』の設立もタイの中央銀行の規制でも1,000万米ドル以下の投資は報告し
ないでよいとされる。しかしタイ証券取引委員会(SEC)は2006年1月30
日、タクシン首相の家族に対してアンプルリッチとの関係について説明を求めた。
上場企業の株式の5%以上の株を取得した場合はSECに報告する義務がある
がこれをしていなかった。後のタクシン首相の家庭の弁護士によると、指摘され
た後、タクシン氏の子供達は当局に飛んで行って説明したようである。

◆タイの「ホリエモン」??

 一代であっと言う間に財閥を築いたタクシン首相の経営手腕は日本のホリエ
モンに似ているところが多い。ホリエモンと異なるのは、ホリエモンが法律違反
をしているフシが多いのに比べ、タクシン首相はタイの法律にそれほど大きくは
違反していないかもしれない点である。しかしすでに副首相を経験し、首相に就
任する直前に英国領でタックスヘブンとして知られるバージン諸島(Virgin 
Islands)に自分の名義の口座を作っている。
 
 バージン諸島は金持ちや企業が税金を隠す場所であるのはだれでも知ってい
る。そんな場所に首相が口座を作っているのでは道徳心も問われても仕方ない。
タクシン首相は、首相に就任した直後も軽はずみな行動が多かった。「第二次大
戦中の日本軍が残した財宝が見つかった」という偽の情報に飛びついてヘリコプ
ターですぐに飛んだ。この場所は映画「戦場に架ける橋」の舞台として有名なタ
イ西部のカンチャナブリで、行動は早いが首相としては相応しくない行動だ。
 タクシン首相は星占いなども根拠に、長期に渡って記者会見を拒否しているの
も、一国の宰相としての資格に欠けている。また、記者会見を開いていた時でも、
答えたくない質問には『×』印の看板を記者に向けてノーコメントで押し切って
きた。
 2006年2月のバンコクでの経営者の会議でも97年の金融危機の状態から債
権国へと変貌させ、貧窮率を下げ、失業率も1.8%とほぼ全員雇用などの実績を
強調したが、この経営者との会議でも自身の5年間の経済好転の記録を強調した
が、反政府運動についてはひとこともコメントしなかった。 

◆かつての30万集会に比べてまだ迫力は欠く

 このような大集会を昨年からたびたび組織してきている中心人物が、タイ字の
日刊紙『プーチャットカーン』(マネージャーの意味)などを発行するタイ大手
マスコミのマネージャー・グループのソンティ・リムトン(林明達、Sondhi
Limthongkul)会長。毎週金曜の夕刻にバンコクの中央のルンピニ公園で、タク
シン政権の『汚職』を暴露するトーク・ショーを行なっている。ソンティ会長は
数時間にわたる演説をしたが、ジョークも多く、命が狙われる恐れもあるような
汚職疑惑についてもメモ無しでしゃべりまくって会場を沸かした。これだけ迫力
ある新聞社のオーナー、編集長は日本にいるだろうか?
 マネージャー・グループではニューヨークタイムズが発行するヘラルドトリビ
ューンのタイ版(英語)の印刷を行いその中に『タイ・デイ』という中刷りの英
語新聞も発行している。
 
 ソンティ氏は当初はタイの国営テレビ『チャンネル9』で毎週金曜に放映され
ていたトーク番組にレギュラーで出演してタクシン首相ファミリーの強権政治
や汚職疑惑などについて暴露していた。だが、この番組は政府からの圧力により
放映が突如として打ち切りになった。そこでソンティ氏はタマサート大学の講堂
でトーク・ショーを継続し2005年10月からはルンピニ公園で毎週金曜夕刻の
抗議集会を開始した。またその内容をケーブルテレビ局での同時放映を始めた。
 
 2006年2月4日、タクシン政権が2001年2月に始まって以来の大規模な抗
議集会が、ロイヤルプラザ(旧国会議事堂の隣で、ドゥーシット動物園の隣でも
ある広場)に5万人の反タクシン集会があった。翌週の2月11日にも参加者数
こそ前回より少し減り3万人と報道されている。しかし初めて大学生や労働組合、
各種団体による『民主主義のための国民同盟』が共催した。2月26日には王宮
前広場(サナムルアン)で開催されるが、10万人を集めたいと主催者側は考え
ているが、毎回参加の数は減少ぎみ。暑い国であるだけにタイ人は熱しやすく冷
めやすい性格もあるかも知れない。
 
