「誇りある豊さ」を「心ひとつ」で

翁長知事時代における課題

「誇りある豊かさ」を「心ひとつ」で

河野 道夫


 翁長雄志(おながたけし)知事の誕生が、沖縄「建白書(*1)」の実現という保革一点共闘による成果だったこと、「保守でも沖縄の保守だ!」とタンカを切る自民党の除名・脱党組を中心にしたこと、有効投票の51.6%を獲得したことなど、知事選に関する基礎的な情報をほとんど省略し、これからの課題に焦点を絞らせていただきました。基本とする観点は、ヤマトからの移住4年生となる2014年12月から「何をなすべきか」ということ。いわば個人的な“行動綱領”です。筆者と沖縄との関係などは文末に付記しました。

(*1)沖縄「建白書」:県下41の全市町村長に加えて、県議会議長、全市町村議会議長が連署した安倍総理宛文書。2013年1月28日に直接手渡された。「沖縄の実情をいま一度見つめていただきたい。沖縄県民総意の米軍基地からの負担軽減を実行していただきたい」で始まり、オスプレイの配備撤回、普天間基地の閉鎖・撤去、県内移設の断念—を内容とする。

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1.県知事選の教訓
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●日本に対する糾弾

 仲井真前知事による辺野古・大浦湾の埋立承認(2013年12月27日)の直後、名護市長選(14年1月)のことです。応援に行った稲嶺陣営の選挙ポスターに「誇り」の2文字が強調されていることに注目しました。それが有力候補の選挙に使われることは珍しく、新鮮だったからです。しかもこの言葉は、メイン・スローガンの「名護は屈しない。市民の誇りにかけて」と、登録団体の「誇りある名護市をつくる会」と、二ヵ所にありました。

 穏やかに見えるこのスローガンには、爆発させずに打ち上げた怒りの火の玉が、空高く輝いているようなモラルと知性を感じました。さかのぼれば薩摩藩による侵略いらい、軍事力を伴う異国の権力に切れ目なく苦しめられてきたこと(サツマゆ=世、ヤマトゆ、アメリカゆ、再びヤマトゆ、といわれている)。近くはオスプレイ導入や普天間基地移設で堪忍ブクロの緒が切れかかっていたこと。ついに県知事までとりこまれ、もう後がない状況の中で出てきた「誇り」。沖縄を差別しつづける日本に、「誇りをとりもどす気はないのか?」と問い糺す響きさえ感じられるではありませんか。

 それを「誇りある豊かさ」に発展させた翁長は、政党や保革のカベを乗り越え「オール沖縄」、つまり島ぐるみで「心ひとつ」でそれをめざそうと呼びかけました。今後、県政の指針となり人々の“北斗星”になることでしょう。ただし、一つになった「心」の底には日本に対する憎悪と糾弾がこめられているため、ヤマトンチュはどのような活動を通じて、どのようなメッセージをその「心」に届けることができるか—それがそもそもの課題です。

 1950年代中ごろの「島ぐるみ闘争」は米軍相手に土地を売らないためのたたかいでしたが、「オール沖縄」は日本が相手。理由は、海兵隊は沖縄にも日本にも駐留する必要がないという声がワシントンから聞こえてくるのに、政府は「抑止力」と強弁し、より強力な新基地を提供しようとしているからです。このことが、「人口が少なければ負担を押しつけてよいのか」とか、意図的な二重差別ではないかという怒りに火をつけたといえるでしょう。

●「誇りある豊かさ」とは

 このメイン・スローガンを考案した翁長の解説によると、「誇り」は革新が、「豊かさ」は保守が、それぞれもっとも大切にし、実績も上げてきた価値の象徴です。誇りなき豊かさなら、企業や自治体はひたすら利益追求に走り、県政はただ県民所得の向上をめざせばよい。逆に豊かさのない誇りなら、精神主義に傾き、失業と貧困を放置することになる。つまり「誇りある豊かさ」とは、精神的豊かさの手段としての経済的豊かさ、というわけです。

