揺れる移民の国 第二章  母を尋ねて数千里

■揺れる移民の国                     武田 尚子

    第二章 母を尋ねて数千里
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 フランクの話は、移民、とりわけ非合法移民の世界に対する私の興味をいっき
ょによびさました。現在アメリカにやってくる年間八〇万とも一00万ともいわ
れる密入国者の大半は、ラテンアメリカ系のメキシコ人と中南米人で占められて
いる。したがってこの「ゆれる移民の国アメリカ」は、メキシコ人と中南米人のア
メリカへの非合法移民の話になる。

 私がこの稿全章を通じて非合法移民と呼ぶのは、密入国者と、ヴィザの滞在期
限を越えても帰国しない非合法移民、および合法移民のなかでもかなり新来の移
民をさすことをお断りしておきたい。新移民はそのライフスタイルでも、考え方
でも、非合法移民にごく近いからである。アメリカに根を張って久しい移民はそ
れぞれこの国に同化して生来のアメリカ人に近い。

 いったん移民関係の資料を当たりはじめると、想像を超える壮烈な話に何度も
出くわすことになった。中でもホンヂュラスの少年エンリケのアメリカ密入国の
旅は、胸をつく物語で、読みながら私は何度も涙を流した。これは、アメリカに
渡った母親を追う子どもの体験で、大半の非合法移民とは動機を異にしている。
しかし、なみなみでない彼の冒険の苦労は、密入国を試みるラテンアメリカ人の
多くに共通している。  

 非合法移民の世界を知るために、ソニア ナザリアのドキュメント「エンリケ
の旅」の一部をここに要約して紹介したい。冒頭に紹介したフランクの旅は一九
七〇年代半ばだったが、エンリケの旅は二〇〇〇年で、今日の現実をよりよく反
映してもいる。

 エンリケは五歳のとき母親と別れた。夫と離婚した母親は、雨のもる掘立て小
屋でエンリケとその妹を育てていたが、日々の食べ物にもこと欠き、つらい思い
をしながら、空腹を砂糖水でしのがせることもままあった。悩みぬいた母親は、
子どもを残し、アメリカに行って稼ぐという最後の手段に訴えたのである。
  クリスマスには帰ってくるからねと約束して家を出た母親は、時折電話をくれ、
こどもを預けた彼女の母親のもとに稼いだ金を送ってきた。三度の食事はもとよ
り、衣服もクツも買えるようになった。しかしエンリケの求めているのはそんな
ことではない。彼はひたすら、母親を恋い求めていたのである。
 
  一年が過ぎ、二年三年四年と過ぎていったが、母親は約束を新たにするばかり
で、帰っては来ない。エンリケは小学校を卒業はしたが、そのあとはしだいにす
さんでいった。町の不良仲間と交わり、学校では教師にたてつき、級友には乱暴
をする。十代になるとグルーを吸いはじめ、けっきょく麻薬売りに借金を重ねる。
返さねば殺すと脅されて、叔母の宝石を盗み、家中の鼻つまみにもなった。

 すべては、母が悪いのだ。母がいないことが自分の悪行の原因だ。母さえ戻っ
てくれれば、自分の生活に問題はなくなる。よし、母がどうしても帰ってこられ
ないなら、自分が出かけて行くぞ。エンリケはこう決心して、その日を夢見るよ
うになった。母に電話でそのことを話すと、ぜったいに来てはいけない。旅路は
危ないことだらけで、生きてアメリカにこられる保障はどこにもない。辛抱して
待っておくれとくり返すばかりだ。母の抵抗にあうたびに、エンリケの決意は固
くなった。

 自分を残して出て行った母親を追って、無謀なアメリカ行きを試みる子どもは、
エンリケだけではない。彼は言葉に尽くしがたい苦難の旅の間に、たったひとり
でこの冒険に加わった九歳児にも十一歳児にも十三歳児にも十五歳児にも出会っ
ている。七歳児さえいたという話も聞いた。そして彼らの話は、驚くほどエンリ
ケ自身の体験と似ていた。みな北へ去った母親恋しさにとびだしてきたのである。

 一九六〇年―七〇年ごろからしだいに高まったこの潮流は、フェミニズムに触
発されたアメリカ女性の大半が、外で働くようになった年代と合致している。ア
メリカの母親は、子どもの面倒を見、家の世話をしてくれる安価な女性労働力を
必要としていたから、増加する一方の離婚や家庭崩壊で、経済的に追い詰められ
たメキシコや中南米の女たちには、いくらでも働く場所があった。

 エンリケの母親は、一九八九年、コヨーテと呼ばれる人間の密輸業者の信用貸
しで三〇〇〇ドルを払い、二人の子どもを母親に託してアメリカに去ったのであ
る。「母に見捨てられるような自分に、いったい何の値打ちがあるだろう」とい
う、娘ベルキーの嘆きを、母親は風の便りに聞いただろうか?

