復帰っ子の視点から

【沖縄・侃々諤々】

「誇りある豊かさ」とは
復帰っ子の視点から

                         
前泊 美紀


長い間、私の中でモヤモヤと思い描いていた沖縄のあるべき姿。それを上手く言い当てた言葉が、「誇りある豊かさ」だった。

 沖縄が日本に復帰した1972年に生まれた子のことを、沖縄では「復帰っ子」と呼ぶ。私もその一人だ。復帰っ子は、大人たちから復帰のころの話をよく聞かされた上に、「復帰してよかったと思う?」「沖縄の将来をどう考えている?」と質問されることが多かった。その結果私たちは、沖縄はどうあるべきかを考える機会が多かったように思う。

 生まれたときから米軍基地があり、かつ日本の47分の1としての沖縄県民として育った復帰っ子は、いま責任世代になっている。つねに投げかけられる「基地か経済か」といった沖縄の行く末への問いに、この世代にほぼ共通する答えは、「基地負担の軽減も、経済の発展も」であり、そして「自立した沖縄を」である。

 私たちは、基地あるがゆえの烈しい保革の対立を目の当たりにしてきた。基地問題はむろん、沖縄の重要な課題である。しかし、それに大きな労力が割かれ、所得格差や子育て・福祉など身近な生活課題をなおざりにしてきたのではないだろうか。政府依存型の経済・財政から脱却し、自立経済で県民の生活が潤うようにすること。そうすれば、政府に対して県はもっと自信を持って対応できるようになり、それが実は基地問題解決へのもっとも確かな道筋になるのではないか。そうなれば、保革の政治家が基地問題で互いにいがみ合うのではなく、経済・財政や生活・福祉で知恵を出し合い、手を取り合えるようになり、沖縄は良い方向に向かうはず—そう思い続けてきた。

 2014年11月の沖縄県知事選挙で、保革を超え辺野古新基地建設に反対し「イデオロギーよりアイデンティティ」「誇りある豊かさ」を掲げた翁長雄志氏が当選した。これによって、政治がようやく復帰っ子世代に追いついてきたような気がする。

 復帰して42年。沖縄県は、社会資本整備が大幅に進み、生活も豊かになった。しかし、基地問題で感じる県外との温度差。それに伴う悔しさや悲しさや無力感が混ざる複雑な感情を抱くとき、いまの「豊かさ」には、折に触れ傷つけられてきた沖縄県民としての「誇り」が欠けているのではないか、と思う。

 沖縄はいま、「誇りある豊かさ」を実現すべく大きな一歩を踏み出した。折しも年の瀬、衆議院選挙によって政治は大きな局面を迎える。辺野古で「よい正月」を迎えるためにも、いまこそ「誇りある豊かさ」を沖縄から発信し、日本が「誇りある豊かさ」を持つ国になること。そのことが、沖縄問題を根本的な解決へ導く一路となると信じている。
(まえどまりみき:那覇市議会議員二期目、無所属、40代)


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