 彼の話はわかりやすく、これまで革新に対し保守は「誇りでメシを食っていけるのか?」と、保守に対し革新は「カネで命が買えるのか?」と批判しあってきました。しかし目的が「誇りある豊かさ」なら、お互いに感謝し「心ひとつ」になれるはず、というのです。一人当たり県民所得は47位でも生活満足度は16位—「誇りある豊かさ」の基盤はすでにある!と訴えると拍手喝采。「沖縄の将来に自信を」という説得に絶大な効果が表れ、涙する人さえいました。ただ、「差別する側には誇りはない」と下を向いたヤマトンチュは、ほかにもいたことでしょう。

 「誇り」の基盤について翁長は、琉球王国の「万国津梁(しんりょう)」の歴史、生物多様性の宝庫の中での生活、継承されている伝統文化などであり、それが沖縄の「アイデンティティ」と言います。異国人の乱暴狼藉に対し「ぬちどぅたから」(“命だけはとっておこう”という意味もある)と声かけあって耐えてきた歴史も、口にはしないけれど土台になっているでしょう。

 自立的な経済発展の基礎は、東アジア諸国の多角的な貿易拠点、「東洋のガラパゴス」を生かす癒しの場と観光、輸送コストから解放される情報通信産業、米軍基地の返還促進による再開発などで、もはや「米軍基地の存在は経済発展の阻害要因」と言いきっています。なるほど1972年復帰当時、県民総所得に占める基地関連収入は15.5%でしたが、いまでは5%程度にすぎません。

●国際社会の先端基準

 政府はもとより日本の政党は、「誇り」に象徴される幸福感や満足感を本格的に追求しているとはいえません。その証拠に、政府の2012年度委託研究は「GNPの急激な伸びにかかわらず、1970年代以降、国民の幸福度や生活満足度は一向に向上していない」と警告しています(*2)。“ヤマトぐるみ”の意図的な沖縄差別の結果、幸福や満足、ましてや「誇り」を感じることができるのは、よほど無関心で鈍感か自己中心的な人ではないでしょうか。

(*2)2012年3月京都大学「持続可能性指標と幸福度指標の関係性に関する研究報告書」p4−2011年度内閣府経済社会総合研究所の委託研究。

 一方、国際機関はすでに80年代後半から物質的豊かさの偏重を反省し、90年代になると、たとえば以下のような見解が次々と提起されています。これを参考にすると、「誇りある豊かさ」の提起は国際社会の先端基準のレベルにあるといえるかもしれません。ただしそのためには「人間の尊厳と人権(*3)」という普遍的な価値観に立脚することが、必須の条件でしょう。

(*3)人間の尊厳と人権:「すべての人権は人間に固有の尊厳と価値に由来する」(世界人権会議1993年「ウイーン宣言および行動計画」)。人間の尊厳は先験的・直観的に認識され、侵害に対する抵抗と防衛によって獲得される。後者は「法は闘争なしではすまない。法の生命は闘争である」との名言に示されている(イエーリング「権利のための闘争」小林孝輔・広沢民生訳、日本評論社1978年p21、原著は1872年)。ドイツ基本法第1条、スイス憲法第7条、EU基本権憲章第1条は「人間の尊厳の保護と尊重」を国家の責務とする。

・生活の質の向上:国連開発計画は1990年「人間開発報告書」の創刊号で、「開発目的は人々が長生きし、健康で創造性にあふれた生活を楽しめる環境を創り出すこと」、つまり生活の質の向上が目的としました。残念ながら、ヤマトと沖縄の関係のような差別・被差別の関係にならないことが、生活の質の向上要件であるとの指摘はされていません。

・人間中心主義の反省:1992年「環境と開発に関するリオ宣言」第1原則は、「人は、持続可能な開発を考える際の中心に位置する」としましたが、翌93年の国連「環境・経済統合勘定」は人間中心主義を反省し、「人間の権利と人間ではないものの権利との間の最適バランス」「人間と自然双方のための長期的概念」などが強調されました。

