ブッシュ政権の終りとそれから

海外論潮 短評              初岡 昌一郎

ブッシュ政権の終りとそれから

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(1)


  ブッシュ政権はその7年間に、「バラバラだった開発途上国を結束させ、結束してい た先進国グループをバラバラにさせた」功績があったといわれる。
  あれほど鳴り物入りだった対テロ戦争は、公約したアルカイダなどのテログループの 絶滅に失敗しただけではなく、新しいテログループを育成し、拡散させてきた。
  タリバン政権がオサマ・ビン・ラディンをアメリカに引き渡すのを拒否したことから始まったアフガニスタン戦争では、多額の戦費を浪費したあげく、アメリカに支援されたカルザイ政権の統治能力のなさを救いがたいほど露呈させている。今では、タリバンが政権再掌握の様相をみせている。正当な理由なしに始めたイラク戦争はまさに泥沼化し、イラクを統一国家として存立するのを困難にさせているだけでなく、その地域全体の不安定化を促進してきた。大義なきイラク戦争の犠牲と出費が、ブッシュ政権の墓穴を掘り、アメリカ外交の転換をうながす契機となってきた。

  ブッシュ政権の外交政策を評して「アメリカ単独行動主義」という言葉がよく用いられてきた。国連を無視、また同盟諸国との協調を軽視し、その抜群の軍事力の行使を背景として「わが道をいく外交」を行ってきたからである。
  アメリカ建国の父、ワシントンは「外国のいかなる国とも恒久的な同盟を結ぶことのないように」と告別演説で後継者達に遺言していた。また、トマス・ジェファーソンはその大統領就任演説の中で「あらゆる国と平和、通商、誠実な友好関係をむすびつつ、いかなる国とも拘束される同盟は結ばない」と約束していた。
  こうした孤立主義的単独行動主義が放棄され、恒常的同盟関係が求められるようになったのは冷戦時代に入ってからのことで、それまでは単独行動主義がアメリカの外交の基調であった。

  しかし、ブッシュの単独行動主義はアメリカの伝統を、二つの面で決定的に逸脱していた。第一は、伝統的単独行動主義が他国の戦争に関与しないという点が原則であったのに、他国に積極的に単独でも軍事的干渉を行うのがブッシュ・ドクトリンであった。第二は、アメリカはこれまで、他国から攻撃を受けてはじめて攻撃するという伝統に立っていた。アフガン戦争は、テロ攻撃にたいする反撃という点からみれば、その伝統に則ったものをみることができ、挙国一致的支持を少なくとも国内的には受けていた。しかし、イラク戦争は明らかに先制的な予防戦争であり、これはアメリカの軍事的伝統とは異質なものと多くの人々がとらえている。

  共和党は伝統的に「小さな政府」論であり、ブッシュもそれを公約してきた。しかし、現実には財政的支出を大幅に拡大しており、クリントン政権下で改善されていた財政バランスを悪化させてきた。しかし、その支出は民生の向上に振り向けられたのでない。
  民生無視を赤裸々に暴露した象徴的出来事は、ニューオリンズ地方を襲ったハリケーンによって惹起された事態への対処だった。日本の政治に詳しいコロンビア大学ジェラルド・カーティス教授は、安倍政権に与えた社保庁事件の打撃をブッシュ政権のハリケーン・カタリーナに相似していると論評している。それは、二つの事件はその政権によって引き起こされたものではないが、対応が極めて拙劣だったために政権批判を招いた点で共通している。
  両政権の類似は、これにとどまらず、イデオロギー的硬直性(日本の場合は右翼的ナショナリズムだが、アメリカはキリスト教ファンダメンタリズム)が、穏健な保守派からも嫌われたこともあげられる。両政権ともその命運の尽きるのはもはや時間の問題となってきた。
  テロ特別措置法の延長をめぐって、ブッシュ政権の戦争を支持しないことが、対米協調を損なうとの宣伝が執拗に行われているが、対ブッシュ協調と対米協調には明白な相違のあることに留意されるべきであろう。


(2)


  ロンドンの『エコノミスト』(8月11日号)は、その社説欄のトップに「アメリカは左旋回するか」という所論を掲げ、そして「アメリカの右派」に関するフリーフィングを巻頭の特別記事に収録している。
  「アメリカは左旋回するか」の社説は、「多分そうなるが、多くの外国人(そして一部のアメリカ人が)期待しているような方向ではない」と観測している。
保守派とその「政治的マシーン」は、過去10回の大統領選で7回の勝利を共和党にもたらしてきた。しかし、ブッシュ政権は外交と同じく内政でも致命的な失敗を犯してきたので、この保守的「政治マシーン」を破滅的な危機の淵に立たせている。カタリーナ、ラムズフェルド、グアンタナモ、リビーという言葉が、無能、お友達政権振り、極右偏向の代名詞と化した。

