不安定雇用、非正規雇用とILO

■ 安定雇用、非正規雇用とILO        中島 滋


1.克服されるべき現状


  グローバル化の急速な進展の中で、不安定雇用、非正規雇用が90
年末から急激に拡大している。99年の労働者派遣法改正によって派遣
労働が製造業において可能になってから、それは特に顕著になった。
  世界市場のメガ・コンペティション(大競争)状況の中で、企業が
「国際競争力の強化」を口実に、極限的な労働コストの削減を追求し
たことによる。製造業における生産拠点の海外移転が拡大する中で、
国内における労働コスト削減は、国内での雇用確保のためにやむを得
ないものと受け止められた面もあった。「レース・トゥ・ザ・ボトム(劣
悪化競争)」と呼ばれる状況である。換言すれば、雇用を維持するため
の「足の引っ張り合い」的状況の進行があった。

  5年間にわたる小泉内閣の「構造改革」によって、過度な「規制緩
和」が行われ、その状況に拍車がかけられた。好況産業・優良企業の
正社員に代表される少数の「勝ち組」と、「負け組」といわれる不安定
雇用・劣悪労働条件の下に置かれる多数の非正規労働者とに「二極化」
される社会状況が生み出された。同一工場内で同種の労働に就きなが
ら、雇用形態も賃金・労働条件も全く異なる労働者が混在する状態が
「当たり前」になっている。パート労働者、フルタイム働いているの
に名称だけパートの「疑似パート労働者」、派遣労働者、短期契約労働
者、請負労働者、等々である。

  加えて、外食チェーンの店長に典型される「偽装管理職」指定や「サ
ービス残業」強要による超過勤務手当不払い、「偽装請負」、「日雇い派
遣」など、労働基準法や労働者派遣法に違反する違法行為が、著名な
大企業でもなされる事態にまでなっている。低賃金・劣悪労働条件の
故に、最低水準の衣食住すら確保することが困難な労働者が生み出さ
れている。「ネット・カフェ難民」や「野宿者」の増加は、社会保障制
度の脆弱性と劣化も相まって、こうした状況のあらわれである。最近、
極端な違法行為に関しては、労働基準監督によって摘発され是正指
導・勧告がなされたり、違法判断・改善を求める判決が出されたりし
ているが、根絶には程遠く依然として違法行為は横行している。
  非正規労働者数が1700万人を超え、年収200万円以下のいわゆる
「ワーキング・プア」が1000万人を突破し、生活保護世帯が100万
を超えて高止まっている現状は、さまざまな社会問題を引き起こして
いる。特に、それらの影響が、教育のあり方、教育と就職との関係の
あり方の問題とも相まって、世代間移動し、階層の固定化、その格差
拡大が進行しつつあることを見るとき、現状の克服は、社会的公正の
視点からの日本社会の将来にとって、焦眉の課題といわねばならない。


2.普遍的価値の国際労働基準・ILO条約の活用



◆(1)ディーセント・ワーク


  個々の関連条約に触れる前に、ILOがグローバル化の「負の側面」
克服に向けて取り組んでいるディーセント・ワーク実現の活動につい
て紹介する 。
  ディーセント・ワークは、1999年にソマビアILO事務局長によっ
て提唱された。日本では「働きがいのある人間的な仕事」と訳されて
いるが、「適切な賃金・労働条件および社会保障が確保された社会的な
意義のある生産的な労働」を指す。ジェンダー平等の原則を踏まえた
4つの戦略的な目標の追求を通して実現していこうというものである。

  4つの戦略的目標とは、(1)中核的労働基準の尊重・遵守、(2)良質な
雇用の確保、(3)社会保護の拡充、(4)社会対話の促進、をいう。
  グローバル化の急激な進展に伴って、地域間、各国間、国内と、あ
らゆるレベルでの「格差拡大」が顕著になり、全世界的に社会的不安
定を増進させている状況を克服するために、ILOは、2002年に「グロ
ーバル化の社会的側面に関する世界委員会」を設置した。この委員会
は、26人の「賢人」で構成され、ノーベル経済学賞受賞者のスティグ
リッツ教授、経営者代表二人のうちの一人として西室東芝会長(当時)、
労働界からはスイニーAFL-CIO会長とバヴィ南アフリカCOSATU書
記長が参加した。フィンランドのハロネン大統領(女性、「北」、
「勝ち組」)とタンザニアのムカパ大統領(男性、「南」、「負け組」
)が共同代表を務めた。報告書は2年間の調査・検討を経て発表され、
次のような提起を行った。