・手段としての経済成長:1994年の「人間開発報告書」は、経済成長は目的ではなく現在と将来の世代が「この世に生きる条件を保護し、あらゆる生命体が依存し合う自然体系を尊重」するための「一つの手段」でなければならないと宣言。新基地建設の反対理由にジュゴン、ウミガメ、サンゴがくりかえし登場するのは、まさにこのことです。

・先住人民に学ぶ方針:1992年の国連「リオ宣言」第22原則は、先住人民とその地域共同体は「その知識と伝統のゆえに環境の管理・開発において重要な役割を有する」とし、また国連環境計画の「政府間科学政策プラットフォーム」は2013年、「先住民および地域社会の知識体系」作業グループを設置。日本に当てはめると、政府は琉球・アイヌ両民族の「知識体系」から、沖縄県政は県下の伝統的コミュニティから、学ぶことになるでしょう。

●抵抗のリアリティー

 この数ヵ月の間に、有権者は翁長の提起に応じるようになりました。そして、他者と比較されることの拒否、競争ではなく切磋琢磨の重視、「革新」勢力は他者に対し批判が強く排他的という反省など、「誇りある豊かさ」を咀嚼しているのではないかと思われる声が多くなりました。それが、琉球王国以来の成熟した文化・社会の表れなのか、翁長の“社会教育”によるものかはよくわかりません。しかし「オール沖縄対日本」という対抗意識が盛り上がる中での変化だったことは確かです。

 琉球新報(10月30日)の候補者座談会で翁長は、「日本本土全体で米軍基地を負担する方が、日本の安全保障の覚悟も感じられ、抑止力も数段勝る」と指摘。周囲に聞くと「日ごろみんなそう言っている」というので、感銘を受けたとは言いにくくなってしまいましたが、翁長発言は、ヤマトの沖縄に対する意図的差別の糾弾になっているばかりでなく、政府がしがみついている「抑止力」を逆手にとったみごとな抵抗の論理になっています。

 このような発言の積み重ねの結果、「安保容認でよいのか」「いずれは裏切られる」といった活動家の声がしぼんで行きました。左翼勢力とともに遠くから「安保廃棄」を叫ぶよりも、本格的な抵抗を予期させる翁長の方が、闘争のリアリティーが大きいと感じたのだろうと思います。

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2.先住者の誇りにかけて
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●琉球王国破壊の責任

  国連総会は2007年「先住人民の権利宣言(*4)」を採択、国際人権規約人権委員会は2008年、琉球・アイヌの人々を日本の先住民 indigenous peoples と認めるよう勧告。同様に国連人種差別撤廃委員会は2010年、沖縄への米軍基地の集中は「現代的な形の人種差別」とし、2014年、琉球・沖縄の人々を「先住民と認識しない姿勢は遺憾」「その歴史と文化を保護せよ」としました。

(*4)先住人民の権利宣言:UN Declaration on the rights of indigenous peoples は一部で「先住民族の〜」とも訳されているが、先住「民族」をいう場合は indigenous nations と思われる。

 新知事と沖縄の政治家は、このような国際社会の先端基準にも立脚すべきですが、日本人とは別な人種や民族とは思わない、思いたくないという県民(多数派と考えられている)が反発するかもしれません。しかし indigenous peoples は先住民族ではなく先住者や先住民、minorities は少数民族ではなく少数者または少数集団。政府はこれをあえて「民族」と訳し、「民族でなければ該当しない権利」であることを印象づけ、他方では「先住民族も少数民族もいない」「沖縄の人々は日本人」としてきました。つまり「日本には関係のない権利」といえる構造を演出してきたのです。

 「北海道旧土人保護法」「旭川市旧土人保護地処分法」が1997年に廃止され「アイヌ文化振興法(*5)」が制定されるとき「アイヌ=少数民族」が認められ、日本はようやく「単一民族」論から抜け出しました。これは萱野茂(*6)参議院議員(アイヌ出身)をはじめとする北海道社会党議員団の活動に負うものですが、アイヌ自身が「民族の誇り」を掲げていたことが決定的でした。名護市になぞらえれば、「アイヌは屈しない。民族の誇りにかけて」になるでしょう。 

