一冊の本との出合い

【随想】

一冊の本との出合い                 高沢 英子

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 1995年の春、わたしは大阪中の島図書館で、偶然この本にめぐり合った。
それは新しく購入された図書として、読書室に通じる狭い通路に置かれたワゴン
に無造作に並べられていた。副題として「日本語で書かれた戦後台湾本省人(い
もっこ)の隠された悲劇」と小さく添えられ,臙脂色の地色に白い芙蓉の花びら
が散らされたカバーに包まれていた。前年の1994年、9月に集英社から出版
された本で,年譜に拠れば、著者が1991年から3年がかりで書きあげたもの
であった。
 周知のように、本省人、あるいは内省人とも呼ばれる人たちは、古くから台湾
に住み、旧日本植民地時代を体験した人々で、台湾国内では、戦後、蒋介石に従
って、大陸から台湾に大挙移住してきた軍人や官僚始め多くの国民軍兵士からな
る、いわゆる外省人といまだに画然と区別されている。
 
 かねてから、知り合いの台湾の人々から、そうした事情は,薄々聞いていたが、
本書の表題となっている「いもっ子」とは、外省人たちが、先住の同胞である本
省人が、日本の植民地時代に芋の切干などを常食として、乏しい暮らしに耐えて
いたことを嘲る意味をこめ、台湾の甘藷に似た地形になぞらえて、彼らのことを
呼んだ一種の差別語である、ということは、初めて知った。
 早速本を借り出して持ち帰り、読み始めたが、どうしても巻を置くことが出来
ず、とうとう明け方までかかって、最後まで読んでしまった。
 著者の名は蔡徳本、生粋の台湾本省人で、1925年生まれ、戦時中は東京の
旧制中学に在学している。帰国後、台湾師範大学を卒業し、故郷の嘉義市朴鎮に
戻って、高校の英語教師となる。間もなく官費留学生に選ばれ、アメリカに1年
間留学するが、留学を終えて無事帰国した1954年、十月、突然官憲に逮捕さ
れた。
 当時、台湾では、国民党政府による、恐怖の白色テロが吹き荒れていた。祖国
を愛し光復をともに喜び合って、真剣に学び活動してきた優秀な友人たちが、
次々逮捕され、過酷な刑を受けていたが、帰国したばかりの彼もそれに巻き込ま
れたのである。
 
 本書は、著者の一年一ヶ月におよぶ獄中生活を、克明に描いたドキュメンタリ
ーで、単身徹底的に不法と戦い、事実をつぶさに凝視し続けた体験を、出獄後四
十年経って、ようやく口を開いて語ったものである。さらに無辜の罪で、若くし
て処刑台に消えた多くの友たちへの悲痛で美しい友情の鎮魂歌でもある。
 第2次大戦後、台湾は日本の植民地から解放された。しかし、その後この国が
厳しい政治的社会的抑圧のもとに大多数の国民が呻吟し、一見平和な外見の下に、
数十年にわたって悲惨な不幸が隠され続けてきたことは、一般には案外知られて
いない。それは解放された台湾人が、救国の同胞として歓喜して迎えいれた中国
国民党による、残酷で不法極まりない言論の弾圧と政治的しめつけであった。
 相次ぐ白色テロで、愛国の志に燃えた前途有為な本省出身の夥しい数の学徒が,
あるいは拷問で、あるいは極刑で尊い命を失った。
 
 1997年ようやく戒厳令が解かれ、1991年叛乱条例も廃止された。通常
は非常時にのみ発令される戒厳令が、台湾では37年8ヶ月ものあいだ続いたの
である。こうして蒋介石とその息子、将経国父子2代に亙る治世が終わりを告げ、
その後、この国では大幅に民主化が進み、経済も飛躍的に増進した。人々の暮ら
しはかつてとは比べものにならないくらい豊かで自由になったものの、その政治
的実態はいまなお複雑である。日本とは正式な国交もないし、中国本土との関係
は実に微妙だ。
 この本は50年代、著者の身辺に実際に起こった事件をもとに、それらの事実
を初めて明るみにした、いもっ子による日本語で書かれた貴重な証言である。
 著者は言う。戒厳令および叛乱令が廃止され、ようやく真実を語る時が来た。
1955年の出獄以来、実に36年7ヶ月、わたしはすでに5人の孫を持つ67
歳の老人である、と。長い年月、沈黙を守り続けたのであるが、同胞の受難、多
くのよき友の不幸は片時も彼の脳裏を離れなかったことであろう。
 よく練れた立派な文章で、抑制の聞いた表現と、軽妙なタッチを使い分け、実
にリアルに過酷な状況を描き出す。しかもドキュメンタリーといいながら、生き
生きとした物語の味わいがある。
 
 驚異的な記憶による細部のディテイルが現出させる迫真力。高潔な倫理観とす
ぐれた人間観察。虐げられる弱者に注がれる暖かい同胞愛。まさに第1級のドキ
ュメンタリーといえよう。
 逮捕されてからの、意志と体力と知力の限界をかけての戦い。身の回りで、次々
と理不尽な権力の前に押し潰されていく若い命の数々。家族の慟哭。凝視する目
は実に綿密で、隅々まで見落としがない。ただ息をのみ、次々と展開する事実を
追う。獄中でも彼は片時も理性を失わない。友人たちへの愛は深く、さらに、た
だ無智ゆえに捕らえられた立場の弱い、いもっ子同胞たちに注がれる眼は優しさ
に充ちている。
 
 そもそも、逮捕されたきっかけは、処刑が決まっていたコミュニスム学生張玉
坤が、留学中で不在の親友祐徳の名を使い、でっちあげ告白を行った為と知らさ
れる。玉坤はこれによって、時を稼ぎ、すでに確定していた処刑のときを遅らせ
いささかの延命を願ったのである。あの勇敢な熱血漢の玉坤が、と著者は自分た
ち若い知識人が追い込まれた悲運の過酷さをいまさら噛み締める。
 「玉坤を恨まないか」と問われ、彼はいう「恨まない。もし彼の命が助かるも
のなら、これくらいの受難は忍受すべきだ、と考えている」と。玉坤はほどなく
処刑された。祖国に正義と秩序をもたらそうと青年の情熱を傾けた優秀な学徒だ
った友の死。それすら、獄内の風で嗅ぎ分けるしかない。祐徳は暗涙を飲む。ひ
そかに届けられた玉坤の遺書。
 
 小さく折りたたんで封印した紙切れ。僅か3行の文字、署名も宛名も無いが筆
跡は紛れもない「すまなかった。君の友情に泣く。私は自分の体の中に漢民族の
血が流れていることを恥と思う」とあった。
 著者は暗然としていう「国を恥じ、民族を恥じ、己を恥じた痛恨の叫びであっ
た。かつてあれほど漢民族を謳歌し、誇りにした玉坤が、こんな言葉を口にする
とは。何が彼をそこまで追い詰めたのか」・・・・。
 内容についてこれ以上多言は差し控える。ただこの驚くべき現代アジアの魂の
証言を、多くの日本人に読んでもらいたいと思っている。ここには、人間のもつ
弱さ、強さ、高潔さと狡猾さ、愛と憎しみ、無垢と汚濁、怒りと笑い、慟哭と歓
喜、希望と挫折。およそありとあらゆる真実の姿がある。
                (筆者は東京都大田区在住)
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