  すなわち、「我々が求めているのは、普遍的な価値に基づく力強い社
会的側面を備え、人権と個人の尊厳が尊重されるグローバル化のプロ
セスである。
公正で、包括的かつ民主的に運営され、世界の国々の人々に、機会と
目に見える形での恩恵をもたらすプロセスである」としたうえで、「そ
のようなプロセスを実現するため、我々は呼びかける」として、(1)人
を重視する、(2)民主的で実効性をもつ国家、(3)持続可能な発展、(4)生
産的で公正な市場、(5)公正なルール、(6)連帯感あるグローバル化、(7)
人々への説明責任、(8)より深いパートナーシップ、(9)実効性のある国
連、の実現の重要性を指摘し、その上で、(1)変化のためのヴィジョン、
(2)グローバル化とその影響、(3)変化のための戦略、(4)グローバル化の
ガバナンス、(5)自国から始める、(6)グローバルレベルでの改革、(7)変
化のための行動を組織化する、に関する調査・分析を行い実行に向け
て問題提起した。その取り組みの中心は、ディーセント・ワークの実
現であり、ILOの当面の最重要課題と位置づけられた。

  そして、2006年から07年にかけて米州、アジア、ヨーロッパ、ア
フリカで相次いで開催されたILO地域会議は、向こう10年間を「デ
ィーセント・ワーク実現のための10年」と位置づけ、UNDP(国連
開発計画)など関係機関との連携の下、活動を強化することを確認し
た。UNDPは、2000年9月に開催された国連ミレニアム・サミット
で確認されたMDG(ミレニアム開発目標)を推進する役割を負う国
連機関であり、MDGは、8目標(極度の貧困と飢餓の撲滅、普遍的初
等教育の達成、ジェンダー平等の推進と女性の地位向上、幼児死亡率
の削減、妊産婦の健康の改善、HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病
の蔓延防止、環境の持続可能性の確保、開発のためのグローバル・パ
ートナーシップの推進)、18ターゲット、48指標を示し2015年まで
に実現をめざすものである。ディーセント・ワークと共通する課題が
あることからILO/UNDPの共同プロジェクトが進められている。
  先に見た日本の現状は、国連機関が共同して全世界的に推進してい
る取り組みに逆行するものであるといえる。


◆ (2)中核的労働基準


  ディーセント・ワーク実現に向けた最も重要な戦略的目標は、中核
的労働基準の尊重・遵守である。4分野8条約で表される中核的労働
基準は、1998年に採択されたILO「新宣言」(『労働における基本的原
則および権利に関するILO宣言』)によって、「すべての加盟国は、問
題になっている条約を批准していない場合でも、ILOの加盟国である
事実そのものにより、誠意をもって、憲章に従い、これらの条約の対
象になっている基本的権利に関する原則、すなわち、(1)結社の自由お
よび団体交渉権の効果的な承認、(2)あらゆる形態の強制労働の禁止、
(3)児童労働の効果的な廃止、(4)雇用および職業における差別待遇の撤
廃、を尊重し、促進・実現する義務を負う」と位置づけられている。

(1)については87および98号、(2)は29および105号、(3)は138およ
び182号、(4)は100および111号、の各ILO条約で、その適用・実
施状況を、2000年から毎年ILO総会で(1)~(4)の順番で「グローバル・
リポート」と称し報告・討議するフォローアップ作業がなされている。
ちなみに08年は第1分野(87および98号条約)が取り上げられる。
  日本は、これらの条約の内105号と111号が未批准で、181加盟国
中、両条約はそれぞれ165、166か国が批准しており、ILO条約の批
准および適用実施面での後進性を示している。

中核的労働基準の尊重・遵守の重要性は、「新宣言」の採択の意義から
も明らかである。「新」は「フィラデルフィア宣言」に対してで、ILO
憲章、同宣言とともに、ILOでもっとも重要な基本文書とされている。
周知のようにILOは、第1次世界大戦の講和会議のなかから生み出さ
れた。未曽有の被害をともなった悲惨な大戦を再び起こしてはならな
いという決意から、国際労働基準の設定と尊重・遵守を通じて社会正
義を実現することによって恒久平和の達成を図るということで、ベル
サイユ講和条約13編「労働」を基礎にILO憲章が制定された。

政・労・使三者が責任をもちあって実施していこうというユニークな
三者構成主義がとられた。しかしわずか20年で第2次大戦が勃発し、
人類はより悲惨な体験を強いられた。大戦末期の44年に、ILOはフ
ィラデルフィアで第26回総会を開き、3度悲惨な大戦を起こしてはな
らないとの決意から「ILOの目的に関する宣言」(フィラデルフィア宣
言)を採択した。グローバル化の進展による被害は、hot warによる
ものではないが、深刻さと規模において大戦に匹敵するものがあり、
ILOの活動を通して早急に克服しなければならないとの問題意識から、
「労働における諸原則と権利に関する宣言」が採択された。
  この意義からも、日本の現状を克服していく課題と中核的労働基準
の尊重・遵守の課題は、未批准の2条約の批准、関係国内法の改正整
備を含む適用の取り組みを含め不可分のものといえる。


