■【運動資料】

21世紀社会へ「市民資本セクターをつくる講座」

     参加の皆さんに応える     (NPO)Acc21「アジアNGOリーダー塾」
                            横田 克巳
───────────────────────────────────
 過日私の、行き詰りを継続する現代社会と20世紀的物質文明に対する雑ぱくな
問題解決手法のオルタナティブ提起に対して、丁寧に応えていただきありがとう。
私は、学者・研究者でもないので、事象の裏づけや証明を充分にできないことを
お許しください。社会運動経験50年の概括をベースに以下を記述し、ヒントの創
出に役立てればと記述してみます。


1)「論理における具体性」の体現が近未来を拓く鍵


  国家―市場―市民の関係性は、この200年の帝国主義を含む資本主義社会・経
済体制をめまぐるしく変化させてきた。’29年の金融破たん・購買力疲弊による
世界恐慌の時代から、今日国家財政破綻の連鎖による「だらだら世界恐慌」へと
困難が進化したと思える。

 しかし今日、その経過と現状のダイナミズムをトータルに把握し、体現するこ
とは組織でも容易にできないでいる。もはや戦争やドル支配がこの事態を救えま
い。しかし歴史の内実をつき動かし続けた統治権力と個人の矛盾=その原動力は
「資本と労働」が生み出す「価値」の支配と所有をめぐる組織化=知と力の闘争
は一貫し継続してきたはずである。
 
  その間の統括の主要手段であった政治・軍事=国家権力を手にする少数者は、
民主主義と体制の保護者を口実に、多数である「価値生産者」の主権をセーブし
続けてきた支配性を教えてくれる。この歴史過程の特徴は、論理や正義が国家に
寄り添って抽象化され、社会生活の具体性や人々の知的実際的貧困が隔離・分断
される傾向が続いてきたところにある。

 したがって、成熟した産業化社会では、伝統的カテゴリーに対するオルタナ
ティブを普及させる実践的な再開発が急がれる。誤解を恐れずいえば、「国民」
と「市民」の思想闘争が個人の体内をも含めて必要不可欠であり、「経済のゼロ
成長」や「脱原発」政策の可能性を追求して人間性の復活をはかるのである。



2) 「常識―非常識―良識」のプロセス(オルタナティブ)づくりへ一貫した諸
個人の関与が困難



  科学・技術が国家と産業資本に専有されるに従い、分業システムが複雑に肥大
化し、価値生産力の所有者が分裂し、トータルな改革課題から離れて久しい。こ
の社会構造と個体多様化の深化は、中央集権化の著しい社会・経済システムに限
らず、代議制を旨とする政治的民主主義の形骸化とともに、際立って人々の関与
を疎外し排除してきた。
 
  今日協同組合や政党組織もこの流れをたすけている変革のあるべき主体は、
「2分法」のイデオロギーや拝金主義の流れに抗しきれず、マス化社会の体現
者・保護者になるのが容易であった。その結果、価値生産活動の現場における共
同体の絆や利害よりも、所得や小さな所有の位置どりへのこだわりが現状維持の
風潮を定着させた。そこに生存生活を貫いてプラグマチズムが勝利し、伝統的市
民社会の構造を保全して今日あるといえる。

 マス化して派生する社会常識の厚みは、もはや論理や教義にもとづいて変革・
転換できる条件が希薄となった。市場をめぐって降りそそがれるリスクを克服し
ようとするには、対抗的・対自的な論理や運動=「非常識」を前提としたオルタ
ナティブ活動を必要・不可欠とした。その実践の成果は、宗教や民族主義も超え
て拡充・存在することのできるレベルにおいてこそ、新しい時代の「良識」を確
認することができるのである。



3)「自律した個人=生活者・市民」が市民社会のオーナー(of the people)にな
るために



  生活クラブ生協を基盤にした多様な生活ニーズを把えた運動・事業は、「良
識」づくりの一モデルにすぎない。しかし、このモデルが容易に拡散し社会化し
ない原因には、戦後アメリカンドリームを受け入れ高度経済成長とともに消費イ
シューとして根づいた拝金主義=小さな実利へのこだわりが根強くある。その一
方は、動かしがたく見える体制=「失われた20年」を振り返れば新自由主義・経
済グローバリゼーションの加速と既得権益集団の保守化・官僚化を足場にした
「体制内化」のスピードと力に不服従できなかったからであろう。
 
