その2―「麻生新政権」誕生の意味するもの

【短期連載】
■「2008年秋の政権交代」への私見           工藤 邦彦

その2―「麻生新政権」誕生の意味するもの


◇迷走し停滞を始めた麻生政治◇


  私は前回、テレビ画面などで伝えられる動きから、現在進行中の現実政治のプ
ロセスはさらにスピードを上げながら次の局面に移り、本稿がオルタに掲載され
る頃には、私が扱おうとしている主題自体が政治的にはすでに「生臭いもの」で
はなくなっているだろう、と記した。またそれと同時に、麻生政権という「裸の
王様の内閣」は、現在の時代状況の中で方向もなく漂うしかないだろうというこ
とも述べておいた。
  それから1ヵ月を経た今、世界の経済と政治の大きな転換の中にあって、この
国の現実政治はますますその迷走を露わにしている。意気揚々と船出した麻生新
内閣は、「ポスト小泉政治」のあらゆる難題を抱え込んだうえに、深刻な世界経
済危機のあおりを受けて直ぐにアップアップを始め、この危機自体を利用して何
とか政権維持を続けようとあがきながら、その脆弱さを隠しようもなく私たちの
前に晒して停滞を始めた。

 内閣成立直後、まず"政治的化石"のような中山某大臣の異常発言が人々を驚か
し、国会では予想されたとおりのお粗末な答弁が繰り返された。「2兆円の定額
給付金」という無思想な大盤振る舞いの口約束さえも、内閣・与党内の見解不一
致という事態を生み出し、その満足な処理さえできないでいる。おまけに田母神
とかいう航空幕僚長の論文問題に関連して、一ホテル会社(?)の懸賞論文募集
に、第6航空団(小松基地)の司令名で、大勢の隊員に同テーマ(「真の近現代
史観」)の論文を書かせていたというような、とんでもない事件まで明るみに出
てきた。自衛隊の最上部において、文民統制どころか、「憲法無視・反憲法」の
傍若無人な行為が日常的に公然と行われていたのであり、しかもそれが、この異
常な軍人一人の定年退職という"厳正な処置"でふたをされようとしている。

 そんな中で11月4日の読売新聞は、内閣支持率が40.5%と前月比5.4%も低下し
て、不支持率(41.9%)を下回ったと報じた。11日発表の朝日新聞の世論調査で
は、支持率は37%(不支持率41%)と、さらに下がっている。これではゴルゴ13
を気取って舞台で大見得を切ってきた麻生氏も、このところ表情が渋りがちなの
は当然である。
  ところで本稿の目的は、こうした"右往左往する"現内閣の「生臭政治」のあと
を追うことではない。今回の主題は、この貧相で劣弱な新政権の主役である麻生
新総裁が誕生した「自民党総裁選挙」の意味を考えて見ることである。


◇最初から決まっていた麻生氏の「圧勝」


  いわゆる福田首相の「政権投げ出し」のあとを受けて行われた"民主的な総裁
選挙"の結果、9月22日午後の自民党両院議員総会は、得票率67%の圧倒的多数で
「麻生新総裁」を選出した。麻生氏のこの大量得票の意味と背景については、当
日のテレビ番組のほか、翌9月23日の朝刊各紙がいろいろと解説している。それ
をいま改めてこの稿でとり上げるのは、自民党が総がかりで、鳴り物入りで行っ
たこの「民主的な総裁選」なるものが、いかに<つまらない政治行為>であり、
かつ今日の自民党の危機的状況を如実に示しているかを明らかにしたいためであ
る。

 福田首相の辞意発表直後からの新聞記事を繰ってみれば分かることだが、この
総裁選は最初から麻生太郎氏一人のために行われたようなものだった。たとえば
福田氏の辞意表明の翌9月2日の朝日新聞夕刊には、早くも「麻生氏、総裁選出馬
へ」という見出しのもとに、満面笑顔の麻生幹事長(当時)が、こわばったよう
な硬い笑いの福田首相と並んで写っていて、記事本文は次のように書き出してい
た。
  ――《麻生氏は2日の記者会見で、「(福田首相は)思い半ばのところがあろ
うと思う。(首相から)『そこらのところをぜひ実行あらしめるようにしてほし
い』という話があったので、緊急経済対策を含めて首相といろいろ話をしてきた
私としては、そういったものに受ける資格があるのかな」と述べ、総裁選に立候
補する考えを示した。》
 
