パソコン超初心者のへらずぐち

■パソコン超初心者のへらずぐち 西村 徹

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 私がパソコンを覚えたのは2001年夏。森内閣がパソコン普及のキャンペー
ンを思いつき、あちこちの小学校を会場に講習会があった。家内が主導で、二人
並んで参加した。ふたりともタイプライターの時代からキーボードにはなじんで
いたが、インターネットとかメールとかいうものには驚いた。講習の最中よりも
自前で実地にメールの送信ボタンを初めて押した途端、一瞬にして着信するらし
いのには息を呑んだ。ラディオ・フランスから本当にフランス語が聞こえてきた
のにもイタリア絵画が鮮明に映し出されるのにも仰天した。世界中の新聞がリア
ルタイムで読めるなど信じがたいことに思えた。某私大はTimesを船便でなく航
空便で取っていて、それが見たさもあって非常勤講師をした昔のことが夢のよう
に偲ばれる。

 1960年代はじめの頃、自動車学校でフロントガラス中央に縦にフンドシの
入った、ドアは観音開きのトヨペットを初めて運転して、あの重い大きな鉄の塊
がじわーっと実際に前進したときは、まるで軍艦が動いたように感じた。そのと
きも驚いたが、今度の驚きは質が違っていた。空間だけでなく時間も超えてしま
って異次元の世界に自分が新しく生まれたかのように思った。死者との交信もあ
るいは、などとさえ思った。

 パソコンを買ったのは講習が終わってすぐの八月。元学生の大型電気店員に頼
んで品選びから立ち上げまで、すべてやってもらった。だんだんと使えるように
なって、いろんな失敗をやった。最初はプロヴァイダーに何かのサービスの登録
をするのに、パスワードとかIDとかいうのを、いくら入れても*(アステリス
ク)ばかり出てくるので「どうしてか?」と、いささか色をなしてメールをした
が相手は呆れたのか返信はなかった。

 次はプリンターを買ったとき、インク壷を挿入するのに「前蓋を開けると台が
出てくる」と書いてあるのに何も出てこない。「どうしてか?」と、今度はおず
おずと電気店に電話した。「電源を入れたか?」と言う。入れてなかった。これ
はパソコンのできない友人の間でも大きく笑いを取った。

 新聞の学芸欄に「朝日を標的にする2チャネラーズ」というような文言があっ
た。2チャンネルというと関西ではNHK総合テレビをいう。それではどうにも
意味が通らない。思案の挙句にメールをしてみた。すると親切な返信が来て吃驚
感謝した。新聞にメールを送ると返事があるのに勢いを得て何度か送った。 

 イラク侵略が始まってしばらくして、19歳の米軍の女兵士が前線で気絶して
いてイラク軍に救助され、病院に運ばれ手当てを受けているのを米軍が拉致する
ということがあった。その女兵士を英雄のように報じている米紙の紹介記事が載
った。伝えただけの新聞に直接の責任はないが、何のコメントもなく紹介してい
るのに疑義を呈した。病院で手当てを受けているのでなく、たとえ捕虜になった
として、救い出した者が英雄ではありえても救い出してもらった者が英雄という
のは理屈に合わないではないか。そういうようなことを言ってやったら「分析が
足りなかったとおっしゃるのですね」と返事がきた。おそらく記者は暗黙の皮肉
をこめてわざとコメントしなかったのだろうが、そのようなソフィスティケーシ
ョンは(ワタシ的にはむしろ好むところでさえあるが)新聞としては文学的にす
ぎるだろうことを記者は了解したらしかった。

 サダム・フセインの息子ウダイとクサイの二人がイラク人民に裁かれてではな
く侵略米軍によって惨殺された。血まみれの遺骸をメディアはこぞって晒し者に
した。イギリスのガーディアンなんかも晒し者にした。テレビなどは、これでも
か、これでもかと晒した。フランスのルモンドは出さなかったが私の読む新聞も
出さなかった。出す、出さないは、それぞれに言い分はあろうが、出さない決断
の方に出す以上の勇気がより強く必要とされるであろう。「劣情に媚びなかった
見識は高邁」と書き送って、これはヨイショだから当然かもしれないが丁重な返
事がきた。

 調子のよいときばかりではない。コラムニストの署名入り文章について感想を
書いた。まだワードの使い方を知らなかったからメールで長々と論文のようなも
のを書いた。囲み枠にcolumn@asahi.comと大きく太字で出ていたので、てっきり
有効だと思ったがまったく送信できなかった。あれはアドレスではなく、ただの
飾り文字だとは知らなかった。こういうのを関西語でスカタンという