 エンリケがついにアメリカに向けて出発したのは母親と別れて一二年後、二〇
〇〇年三月のことだった。一七歳になっていた。旅路の危険について警告を与え
られてはいたが、現実の危難はそれを何倍も上回った。バスでホンヂュラス、グ
アテマラ、メキシコの国境を越え、メキシコ最南端の州チャパスに入る。

 そこからは貨車の屋根に乗ってサン ルイ ポトシまで行く。移民たちはチャ
パスの町に入ることを「野獣との対決」と呼ぶほどおそれていた。貨車、それも
屋上に不法乗車をするためには、走りながら、カーブで速度をゆるめた車両のは
しごにとびつき、それを登らなくてはならない。それ自体危険なことはいうまで
もなく、登りきれず、必死で手をかけている間に力が尽きれば、下からの熱風が
足をすくう。片足や両足を、あるいは腕を、頭部を失うことさえある。

 鉄道システムが古く、まくら木が二〇年にもなるチャパスでは、屋上に何とか
場所を見つけてベルトで体を固定したり、手で突起物をにぎっていても、汽車の
左右への激しいゆれやカーブのためにふり落とされるのはめずらしくない。脱線
がしばしば起こり、あるときは砂を満載した無蓋の貨車ホッパーが転覆し、のっ
ていた無賃乗客を砂の中に生き埋めにした。

 また沿線の樹木の大枝が屋上の乗客をもろに掃い落とすこともある。前部車両
の屋根にいる移民客から大声で警告をうけると、みなできるだけ体を低く伏せて
やりすごすのだ。タンカーの車体はすべりやすいし、安全そうに見える箱型の車
両の内部にうまくもぐりこんでも、巡回のミグラ(メキシコの国境パトロール)
に外から錠をかけられ、密室の熱気の中で渇き死にすることもある。金を取って
国境まで移民を送り込むネットワークの密輸業者自体が、疑いを避けるために錠
をかけ、内部の顧客を死なせることもある。

 チャパスにはことに多いといわれるメキシコの腐敗ポリスや国境パトロールの
ミグラは、貧しい移民客から金や物品をうばってようやく見逃してくれる。提供
するものがなければ逮捕して拘留する。当局に訴えたりするなら仕返しを覚悟し
ろと脅される。それよりさらに恐しいのはこの地方を跋扈するギャングだ。

 貨車に乗り込んでくるだけでなく、鉄道の沿線に待ち伏せして、ミグラやポリ
スを逃れる移民を裸にし、なぐり、蹴り、金はおろかシャツもズボンもベルトも
靴も剥ぎ取ってゆく。抵抗すれば殺すとナイフをちらつかせ、実際に殺された者
も、貨車から落とされて死亡したものもあとをたたない。病院に運ばれれば、よ
ほどの幸運だ。

 検問所の近くになると、移民たちは車両が速度をゆるめ始めたときに飛び降り、
かなりの距離を最大速度で走って、検問所を過ぎたところでまた貨車に飛びつく。
軽業である。屋根までのりこんでくるミグラやギャングをのがれようと、車両か
ら車両へとび移ることもあるが、その間隔は一メートル半もある。

 跳躍に失敗する者もあれば、追跡者をやり過ごそうとして車両後部のはしごに
すがりつきふり落とされる者もある。急停車のショックで車両にはさまれて死亡
する者もいる。こうした事故があると貨車は運行を止めなければならないが、そ
の停車費用が当時一分につき八ドルはかかるという。負傷者の運ばれた病院の費
用も莫大なものになる。

 アメリカに群がるメキシコからの不法移民に、米国が頭を抱えているように、
メキシコ政府は、主として中南米からメキシコを通ってアメリカを目指す移民に
悩まされているのだ。メキシコ側では、南部のグアテマラとの国境には武装した
パトロールをおき、逆にアメリカとの国境には無武装のパトロールをおいている
だけだという。一般に中南米人はメキシコ人から劣等視され、手荒な扱いをされ
る。