その後の各紙の政局報道を総合すると、麻生氏の次期総裁としての選出につい
ては、党内最大派閥である「町村派」(派閥の所属議員数88)の最高顧問として
今の政治に大きな影響力を持っているらしい森元首相との間で、早くから支持の
確約ができていたというのだが、それに続いて安倍元首相や町村官房長官(当時
)が麻生支持を表明するなど、中川秀直氏らのグループを除く同派議員の大半が
実質支持の態勢になっていたのは確かなようである。さらに、当初から伊吹派(
同28)、二階派(同16)といった"あいまい派閥"が同氏支持を打ち出し、くわえ
て高村派(同15)も高村正彦会長以下多くの議員が支持にまわった。こうして告
示日である9月10日の麻生出陣式には、党内8派閥すべてから衆参両院議員125人
が集まり、20人前後だった他の4人との勢いの差を見せつけたという。麻生氏を
支持する党幹部の一人は、「勝負あった。もう明日からは消化試合だ」と言って
いたと、翌日の朝日新聞は報じている。

 このような議員集団の動きだけでなく、自民党の地方組織の動向も最初から麻
生一辺倒であり、早くも9月2日に朝日新聞が「自民党47都道府県連の幹事長ら地
方幹部」に一斉取材した結果では、「次期総裁に麻生幹事長を希望する」声が、
約半数の23府県を占めていた。この記事に付いている一覧表を見ると、他の個人
名を挙げていたのは3県連のみであり(渡辺、小池、野田各1)、残りの県連は、
次期総裁名については無記入となっている。
 
くわえて、一般の有権者もまた圧倒的に同氏を支持しているという世論調査が
、この「麻生総裁」への流れを後押しした。同じく朝日新聞が総裁選告示後の9
月10日、11日に実施した[全国緊急世論調査]によると、「5人の候補者中で次
の首相に誰が一番ふさわしいか」との質問に、42%が麻生幹事長をあげ、早くも
断然のトップに立っていた(それ以外は石原10%、小池8%、与謝野6%、石破3
%。なお自民支持層のみでは麻生支持が59%)。
  こう見てくると最初から、総裁選への環境も、本人の意欲も、当選への準備態
勢も、麻生氏一人が突出していたことがわかる。さらにもう一つ忘れてならない
のは、同じ与党を組む公明党が、その政策においても選挙への対応においても、
事前に麻生氏と連合するような動きを示し、「自民党は選挙に勝てる顔をトップ
に据えて動くべきだ」というような発言を、幹部たちが露骨に繰り返していたこ
とである。
  こういう政治情勢の中で、自民党は「開かれた民主的選挙」を大きく掲げ、"
全党的な"キャンペーンを開始したのである。


◇演出された「民主的な総裁選挙」


  こうした大勢を早くから読み込んでいたのか、麻生支持派の中心人物の一人で
ある鳩山邦夫前法相(現総務相)は、9月2日早朝の民放の番組で、「麻生太郎が
楽勝するような選挙であってはいけない。いろんな議論が出てその結果、麻生太
郎が勝つのがベスト」だと言っていたという(朝日9月3日)。また麻生氏自身も
「3人出て欲しい」と側近議員に洩らしていたと、9月5日の同紙は書いている。
――大本命の余裕といえばそれまでだが、その後の総裁選立候補の経過は、まさ
にこの麻生支持派の希望どおりに展開した。
 
まず9月2日、小池百合子元防衛相が「野球は一人ではできない」と立候補に意
欲を示したのに続き、4日朝には石原伸晃元政調会長、与謝野馨経済財政相が立
候補への意志を明らかにした。そうしてこの頃から新聞は盛んに、(1)麻生氏に代
表される「積極財政派(財政出動派)」と、(2)小泉=竹中の"構造改革路線"を継
承・発展させようとする中川秀直元幹事長らの「上げ潮派」との対立をことさら
に取り上げ、これにさらに、(3)与謝野馨氏らの「財政再建派」なるものを対置し
て、ヴァーチャルな対立図式を組み立てはじめた。

