日中関係における二つの構造変化

■日中関係における二つの構造変化  久保 孝雄

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  ここ数年、日中関係には大きな構造変化が起きています㌢この変化は日本国民にとって明治以来130年ぶりに起こった初めての体験であり、これまでの中国認識、中国との付き合い方を根本から改めなければならないという意味で、民族的な試練であると言ってもいいと思います。

 この試練をどう乗り切るかで、日本の運命も決まってくる、それほど大きな問題なのです。

 この構造変化の第一は、日中の経済関係が相互補完の段階から、融合一体化に向けて進み始めていることです。経済面に関する限り、日中間の国境の壁がどんどん低くなり、日本企業24000社の中国進出、最大の貿易相手国がアメリカから中国に移ったこと、最近の景気回復がもっぱら中国特需によるものであることなどを見ても、中国経済なしに日本経済は成り立たなくなっていることが分かります。

 第二は、経済関係のボーダーレス化、融合・一体化の流れに逆行するように、政治関係では相互反発と冷却化が進んでいることです。中国で「政冷経熟」といわれている所以です。その直接的な原因は、言うまでもなく小泉総理の靖国神社参拝問題であり、また多くの保守政治家が繰り返す過去の中国侵略の歴史を無視したり、美化したりする言動への中国からの反発にあります。

 しかし、こうした言動がしばしば起こっている背景には、もっと深い要因があります。

 それは日中の総合国力における力関係が明治以来、特に日清戦争(1894-1895) における日本の勝利以来の「衰退中国、新興日本」ないし「先進日本、後進中国」という関係から「躍進中国、停滞日本」に変わり、さちに「日中対等の時代」に移ってきていること、そして、近い将来、「中国優位の時代」に向かっていくのではないか、という危機感や警戒心が日本の保守層を中心にかなりの日本人の間に広がっていることです。それが反中、嫌中といったナショナリズムを生む経済的根拠です。

 しかし、考えてみれば、中国は有史以来l9世紀初めまで日本に対して常に先進国だったのです。古代の稲作、仏教、湊字などの伝来をはじめ、日本文化の源流はすべて中国にあった。

 中国文化、文明なしに、今日の日本文化はなかったのです。また、中国は19世紀初めまで世界のGDPの3割を占める経済大国でしたが、この中国の富と繁栄を狙って西欧列強が襲いかかり、アヘン戦争(1840-1842) の敗北以来、列強による植民地支配を受け「衰退する中国」に変わりました。一方、日本は明治維新(1868)の成功によって近代化、資本主義化を遂げ、富国強兵路線によって日清・日露(1904-1905) の戦争に勝ち、列強への仲間入りを果たし、脱亜入欧路線を突き進みました。

 この過程で「衰退中国、新興日本」の力関係が生まれ、国家主義的教育・宣伝によって、また15年におよぶ中国への侵略戦争によって、国民の多くが中国を敵視・蔑視するようにしなりました。この傾向は、戦後日本が、中国の対日賠償請求権の放棄によって早期に回復し、経済成長に成功して先進国に仲間入りすることによって、「先進日本、後進中国」 のイメージをさらに固定させることにつながりました。

 しかし、この関係にいま大きな変化が起こってきています。中国は1979年以来の改革・開放による社会主義市場経済への転換によって、年率10%近い驚異的な経済成長を続け、20年目の2000年には工業生産高で世界一になり、「世界の工場」に生まれ変わるとともに、2001年にはWTOに加盟し2004年には先進7カ国の財務大臣、中央銀行総裁会議に招かれるまでに、世界経済における存在感を急速に高めてきています。

 GDP(国内総生産)で、中国が日本に追ぃつき、追い越す日は10年以内と見られており、政治や文化を含めた総合国力において中国が日本を追い越す日も迫ってきています。巨視的に見た日中間の歴史から見れば、日本が中国に対して優位を保つことができたのは、2000年の歴史の中でわずか130年あまりに過ぎず、それはむしろ特殊な時代であり、中国が「失われた100年」を回復しっつあるのは、長い歴史から見れば自然の流れといえるかもしれません。

 私たちは、こうした歴史の流れを冷静に踏まえながら、130年ぶりに訪れた日中関係の構造変化を、偏狭なナショナリズムにとらわれることなく、競合、競争ではなく、.共生関係の構築によってWIN-WINの関係を実現していく必要があります。

「先進中国、祖先進日本」となるか、「先進中国、衰退日本」となるか、これから10年が日本の運命を決める分かれ道になると思います。

             元神奈川県副知事・新産業政策研究所所長

  ※注;この原稿は「日中友好の輪」80号に発表されたものを著者の         承諾を得て編集部の責任で転載したものです。