◆(3)関係重要条約の批准、適用の促進


  ここで取り上げるのは、不安定雇用、非正規労働者への差別・不当格
差問題を克服していくために、活用しうると思われる主な条約である。

  まず第一に、雇用・職業生活上の差別禁止に関するILO111号条約
である。先に触れたように中核的労働基準の一環であるが、日本は未
だ批准していない。労働基準法などは、一般的に平等取り扱い原則を
掲げているものの、「不当労働行為」以外は、具体的な差別取り扱いが
起こった場合、被害者が救済を求める方途についての定めはなく、ま
た差別をした側を罰する定めもない。民事訴訟を起こして争う以外に
道はほとんど閉ざされている。差別を禁止し、差別された場合に救済
申し立てができる独立した機関が設置される「人権擁護法」が制定さ
れれば、111号条約批准の「受け皿法」たり得ると言われているが、
制定に向けた見通しは不透明な状況にある。

同一価値労働における賃金の男女差別を禁じた100号条約は、批准
されているが、日本の適用状態は悪くILOの条約勧告専門家委員会の
審査や総会・基準適用委員会の討議で幾度か取り上げられ、改善に向け
具体的措置を講ずるように勧告等を受けている。この条約は、「男女」
間格差をターゲットにしており、その他の差別・格差を問題にしえな
い。あらゆる差別を問題にしうる111号条約の批准と関係国内法改正
を含めた適用を実現する意義は大きい。少なくとも、同一工場内で同
様な仕事に従事しながら全く待遇が違うがごとき理不尽な状態は許さ
れなくなる。

  次は、パート労働に関するILO175号条約。この条約も日本は未批
准。日本の「パート労働法」は公務を適用除外にしており、官民を問
わず全ての職業に平等に適用することを求めるILO条約に合致する状
態になく、法改正をせずに批准はできない。ILO条約は、フル・タイ
マーとパート・タイマーとの関係を、可分なものは比例原則、不可分
なものは同等原則においている。つまり、同じ労働に従事する1日8
時間働く労働者Aと6時間働く労働者Bがいた場合、Bの賃金はA
の賃金の4分の3でなければならず、不可分の権利などは、同等に付
与せねばならない、というもの。この条約の批准適用の意義・効果も
大きい。

  三つ目は、男女が共に果たすべき家庭責任に関するILO156号条約。
この条約は批准されているが、その存在と意義は余り知られてない。
育児、介護、子どもの教育、地域活動など、家庭生活を営むにあたっ
て果たすべき責任は、男女労働者がともに果たさねばならないとされ、
責任を果たすために必要な時間等は保障されねばならないというもの。
日本の長時間労働や単身赴任の実態は、特に男性労働者が家庭責任を
果たすことができない状態を創り出し、また女性労働者に多くの負担
を課し、あるいは専業主婦や短時間パート女性労働者を生み出す基盤
となっている。この条約をキチンと適用させることを通じて、人間ら
しい生活が男女ともに遅れる環境つまりワーク・ライフ・バランスが
とれた状態をつくりだすことが求められる。残念ながら、批准はされ
たもののほとんど有効な活用はなされていない実態にある。

  ついでながら、1日8時間労働制に関する第1号条約と労働時間に
関する条約についても触れておきたい。メーデーの起源となった1日
8時間労働制に関する最も有名な条約の一つである第1号条約も批准
されていない。ILO条約には労働時間に関するものが18本あるが、
日本はただの一つも批准していないのが現実だ。長時間労働を強いま
たそれを受忍してしまう悪しき「慣行」が定着し、その「歴史」から
未だに脱出し得ていない。低賃金を超過労働で補う構造も、未だにあ
る。これに関連して、超過労働に関する割増賃金率の低さも大きな問
題。割増率50%、深夜労働に関しては100%が国際的水準。日本の低
さは、最低賃金の低さとともに、早急に克服・解決されるべき重要課
題だ。
  勿論、適用は雇用形態による差別なしで、全ての人に平等に。
  中小零細企業が倒産してしまうとか、国際競争力が弱まるなどの意
見が出されるであろうが、中小零細企業を搾るだけ搾って空前の利益
を上げている大企業の中小企業に対する対応を問題にせずに、議論は
成り立たない。透明性と説明責任を基礎にした公正さが、この面でも
実現されねばならない。
        (筆者は連合・国際代表、ILO労働側理事)

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