 一方、この「民主的総裁選」のプロセスはさらに前に進み、小泉元首相の再登
場を求めて署名集めをする"小泉チルドレン"の動きなどが伝えられる中で、テレ
ビ画面によく登場するあのおしゃべりな参議院議員山本一太氏や、やはり「若手
改革派」だという棚橋泰文氏(といっても、こちらはその顔さえ知らないのだが
)といった連中までが立候補を模索しはじめたと言われ、最後には"防衛オタク"
として有名な石破茂前防衛相が名乗りをあげて、奇妙な取り合わせの"5人組"の
勢揃いとなった。――そんな中で9月6日の朝日新聞は、ある当選1回の議員が地
元の地方議員から、「このまま選挙になったら負ける。どうせなら総裁選で暴れ
てアピールしてこい。そのほうが地元で訴える材料が増える」と後押しされてき
た、という話などを記事にしていた。

 こうして今回の自民党総裁選は、誰もが参加できる"最大限に開かれた総裁選"
の形相を呈したのだが、その実これが「管理され演出された総裁選」であったら
しいことは、麻生支持派のもう一人の中心人物である菅義偉選挙対策副委員長(
元総務相)の次のような話からも窺がうことができる(9月22日夕方の民放テレ
ビ番組「スーパーJチャンネル」でのインタビューより)。
 
「(総裁選の)候補者を3人擁立できればいいなというのが、選対としての考
え方でした」。「(古賀)委員長と私で、今度の総裁選は総選挙に直結するもの
であるから、それは活用させてもらおうと思いましたね」。しかしこのとき既に
"ポスト福田"は麻生氏で確実という情勢であったから、「それではつまらない総
裁選になってしまう」と菅氏は思っていた。そんな中でまず小池氏が名乗りを上
げたが、同氏はそれではまだ足りないと考えたという。「私は3人以上はやっぱ
り出てほしかった。1対1ではあまりに迫力がない。3人出れば、さまざまな意見
がより国民の皆様に分かってもらえる」と考えたというのである。
 
同番組の解説によると、その3人目として石原伸晃氏を擁立する動きを進めた
のが、小泉元首相と森元首相だというのだが、それはさておき結果的には前記の
ような候補者たちが次々に名乗りを上げて、5人の候補による争いになった。菅
氏の結論的な感想は、「選対としては3人出ればよいという考えだったが、5人出
てきたというのは、限られた時間で若干多いのかな」というものであった。つま
りこの総裁選を推し進めた者たちの狙いでは、この「政党最大の行事」であるべ
きものが、直近にやってくるであろう衆議院の本選挙の盛り上げ策のように位置
づけられていたということである。


◇「政治的なダイナミズム」の喪失


  しかしここで指摘しておきたいのは、一党の「総裁」を選び出すというプロセ
スが、こんなにも便宜的な、軽いものでよいのかということである。『自民党戦
国史』(伊藤昌哉)の時代は措くとしても、少なくとも自民党がこの国の政治に
それなりの意味をもって存在していた時代には、党の総裁を決めるということは
、ある意味で党の指導者たちの政治生命をかけた仕事であった。かつての自民党
の総裁選びは、いつもそういう各派閥の領袖たちの、緊迫した自己主張と闘いの
場だったはずである。
 
現在の政治ジャーナリズムや政治論の世界では、「派閥」は悪の象徴のような
扱いをされているが、自民党やかつての日本社会党のように「連合党」の構造を
持った政治組織では、いつもそういう党内政治集団の確執とその調整を通して、
その時々の<時代の要請>に適合すると考えられた政策の方向や、党の在り方が
選択決定されてきた。そしてかつての社会党のように、一部の政治集団が独善的
なやり方で党内を支配したり、あるいは逆に無原則な妥協によって政策選択をめ
ぐる抗争を放棄した時、その党の内的な力学関係は弛み、党はそのダイナミズム
を失ってしまうのである。

 今回の総裁選で見られた光景は、まさにこの政治的ダイナミズムの喪失の姿で
ある。今回、5人の候補者たちは、まずマスコミの提供した舞台(共同記者会見
や候補者討論会など)で、最初にちょこっと自分たちが立候補した意図と政策の
方向らしきものを表明したあと、こんどは全員うち揃って飛行機やバスなどに乗
り合わせて総裁選の各遊説先に移動し、そのバスの窓から「有権者」たちに手を
振ったり、宣伝カーの上で5人が"手に手を重ねてつなぐ"握手をしたり、といっ
た遊説ツアーを繰り広げた(9月23日の読売新聞はそのツアーの珍奇さを、「幼
稚園の遠足のように」という与謝野馨氏の言葉で伝えている)。
  だが、このような周到な演出と盛り上げがあったにもかかわらず、今回の総裁
選は、最初に記したようになんとも"つまらない"ものだった。だからさすがのマ
スコミも、しまいにはこの「行事」を追いかけることに、あまり興味を持たなく
なったようである。
 
