吉林便り(1)

【北から南から】

中国・吉林便り(1)

今村 隆一


はじめに
 1月と2月の一時期、冬休み期間中は日本に帰国していて、2月末から私の学びと教学の場、中国吉林省の吉林市にある「北華大学」の春学期が始まります。この便りは日本で発信しました。去年の年末から西暦2016年の始まりまでの便りとなります。

 16年元旦は豊満東山(フェンマン ドンシャン:830m)の初日の出登山。と言っても朝9時に登山口の豊満橋を渡る手前のバス停に集合、これは去年は真っ暗な早朝5時半だったのと比べて明るいのでずっと楽。初日の出と言っても拝むのではなく元旦の朝と言うだけ。しかし人出は去年同様、人の海?人の山、よくもまあこんなにと、去年同様呆れて始まった元旦でした。
 誘ってくれたのが半年前程から山で何回か一緒になって顔見知りになった「北国一男」という吉林生まれ吉林育ちの地元民で、彼は10年ほど前アルバイトで大阪に20ケ月滞在したことのあった男性。この初日の出登山は「楡樹(ユシュウ):吉林市の北部の地名」という、39歳の女性が代表で設立したばかりのクラブ“戸外記憶之旅”の行事だったのです。「北国」はこのクラブの複数いる男性幹事の一人で、彼がこの日の嶺隊(リンドゥイ:リーダーのこと)で、人の少ないコースを選んでくれたおかげで山頂(爆竹と人で溢れていた)以外は静かな山歩きが出来ました。

 参加者は全員で11人いましたが遅れた女性もいて、途中から三々五々の下山となってしまいました。私は漁歌(ユゥガー:50歳だという男性)と二人、午後1時が既に回っており、先に下山し乗り合いバスで帰ってしまいました。山の人たちには稀に本名を使う人がいますが、殆んどがセカンドネームを使っていますので本通信でも使うことにします。こちらではあえて個人情報としての本名を秘しているのではなく、インターネットの普及もあって網名(ワンミン)とよぶ、作家のペンネームや芸名のように本名以外の名を語り使用しているのが通常なのです。
 慣れない私にとっては、特に学生に使われると彼らの名前すら覚えきれないのに、顔も名前も結びつかず悩みの種にもなっています。使われている多くの網名には自分の故郷の地名、動物、植物、成語故事からの引用等漢字が大半ですが、日本語や英語なども使われています。ちなみに私は「今村老師」、5年前に学生が付けて設定した網名を使っています。

 翌2日は吉林の東北東約100kmに位置する蛟河(ジャオハー)市の西土山(シートゥシャン:1189m)にクラブ携手戸外(シエショウ フゥワイ)の活動で登りました。この山への登山は今回で6回目を数えました。嶺隊(リンドゥイ)は私の目には吉林で1・2に数えられると映っている打火機(ダフォジ:ライターの意)で、彼の山でのリードには感心もし、安心できるのです。この日はありがたいことに天気予報(いつも当てにならない)が外れ、朝から快晴、山頂では少し風があると体感気温はマイナス30度位に感じられ、肩から肘と腕にかけて、汗で水分を含んだ上着の袖が凍って固くなったのには驚きました。

 この1週間前の15年最後の登山は吉林市の南約50kmの白馬虎(バイマーフゥ:1115m)から白大中(バイダジョン:1090m)への縦走で、下山地点が北大湖(ベイダフ、北大壺ベイダフとも書く)スキー場で歩行14キロの行程。12月26日のこの日は、天気予報でも最低気温マイナス24度、西北の風3~4級でしたが、タクシーの運転手によると市内ではマイナス28度を記録したとのこと、ならば山の上ではマイナス30度以下にはなっていた筈。実感では山中より、下山後水面の凍ったダムの堤防と車道を歩いた時が北風でもあり最も寒さが厳しく感じました。

