『中国の自転車(前編)』

【北から南から】中国・深セン便り

『中国の自転車(前編)』

                      佐藤 美和子


 実際に中国を訪れたことのない人や、最後の訪中は十数年前だという人には、中国といえば自転車、というイメージを持つ人が多いと思います。

 かつての私もそう思っていましたし、91年に初めて訪中した時にはそのイメージ通りの自転車の洪水を目にして、心底ワクワクしたものでした。

 現在、私は一時帰国中です。そこで、91年の留学当時、北京から両親に宛てて書いた古い手紙の束を、実家の押入れから引っ張り出してみました。その手紙の中に、北京での自転車のことを書いた覚えがあったからです。

 その手紙によると、神戸港から船で天津入りした私は、9/2に北京の留学先大学に到着しています。そしてその到着から一週間も経っていない、9/8に自転車を購入していました。

 留学ですので、到着後まずはビザの切り替えや居留証の取得、大学側との手続きなど、お役所仕事でなかなかスムーズに進まない面倒な手続きをたくさんこなさねばなりません。
 それを数日かけて済ませたのち、何よりも先に、さっそく自転車を買いに行ったみたいです。

 というのも、中国の大学は敷地が広大過ぎるのです。ちょっと学内の購買部へノートを買いに行くのに片道15分、大学の敷地の外へ出るだけでも徒歩20分、保温ポット(当時はガラス瓶にコルクで栓をするレトロなもの)を持って学内にある給湯施設棟へお湯を汲みに行くのも、やはり往復30分かかっていました。

 当時の北京は地下鉄が通っているのは繁華街のごく中心部のみ、バス路線も限られており、とてもで交通至便とは言えません。そのバスも、運行中に故障しては中途半端な位置で足止めを食らうこともしょっちゅうでした。

 また当時平均0.2元(当時のレートで約3円)のバス運賃を節約するために、北京の人は1時間程度の距離ならば通勤なども自転車を使うことが一般的だったようです。

 91年当時、自転車はどこにでも売っているものではなく、私の大学からはバスを乗り継いで小一時間もかかる、西単という繁華街まで買いに行かねばなりませんでした。

 殺風景で薄暗い店内にずらりと並べてある自転車を一台一台見て回り、気に入ったものがあれば、やる気のない店員を無理やり捕まえて、購入意思を伝えます。

 そうすると店員がブレーキだのチェーンだのをチェックしてくれるのですが、検査の結果、
 「これは、ペダルが壊れている。だから、別のものを選べ」
と言ってくるのです。

 壊れているんなら、店頭に並べなきゃいいのに……と思っても、当時はまだ商店や企業のほとんどが国営でした。親方日の丸方式で、熱心に働いても怠けていても同額の給料、クビになることもない社会システムのため、自分に割り振られた仕事でなければ客がどんなに困っていようが我関せず、というような時代だったのです。

 せっかく気に入るものを見つけ出したのに……と文句を言っても仕方ありません。新車のはずなのに、どれもこれもどこかしら問題があってダメだと言われ続け、自転車購入はもう無理なんじゃないかと諦めかけた頃、辛うじてまともに動く自転車を見つけることができました。そのため私が買った自転車は、自分の好みなどではなく、「とにかく壊れていないこと!」を基準に選んだシロモノです、ハイ(笑)。

 店員がOKを出すと、今度は店員が書いてくれた伝票を持って、会計窓口に並びます。どんなに長蛇の列になっていても、窓口やレジスタッフが増員されることはありません。

 壊れていない自転車を探し出すのに1時間あまり、支払いの列に並ぶのにもまた小一時間、当時の中国での買い物は本当に大変でした。

 そうそう。苦労して何とか買えた後、まっすぐ学校に帰らず、随分と遠回りして天安門広場に行きましたよ。どうしても、あの天安門広場前の大通りを、大勢の中国人に混じって自転車を漕ぎたかったのです。多くの日本人が持つ中国のイメージを、自分で実現したかったんですね。自転車を買いに行くのに、わざわざカメラも準備して行った私です(笑)。

 私が購入した自転車は、24インチで紫色の、いわゆるママチャリでした。お値段は312元、当時のレートで8112円です。その頃の北京市平均月収は、うろ覚えですが確か200元にも満たなかったと思うので、決して気軽に買えるものではありませんでした。

 しかも当時の北京では、まだまだ郵便屋さんタイプの、大きくて黒い、無骨な自転車がほとんどでした。恐らくママチャリは、市場に出始めたばかりだったのだと思います。郵便屋さん自転車に比べ、ママチャリはかなり割高だった記憶があります(記憶があやふやですが、郵便屋さんタイプは200元代だったような?)。でも、チビの私には郵便屋さん自転車だと足が届かないので、高くてもママチャリを買うしかなかったんですよね……。

 ママチャリが珍しかったため、購入後、天安門広場を経由して学校に帰るまでの2時間あまりの道のりで、数え切れないほどの人から質問責めに遭いました。

 ねぇ、その自転車幾らだった? どこで売っているの? 乗り心地はどう? その自転車、どうしてそんな小さいの?

 信号待ちで停止するたびにいちいち通りすがりの人に質問され、しばらく足止めされてしまうのですよ。暗くなる前に帰り着きたくて、途中からは信号に引っかからないよう漕ぐスピードを調整したり、信号の少ない道を選ぶなど、工夫して帰りました。

 漕ぐスピードと言えば、当時の中国人の自転車の漕ぎ方は、みな一様にユッタリしたスピードで、それ以上スピードを落としたらこけてしまうんじゃないかと思うほどノンビリしたものでした。

 特に朝夕の通勤ラッシュの時間帯などは、大きな通りに横4〜6列にも連なるほどの自転車の川ができます。その川の中で、各々が好き勝手なスピードで漕げば、大きな事故を招きかねません。そのため、みなが同じ一定のスピードを保ち、列を乱さないよう注意しなければならなかったのです。今の中国人が我先にと突っ込んで行く、余りにも自己中心的な車の運転を見ていると、あの頃ととてもで同じ国民だとは思えません……。

 (筆者は中国・深セン在住・日本語講師)

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