かくありし時

【エッセー】

かくありし時          高沢 英子


 20世紀初頭、巴里に生まれ、作家、文人たちとの多彩な交わりと、発表され
た多くの日記、小説、評論などで知られるアナイス・ニンの謎に満ちた生涯は、
単純な倫理的ものさしの枠を、あまりにもはみ出し、人の生の可能性と、こころ
の捉えどころのなさを、はばかることなく貪欲に追究した彼女の人生は、あたか
も、果てしなく昏く奥深い森に分け入るような一種の眩暈を覚えさせる。 

 しかし、彼女が残した膨大な「日記」は、女性が、はじめて赤裸々に、女の性
や男性との交友、複雑な結婚生活などの、数奇な側面を、現象としてではなく、
人間の生の根源にある魂の叫びとして、臆することなく追及し、芸術の域まで昇
華して描いたことで、おそらく今も多くの読者を惹き付けて止まないのだろうと
思う。
 
 いっぽうで、「女の書く自伝」を書いた、メイ・サートンの親しい友で、近代
英米文学の研究者キャサリン・ハイルブロンによると、これまでの女の人生が、
「公的領域で行動する能力を奪われてきた」ために、自分自身の物語を語る場合
ですら、女性の書くものは、自我の権利を行使するのに必要な、怒りの認識と表
現は許されないものとされてきた、という。

 彼女に言わせると、1970年代になって、メイ・サートンが発表した日記に
おいて、始めてそれを成し遂げた、というが、欧米の近代社会において、困難で
あったことが、実は10世紀の日本で、まことに嫋嫋と、か細い声ながら、とど
めがたい感情を、偽りのないことばで書き綴った、女性の手になる物語日記が、
今も作品として読み継がれ、現存する、ということは、アナイス・ニンならでも、
ひとつの驚きと衝撃であるかも知れない。

 公的領域で活動する能力や機会を持つことはおろか、自立した生活能力さえま
るで持てなかった女性が、それでも、ものを書き、すぐれた詩を詠み、おのれの
不幸を託ち続ける声を、1000年もの間、読者を失うことなく、届け続けられ
てきたこと、の理由のひとつに、「明白を要求されない」という日本文学独特の
特質があることを、アナイス・ニンが、自作の日記翻訳の序文で触れていること
を、先に書いた。

 これは、彼女に限らず、欧米の日本文学研究家がしばしば指摘しているように
日本の王朝文学の流れを汲む文学の特異な性格であろうが、これに続くニンの言
葉は、含蓄に充ち、欧米社会で育ち、教育を受け、ひたすら「明白」をめざしつ
つ孤独な戦いをしなければならなかったひとりの女性芸術家が、同じ女性として、
直観的に見抜いた、羨望を交えた賛辞として偽りのないものと見直してもよさそ
うである。

 陰影と、ほのめかしと、暗示を好む日本人独自の、言語感覚と能力、は、その
意味では世界に誇るに足るものかも、と、その昔、若いころには、実は多少うん
ざりしながら読んだ蜻蛉日記を、もういちど、深く読み直したい、と考えている
ところである。
 
 「かくありし時過ぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、
  世に経る人ありけり」

 という書き出しで始まるこの日記は、冒頭に序文と思しきものを付け、作者で
ある自分をまず客観化し、

 「ただ臥し起き明かし暮らすままに、世の中に多かる古物語のはしなどを見れ
  ば、世に多かるそらごとだにあり、人にもあらぬ身の上まで書き日記してめ
  ずらしきさまにもありならむ。天下(てんげ)の人の品高きやと問はむため
  しにもせよかし」

 云々と、あえて公表する意図を明確に言明する。こうして、世にときめく権勢
ある人の、女にたいする仕たい放題の不誠実な仕打ちを、ありのままに書き残す
ことで、男性優位の社会に対する怒りと苦しみを浮き彫りにし、

 「思ヘば、かうながらへ、今日になりにけるもあさましう、・・・例の尽きせ
  ぬことにおぼほれてぞはてにける」

 との感慨で、あくまでもか弱い受身の諦念を貫き通し、京の、ついなの行事の
夜の叙述で閉じる。

 よく考えると、まことに自覚的な態度を堅持して、思うさま仕事にいそしんだ、
といえるのではあるまいか、と近代人のわが身に照らしても、思えるところが、
この作品のすばらしさかもしれない。とはいえ、同時に、ものを書く事は、生身
を削る苦しみでもある、ことを、教えてくれる作品でもあるだろう。
           (筆者は東京都在住・エッセーイスト)

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