 昼を過ぎた白大中でこの日もリーダーだった打火機が昼食も取らずに下山し始めたのは、一刻も早く山を下りたかったからでした。極寒の開拓地“満洲”とは聞いたことがありましたが、耐えられないほどの寒さを体験した事がなかったので、この日の寒さは忘れられない日となりました。毛糸の帽子から頭に伝わる寒気も手と指の感覚が無くなる体験も初めてでした。
 その日の夜は顔がいやにざらつくなぁ、との程度でしたが、翌日右の耳たぶが凍傷になっていたことに気付きました。1度程度の軽傷ではありますが、予備知識を持ってなかった、前もって可能性を探り防備しなければならなかったと反省しました。最初の通信は寒く凍てついた山の話になってしまいました。吉林の秋は短く、冬になるのが早い例年です。15年後半は最低気温が零度に下がったのが10月19日、市街地の初雪は11月8日、翌日の大雪以降、16日に最高気温も零下となり寒くなりました。

 15年の私はこれまでいた7年間では最も多忙を極めました。平日は北華大学での日本語指導と漢語学習、週末は戸外活動で殆んど家にいなかったからです。10月早々テレビのネット受信ができなくなった(モデムに原因)を幸いに、TVが見られない生活に入りました。それまで兵隊や兵器の露出に辟易としていたこともあり、現在もTVは見られませんので中国政府の宣伝もネット以外目にすることも聞くこともありません。この間、日本の芥川賞のほかノーベル賞などのニュースはネットで知ることができました。中国では屠呦呦氏が、マラリア治療薬の精製に貢献したことでノーベル医学生理学賞を受賞したことは、大々的に報じられました。

 特に屠氏が女性であったことは私の受け持ちクラスの女子学生には大きな喜びであったようです。男女平等が国是のような現代中国ですが、実態はそうでもナイようです。軍事パレードでの行進に女性兵士がよく映りましたし、さまざまな職場でも多くの女性が働いていて、私のいる大学の外国語学院も国際教育交流学院もどちらも教師や事務員は圧倒的に女性が多いのですが、上位役職者は男性が多く、男性支配と私には映ります。

 漢語を学んで2~3年して感じたのですが、文字が封建制下に生まれたことからも女性を蔑んだ文字(漢字)が驚くほど多く残っていて、今も健在?で、もちろん日本も同じ。

 7年の吉林生活でやっと、街を含め吉林郊外の地形も大体感じがつかめてきました。

 14年の1年間に参加した戸外活動は42回、15年は61回に達しました。冬休みの1~2月は日本にいましたので、1年の内10ヶ月で60回も出かけたのですから、暇がないのは当然です。しかしこの2年間だけでも100回を越える活動に一人外国人として参加してきたのですから、多くの人に知られると同時に知り合いも増えました。又、吉林で有名な山はほとんど登ったことになりました。なかでも老爺嶺(ラオイェリン:1284m)は13年6月に初めて登って以来11月で8回に達しました。登山下山のコースも様々あり、この山の景色や風情が季節ごとに素晴らしいのでいつの間にか多くなったのです。

 他にも3~4回登った山に吉林市最高峰の南楼山(ナンロウシャン:1404m)、西土山(シートゥシャン:1189m)があります。どれも自然の魅力満載です。高度が上がると樹木が一気に低木になるか樹がなくなる森林限界はこちらでは1000m付近で、これらの三山は頂上付近が森林限界で景色も壮大です。そして吉林周辺の山は何処もしっかり間伐が行き届き、美しい樹林帯が見られ、自然の恵みの豊かさとそれを育てる人の存在を感じます。

 山裾ではシャベルカーやトラックも見られチェーンソーも使われていますが、動力源に馬や牛は未だ健在です。難を言えば、山中に馬や牛の逃走防止のための針金が張られていることですが、それ以上に気になることは山の観光資源化です。吉林市の誇るスキー場を併設したリゾート地、「北大湖スキー場」は南楼山にあり、登山道も木柵と石段で整備が進んでいます。日本の西武プリンスホテルが進出した「松花湖滑雪場(ソンファフ ファシュエチャン:スキー場」は、大青山(ダァチンシャン:930m)北側斜面に10本のスキーコースが刻まれていて、天気の良い日は大学の5階と6階の教室から見えるので、一人心を痛めています。自然保護を呼びかける一方で、経済発展を模索する姿勢がハッキリ反映して見えるのですから・・・。環境保護と開発の問題は日本と中国両国国民の共通課題であると強く感じるのです。

 (筆者は吉林市在住・大学日本語教師)