 この種のスカタンもまた座興である。芝生で滑って尻餅をついたら思わず誰し
も笑ってしまうようなものだ。とにかくメールのおかげでフィードバックが飛躍
的に容易になった。直ぐ手ごたえがある。「素人は黙っていろ」と玄人は言いた
がるが、それが罷り通れば民主主義はおしまいだ。Have more sayは民主主義
の土台で、それにはメールは便利な道具だ。そして、ときには小言孝兵衛ばかり
でなくて、ヨイショもメディアをはげます肥やしになるだろう。「して見せて言
って聞かせてさせてみて褒めてやらねば人は動かぬ」とは山本五十六の歌だそう
だが、「して見せて」を「読んでみて」に替えれば当てはまる。

 いまだにプロヴァイダーとサーヴァーの区別も定かでない程に私のIT錬度は
低いから、それに見合って素朴で楽天的なのかもしれないが、これはなにかとは
なはだ便利だ。卑近なレベルではアマゾンから洋書が為替のレートで買えるよう
になった。

 長い間丸善からドル 360円にプレミアムのついた450円くらいで買わされた。
変動レートになってからも丸善価格はすぐには連動しなかった。もちろんプレミ
アムつきだ。海外に口座を持って自分で買えるようになっても、大学の事務や図
書館が丸善と癒着していて公費の分は直接購入ができなかった。「仕入れ値は小
売値より安いはずだからレートで売っても儲かるはずなのに、なぜプレミアムが
つくか」について丸善は「輸送途上のリスク負担だ」と言った。大学事務は「府
民の税金を執行するに当たっては高くついても府下に立地する業者に利益を還
元しなければならぬ」と言った。序ながら書籍を図書館に寄付するには寄付願い
を出さねばならなかった。

 私学に転じて、今度は役所でなくて民間だから、同じ予算で多く買える直接購
入が当然歓迎されると思ったが、やはり図書館と紀伊国屋が癒着していてダメだ
った。誰が図書館長になっても、この壁は崩せなかった。「なにしろ親会社だか
ら」と、どっちが親とは言わないで図書委員の誰かが言った。そういうことがあ
ったから、ひとしきり江戸の仇を長崎で討つような気分でアマゾンを使った。

 フランク・パヴロフの『茶色の朝』という1000円の本が出た。高橋哲哉の長
い解説つきだから単純比較はできないが、フランスでは著者が印税を放棄し、仲
間がトラックに積んで50円くらいで売り歩いてバカ売れに売れた。もとのフラ
ンス語版はネットで読める。ドイツ語版も読める。英語版はいまの円安でもアマ
ゾンで700円あまりだ。1000円くらいいいじゃないかというかもしれぬが、と
にかくそういうことになっている。版権の切れたものはたいてい読める。セルヴ
ァンテスの『ドン・キホーテ』などスペイン語と英語と対訳で読める。デカルト
もアランも原文で読める。読めるというのであって読んだというのではないこと、
念のため。BBCはむろんのこと、ラディオ・フランスのcultureなど、私の耳
では豚に真珠だが、3時間ぐらいの哲学の講座もある。ガーディアンで新刊の書
評が読めるのもありがたい。また一方では大西巨人などという大先輩がホームペ
ージで小説を連載していたりして、とても退屈などしていられない。

 錬度の高い人からみれば笑止のかぎりであろうが、毎朝新聞を音読していた明
治元年生の祖父が、ステンショでテケッツを買って、蒸気きくぁんしゃの引っ張
る汽車に乗って初めて大坂(オーザカ)にいったときは、これくらい驚いたのだ
ったろうと思う。

 あまり初心の青臭い興奮ばかりではと、ここで加藤さんのお奨めに従い『ウェ
ブ進化論』(梅田望夫著・ちくま新書)を買ってきて慌てて読んだ。こういう売
れ筋の本つまりこの本のいう「恐竜の首」に属する本はたいてい立ち読みですま
す。『バカの壁』も立ち読み。『国家の品格』は古本屋で300円だったから買っ
た。しかしこの本は立ち読みでは立ち行かぬ。専門的な術語はわからないし、芯
のところで農本主義から抜け出していない化石人間(なにしろ私は嘉永生の曾祖
母の膝の上で幼時を過ごした)には、隅々までくっきりわかるわけはないが、面
白かったし後味も悪くなかった。

 後味の悪くなかったのは、この本は楽天的だからだ。ネットの情報はゴミだら
けだとか、陰気な引きこもりのネットオタクが不満のはけ口にしているとか、負
の面が強調されるし、それらしい気配は知らぬわけでない。しかしそんなものに
首をつっこむ余裕も能力もないので、まずは対岸の火事。リスク管理は必要だろ
うが、いまのところ便利重宝していて私自身も楽天的だ。だからこの本は素直に
読むことができた。

