日中の言語文化差異

■日中の言語文化差異  河南省鄭州大学    王 春橋

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◎中日の色彩意識「紅白」


 まず「紅白」に対する説明をしておいてから「白」と「黒」についてお話する。

 日中両国ともに紅色は「危険」を表す。例を挙げると、両国共に「赤信号」を
危険の信号にしているのである。

 中国の大革命の時、左翼分子は交通信号の紅信号を、他の色に変えようとして
いたそうである。その理由は「紅」は革命のシンボルだから、「革命」を停止させ
るわけにはいかないからだそうである。実は、交通信号の「赤信号」の赤い光は、
一番速く、一番遠くに伝わるという物理特性で決められたそうだから、民族の習
慣や政治には関係ないのである。

 日本人は、全然関係のない一切つながりがない人を「赤の他人」と言う。これ
は多分日本人は知らない人を「赤信号」と取り扱って警戒心を強める意味だと思
う。(他にもさまざまな説がある)

 中国人は物事が「順調で、成功した時、重視させる時、人気者になる時」に「紅
色」を使う。「走紅運」、「開門紅」、「溝堂紅」、「紅角」、「紅人」等の言い
方がある。

 前にも述べたように、日本人は目出度いことがあると、単一色ではなく「紅」
と「白」の組合せを使う。家でお祝いするとき、「紅白の垂れ幕」を飾る。菓子の
容器も紅白の糸で巻き、お礼の袋も紅白で飾る。

 中国には「紅白喜事」の言い方がある。ここでの白は長寿者のお葬式のことで
ある。日本人は目出度い日に赤飯を食べる習慣がある。これも「紅」(小豆)と
「白」(白米)の目出度い表現だと思う。

 私は一度九十才以上の老人のお葬式に参加させられたことがある。その時も赤
飯をいただいた。日本人も長寿者の葬式を、慶ぶこととして視ているのであろう。

 日本人は通常、単一色で目出度いことを表さないのだが、「白星」という言葉を
優勝と成功の標記として良く使っている。

 「紅白」は目出度いという意味の外に吉祥という意味もある。日本人の好きな
色である。日本放送協会(NHK)が大晦日(除夜)に放送する歌番組は「紅白
歌合戦」と呼ばれている。日本の国旗も海上自衛隊の旗も「紅」と「白」の色を
使っている。

日本の小学生が運動会に参加する時、紅白の防止を被る。この帽子は白と紅の
リバーシブル(裏表)で、紅チームは白を裏にして紅を表にし、白チームはその
逆にすれば良いのである。


◎「すみません」を多用する日本の文化


 日本の社会でよく耳にするのは「すみません」という言葉だ。電車で、道で、
人に声をかけるとき、いつもその言葉が聞こえる。それによって、日本の社会の
小さないざこざを滑らかに静め、大きな衝突に至らないのであろう。

 以上のことは、日本の一般的な社会でのことだが、会社と言う限定的組織内で
は、責任の縄張りもあり、上下関係の問題もあって、みなが同じ目標を目指して
いるときには、まるで「はい」と「すみません」だけの言葉で通じているように
思われることがある。一般社員と会社の上層部との関係について言えば、日本で
は一般社員は上層部の取り決めに絶対服従しなければならない。そうでなければ、
辞職するしかない。上層部との駆け引きは不可能である。

 私(管理人ではない)が仕事をしているラジオ日本・国際部に、中文科を卒業
した女性がいる。彼女が入社した時、上層部は彼女にベトナム語放送を担当させ
た。彼女も他の日本人と同じようにおとなしく上層部の決定に従った。仕事上で
必要なので、彼女は喜んでベチナム語を勉強し、同僚に教えを請うなどしている。
このようなことは中国では想像できないことだと思われる。

 仕事上で分からないことが出てきた場合、「すみません、わかりません」と言っ
ても間違いではない。ただし、分からないと言って、そのことが終わるわけでは
なく、後でそのことを明らかにしなければならない。これは道を尋ねられた時と
違うところである。

 もし、その分からないことが一般的な常識の範囲である場合、日本人はとても
恥じ入り、「すみませんでした」などと言う。日本では責任逃れをしたりする時、
「誰も私に言わなかった」とはめったに言わない。

 日本で、「誰も私に言わなかった」と言う場合は、責任逃れと言うよりは、皆か
らいじめられて不満を言っていると言った方が当たっている。つまり、皆がある
ことを故意にその人に教えなかった時、このような文句をよく聴く。