 2月26日には初めて北部のチェンマイやコンケーン、南部のソンクラなどタ
イの全国でも同じ反タクシンの集会が開かれる。『タイでかつてない規模の参加
数にしたい』とソンティ氏は語っているが、反タクシンが多いバンコクと異なっ
て、地方はタクシン首相と愛国党の支持者が多いので、今後反タクシンの運動が
全国的に盛り上げることができるかどうかはまだわからない。
 1973年や1992年のタイの政治変動時には、30万のタイ人が集まった。この
数に比べると今回の反タクシン集会に集まっている数万の人数では迫力を欠く。
 タクシン首相は、2月4日の定例のラジオ番組(政府系ラジオ放送局だが、政
府系テレビチャンネルである11チャンネルでもすべてが同時放送されている)
で、「私を事務所から去らすことができる唯一の方は国王である。もしも国王が
“タクシン、もう辞めた方がよい”と私にささやかれたらたちどころに私は平伏
して辞任する」、と語った。最大野党である民主党のアピシット党首はこのタク
シン首相の発言に対し、「国王を政治に巻き込もうとする発言は間違いだ」と批
判した。反タクシン勢力でありながら、ソンティ氏の活動に民主党は距離を置い
ている。タクシン首相が記者会見を開かないことに対し、最大野党である民主党
のアピシット党首は「首相として失格だ」と非難している。
 
 米国などバンコクの各国の大使館ではこの集会は危険だから近寄らないよう
にとの在バンコク在住の自国民に注意を求めていたがこれまでの集会ではその
ような危険を感じることは起きていない。テレビのチャンネル7は「2万から3
万の群集」とかなり少ない参加数を報道していた。集会場で見ていると、会場に
向かう人の列も続いているが、集会が始まってすぐに帰宅する多くのタイ人も見
かけた。素人ながら筆者が感じたのは数万人だが、翌2月5日付けのタイの英文
有力紙であるザ・ネーションでは10万人集会となっていた。同日の集会で国王
への嘆願書に5万の署名が集まったというから、やはりトータルでは10万近く
が参加したかも知れない。
 
 治安当局の厳重な警備もあり、きわめて整然と開催されて危険なことはなにも
起きなかった。警察が荷物を持って会場に入る参加者全員のカバンの中身を検査
していた。日本でこのソンティ氏のような大掛かりな政治集会をすれば右翼など
もやって来て大騒動になるはずだ。
 05年12月9日に前回の倍近い8万人が集まった第11回の集会では、会場の
ルンピニ公園に行った時にはすでにソンティ氏が演説している前の方には進め
ないほどの混雑だったが、今回の2月4日は午後6時からの予定の少し前に会場
に着いたので、最前列を目指した。思いの他、まったく簡単に誰にも制止されな
いまま最前列の中心人物であるソンティ氏のすぐ側の記者席まで筆者は簡単に
行くことができた。何万人も集まっている集会の最前列には日本でだって、記者
章とかなにか特別は許可でもないと行けそうには無いがタイでは簡単なのには
驚く。かつてバンコクで開催された東南アジア首相会議の取材もフリーライター
の名刺だけでOKだったこともある。
 
 会場回りや入り口、最前列などには私服警官らしき人物も多数いて、かなりの
警備がある様子は感じたが、威圧的なものではなかった。また、バンコク都(B
MA)では警察を補助する300人の職員の派遣、移動トイレ、消防車、緊急医
療チームなどを提供した。そして集会後には元タイ首相で現在は枢密院の議長を
務めプレム氏(Prem Tinsulanmonda)の官舎にタクシン首相を更迭して欲しい
という嘆願書を届けた。

◆『私はタイ国を守るガードマン役』とソンティ氏

 ソンティ会長は中国名、林明達という華人系タイ人という点ではタクシン首相
と同じ華人。
 タクシン首相は豊富な資金を使ってタイの多くのメディアを押さえていると
言われている。もともとマスコミ嫌いのタクシン首相は2005年11月頃から記
者会見を拒否し続けている。しかしタクシン首相は、「土曜だけは運勢がよい日」
として、思い通りになるあるラジオ番組にだけは毎週出演し 前日の金曜に行な
われている以下に説明する反タクシン集会の内容のほとんどを事実無根だ、と否
定している。
 ソンティ氏は、「この活動を始めた背景はなにも隠すことはないし、隠す動機
もない。私のビジネスで利益を得ようとなどということには関係ない」という。
 かつてまだ首相ではないタクシン氏を支持したことがあった点についてソン
ティ氏は、「1997年のタイの金融危機で多くのタイ企業、ソンティ氏のマネ
ージャー・グループも多額の負債を負うことになった。このような民主党の国政
にタクシンが立ち向かえるのではないかと期待した私は間違いだった」と語って
いる。
 