  生活クラブ運動の主体者の大多数は、「主婦」経験者であるが、自分を奥さ
ん・お母さんという匿名で呼び合う世界をよしとせず、固有名詞と個人資源(い
くばくかのお金・知恵・労力・自由時間)を生かす生活者・女性として振る舞っ
てきた。さらには、身近に派生する生活要求をベースにした社会問題への関与を
通して、解決責任を自覚した生活者・「市民」へとステップアップする。その結
果近未来社会に向けて現実を「つくり・かえる」主体性としての自覚を体現し、
「主婦・女性・市民」をふまえたトータルな社会的・政治的個体としての人間性
を発揮しようとする点でねばい強いのである。



4)「人権・自由・民主主義の理念」が手につかない日本型市民社会を“つくり・
かえる”可能性は



  この20年、政府と市場の失敗に引きずられ、「市民の失敗」をも余儀なくされ
る中での「三連大震災」に見舞われてみて、改めて日本社会のガバナンス転換を
不可避とする「良識」が萌芽できるとすれば、いかなる条件が必要なのだろうか。
「人権・自由・民主主義」の社会統括・自治する新たな戦略課題は、「広義の政
治」である社会的諸権力の形成システムの重厚な形成にこそ可能性があり、その
内実が実体化するに従って「狭義の政治」をけん制できるはずである。
 
  多様に機能している社会的諸組織にこそ「社会的民主主義」を実践し体現でき
るはずなのだが、自らを省みず公権力や行政に問題解決を依存しやすいのは、
「2分法」で差別化するイデオロギーや中立概念、新旧の差別文化などに汚染さ
れ自己責任を遠ざけているからである。責任転嫁を自明とする当事者喪失の体質
は、「社会的権力」のあり方(トータルな問題解決力)を批判的に問えないまま
でいる。

 ワーカーズ・コレクティブの事業と運動が生み出した小モデルによるトライ&
エラーの現状は、貴重なポスト産業社会にむけた「市民遺産」だといえまいか。
その受け皿でもある「市民資本セクター」づくりのコアは、市場の原理やその枠
組みに接しながら疎外に対する挑戦であり、人間の今日的本質力を近未来に向け
顕在化しようとするトータルな自己実現をめざすゆるぎない試行であり、津波だ
といえまいか。


5)「セクターバランス」をかえずにポスト産業化社会を見通せるのか


  「戦争の世紀」といわれる時代を経て、今日新しいグローバルコンセプトが生
まれてきている。人権・平和・共生にとどまらず、家父長制や性別役割分業を超
えようとするジェンダーフリー、ワーク・ライフバランス、労働時間差差別禁
止、ベーシックインカム、etc、伝統と歴史を引きずってきたジェンダーバイ
アスを、個人・女性のあり方をベースにしながら伝統的な差別的社会・文化とそ
の支配の構造をつき動かしながら克服しようとする。国連やEUをはじめとする
世界の先駆的機構は、悪しき現代のほころびを際立たせはじめている。
 
  それは、弱者に対する差別支配を自明としてはばからなかった「税金資本セク
ター」と「産業資本セクター」の支配的ヘゲモニーにメスが入り出したのであ
る。一方、「市民資本セクター」に属する人々の多くは、いまだ古い絆から解き
放たれていないとはいえ、自前の組織と運動の中から、近未来を拓く協動・共生
の秩序の優位性・未来性に気づきつつある。

 EU委員会では協同三法を通して、自明となりつつあるもう一つのセクターが拡
充する希望を表明している。2012年の「国際協同組合年」を待つまでもなく「生
活者・市民」や「勤労者・市民」のヘゲモニーが浸透し、二つの伝統的セクター
をけん制して止まない力関係を築く必然性をより拓けるかである。この「セクタ
ーバランス」をつくる問題解決力の形成に際して「大ぜいの私」たちとなる市民
の大量な台頭を可能にすることこそが、協同・共生のヘゲモニーを体現する社会
運動集団によって担われるときであろう。
 
  市民は「国民」に非ずして、国境を超越して「感じとり」、事象の因果を「考
え実践する」ことで、人々や地域社会、協同組合間や新たな企業間関係をつくる
主体として「民際関係」のトータルな構築に貢献できる。 その力の源のひとつ
は、先駆的NGOが強力なネットワークをつくるために、平和・共生の世界づく
りに不可欠な資源として「ヒト・モノ・カネ・ノウハウ」の結集をはかることが
急がれる。その結果、力強さを増したリーダーシップは、急速に成熟をとげなけ
ればならない日本市民社会の正当な構築に、競い合って貢献することができる。
(2011年8月28日)

        (筆者は生活クラブ生協神奈川・顧問)

                                                    目次へ