文明史的転換への視座を

■ 文明史的転換への視座を             久保 孝雄

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 歴史の大きな転換期には、それまでの価値体系が一挙に破壊され、認識の枠組
みが一変する。牢固たるものに見えていた多くの権威や価値や物の見方が、すべ
て時代遅れになる。私たちの世代は第二次世界大戦の敗戦時や米ソ冷戦の終焉時
にそれを体験してきた。

 今回の大震災もそのような歴史的転機を画するものになるだろう。巨大地震、
大津波、そして原発事故が引き起こした文明破壊、価値破壊は、日本人がかつて
体験したことのないほど苛烈、過酷なものである。一瞬にして消滅した数十の町
や村、3万人近い死者・不明者、数十万人の被災者、とりわけ住みなれた家や土
地から引き離され、「生き地獄」に追いやられた数万人の原発被災民たち、放置
された何千、何万の家畜やペットたち、土壌や海水の汚染で壊滅的被害を受けた
農業や漁業。さらに、3ヶ月経っても収束の見込みの立たないフクシマから放出
され続けている放射性物質は、首都圏はじめ全国民はもとより、世界中の人々に
不安と恐怖と対日不信を引き起こしている。

 この大震災と原発事故によって地震予知科学や防災科学は権威を失墜したが、
とりわけ「安全神話」に支えられてきた原子力文明は破壊的衝撃を受けた。原子
力に依存する「豊かな」生活も、核兵器と核戦略体系も深刻な危機に直面してい
る。

 ヒロシマ、ナガサキの惨事にみる核兵器の非人間性、スリーマイル、チェルノ
ブイリへと続く原子力「平和利用」の悲惨な現実は、「核と人類は共存できるの
か」という根源的な問いをクローズアップさせてきたが、フクシマはこの問いに
最終的な回答を与えつつあるのではないか(注)。

 (注)フクシマは世界中に大きな衝撃を与え、欧州を中心に「ノー・モア・フ
クシマ」の声と共に反原発の世論のうねりが高まっている。ドイツ、スイス、オ
ーストリアは脱原発を決め、イタリアでも国民投票の結果、94%の圧倒的多数
で脱原発に踏み切った。原発大国のフランスでも8割近い国民が原発反対の意思
を表明しており、イギリスでも反対派が過半数を占めた。

 放射線は個体としての人間のみならず、種としての人間の生存の根幹にかかわ
るDNAを破壊する。その影響は世代を超える。ここに放射線の底知れぬ怖さが
ある。しかも、原発の産生物であるプルトニウムは核兵器以外に使い道のない物
質であり、人類がかつて遭遇したことのない制御不能の猛毒である。原発が稼働
する限り蓄積され続け、しかもその最終処分の方法を、人類は未だ知らないので
ある。これが人類が生んだ「鬼子」としての原子力文明の本質である。

 フクシマは原子力エネルギーを制御するための科学技術である原子力工学の権
威を打ち砕いたばかりでなく、あらゆる批判を押しつぶして原発を推進してきた
産・官・学+マスコミの原子力利権複合体の醜悪な姿をもあぶり出した。

 年間5000億円近い原子力国家予算(これが50年も続いてきた)、東京電
力だけでも年間200~300億円もの広告費など、周到に張り巡らされた強固
な原子力利権に群がる勢力が、日本の政治、経済を「原子力立国」に強引にシフ
トさせ、外交、教育、文化を通じて原発の「安全神話」の定着に努め、原発推進
に世論を誘導してきたことが明らかになった。

 超一流企業といわれた東京電力、エリート集団であるはずの原子力委員会や原
子力安全・保安院(これに御用学者や御用評論家を加えて「原子力村」と呼ばれ
る利権集団が形成されている)の高級幹部たちの知的・道義的レベルの低さ、唾
棄すべき時代遅れの体質(傲慢不遜、無責任、不誠実、情報隠し、ごまかし、官
僚答弁丸出しの記者会見、等々)が暴露され、政府のリーダーシップや危機管理
能力の欠如と相まって、日本のエリート集団とそのガバナンスの劣化ぶりを全世
界に曝してしまった。

 今、復旧、復興、再生をめぐってさまざまな提案が出されている。脱原発によ
る自然エネルギー立国への転換、分権型・多極分散型政治・社会システムへの転
換、東北の新しい位置づけ、中国、韓国など東アジア諸国との共生関係強化によ
る復興ビジョン、市民の手による地域復興プランの策定などの具体策については、
私も同意できるものがある。

 しかし根本的に重要なことは、それらが文明史的転換への視座を持っているか
どうかである。原子力時代を終わらせ、原子力依存の文明モデルを転換させる明
確な問題意識を持っているかどうかが問われているのだ。さらに、日本の政治、
経済、社会、文化をゆがめてきた原子力利権複合体にメスを入れ、責任の所在を
明らかにする厳しい改革なしに「復興への道すじ」を語ることはできないはずで
ある。この問題意識が欠けていれば、創造的復興とか再生とかいっても、結局は
「復旧」にとどまってしまうことは明らかである。それでは絶対に日本の未来は
開けてこない。
            (アジアサイエンスパーク協会名誉会長)

注(本稿は、情報誌「参加型システム」7月号に掲載されたものに、(注)を加
えるなど若干の補筆をしたものである)

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