 事故は移民列車だけではない、盗み、婦女への暴行、殺人そのほかの乱行で町
を変えたギャングの横行が、チャパスで目に余るようになったのは、グアテマラ、
エル・サルバドール、ホンジュラス、ニカラグアなどでの麻薬対策キャンペーン
が、麻薬ギャングを北に追いやったためだという。チャパスの住民五〇〇〇人は、
町を行進して抗議デモを行った。警察長官は就任演説で、ギャングの一掃を誓っ
たその直後、ギャングに射殺されている。

 エンリケは何度目かの貨車からの逃走中にギャングに身ぐるみはがれたとき、
母親の電話番号を失った。ギャングにぶたれてつぶれそうになった片目は、親切
な沿線ちかくの病院で治療してもらえたが、いまだにチョコレート色で、おそら
く生涯、相当にたれさがってしまった。ヒッチハイクで、国境の町近くまでのせ
てくれたトラックの運転手に別れたあと、ようやくヌエヴォ・ラレド市の中心に
到着する。ここでエンリケは、以前貨物車でいっしょだった同郷の男に出会う。
彼の案内で野営キャンプにともなわれたのは幸運だった。

 キャンプを牛耳っていた密輸ネットワークの男、エルテイリンダロは、エンリ
ケを近い将来の顧客と見込んで、密入国者をおそう近辺のギャングから保護して
くれたのだ。

 エンリケは、貧しい移民志願者のために食事カードを出してくれる教会のおか
げで、何とか食いつないではいたが、カードが切れると食費も必要になる。その
うえ長距離電話に要する五〇ペソ(5ドル)を駐車場の案内や、車のガラスふき
で稼ごうとしてキャンプで日を重ねた。鉄道の沿線に並んで、貨物列車の移民た
ちにパンや果物や水をさしのべてくれた、オハカやヴぇラクルーズの人たちを思
い出さない日はなかった。彼ら自身、ごく貧しい人たちだったのである。

 キリストの教えをなによりも貧しい人を助けることで実現している神父レオの
おかげで、エンリケはついに母と会話することができた。自力で川を渡ろうとす
るエンリケを母は押しとどめ、信頼できる密輸業者を探すから待てという。キャ
ンプのコヨーテ、エル・テイリンダロが、一二〇〇ドルで川を渡し、アメリカ内
部の町まで連れて行くことを話すと、母はその金を都合するからそれで来い、け
っして一人で来てはならないと強くいった。

 母の心がどんなにうれしかったことだろう。リオ・グランデの渦巻きが、渡河
する人馬を飲み込んだり、激流が人を拉し去る事故は昔も今もかわらない。密輸
業者が、移民を道半ばに放り出して遁走するのも、聞きあきた筋書きなのだ。彼
はエル・テイリンダロが水の中を押したり引いたりしてゆくチューブのボートに
乗り、リオ・グランデを渡った。

 エル・テイリンダロの属する密輸ネットワークの赤い車に迎えられ、ダラス経
由でフロリダのオルランドに着く。母親は五〇〇ドルの有り金を下ろし、あとを
男友達に借りて、一二〇〇ドルに追加請求の五〇〇ドル加えてついに全額を送っ
てきた。母親の男友達が数日後に迎えに来て、ノースカロライナにドライブする。
母の住むトレイラーに案内され、興奮しきって母親と抱き合う。

 それまでに七度試み、盗まれ、脅され、傷つけられて七度逮捕され、何度かは
拘留もされた。そのたびに再起を誓って、八度目の試みでようやく成功した延べ
一九二〇〇キロ、一二二日の忘れえぬ旅はこうして終わった。ついでながら、エ
ンリケをチューブにのせてリオ・グランデを渡らせたエル・テイランドロは、そ
の後ギャングに殺されている。

 エンリケの旅が、未成年者の母さがしの旅の典型だったように、再会後の成り
行きも、多くの子どもたちと同様のパターンをたどることになった。

 母との蜜月は長くはつづかなかった。母にはアメリカにきた直後の男友達との
あいだに生まれた娘がいて、九歳になっていた。今では新しい男友達もいる。エ
ンリケは失われた歳月の愛情をすべて取戻したいがままならない。母が自分を見
捨てたという怒りが新たになる。飲み友達とトレイラーの内外で昼夜を問わず飲
んだり賭けたり、勝手気ままなふるまいで母との口論をくりかえす。