(*5)アイヌ文化振興法:第1条(目的)「この法律は、アイヌの人々の誇りの源泉であるアイヌの伝統及びアイヌ文化が置かれている状況にかんがみ、アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する国民に対する知識の普及及び啓発を図るための施策を推進することにより、アイヌの人々の民族としての誇りが尊重される社会の実現を図り、あわせて我が国の多様な文化の発展に寄与することを目的とする。」(下線筆者)
(*6)萱野茂(1926〜2006):日本社会党比例区から繰上げ当選(在籍1994〜98年)。「アイヌ民族における神送りの研究—沙流川流域中心に」で総合研究大学院大学から博士号。

 自分たちが独自の「民族」かどうかは、このようにあくまで自己決定権に委ねられるべきこと。問題は「琉球民族」の存否ではなく、「琉球処分」という名の侵略を政府に認めさせることではありませんか? いいかえると琉球の人々が「先住者」であることを認めさせることです。琉球王国は、遅くとも1372年から明との国交が明らかで、1609年から薩摩藩との関係があったにせよ、対中国とともに「両属」関係を維持し、独立国として諸外国との間で条約を締結もしていました。それを破壊・併合した事実を検証し、政治的・道義的責任を認めさせなければなりません。

 このように琉球人民が先住者であることが理解されると、「先住人民の権利宣言」が沖縄に該当することになるでしょう。

●先住人民の権利宣言

 「宣言」が画期的な理由の一つは、前文で「先住人民が、とりわけ植民地化され、土地、領域および資源を収奪され、かくしてとくに自らの必要と利益に従って発展する権利を行使することを妨げられてきたことの結果として、歴史的不正義を被ってきた」とし、侵略・征服と植民地化による加害責任を明言したこと。日本のように「先住人民はいない」とすれば、これに反対する理由はなく、現に国連総会(*7)で賛成しています。

(*7)「宣言」の採決結果:(日本を含む)賛成143:反対4(アメリカ・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド):棄権11。

 二つめは、「土地、領域および資源に対する権利」を特段に重視し、その根拠として、先住人民には土地・領域・水域・沿岸海域その他資源に対して「格別の精神的関係」があるといい、それを「維持・強化する権利」(第25条)を宣言したこと。自然と先住民の「格別の精神的関係」とは、「自然と人間の一体観」といいかえることもできます。それは先住人民にかぎる必要のない普遍的な価値と考えられますが、「格別」に濃厚だということでしょう。

 三つめは、先住人民の土地・領域の「非軍事化」(前文)を強調し、「軍事活動は…先住人民の土地または領域においては行われてはならない」(第30条)としたこと。ただし「公共の利益により正当化される場合」と「当該先住人民が自由に同意しもしくは要請した場合」は例外です。沖縄の戦後史は、例外規定のうち後者については事実がなかったことを示しています。また政府は、日米安保体制を「国際公共財」といい、軍事基地の公益性を主張することによって「宣言」から逃避しているといわなければなりません。

 宣言前文(上記画期性の一つめ)は、形式は定義とは違いますが、実質的には indigenous peoples の立派な定義になっているではありませんか。しかも札幌地裁は1997年、先住民族を「多数民族と異なる文化とアイデンティティをもつ少数民族が…その後その多数民族の支配を受けながらもなお従前と連続性のある独自文化およびアイデンティティを喪失していない社会集団」と定義し、確定判決になっているのです(二風谷〈にぶたに〉ダム事件)。したがって政府は、「宣言」ばかりか自国の確定判決をも無視することによって、沖縄に軍事基地を押しつけているともいえるでしょう。

●軍事活動の禁止と公共の利益

 かりに日米安保体制が「公共の利益」だとしても、日本は沖縄で基地を提供する義務はありません。しかも軍事活動禁止の理由は、支配民族側の軍事活動が、先住者集団のアイデンティティや文化享有権を損なうためと考えられます。このように特定の地域や集団の権利・利益を犠牲にし続ける行為は国家的差別であり、国際法で「主権独立国家」の要件を欠くとみなされ(*8)、当該地域住民の独立に根拠を与えることになります。