  傲慢な外交政策による失敗は、ネオコンの「安楽イスに座った戦士達」によって演出されたものだ。二つの戦争は「大きな政府の保守主義」という自家撞着を招いた。
  制憲議会を主導したハミルトンは行政権の拡大に熱心だったが、「立法権限を犠牲に> して行政の地位を高めるのが戦争」とみて、危機が大統領権限を強める傾向には警告していた。ブッシュ政権はこの予言通りに、議会を軽視して、共和党主導の両院は「ゴム印」のようになっていた。昨年の民主党の大勝は、議会の機能回復の側面を持っている。  ブッシュ政権への反動もあって、今やアメリカでは、国民皆健康保険を求める声が高まり、社会政策の充実強化が叫ばれるようになっている。平和と安全保障を実現する方策として軍事力に過度に依存することへの批判が高まり、対話と協調が好まれる傾向となっている。

  1年後に迫った大統領選で民主党候補が勝利するのは確実視されているが、それを待つまでもなく、すでに政治的変化が生じている。
  アメリカの同盟国、特に西欧諸国にとってそれらの変化には好ましいものと、そうでないものが混じっているので、手放しには喜べない。
  第一に、アメリカが民主的となり、国民の声に政権が耳を傾けることになることは歓迎すべきだが、中には歓迎できない動きも表面化している。民主党は保健医療では左旋回しているが、貿易面ではブッシュ政権の自由主義がなつかしまれることになりかねない。外交政策でアメリカが干渉主義的でなくなることをヨーロッパは希望してきたが、軍事大国の孤立主義も心配の種となる。

  第二に、アメリカが仮に左旋回したとしても、国際舞台では依然として保守的勢力として留まるであろう。
  クリントン女史は、カンサスのラジオでは「共産主義者」と報道されているが、ヨーロッパの政治家と比較すれば、イギリス保守党のカメロン党首、フランスのサルコジ大統領、ドイツのメルケル首相の主義主張により近い。ヨーロッパ人の観点からみると、クリントン女史はほとんどの主要な問題で保守主義の立場である。この点では、もう一人の候補者オバマも同じだ。
  しかし、あらゆる政治革命は、時がたってはじめてその意義が鮮明に浮かび上がる。 1960年代のニクソン登場は、ベトナム戦争からの脱出によってハイライトを浴びたが、彼が始めた南部戦略が今日の共和党を作り上げたのだ。当時、アメリカ人が求めていたものは、早急な方向転換だけであった。これは今日もまさにあてはまる。


(3)


  『エコノミスト』はかなり洗練された保守主義の雑誌であるが、その「アメリカの右翼」についての特集記事の中では、次のようなことが指摘されている。
  右派は1980年代からアメリカの政治を支配してきた。その進撃は停止したのだろうか。
  共和党はアメリカ右派の最も露出した一部にすぎない。右派の政治的な力は保守的基盤の強さにある。アメリカは活発な保守主義の諸運動が社会に根を張っている点でユニークな先進国である。
  各州には、銃規制反対、税引き下げ、妊娠中絶のための有力な団体が存在している。メガ教会やテレビ伝道などを宣伝の手段とするキリスト教原理主義派も右派政治の柱の一つである。

  このような保守主義的運動のメンバーでないアメリカ人も「保守」のレッテルを喜んで受け入れている。多くのアメリカ人は小さな政府に賛成し、犯罪と安全保障で強硬な方針を支持している。
  2004年には約三分の一のアメリカ人が自らを保守派と認じていたのに対し、リベラル(アメリカ政治用語では、左派のこと)を自認したのは20%だった。
  近年、福祉の見直しから外交政策に至るまで、アメリカの政治的論議を牽引してきたのは「右派」であった。しかし今日、この強力な保守的運動が深刻なトラブルに見舞われている。「この保守主義からのシフトは目覚しいもの」とみられている。
  こうした保守主義の行き詰まりを招来したのは、この勢力に後押しされたブッシュ政権が彼らの主張を忠実に実行した結果というよりも、それを実行するに当りあまりにも無能だったことによる。その無能な政権は人材を広く求めるよりも、仲間うち(安倍政権のお友達内閣のように)の人脈に頼りすぎたことによって、その無残な結果を招いた。
  民主党の幸運は、民主党の復活というよりも、共和党の自滅によってもたらされている。民主党にたいする積極的支持は、2001年と比較して6ポイント低下している。もっとも共和党は、その間に15ポイント下がった。つまり無党派層が増加している。
  共和党政権の失敗は、政治権力を成功的に行使するのに無能だったことによるものだ。戦争をしくじり、支出を放漫に垂れ流した。そして、社会の圧倒的多数の人々を疎外してしまった。こうした空白をどう活用するかは、これからの民主党次第である。

                  (筆者は姫路独協大学名誉教授)

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