写真にまつわる話 その一

■ 【北から南から】

深センから~『写真にまつわる話 その一』~     佐藤 美和子

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 これから数回に分けて、中国での写真にまつわる思い出を綴りたいと思います
。まずは一番古い話から。
  北京語学留学中の92年、冬休みの1ヶ月をかけて中国国内を旅して回りました
。大きなバックパックを背負い、バスや列車の二等寝台を駆使して安宿のドミト
リー(相部屋)を渡り歩く、貧乏学生独り旅です。
  寒い冬のことなので、とにかく南へという以外は何も決めず行き当たりばった
りで放浪するうち、雲南省シーサンパンナ・タイ族自治州のガンランバという小
さな村にたどり着きました。その名の通り主にタイ族という少数民族が住む土地
で、すこーんと晴れた青空にバナナの葉が風に揺れる、それまで通ってきた漢民
族の土地とは何もかもが違うところでした。

 村には土埃舞う平行した二本の道が走るだけで、建物のあるエリアはわずか1
時間で全てを見て歩けてしまいます。余りにも小さな村なので村内には交通機関
が一切なく、観光客向けのレンタサイクルすらない村でした。宿は床下に豚など
の家畜が住まう高床式住居、壁や屋根葺の隙間から南の強い日差しが差し込みま
す。ベッドはゴザが一枚敷いてあるきりで、それ以外はなーんにもなし!

 ぼーっとして過ごすつもりでやって来たのに、どうしても貧乏性の私、着いた
らとりあえず歩き回って観光しなくては落ち着きません。とは言うものの村の中
心部を1時間で歩ききってしまうと、まだ日が高いのにもうする事がない・・・
・・。そこで私は村から外れ、何か見るべきものを探してメコン川沿いにひたす
ら歩いてみる事にしました。

 歩けど歩けど、同じ景色が続きます。左手にはゆっくり流れる黄土色に濁った
メコン川、私が歩く舗装されていない道の右手には緑生い茂る低い丘。時折、豚
が水溜りの泥の中に横たわって体を冷やしていたり、鶏の群れが草をついばんで
いたり、飼われているのか野生なのかさっぱりわからない大きな水牛が数頭行き
交います。

 2時間ほども歩いた頃でしょうか。景色の変わらない道を歩き続けるのに飽き
て、メコン川の河原に下りて川面を眺めていると、「おーい」と誰かが声をかけ
てきました。見ると、数百メートル離れた河原に二人の男性が居ます。私が気づ
いたのに気づいた彼ら、
  「おーい、写真を撮ってくれー」
  と言うので、お安い御用と彼らの方に向かって歩いていきました。
  で、あなたたちのカメラは?と彼らを見ると、あれっ、二人とも手ぶらですか
?・・・・・彼らの視線を辿ると、私の首から提げたカメラを見ています。そこ
でやっと、彼らは私のカメラで自分たちの写真を撮ってもらいたがっている事に
気づきました。てっきり、彼ら二人一緒の写真を撮るために、カメラマンを頼ま
れたのだと思ったのですがねぇ。

 当時はもちろんデジカメなんぞなく、私のカメラもフィルムカメラです。中国
の景色を綺麗に撮ろうと、私はお値段高めのアーサー400という高感度フィルム
を日本から持参して、大事に使っていました。でもまぁ1枚くらいならいいかと
私のカメラを構えると、メコン川を背にして縦撮りと横撮りの2枚を頼まれてし
まいました。20代半ばのほうの男性は、もう一人の肩に手をかけて気取ったポー
ズをとっているのに、40代と思しき小柄な男性はしゃっちょこばるあまり、頭の
てっぺんからつま先までビシィッと気をつけ状態でした。

 北京に帰ったら現像して送ってあげるよ、ここに住所を書いて、とメモを出す
と、
  「・・・・・住んでいるところ、住所がないんだ。だから、ガンランバの村に
ある郵便局宛に送ってもらえる?」
  えっ、住所がない家?ええと、よくわからないけれど、局留だと思えばいいの
かな?郵便局の住所と受取人氏名を書いてもらっていると、いま家でもう一人の
同居人が夕飯の支度をしている最中なんだ、夕飯食べにウチにおいでよ!と誘わ
れました。どうやら観光客を見かけて写真を撮ってと声をかけてみたものの、ま
さか撮った写真を送ってもらえるとは思っていなかったようで、そのお礼代わり
の招待のようです。気持ちはありがたいが、貧乏バックパッカーでかなり薄汚れ
たよれよれ姿とは言え、外国人で一応女性の私が独りで知らない人の家に行くっ
てのもなぁ・・・・・悪い人には見えないけれど、事件に巻き込まれないとも限
らないしと考えて辞退したのですが、あまりに何度も熱心に誘ってくれるのと、
内心ビクビクで腰が引けながらも好奇心のほうが勝り、とうとうお邪魔する事に
なってしまいました。