 中国においては、このようなことは比較的少ない。多いのは自分が得た最新情
報を誰にも教えないか、あるい奥の手として取っておくことである。このような
状況では人に教えを請うても、特別に親しい関係でないかぎりは、誰も教えてく
れない。中国ではしばしば「誰も私に言ってくれなかった」と言うのをよく聴く。

 中国人がこのように言う時は責任逃れをする時か、他人を恨む時で、私を責め
るなと言う意味である。

 「知りません」という言葉についても、日中間には大きな違いがある。善しあ
しを別として、日本人のこの言葉に対する態度は職業上の教育と、競争社会が生
み出した結果だと思われる。


◎中国と日本、「知っている」と「しらない」


 中国人が話をする時、相手がその話の内容を知っているかどうかに係わらず、
「あなたは知らないだろうが、町の変化はとても大きい。私は町から帰ったばか
りである。・・・・」等々。このような話方を日本人が聞いた場合、魯迅の作品中
の人物「阿Q」を思い浮かべるだろう。中国人のこうした言い方をそのまま日本
語に訳した場合、日本人の感情を害することが往々にしてある。

 一般的にこのような場面では、日本人は「あなたもご存知だと思うが、町の変
化はとても大きいです。私は町から帰ったばかりですので。・・・・」などと言う。
相手が明らかに知らないと分かっていても、あたかも皆が知っている話かのよう
に話しを始める。通訳をする場合、「あなたは知らないだろうが、」を「あなたも
知っていると思うが、」と言うように変えたほうがいいと思う。

 日本人の学生は「分かりません(知りません)と言うのが好きである。この意
味は「答えられません」の意味で、先生が質問すると、往々にしてこの答えが返
ってくる。学生にしてみれば「分かりません」と言えば、それで安心し、自分と
は無関係な問題となる。実際、「分かりません」と言うのは消極的な学生で、先生
もそれ以上質問しない。

 この点は中国の学生も日本の学生も同じである。違うのは社会に入ってからで
ある。

 日本人は社会人になってから、ある時には再々「知りません」と言うが、状況
は二種類に分けられる。それは仕事中とそれ以外のときである。先ず仕事以外に
ついて話してみよう。

 仕事以外の場面で、ある人があなたに道を尋ねたとしよう。中国人は「知らな
い」と答えるだろう。だが、日本人はただ「知らない」とだけは言わない。普通
は「すみません、わかりません」や「ごめんなさい、知りません」などと言い、
最低でも「わかりませんから、他の人に聞いてください」と言ったりする。日本
語ではこのような言葉は語気によって気持ちを表す。

 もし、日本語で「知りません」とだけ言うと、言われた人は「あなたには教え
ない」と言われたのと思い、ぶっきらぼうな感じを受ける。そして、相手を不愉
快にさせてしまう。

もし、仕事の上で、同じように道を尋ねられた場合、「知りません」と簡単には
言えない。たとえ、礼儀正しく答えても「知りません」を言うのには注意を要す
る。では、本当に知らない場合はどうするのだろうか?日本の会社員は先ず同僚
等に聞き、その後丁寧に道を教える。特にサービス業に従事する人々はこのよう
な対応を非常に重視する。彼ら(彼女たち)はお客さんに対するサービス精神に
基づき本来の仕事と全く関係ないことでも、丁寧に対応する。勿論あまりにも忙
しく、あなたの相手をできない時などは「わかりませんので、他の人に置きくだ
さい」などと言われることもあるだろう。

 警察官以外の人々であれば、道を尋ねられて答えることは自分の本来の仕事で
はないので、答えないかもしれないが、では、自分の仕事の範囲内の場合、日本
人はどのように対応するのだろうか。

 例えば、お客さんが洋服売り場の店員に向かって、「レコード売り場はどこです
か」あるいは「この服はどこの国で生産されたものですか」などの質問をした場
合、決して「知りません。他の人に聞いてください」などとは言わない。必ず、
同僚等に聞いてから、お客さんの質問に答える。そして、答え方は道を教える時
より、さらに丁寧でなければならない。

 「知らない」と同じような言葉に「聞いたことがありません」「したことがあり
ません」などがある。自分の仕事の上で分からないことが出てきた場合、日本人
は一般的に自主的に勉強する態度を取る。「しりません」「したことがありません」
「勉強したことがありません」などは仕事を断る理由にはならない

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