 「チープ革命」は自明のこととして、ともかくも買いやすく使いやすくなるの
だから、またPCに縁のない世代は減る一方だから,まもなくデジタルデバイド
などはなくなるだろう。IQに関係なく30代でPCのできない人を私は知らない。

 それよりも、とりあえず驚いたところを摘み食いすると、まず「アマゾン・コ
ムとロングテール」の項。本の売れ行きを棒グラフにすると、左端に10メート
ル以上もある高さの第一位、そこから右に急降下して長々と1キロ以上の長い尻
尾(ロングテール)を持つ恐竜の姿になる。「恐竜の首」にはベストセラーズが
くる。普通は首で稼いでロングテールの損失を埋める。ところがアマゾンは全売
上の半分以上をロングテールから上げていると発表したそうである。著者に序列
はつけないで230万点をリストアップするなどによってのことらしい。ためし
に私の友人のK氏が大阪の出版社から自費出版した本を検索してみた。「恐竜の
首」となんらの差別もなく「内容紹介」「著者略歴」まで掲出されていた。すぐ
さまK氏の本が売れるわけでもなかろうが、我が家のモニターで見せたらまん
ざらではない顔をしていた。読者のレビュー欄があって、これがまた作用するら
しい。私はよく、このレビューを読む。ビックスの『昭和天皇』など否定的なレ
ビューが多いので逆に確かめたくて読んだ。英、米のアマゾンにも、これをパク
ってもショーバイになるかもと思うくらいに随分上質なレビューが載る。

 ここまでは非常によくわかる。あとはぼんやりとだが分かる。ブログは玉石混
交だが、玉には既成メディアの垣根から締め出された、しかし玄人の表現者に劣
らぬ水準のものがかなりある。衆愚の蔭に隠れた衆知がある。それが掬い上げら
れて、貼り付けた広告などを通じてなにがし収入が得られるようになっているら
しい。従来は既成メディアという置屋に席がないとお座敷がかからなかったが自
前でもGoogleが面倒みるようになったのらしい。日本では副収入としてさほど
の額ではないが、英語圏の途上国のばあい、支払いは基準通貨によるから十分メ
シが食える程度になる。また既成メディアの枠のなかで華々しく発言していなが
ら、政治の風向きが変わって、すっかり干されてしまった人などブログは最後の
砦になっている。

 こうやって地球規模で情報発信の垣根をうんと低くし、反故にされてきた衆知
に光を当てると同時に、経済的にも格差是正の方向にアマゾンやGoogleは働い
ているのだから、これこそ民主主義だという。情報の世界に限られるものの富の
再分配を結果するのだから、それはそのとおりだと思う。Googleはオープンソ
ースとかでビル・ゲイツやYahooが囲い込んでいた独占を破ったのであるらし
い。そのへんは、これは書評ではないし、私の手にあまるから立ち入らぬが、な
にか新しい希望が見えるような気になってくる。

 Googleは、しかしコアの部分は、ベスト・アンド・ブライテストが「泥仕事
を厭わず」獅子奮迅の働きをすることによって支えるというプリンシプルは譲ら
ないという。これも私は同意できる。日本がダメになったのはエリートが偏差値
ばかり高くなってnoblesse obligeを欠いたからだと私は思う。藤原正彦氏の『国
家の品格』は腹立ちまぎれの啖呵のような乱暴なところがあるが、この点はまっ
たく同意する。比較的長いといえる人生の中で直接に接した人の間に「これはと
ても敵わぬ」と思える仁が一人二人はいた。直接でない人にはもっといた。これ
はあっさり認めて凡人とは別仕立てで働いてもらうがよい。

 ところで今、たとえば前原とか永田とか、あれはブライトでもbright ではな
くblightだ。政治家として未熟である以前に、ITについて、あの世代であの
無防備は私のような超初心者にも考えられないほどのものだった。偏差値すら怪
しい。片や自民党には世耕弘成みたいな、ほんとうにbright な、ゲッベルスに
匹敵するぐらいの宣伝大臣がいて手ごわい。野党はもっと敵から学ぶべきだ。も
っとしっかりITを勉強してGoogleから学ばないといけないように思う。

 脱線気味で終わるが、ひとつGoogleについて気になるのは、もし大きな戦さ
になって、これが権力の手に落ちたらということ。それを防ぐにはオープンソー
スを権力にも要求して情報公開を徹底させることが必要だろう。権力を無化する
ことは無理でも、その方向にGoogleは働くものでもあろうと、これまた私は楽
天的ではあるけれども。
                 (筆者は大阪女子大学名誉教授)

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