 すぐ近くだという彼らについていくと、なんと先ほど歩いてきた道の脇に建つ
、掘っ建て小屋に向かっています。道路右手の丘を削って作った空き地にちんま
りと建っている、トタンと板切れで作られた、紛れもない掘っ建て小屋!その小
屋の前では訝しげに私を見る若い男の子が、練炭に鍋をかけて調理中。どうも本
当にここが彼らの家らしい・・・・・。

 ドキドキしつつも嬉しそうな二人に導かれるまま小屋に足を踏み入れ、勧めら
れた高さ20センチほどの小さな腰掛に腰を下ろします。3畳の広さもなさそうな
小屋の中を見回すと、地面むき出しのままの足元に、並べたレンガの上に合板の
板切れを数枚重ねただけのベッドらしきものが一つ。そして同じく彼らの手作り
であろう、廃材で作ったちゃぶ台と小さな腰掛が3つ。ちゃぶ台も腰掛けも、な
ぜか異様に低く作られているので、座っていると却って疲れるようなシロモノで
す。驚きと、余りの居心地の悪さにやはり帰ろうかと思案しかけた時、調理して
いた男の子が小屋の中に食事を運んできました。

 帰るキッカケを失った私は、仕方なく食事をいただく事にしました。小石と籾
殻交じりのツヤのないご飯が盛られた欠け茶碗が各自に配られ、ちゃぶ台にのっ
たサイコロ状の牛肉の醤油炒めとお酢と唐辛子で炒めた白菜のおかず二品を、み
んなで一緒につつくのです。

 バックパッカー旅行中、各地の安食堂での食事経験を積んだ私は大概のものは
食べられるつもりでしたが、この油分を絞りきった後のような硬い硬い牛肉には
参りました(いま思うと、あれは水牛の肉だったのかも?)。それでご飯ばかり
を口に運んでいると、ニコニコ顔の二人がかわるがわる、牛肉を私のご飯の上に
乗せてくれます。おかずに手をつけないから遠慮していると思われるのだと悟っ
た私は自ら白菜炒めの方にお箸をつけたのですが、野菜なんかよりお肉をお食べ
、とやっぱり牛肉を入れられてしまいます。申し訳ないが、唐辛子がピリッと効
いた白菜炒めの方がずっと美味しいんだけどなぁ・・・・・。それでも予定外の
来客で彼らのご飯が減ってしまうのに、より高価な肉料理の方を私に勧めてくれ
る彼らの気持ち、とても暖かく感じました。

 食事が済むと、年配のほうの男性が古びた小さな『新華辞典(中国の国語辞典
)』を引っ張り出してきました。当時の私の中国語レベルはカタコト、おまけに
彼らの発音も訛りがきつくてなかなか話が通じないので、私が聞き取れない単語
を辞書で調べて指し示そう、という訳です。この辞書の出現で、やっと彼らの話
と生活状況が見えてきました。

 3人の男性は親族ではないが同郷出身者同士で、出稼ぎの為に雲南省にやって
きたのだといいます。雲南省最大の都市・昆明市で働くつもりだったのに仕事が
見つからず、流れ流れてガンランバまでやってきたとのこと。しかしタイ族のガ
ンランバの村でもよそ者は受け入れてもらえず、結局村から随分外れたこんなと
ころに住み着くことになった。ここの柔らかい赤土はレンガに向いているので、
丘に洞穴を掘って窯を作り、そこで焼いたレンガを売って生活している。年嵩の
二人は毎日レンガを作り、一番年下の18歳の男の子は食事の準備などの生活全般
が担当だ。

 そんな話の合間に、小屋脇にあるレンガ焼きの仕事場も見せてくれました。水
を混ぜて練った赤土を木枠に嵌めてレンガの形を作り、型抜きした赤土を並べて
天火で一日、干し固めます。3日目にそれを窯で焼いたら完成。故郷を出る時は
まさかこんな生活になるとは思わなかったが、ガンランバや近隣の村ではいまレ
ンガの需要が高いので、なんとか生活ができるほどには仕事がある。
  空が少しずつ茜色に染まっていく中、辞典に頼りつつそんな話を聞いていたの
でした。
                        (つづく)

            (在中国・深セン日本語教師)

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