この総裁選の眼に見える"つまらなさ"の象徴(シンボル)は、なんといっても
これに名乗りを上げた登場人物たちの"顔ぶれ"である。これについては今さら文
章に書くのも愚かであるが、とにかくこの人々のうちの誰一人をとっても、政権
政党を率いて一国の総理大臣として内外政策の執行責任をとり、あるいは国家と
国民を代表して国際社会に伍していく器量がある人物であるとはとても思えない
(おそらく麻生氏を除いて、本人たち自身がそう思っているのではないか)。
  彼らがテレビカメラの前などでそれぞれ自分の政治の考え方を述べ、相手の政
策との違いを表明しているときでさえ、そこには彼ら自身のオリジナルな政治見
解というものが見出せない。その凡庸さにおいて、彼らは政治的にみな同質なの
である。このことは政党内のさまざまな構成分子が、<相異なる意見と利害>の
調整を通して一つの<共通の政策>を実現していく「連合党」としては、本質的
な欠陥といっていい。


◇総選挙の事前運動に堕した総裁選


  先に記したように、マスジャーナリズムなどは共通して、この総裁選の「対立
図式」を(1)積極財政派、(2)上げ潮派、(3)財政再建派のあいだの「路線対立」とし
て描こうとした。だが、そんなくっきりとした対抗軸をめぐって、この総裁選は
闘われただろうか。
  まず麻生氏は「日本経済は全治3年」と称して、「財政再建路線を守りつつ、
弾力的に対応する」と言う。「優先順位は景気対策、中期的には財政再建、長期
的には構造改革に伴う成長だ」(読売9月23日)というのだから、いいとこ取り
で、争点がぼけるのは当たり前である。本音は公明党と連合して「景気対策」と
いう名のバラマキをしたいのだが、結局は自民党がこれまでとってきた「改革路
線」を捨てるとは言えないのである。
 
この点は、「小泉改革路線」の継承を公言する「上げ潮派」(小池、石原氏が
そうらしい)はもちろんのこと、地方選出議員の立場から「構造改革は必要だが
、自民党は地方の痛みをわかっているというメッセージを発することが必要」と
いう石破氏にしても同じで、やはりその「改革路線」と絶縁することができない
でいる。いっぽう「財政再建派」といわれる与謝野氏も、選挙対策上ドラスティ
ックな増税を打ち出すわけにもいかず、「当面は景気と生活に配慮して」という
ような、どっちつかずになっている。こうして皆が選挙民に口当たりのいい、あ
いまいな政策に向って歩み寄っていくほかはないのである。

 結局、首相を辞任した福田氏がそうであったように、彼らは皆、これまでの自
民党が「日米同盟」とあわせて、いわば近年の党是としてきた橋本=小泉型の「
改革」路線の呪縛から遁れられないのであり、それが「時代の要求する大きな構
想」を描けない彼らの共通の限界となっている。
(注:彼らの規制緩和・市場優先の「改革」は、すべてを市場の自由に任せると
いうようなものではなかった。特に小泉・竹中の"構造改革"は、今回世界的にそ
の破綻が誰の眼にも明らかになったアメリカ型のヴァーチャルな金融優位の資本
主義に向けて、強力な政策介入と誘導を行ったものであり、方向は逆だが、昔な
らこういうものは「構造政策」といって、革新的な「構造改革」とはっきり区別
されていたのである)。
 
このような限界の中で行われた「開かれた総裁選挙」が、演出者の意図のとお
り、迫り来る衆議院選挙の「事前運動」として展開されたのは当然である。こう
して2007年の総裁選挙では4ヵ所だった候補者たちの遊説が、今回は東京・渋谷
駅前を皮切りに、北は北海道釧路市から南は鹿児島まで、過去最高の全国17ヵ所
で行われ、その移動距離は1万1000キロにも達したという(さきの民放テレビ番
組「スーパーJチャンネル」による)。