 一時はタクシン首相と仲がよかったソンティ氏だが、現在では全面的に対立し
ている。 ソンティ氏は2003年末、「タクシン首相はタイ国のためにならない。
タクシン首相は反政府感情などの現実を理解できない、タクシン首相は変われな
い、と確信して」今回のようなタイ国の役に立たない首相として追求活動をする
決心をした。
 ソンティ氏らのグループでは、支持する市民は「国王陛下のために闘う」と印
刷された黄色のTシャツ着用を呼びかけている。だがタイでは黄色は王室を象徴
する色であるため、一部の軍人がいらだっている。しかしルンピニ公園の道路上
では黄色いTシャツを100バーツで販売するビジネスも見かけた。だいたいこ
のソンティ会長の主宰する大集会は同氏の新聞の発行部数を伸ばすためのもの、
という見方をしているタイ人も多い。
 タクシン首相に親しかったとされている点についてソンティ会長は、「これま
でに彼(タクシン首相)の家での昼食に招かれたこともないし、反対に私の家に
来たこともなく、彼の事務所に立ち入ったこともない。タクシン首相の子供達と
も話したこともない」などとタクシン首相のファミリーとは関係が薄いことをタ
イのマスコミに対し強調している。
 
 大学生時代にタイの学生運動の指導者で現在も評論家として知られるティラ
ユット氏は06年1月、ソンティ氏の活動への「支援」を表明し、タクシン首相
の報道の自由への侵害を批判した。ティラユット氏は「王室を引き合いに出すタ
クシン批判を止めて政治改革だけにマトを絞って、より大きな運動にして欲しい
と語っている。
 06年1月9日から10日にかけて、タクシン首相の出身地であるチェンマイで
も1万人の抗議デモがあった。同日からチェンマイで始まったタイと米国の政府
レベルのFTA(自由貿易協定)に向けた第6回交渉だった。しかしこのFTA
締結に反対するデモ隊が会場であるシェラトンホテルに押し寄せたので会議の
参加者たちは約30キロ離れたランプン県のリゾートホテルに会場を移転した。
デモ隊は、米国の農産物のタイへの輸入拡大に反対する農家で遺伝子組み換え
(GMO)作物のタイへの導入、エイズ薬の特許開放などを求めた。
 
 ソンティ氏は1997年のタイの金融危機時代、タノン財務相(当時、現内閣で
再任)が不正な利益を得た可能性について暴露した。また、タイ空港地上サービ
ス社(TAGS)のスワンナプーム新国際空港事業受注にも疑惑を指摘したこと。
05年11月の集会ではソンティ氏は煙草の生産方法さえ知らない中国企業がチェ
ンマイに建設予定の新煙草工場を落札しているのは怪しい、などとソンティ氏は
問題を提起し続けた。バンコクの一等地にある広大なタイ煙草専売公社(TMT)
の工場を閉鎖して、タクシン首相の出身地であるチェンマイに新工場を造る計画
などを明らかにしたソンティ氏の発言は各紙で大きく報道されてきた。
 
 ソンティ氏はタイの国を守るガードマンであると自称、タクシン政権ほど汚職
にまみれた政権はタイの歴史でなかったと語る。ソンティ氏はタクシン首相の実
妹がチェンマイで誕生会を開いた際に、親戚をタイ空軍機でバンコクから呼び寄
せたことなども暴露、タクシン首相は国を私物化していると追求している。これ
らタクシン政権の汚職がらみについて明らかにするたびにトーク・ショーに参加
していた大衆が大声の歓声をあげる。
 
 05年12月9日には第11回トーク・ショーが、これまで通り、バンコク中
心部にあるルンピニ公園で開いたが、この日は最大の8万人が参加した。その前
の05年11月18日の集会には5万人が参加している。毎週の週末開催を原則と
しているが、公園の会場が他の催し(国王誕生日関連など)で使えなかったりす
ると開催できない。また『タイランド・ウイークリー』とも呼ばれるこの集まり
の「第10回」はタイ東北部の高僧の呼びかけで、タクシン首相にも呼びかけて
ウドンタニで開催した。このタイ東北部のウドンタニ県のパーバンタート寺院の
ルアンタムハブア僧をサポートしている僧侶600人が東北各地からバンコクに
やってきて双方が同寺院で話しあうよう求めたが、タクシン首相は出席しなかっ
た。このルアンタムハブア僧は反タクシンで知られる僧侶。
 
 2005年12月9日の夕刻、仕事が終わって、たまたまルンピニ公園付近を車で
通行中だった私は、下車してルンピニ公園に歩いていった。ソンティ会長は、中
国の唐の時代、皇帝は反対意見を言う人を認めていたといったエピソードなどか
ら始まり、政治、汚職へと話しを広げた。汚職疑惑をめぐってスクリーンに映し
出される写真の中にはタクシン首相自身やタクシン首相の母体である愛国党の
スリヤ幹事長などが登場すると参加者から歓声がわいた。
 
