母と息子のインド・ブータン「コア」な旅(1)

【自由へのひろば】

母と息子のインド・ブータン「コア」な旅(1)

コルカタで映画を梯子して見えてきた「インド文化」の現在

坪野 和子

 楽しいながらも(本当は)悲しい人々とも出逢った充実した旅!!
 国際誤解?? 風評被害?? 日本で語られる姿は現地では幻想のようなものだった

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1.コルカタ到着まで——出逢った人たちは親切だった——
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 私の一人旅を予定していたのに、息子が乱入・随行してきたインド・ブータンの旅。夫が私ひとりでは頼りないと考えたための陰謀?? 私のアシスタントをしながらドキュメンタリーを撮影してみたかった film maker 志望の息子の要望?? よくわからなかったが、私と息子がふたりで旅をすることになった。息子のおかげで私にとって当たり前の世界を再認識することができたといえよう。

 日本からインド・コルカタまでの経路は中国まわりの航空券。中国に関するトピックは後述する。経由地昆明で出会ったインド人・バングラデシュ人とのどうでもいい会話から、この旅の「本番」がはじまった。コルカタのおすすめ観光スポット、そして息子が映画をみたいと言えばおすすめ映画館。中国と貿易しているコルカタ地元の男性ふたりと、バングラデシュ出身だが国境抜きでベンガル地方全体に詳しい男性が自分の思うままの「良い場所」の紹介をしてくれた。この時、ネイティブ相手の英会話なら私より上のはずの息子が「ぜんぜん聴き取れない、クセが強くて…どうしてわかるの」と私に言った。この言葉はブータンのホテルに入るまで何回も言われた。それ以降は彼が使いやすい英語となったので、まったく消失してしまった。それどころか、帰路の飛行機で類似の英語を話す隣席のパキスタン人と楽しく会話して北京に向かった。若者の吸収力はあなどれない。

 話しは戻るが、彼らのおすすめ観光スポットは総じて「ビクトリア・メモリアル」、そして、映画館はそれぞれ自分たちのローカル意識に基づいたもの。彼らのおすすめの意味がわかったのはコルカタを出て、ダージリンに着いてからのことだった。

 コルカタ空港に着いて、あまりのきれいさに時代の流れを感じた。それでもタクシー料金や宿のチェックインタイムを考慮すると昔同様空港で夜が明けるのを待ってタクシー予約をするべきだと判断し、行動をせず、ベンチで仮眠を取った。夜が明けてタクシーを頼んだ。タクシーは最初から決められた料金での運行だ。交渉のほうが安いかどうか微妙な料金だった。そして、建物の外に出た。かつて乞食が寄ってきた時代ではない…スムーズにタクシーに乗り…それどころか、ちょっと待たせたのにもかかわらずドライバーは文句も言わず、目的地セアルダ Sealah 駅(英語風の読みでシールダと書かれていることが多い)に向かってくれた。
 ただしドライバーは、空港の施設を出た途端、小指を立てて車を降り、数分で戻ってきた。
 けっこう待たせちゃったんだ、ごめんね…。そう、トイレを我慢していたらしいんです。小指を立てる…つまり「トイレに行く」。懐かしい!!

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2.コルカタ——タクシーの中たった30分で出逢えたインド世界——
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 タクシー乗って、空港近くの高級そうなホテルがぽつぽつ見え、バックパッカー向けの安宿方面への脇道が見えてくる。ここを抜けると、給油するトラックや業務用自動車、朝の通勤風景、牛乳配達、早朝から路上の理髪(出勤前の手入れのように見えた)、屋外で食事をする人々、親の見送りつき集団登校の児童、登校中の学生、満員バス、クラクションの音の渦、排気ガス、典型的だろうと考えてよい都市部のインドの姿が広がっていた。

 そして、ドライバーはカメラを向けてはいけない相手や場所について、こと細かく教えてくれた。言葉の説明ではなく、ダメだよこれ、というサインを送って。とりあえずセアルダ駅まで到着した。それから宿を探すこと1時間ちょっと。この界隈では外国人が泊まることができるライセンスを持っているゲストハウスはふたつしかなかった。実は外国人宿泊ライセンス制があるのは知らなかった。また探し回って断られたホテルによっては、おそらくイスラムの巡礼者関係でないと泊まれないのではないかと思われるホテルもあった。泊まったのは、マハーボディ・ソサエティの仏教施設の中のゲストハウスだった。