(*8)継続的差別と独立国家の関係:1970年国連総会「友好関係原則宣言」、1993年世界人権会議「ウイーン宣言」など。

 それだけではありません。種族的、宗教的または言語的 minorities に属する者は、その集団に固有の「文化享有権」があるとされ、それが国際人権規約(自由権規約第27条)によって保護されているのです。沖縄の人々が日本の中で「宗教的または言語的」少数集団であることは事実ですから、これは沖縄独自の権利ということになります。

 しかも国際人権規約の自由権は、公共の利益・福祉といった抽象的・一般的制約には従いません(*9)。したがって、日米安保体制が「公共の利益」だからという理由では、沖縄における軍事活動を正当化することはできないのです。「琉球処分」前からの先住者とその子孫の国際的地位は、このように「宣言」によって向上するとともに、そこでの軍事活動は国際法違反の疑いが生じるというべきでしょう。翁長知事と沖縄の政治家には、この件についても国際社会の先端基準を理解してもらわなければなりません。

(*9)自由権規約と抽象的・一般的制約:自由権規約に基づく政府の第4回・第5回報告に対する「日弁連報告書」各第1章冒頭、および桐山孝信「二風谷ダム事件」—『判例国際法第2版』東信堂2006年p300など。

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3.当面の課題
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 以上は、沖縄の基本的かつ中長期的な課題ですが、翁長知事を選出した私たち有権者に迫られている当面の課題について考えてみます。

●埋立工事の阻止行動

 現地行動がなければ、政府の企画や工作によって知事はやがて身動きできなくなるでしょう。知事選の直後から工事(ボーリング調査など)は再開され、県警機動隊と海上保安庁は取締りを強化し、拘束者もけが人も出ています。その後“総選挙休戦”のようになりましたが…。

 「抗議」から「阻止」への強化には人数が必要で、県外から参加を求めるべき状況ではないかと思っています。実際、わずかながら外国人を含む県外からの参加もあり、中心団体(ヘリ基地反対協や沖縄平和運動センター)は喜んで迎え入れています。現地は名護市に所在するためもあって、素泊まり1,500円以下の施設提供者がふえています。ただし基本は自己決定権にあるため、「来る者は拒まず、去る者は追わず」の態度。私としては“ヤマトの誇りにかけて”参加されることを望んでいます。

●主権者の勝手連

 原則的には「誇りある豊かさ」、当面は「建白書」実現をめざす政策的な活動を市民が自由に展開することです。政府・自民党がつぶしにかかる知事を下から支えるには、県庁各部局や政府当局に対し、また新知事が赴くアメリカ政府や国連に対し、事態を訴え、真相を究明し、さらに進んで個別課題の解決策を提起する主権者パワーが必要でしょう。

 それは、保守・革新はもとより個別課題に関する専門家とアマチュアのカベ、さらには県と国の内外をも乗り越えた多くの小集団による“勝手連”です。課題ごとにいくつものグループが当局に質問や協議を求めて押し寄せるでしょう。「建白書」実現につなげるという点で「心ひとつ」になるなら、異なるグループ間で連係プレーもジョイントも盛んになるに違いありません。

●埋立承認の取消と撤回(*10)

 現地の状態を復元するには、埋立承認基準の解釈を厳正にし、承認したのは間違いだったとして職権によって取り消すことができます。県知事選の民意を理由に承認を撤回することも可能です。国は、新知事によるこれら行政行為に対する取消命令を求めて、いきなり福岡高裁に持込むことのできる職務執行命令訴訟を起こすでしょう。もし知事が敗訴すれば、最高裁に舞台が移り、その判決にも知事が従わないなら、最終的には国が代執行してしまうことになります(地方自治法第245条の八)。

(*10)取消と撤回:埋立承認の効力解消のように“過去”に遡って効力を失わせ、当初状態を復元する場合は「取消」。営業許可の効力解消のように“将来”に向かって効力を失わせる場合は「撤回」。一般社会では厳密に区別されていない。