 母親からみれば、国を出たのはすべて子どものためにした犠牲だった。ホンヂ
ュラスの女が工場で働いたり、人の洗濯ものや家の掃除で得る金は当時月に三〇
~ 一二〇ドルにすぎない。キチンかトイレのある家は家賃が三〇ドルはかかる。
女たちは、金を稼いですぐに帰ってこられると信じ、そういい残して家を出る。
しかし帰国すれば、元の悲惨が待っているだけだ。アメリカに再入国するには、
初回以上の金をコヨーテに請求されるだろう。

 どんなに子どもを愛していようと、帰郷は自分が信じ、子どもたちにも約束し
たほど容易ではなかった。息子がくるまで十二年も---そしておそらくその後も

  • 帰郷を果たせないのはエンリケの母親だけではない。

 エンリケはまれにみる意志力と忍耐、注意力、生来の敏捷さ、経験から得た知
恵を生かして、ついにはアメリカ入りを果たしたが、多くの少年たちには果たせ
ない。たいていは汽車の事故や、ミグラやギャングの暴行で一敗血にまみれ、ア
メリカ行きをあきらめて故郷に帰るか、あるいはどこかの町のギャングに情をか
けられ、仲間になるケースが多いという。

 エンリケは母親への不満で荒れた不毛な時期をすごしたあと、少しずつ大人と
して母を見るようになり、母との関係を改善していった。これは幸運な場合で、
アメリカ行きを決行した母親の多くは、苦労の果てに子どもたちの愛を失うので
ある。

 故国に残したエンリケの女友達は彼の子供を生み、彼の祖母の家で育てている。
ペンキ塗りの職で、いまだに非合法移民ではあっても、ともかくも生計を立てら
れるようになったエンリケは彼女に,子どもを預けてアメリカにこいとしきりに
呼びかける。初めは聞く耳を持たなかったマリア・イザベラも、再三の説得につ
いに折れ、ジャズミンがもう少し大きくなったらと考え始める。歴史はくりかえ
すのだろうか......


◇悪魔のハイウエイに挑戦する男たち


  しかし、メキシコおよび中南米からアメリカへの非合法移民の主流は、いうま
でもなく未成年者やその母親ではなく、大多数が所帯の主である男たちである。
現在の密入国者では最多数をなすメキシコ人は、いまのアメリカの移民問題の焦
点になった。

 メキシコ人の不法入国は数限りないが、特筆すべき一例をご紹介しておきたい。
アリゾナ州とメキシコとの境界線にあるソノラのササベからは、多くのメキシコ
人が危険な国境越えをする。そこにはメキシコ側が、越境者に対する唯一の警告
を記した掲示板がかかっている。

   「コヨーテが君たちに求めているのは
   商売(カネ)だけだ 君たちや家族の安全など くそくらえだ
    君たちの生命で コヨーテに金もうけをさせるな!!!」

 残念ながら、越境者の多くは、この文字さえ読めない。メキシコ政府は非常事
態にそなえて、越境者に水や食糧のほかコンドームまで入れた救急バッグをもた
せるほど、アメリカへの密入国に理解を示したが、アメリカ側の猛烈な反対にあ
って救命袋は中止したという。ここからはふつう一日に一五〇〇人のメキシコ人
が越境するとわれる。二〇〇三年にササベを訪ねた作家チャールス・ボーデンは、
ある日の午後の越境者を五〇〇〇人と記している。

 アメリカの著作家ルイ・アルベルト・ウレアは、二〇〇一年五月、メキシコ最
北部から、何百年も「悪魔のハイウエイ」として恐れられたアリゾナ州の南西部、
ユマとツーソンにまたがる北米大陸のもっとも剣呑な地域を通って陸路国境を越
え、南アリゾナの砂漠からアメリカの中心部をめざす男たちを描いている。ほと
んどがメキシコのヴェラクルーズのコーヒー栽培者で、コーヒーの価格が下落し
たために生活が苦しくなった。そこに現れたコヨーテの口車に乗せられて、われ
もわれもとアメリカ行きが始まってから、村はまるで男のいない世界になってし
まった。二〇〇四年に「悪魔のハイウエイ」として出版されたウレアの強力なド
キュメントは、密入国者の夢の挫折を物語る凄惨なオデッセイである。