◇いまや「マス社会化」した自民党組織


  私は自民党の官僚組織や末端の組織事情を体験的に知っているわけではない。
したがって、いま自分が書いていることが、この党の現実を言い当てているかわ
からない。だが、報じられている新聞記事や映像から判断して、この党がすでに
「党」としての組織の基本を失っていることだけは指摘することができる。
  最初に記したように、「麻生新総裁」は得票率67%の圧倒的多数で選出された
。新聞の伝える候補者別得票数は、次のとおりであった。
  麻生太郎351(議員票217、地方票134)
  与謝野馨66(議員票64、地方票2)
  小池百合子46(議員票46、地方票0)
  石原伸晃37(議員票36、地方票1)
  石破茂25(議員票21、地方票4)
  党所属の衆参議員票は386、地方票は141、計527票が総数である。議員票の56
%というのは麻生氏の目論見より少し低いかもしれないが、しかし全体の6割近
くの支持を得ていることは間違いない。しかしそれよりも注目すべきは、「地方
票の95%が麻生支持」という数字の異常さである。

 この得票分布が物語るのは、一言で言って「自民党はすでに党としての実質を
そなえていない」ということである。過去の自民党における「党の総意」の決定
過程については既述したとおりだが、そういう党内での派閥抗争を通じた調整の
プロセスは、「党は機能的に一つの<知識人集団>である」という原理にもとづ
いている。
 
議会制民主主義の下では、「党」という集団は、――とりわけ<支配的党>は
――、(1)たんに行政・官僚組織と有機的につながって国家経営の情報を入手し、
その官僚組織を指導・統制し、あるいは影響を与えるというだけでなく、(2)全国
の地域社会の中に根を張って多様な住民と結びつくことにより、組織内に社会の
動的情報を取り込み、それをもとにして既存の国の政策を新しく構成=再構成し
、その国の政治経済運営をいきいきとしたものに変えていく、――という役割を
もっている。しかし自民党の場合、本来組織政党がもつべきそうした<知的機能
>は、長いあいだ権力機構の頂点に居座り続けた結果として徐々に劣化し、すで
に目詰まりを来たしてしまっていたのである。

 そこに加えられた最終的な打撃が、例の「自民党をぶっ壊す!」という小泉=
武部執行部の蛮行である。彼らは"猫だまし"のような「郵政民営化」という単一
争点をめぐって、対国会では反憲法的な衆議院解散を強行するとともに、対党内
的には「反対勢力は公認せず」の強権を発動し、はては「刺客」と称する政治的
な都市浮遊分子を党内反対派に差し向けたりして、これを徹底的に排除追放した
。こういう蛮行が、「合意の組織」である政党にとっていかに馬鹿げたことであ
り致命的であるかは、過去の歴史が証明しているのだが、すでに活力を失ってい
た当時の自民党の議員集団はこれを何のリアクションもなく受け入れてしまった
(詳細は拙稿「2005年夏の大衆選挙」;オルタ第20号)。
 
そして、この小泉内閣による旧型自民党の解体のあとを受けて登場した安倍政
権(=小泉継承内閣)は、こんどは郵政選挙で追放された人々の中の、「ぶれな
い人々」(国民新党)を除く議員らに手を差し伸べ、「郵政民営化に賛成」とい
う言質をとって、その帰順を"歓迎"した。これはまさしく帰順派議員の<政治性
>(政治家の心)の解体であり、それ自体がさらにこの党を堕してしまったので
ある(それらの人々が現在の麻生内閣と自民党執行部の中枢にいるわけだ)。

 それにくわえて、より本質的な解体がいまこの党の地方組織において進んでい
るように思われる。――先に挙げた「麻生支持95%」という総裁選の地方票の数
字が、何よりもそれを明瞭に示している。候補者5人の中で、まず小泉改革によ
る地方の疲弊を訴えていた石破茂氏への地方票が、獲得票25のうちの4であると
いうのが少なすぎる。しかしそれ以上に、本来なら小泉改革路線の継承を掲げて
都市民の支持を得ているはずの小池氏、石原氏への地方票がそれぞれ0、1であり
、さらに財政秩序を重視して従来の自民党政策の見直しをそれなりに主張した与
謝野氏が2というのは、なんとも異常である。今回の総裁選で自民党組織は都市
も農村も全党を挙げて、"何ほどの政治理念も展望もない"麻生氏に、何ほどの信
念も展望もなく雪崩を打ったのであり、これは自民党の地方組織の「地域からの
遊離」と、彼ら<地域自民党>の追い詰められた政治的悲鳴を物語る以外には説
明がつかない。