 この訴訟の性格は、大田昌秀知事が1996年、契約に応じない“反戦地主”の代理署名を拒否し、国によって福岡高裁に訴えられた裁判(*11)ではっきりしました。池宮城紀夫弁護士は当時、高裁は「国の提灯持ち」と怒り、また「安保条約上、最優先される公益」の根拠について政府側は「答えるつもりはないという傲慢な態度」と報告(2月23日)。その後、最高裁は署名代行拒否が「著しく公益を害する」として知事の上告を棄却(8月28日)。沖縄からの参加者を加えて満席の傍聴者は閉廷後1時間たっても退席せず、「最低裁!」のシュプレヒコールがくりかえされたと記録されています(*12)。

(*11)いわゆる代理署名拒否裁判:政府が強制収容し米軍に提供している土地の一部使用期限が1997年5月14日までだった。使用権限の継続に必要な地主の署名が得られないとき市町村長が代理し、その市町村長が署名しないとき知事が代理しなければならない(駐留軍用地特措法および土地収用法)。
(*12)この段落の引用部分は、沖縄から平和を創る市民・大学人の会編「沖縄県知事の代理署名拒否裁判—共に考え行動した記録」沖縄出版1999年p12、p18、p350などから。

 その後、裁判所がいっそう劣化していることを踏まえると、上記訴訟で知事が勝てるとは限らず、したがって知事が取消や撤回をすればよいという単純なものではありません。だからこそ、知事権限で打てる手をすべて打たなければならないのです。したがって、連射すべき「知事の妙手」探しも“主権者勝手連”の重要な役割というべきでしょう。

●日本が誇りをとりもどす条件

 翁長支持勢力は、総選挙において四小選挙区すべてで共通候補を立て選挙協力をしました。当選後は既存の政党から離脱し、新会派を結成することが「翁長枠」発展の第一歩になるはずです。新会派は、当面「建白書」の実現を、近い将来は世界の平和と正義に貢献する新党「誇りある豊かさ」をよびかけるといった“ロマン”あふれる提起を期待しています。

 「翁長枠」議員が国政で合意をめざすとすれば、「建白書」から範囲を拡大し少なくとも次の諸点を含むべきです。

(1)歴史的不正義の検証=明治以降、現在に至るまで、政府によって行われた「琉球処分」をはじめとする歴史的不正義をすべて検証する。

(2)憲法破壊との対決=集団的自衛権や秘密保護法だけではなく、沖縄の民意と権利を黙殺する新基地建設も憲法破壊としてたたかう。

(3)平和維持力の創造=「抑止力」は、禁じられた「武力による威嚇」によることを認識し、憲法に即して軍事力以外の多彩な平和維持力を創造する。

(4)自然生態系の繁栄=自然生態系の一員としての人類は、生物多様性と共に繁栄すべきとの見地から「豊かさ」を見直し、原発ゼロをめざす。

(5)地域主義教育の確立=「地域主権」の考えを義務教育に適用することによって中央集権的教育行政を改革し、郷土と将来世代との関係を強化する。

 諸項目をかえりみると、沖縄の自立ばかりでなく、日本が「誇り」をとりもどすための必須の条件になっています。
 以上の私的行動綱領を触発してくれた稲嶺名護市長と翁長沖縄県知事、そして二人を選出した沖縄の皆さんに、心から感謝いたします。

付記1> 沖縄移住の理由

 定年退職(社民党本部)直前の2002年2月と6月、「対テロ戦争」の背後にイスラエルによるパレスチナの武力制圧があると考えた市民40人余りとともに、10日単位でパレスチナを訪問。そこから国際法市民研究会が生まれました。もっと勉強する必要を感じ2003年4月、スコットランドで英語学習からスタート。2005年1月に入学を許され、修士論文のテーマを「対テロ戦争の合法性」とし非合法の証明に挑戦。多くのトラブルを経たうえ2008年4月パス。