 二六人で出発した一団には、父親と一〇代の息子のチームも、三人兄弟のチー
ムもまじっていた。国境パトロールも近づきたがらない迷路そのものの山岳-砂
漠地帯を踏破するためには、一ヶ月一五%の複利計算で金を貸した、ルートを知
りぬいているはずの密輸業者の仲間が男たちのガイドとして加わった。

 しかし経験の乏しいガイド自身が道に迷ってしまい、助けを求めにいくと出て
行ったまま帰ってこない。この山中で息絶えれば、たちまちミイラになるといわ
れるほどの酷熱地獄の中で、見捨てられた男たちは出口を求めてさまよい、活路
の見つからぬまま一人また一人と死んでゆく。たとえば、どうしても父親と経験
を共にしたいと同行した十代の強壮な息子が、飢えと渇きと熱に力尽きて倒れる。

 サッカーで鍛えた彼の体を、自分の体で暑熱から必死でかばってきた五〇代の
父親が、息子を失ったあと生きる戦いを放棄する。彼はたくわえてきたアメリカ
ドルをちぎって空中に散らし、水に身を投げるように、熱砂の砂漠に身を投げる。
「死の道」とも呼ばれる、歴代の犠牲者の骨におおわれた難所から、アメリカの
国境パトロールに救われて生還したのは,一二人に過ぎなかった。

 この事件が報道されると大きな反響を呼び、メキシコでは生還者を英雄として
公式に表彰することになった。その金を村民の福祉に使えば、危険をおかすアメ
リカへの密入国者を減らすことができるだろうに、という心ある関係者のつぶや
きをよそに、メデイアの報道や大げさな行事で生還者は賞賛される。まるで、無
謀な旅行を奨励するかのように。

 しかし思いがけず、心あたたまる副産物もあった。ヘリコプターと車で救援に
駆けつけたアメリカ側の国境パトロールは、メキシコ人に劣らず、一四人を砂漠
に失ったこの事件に大きな衝撃を受けた。不法入国者から国境を守ることが彼ら
の重要な職務であるが、生命の危険にさらされた越境者がいれば、できるだけの
手段をつくして救助するのも彼らの仕事であり、願いである。この大事故のあと
彼らは、ふつうではとうてい出口の見つからない山中の迷路に、遠くから見える
いくつかの救命塔を建て、パトロールセンターに通じるSOSボタンをつけ、告
知板をかかげた。
                警告
  この地点から先、安全に前進することは不可能です。助けを求めない限り死に
見舞われる危険があります。助けが必要なら赤いボタンを押してください。
  アメリカの国境パトロールが一時間以内に到着します。この場所をぜったいに
動かないでください!

 ボタンで要請があると、センターから直ちに人を派遣して、迷える羊たちの救
助に向う。しかもこれは、アメリカ内部に向う密入国者の通路にされたためにさ
まざまな被害を受けつつあり、移民を支持するか否かで大きく意見の分かれるア
リゾナで、国境パトロールたちの私費で建てられたのだった。この悲劇の前には、
五年間に二〇〇〇人の死者を出したこの地点での越境者の死は、この塔のおかげ
で激減したという。

 それ自体は感動的なエピソードである。しかしこの事件は、アメリカの抱える
移民問題の解決のむずかしさを象徴しているようにみえる。命の危険を冒してま
で、なぜメキシコ人中南米人ほかの密入国者が、大挙してアメリカにやってくる
のだろう。アメリカへの不法入国はそれほどのリスクに値するのだろうか? 

 メキシコは何故、密入国にともなうこれほどの危険を、声を大にして自国民に
知らせないのだろう? アメリカはなぜ、法を破って越境する密入国者にたいし
て、航空機や冷房つきのバスで本国送還だけという寛大さでのぞんできたのだろ
う。取締りを叫びながらも、実は非合法移民を望んでいるのがアメリカの真意な
のだろうか。

 冒頭のエピソードで紹介したフランクの成功に快哉を叫び、エンリケの母恋い
の情に涙を流し、悪魔のハイウエイの犠牲者に同情を禁じえなかった単純なヒュ
ーマニストも、ようやくこの問題が一筋縄ではいかないらしいことを理解しはじ
めていた。

(筆者は米国ニュージャーシー州在住・翻訳家)

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