在ソ日本軍三誓

■ 【オルタのこだま】

在ソ日本軍三誓               木村 寛

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~昭和22年末刊、二葉要著「シベリヤ捕虜の手記」(大元社194頁)と「シベリ
ヤに居る日本俘虜の実情」(一洋社191頁)から。~

  知人から教えられて、駅前本屋の古本コーナーで「手記」を買ったが、姉妹
編として「実情」が同時出版されていた。著者が昭和19年に応召して満州に渡り
関 東軍に配属され、その後シベリヤに抑留、昭和22年4月9日に舞鶴港に帰国す
るまでを、東京の病床で執筆した本である。
  一つの組織、なかでも軍隊、とりわけ日本軍がその軍内の秩序をシベリヤ抑
留中どのように維持したか、またもしそれが外圧により変るとすればどのように
変る のか、そうした疑問に手際よく答えたのが本書二冊ではないかと思う。著
者が大学出のインテリであり、執筆時期が抑留直後であることも大きい。


◇旧軍組織の維持に力を発揮した「三誓」


著者の原文(手記127-129頁)をそのまま引用すれば、「私たちの団体生活につ
いては、入ソ以来、ソ連の取り締まりは衛生労働に重点が置かれ、収容所 内に
おける私たち捕虜の団体生活や形態に関してはほとんど放任されていた。この収
容所内における私たち捕虜の団体生活はすこぶる面白い変化をたどってき た。

私たちの 生活を歴史的に考えると、それ自体の内部的原因によって、またソ連
側の干渉と政策とに影響されて、性質の異なった二つの時期に区分することがで
きた、即ち 昭和20年9月の入ソより翌昭和21年5、6月までの旧軍隊組織が維持さ
れた専制的統率形態の時期(1))と、それに続く以後の階級的観念の捨て去られた
個人平等的自治生活形 態の時期(2)とである。
 
初めの時期(1)においては組織も役員も関東軍当時の大隊、中隊、小隊、分隊
そのままであっ たから、私たちの日常生活は元の軍隊生活と少しも変らなかっ
た。ただ銃や剣を持たぬ外形だけが違っていたのみであった。戦闘目的を失って、
事実上労働者同 士の共同生活にその内容が変わってしまっているのに、この
新しい労 働生活に不相応な旧軍隊生活形態が何故に保持されていたかには、次
のような理由があった。

1、入ソ後しばらくの間は周囲の状況や今後の成り行き等が全然わからず、全員
不安に襲われていたので、外部からの障害に対して自然内部的に強固な団結が必
要であった事。
2、敗戦という事と、依然たる敵愾心と、ロシア語を解せぬ為の意思疎通の欠如
とからソ連人に対し一致した感情を持って団結していた事。
3、将校下士官等は自己の保身上旧軍隊組織の維持に努力を払い、「内地におい
て既に軍隊は無くなっても、我々捕虜は陛下より復員を命ぜられるまでは依然と
して軍人であるから、我々の生活は帰還するまで軍隊生活であらねばならぬ」と
主張宣伝した事。
 
だから朝夕にはソ連側の人員検査とは別個に満州時代と同じく点呼が行われた。
中隊毎にサーベルの無い週番士官が点呼をとると、御勅諭五ケ条の奉唱と皇居
遥 拝が必ず励行された。また2月頃から、ビルビジャン市の日本側司令部の命令
で私たちは「在ソ日本軍三誓」というものを合唱した。それは次の如きものであ
る。
一、我らは神州不滅を確信し、ますます皇国軍人の真髄を発揮し、健全たる心
身を以て日本内地に帰還せん。
二、我らは天皇陛下のご命令によりこの試練に耐え忍び、和気あいあいの間厳
粛なる軍隊内務に親きゅうし自ら積極的に労働能率を向上し、以て強靭なる体力
を確保せん。
三、我らはますます団結を強固にし、離隊逃亡等の愚を絶対避けん。
 
これが軍隊組織の維持に非常な役割を演じた事は言うまでもない。すなわち内
容にそぐわぬ「軍人勅諭」の奉唱が意味を失って行ったのに反して、「在ソ日本
軍三誓」は新しい捕虜生活の内容をも加味して作られていたからである」。


◇私見


  この「三誓」はシベリヤ抑留に言及した本の中でも全く出てこない話であり、
著者らの収容所周辺だけのものかもしれない。
    この時期は食料不足、慣れない極寒気候と戸外の重労働などで、弱い兵士
や年長の兵士などがばたばた倒れた悪夢の時期であった。シベリヤ抑留の犠牲者
が平均 約10%ということは、その数倍の犠牲者を出した収容所も多くあったに違
いないし、こうした諸問題の実情については多くの「シヘリヤ抑留回想記」が言
及すると ころである。香月泰男や宮崎進の「シベリヤシリーズ連作画」はこの
時期の記念碑である。
 
  なお著者の本と同時期に出版された本が一冊みつかった。瀬野修「シベリヤ抑
留記」虹有社である。二葉本ほど整然とまとめられているわけではない。
 
  私に興味があるのは、この時期(1)に引き続く民主化運動の時期(2)であり、抑
留者にとって、反ファシスト委員会(日本新聞)、アクチブ、友の会結成、 壁新
聞の発行と、戦前の日本からは想像もできない運動(人間)の渦の中に投げ込まれ
たことである。一人一人の中に拭い去りがたい/消しがたい「内なるシベ リヤ体
験」を 生み出したことは疑いないし、それらが戦後史の中でさまざまに展開し
たことも事実であろう。
 
この時期(1と2)に、軍 医の立場から回想した安藝基雄(ラコ収容所)の「平和
を作る人たち」みすず書房1984は貴重なものだと思うし、多田茂治「内なるシベ
リヤ抑留体験」ー石 原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史ー社会思想社1994も貴
重な力作だと思う。哲学徒菅が、国内の反共勢力によるでっちあげ事件(日本共
産党の徳田要請と言われたもの(反動思想を持つ者は帰国させるな)というソ連側
への要請))の通訳としての冤罪を国会でかぶせられ、自殺に追い込まれた事件は
痛々しい。哲学者として風雪に耐えて生き抜いて欲しかった。 
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               (堺市在住)

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