 第11回集会にあたるこの05年12月9日では、2003年にバンコクで開催さ
れたAPEC会議でロシアのプーチン大統領と会見したタクシン首相は350億
バーツで戦闘機を購入する可能性について話しあった。タイのロイヤル・タイ空
軍(RTAF)はその前にスウェーデンのSAABや米国ロッキードが検討され
ていた。空軍司令官のコンサク(KONGSAK WANTANA)氏(2005年10
月に、空軍司令官からタイ内務相に就任した)はロシアの戦闘機購入の代理人を
同氏の取り巻きの中から任命、また、同内務相とタクシン夫人と同内務相夫人の
関係(ロシアから戦闘機を買うときのタイの窓口になる人の選定などを奥さん連
中で決めた疑惑)などを暴露。などなどが明らかになるにつれ、同計画は白紙に
なった。しかし「この12機の戦闘機の購入が実現したならば10%ほどのコミ
ッション(手数料)、約35億バーツ(約100億円)が支払われただろう」など
と語った。
 
 2005年12月16日の集会は前回の半数の4万人に減少し、さらに12月23日
の集会はクリスマス前ということもあり1万人に減った。ソンティ氏は同23日、
「聴衆が減ってたった1人になったとしてもトーク・ショーは続ける」と宣言し
た。地方のケーブルテレビが中継しているのでわざわざ集会に行かなくても自宅
で見ている人も多いとされる。
 さらに前回のトーク・ショーで明らかにした、ロシア製戦闘機の購入計画につ
いて「購入が見直されることになった。これでタイ国民の税金約100億バーツ
(約300億円)が無駄に使われないで済む」とソンティ氏は語った。
 2006年1月13日には今年初のトーク・ショー(第14回)が開催され約2万
5千人が参加した。しかし前の集会で名前が出されたヨンユット天然資源・環境
相の取り巻きが組織した1千人がペットボトルを投げつけたりする騒ぎがあり、
ソンティ氏は警備の責任を求めていた。この1月13日の金曜のトーク・ショー
が終えてソンティ会長らはガバメントハウス(政府庁舎)までのデモ行進を行っ
た。庁舎前ではソンティ会長を始め、タイ上院汚職追放委員会のプラティン議長
らも退陣を求める演説をした。
 
 14日の土曜の午前1時半頃、数千の群集の内の数百人の群集が敷地に入った
が数百人の警備の警官たちは強くは阻止しなかった。これは当局のワナだと敷地
内の仲間に戻るように求めたが、そのまま居残る人がいた。午前8時頃に敷地内
にいた40人ほどを逮捕したが調書を取られて即日釈放されている。
 続く2006年2月4日の土曜の夕方からロイヤルプラザでの集会では、午後7
時頃から壇上に登場したソンティ氏の演説の音頭で、タクシンは「去れ(オック
パイ)」の大合唱が続いた。ソンティ氏はこの集会前には「1973年10月14日
にタノム政権が崩壊したきっかけとなった集会を上回る規模になる」と見ていた
が、事態はそこまでの迫力は無かった。当時は軍事政権の独裁で人々は命がけで
集会にも参加していたに違いないが、ソンティ氏の集会にはどこか明るさもある。
タイで73年以降の30数年の間に大きく民主化の進展があったからだ。
 
 タクシン首相と閣僚は1月16日に貧しいことで知られるタイ東北部のロイエ
ット県の田舎に5日ほど滞在して住民から意見を聞きだして問題解決を図る取
り組みをした。2月4日のソンティ氏の集会の直前にはバンコクのスラムもある
クロントイ地区を訪問するなどでタクシン支持が多いと新聞などで報道されて
いる。
 2005年で最後の12月23日のトーク・ショーでは タクシン首相の地元のチ
ェンマイで屋外動物園のナイトサファリ建設で市民に意見を聞かずにスタート
した上に中にできるレストランの30年間の経営権を密かにプムタム運輸副大臣
(タイ愛国党副幹事長)に与えたとソンティ氏は暴露した。「ナイトサファリ」
は05年11月にオープンして年末まで無料開放され、06年に入って正規に開業
した。昨年だけで110万人が訪問、内半数が県外からの訪問だったことを見ても
地元への経済効果が高いと同サファリの経営者は言っている。2006年2月4日
の大規模集会の3日後の2月7日、タクシン首相は地元のチェンマイにいたがソ
ンティ氏が問題にしたこの「ナイトサファリ」で閣議を開催し、2人の閣僚辞任
の後は2人の副首相が当面の担当をすることなどをこの会議で決めた。

            (筆者はアジア・ジャーナリスト)

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