 比較宗教学のアメリカ人教授と、地元出身で独立をめざすスコットランド民族党(SNP)顧問の教授(スコットランド文学)との親交を深め、2010年帰国。その後、国際法市民研究会で琉球・パレスチナ・スコットランド独立研究を進めるうち、「芦田意見書」と「天皇メッセージ」が片山内閣、また大田知事を被告とする職務執行命令訴訟が村山内閣だったことを思いおこし、“生涯社会党員”としての意識から申し訳なさに動かされ2011年12月、読谷村に移住しました。

付記2> 芦田意見書と天皇メッセージ

 片山内閣の芦田外相(日本民主党総裁)は1947年9月、帰国する在日米軍第八軍のアイゼルバーガー司令官に対日講和の条件に関する「芦田意見書(*13)」を託しました。そこには、「日本の防衛をアメリカの手に委ねる方法」として、「平和条約後、日本の外側の近接した地点を(アメリカ)軍隊が保持するであろうから、一旦有事の場合には…これらの軍隊を日本に進駐させることができ、日本は、その際アメリカ軍の使用に供するため基地を建設・維持する」とされています(下線とカッコ内は筆者)。
 「日本の外側の近接した地点」とは、1947年9月20日「天皇メッセージ(*14)」によって沖縄であることが判明します。つまり、この時点で沖縄は日本の内側ではありません。「外側」にされたのは1879年「琉球処分」からか、それとも“唯一の国内地上戦”で沖縄を奪われてからでしょうか。ウチナンチュにとっては、沖縄戦の悲劇がその決定的な判断根拠になりました。沖縄は、国内地上戦を回避するための“見捨てられた外地”だったからです。日本軍が沖縄の盾になるどころか、逆に住民が軍の盾に利用された経験から、「琉球処分」以来の「外側」、つまり植民地だったと痛感させられたのです。

(*13)芦田意見書:外務省外交史料館編纂委員会「日本外交史辞典」1992年山川出版社、p517右段〜518左段。「意見書」を手渡した日は書かれていない。アメリカ政府は1947年7月、極東委員会を構成する11ヵ国に対し対日講和予備会議を呼びかけていた。
 国立国会図書館憲政資料室「芦田関係文書目録・書類編」2012年11月−には1947年9月13日「平和回復後の外国軍隊の駐屯について」(請求番号232)が、万年筆の自筆原稿として残されている。これは「意見書」の下書きだろう。それは「日本に近い外側の地域の軍事的要地には、米国の兵力が十分にあることが予想される」としている。また、「米国その他の国が日本に軍隊を駐屯することは種々の関係を含み、したがって色々の角度から慎重に考慮すべき問題」なのだが、「貴下の要求に従って自分は本問題につき率直な意見を述べてみる」、ただし「まったく個人的意見」と断っている。
(*14)天皇メッセージ:沖縄県立公文書館は、国務省とマ元帥宛電文コピーをアメリカ国立公文書館から入手し2008年3月公開。公文書館のHPは「1979年に発見された」としているが、だれによる発見かは記していない。同館はその内容を三点に要約。(1)米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む。(2)その占領は日本の主権を残したまま長期租借によるべき。(3)占領の手続は米国と日本の二国間条約によるべき。

 「天皇メッセージ」は、上記の日に昭和天皇が宮内庁御用掛の寺崎英成を占領軍司令部に派遣し、最高司令官政治顧問 W. J. Sebald(シーボルト)にアメリカ軍による沖縄占領継続の「要望」を口頭で伝達。その内容をシーボルトが国務省とマッカーサー元帥へ報告した電文コピーです。明言されていませんが、その内容(*13参照)と「芦田意見書」との整合性からみて、これは日本の独立後についての「要望」です。

 「芦田意見書」と「天皇メッセージ」に関する責任は、片山総理にあります。1947年5月の新憲法施行によって、昭和天皇の行為が憲法7条(天皇の国事行為)および73条(内閣の事務)に違反することも明らかでした。一方、極東軍事裁判所への天皇の不起訴は、A級戦犯容疑28名の起訴状(46年4月)によって確定していたものの、天皇が証人として喚問される恐れがあり、片山内閣はそれを回避するため天皇と沖縄を利用したとも考えられます。
 (こうのみちお:国際法市民研究会共同世話人、70代、読谷村)


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