 自民党はいまや議員集団も地方組織も共に、あたかも箕(み)の上の<皮を剥
かれた豆>のように、そのときどきの「人気らしきもの」を探り当てて、群れを
なしながら、あちらからこちらへと(安倍から福田へ、福田から麻生へと)無定
見にばらばらと動き回っているだけである。これは本来、知識人集団であるべき
<政党>が、上から下まで丸ごと「マス社会化」してしまったことの証明にほか
ならない。
  これはまた、今回の地方組織における「圧倒的な麻生支持」というものが、劣
化し官僚化した地方県連の幹部たちに率いられ、選挙区の単なる<後援会組織>
となって狭隘化したサークル内での、「麻生支持の大合唱」であるにすぎないこ
とをも物語っている。それが(1)麻生氏への地方支持票95%という異常な偏りと、
(2)麻生内閣成立後の内閣支持率の低水準での固定化、という相矛盾した数字のも
つ意味である。党から地域へと連なる自民党のヘゲモニー装置は、こうしていま
やその機能と役割を完全に終えたと結論できよう。


◇ひな壇に登場した「麻生太郎総裁・総理」


  いずれにしても麻生新体制は、こうして全自民党(+公明党)の期待を担って
誕生した。そしてこの「民主的な総裁選出」は、「無投票での小沢三選」という
民主党の"非民主的体質"に対置されて自民党により喧伝された。しかしこの「民
主的」にして「茶番的」なセレモニーの間に、党と内閣の中心人事は着々と物陰
で進められ、しかもその情報は次々と流れ出して、国会での首相指名の前に新内
閣の内容がすべて報道機関に把握されてしまうというようなことになっていたの
である。

 9月22日午後の自民党両院議員総会で、麻生太郎氏はいくぶん緊張の面持ちで
勝利の舞台に上った。そして、いかに自分がこの1年間、全国各地を歩いて地方
の実情を見てきたか、また自分の祖父である<吉田茂>らが日本の現在にいかに
大きな役割を果たしたか、といった自慢話をして就任挨拶を終えた。もちろんそ
のなかで、新政権が進み出す方向について、何らの新しい理念も構想も具体的政
策も示されたわけではなかった。
  興味深かったのは、この実質的な「自公新政権誕生」についてのマスコミの扱
いである。本来なら当然大会の終了から間もない時間にあってしかるべき、新総
裁の会見は、NHKの大相撲放送の結果を待って始まった。記者会見は例によって
何のサプライズもなく型どおりに進められて終った。その間、ほとんどの民放各
局の夕方の報道番組では、この「新総裁誕生」のニュースは「二番手」で扱われ
、各局は公衆トイレ内での子殺しや、女児裸死体の置き去りといったセンセーシ
ョナルなニュースを延々と報じていた。

 この日から翌9月23日にかけての組閣そのものは、(1)中川(昭一)・鳩山(邦
夫)氏らを中心においた"第二のお友だち内閣"と揶揄されるような貧弱な閣僚配
置、(2)その中川氏への「財政+金融」機能の集中、(3)町村派主流との露骨な連携
、(4)その一方でいわゆる「上げ潮派」の完全な内閣離脱、(5)総裁選候補者(小池
氏を除く)の内閣・執行部への取り込み、などが目立つ程度で、(6)麻生氏に本来
的な"右への底流"は安倍氏の扱いに見るように、今回は裏に隠された。全体とし
て、内閣としての立脚基盤の狭さと脆弱さが浮き彫りにされた組閣だった。
 
その中で特別おかしかったのは、どうやら「大統領型」を目指しているらしい
麻生氏の自己演出の姿だった。彼はあたかも「この内閣の主人公は自分です」と
でもいうように、普通なら官房長官が行う閣僚名簿発表を自分自身で行ない、併
せてそれぞれの"重点課題"を指示したりして、「麻生総理大臣」を強く押し出し
ていた。その極めつけは、組閣後の全閣僚による写真撮影の場面だった。彼は<
架空の国>の王様よろしく、赤じゅうたんの階段を両脇に若い女性閣僚二人を従
えて降りてきて、ぴたりと自分の「大臣一同」の真ん中におさまり、恒例の記念
撮影を終えたのである(08.11.12記。未完)。               
     
(筆者は元編集者、オルタ編集部)

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