 とてもきれいで清潔で、少し高いかなと思ったが、とても快適だった。宗教施設の宿なので宿泊者もきちんとしていた。おそらく今後、常宿として使うだろう。この後、息子はいくつもの「インドの流儀」を知ることとなる。その中のひとつとして「お金」は私たち日本人が持つ価値とは別にもうひとつの意味があること。また「仕事」についての考え方、特にカーストは弊害としての差別については広く世界に知られていることだが、カーストによって10億以上の人々が活き活きと暮らしている一面もあるということ。そして「動物との共生」「神様たちと共存」。これらについては「はじめてのインド」で知った息子が語るべきことなので、息子の作品に期待したい。

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3.コルカタ——ローカルな映画館で「GUNDAY」を鑑賞する——
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 昆明の空港からインド滞在中、会う人、会う人、おせっかいなくらい親切できさくでやさしくていい人たちばかりだった。帰国してこれを話すと一般的な日本の人たちは「珍しい、だまされなかったの? ボラれなかったの?」などと言われる。25年前でも、だまされそうになったら助けてくれた現地の人がいたので、実質だまされた経験はなかった。町でいろいろな人と話しをして、おすすめ映画館やおすすめ作品を教えてもらった。町歩きをして、とりあえずやや汚いローカルな映画館を見つけ、上映時間もいい感じで待ちが短かったので入ることにした。席は「バルコニー」の一番高い…といっても70ルピー(122円)。お兄ちゃんがひとりついて来た。「会ったことがあるよね。僕たち友達だよね」…どうやら安いチケットを買っていたのにわれわれといい席に座りたかったようだ。

 上映がはじまってしばらくすると…向こうからケータイの着信音らしく音が聞こえてきた。電源切るとかそういうルールはあってもないのかな…と思っていたら、コーランのお時間らしい。映画を観ながらコーランを唱えている男性。どっちかにしたら?といいたいが、きっとどちらも大切なことなのだろう。上映中、下の普通席からアクションシーンで俳優の名前を呼んで応援したり、音楽シーンでは手拍子を入れたり、まるで歌舞伎のような掛け声が映画そのものよりも楽しかった。

 映画『GUNDAY』だが、舞台がコルカタ・セアルダで観衆にとっては「ご当地映画」そのものであった。雇用主に虐待されていた少年の友達が雇用主を殺害し、二人で逃亡。そして、石炭で成功をおさめリッチになる。しかし、過去の罪を刑事が追い、美しい女性が二人を誘惑する。警察に追い詰められた二人。美しい女性の正体は刑事だった。

 最後のシーンで彼らはふたたび列車に飛び乗り逃げ切る。貧困の脱却に新しいビジネス、そして自分の新しい身分を手に入れ、権力に屈しない頑強さ、インド映画らしい象徴的な表現だった。廊下でこの映画について教えてもらった。この映画は実話を大きくしたものだそうだ。厳しい雇用主から逃げた少年が天然鉱物資源 (石油??ガス??) によって成功をおさめた。ただそれだけの話を大きくして犯罪つき、ルパン三世風アクション仕立てになった。ご当地の盛り上がりかたは、実在の人物もみんな知っているのであろう。
 「映画のスポンサーの話なんじゃない??」と息子。

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4.コルカタ——アートセンター映画館で「Chander Pahar」を鑑賞する——
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 『GUNDAY』が夕方に終わったので近くの公園に行くと地元高専水球チームが練習をしていた。コーチたちとおしゃべりを楽しんだ。世界大会の元選手だったかたもいらした。今は水に入れないので陸上でハンドボールを使って練習しているのだそうだ。見ていて、カバディという南アジアの伝統スポーツの国だから強いだろうなと感じた。そして、おしゃべりはおすすめ観光スポットと映画館だった。最初ローカルな映画館をすすめていたが、ビクトリア・メモリアルの近い位置にアートセンターのような映画館や映画館街があるのでそっちへ行ったらいいとすすめられた。翌日、列車チケットの予約確認に行き、そのまま乗合オートリキシャでビクトリア・メモリーに向かうことにした。最初は乗り間違えてイスラム系住人のスラム方向へ行ってしまった。昼間なので危険は感じなかった。乗せたほうは私たちのルックスから東アジア系の移民の子孫が多く暮らす地域に行くと思っていたのかもしれない。

 お金はいらないと本来の方向に向かう乗合オートリキシャに話してもらい、チェンジした。そのオートリキシャも、同乗していた親切な男性にそのあとに乗るべき地下鉄の駅の近くまで案内してくださった。ビクトリア・メモリーから歩いて映画館方面に行くと、非常にきれいな街並みで、映画館が入っているアートセンターのような施設は敷地内で作者自身による美術作品の販売コーナーが20ほどあり、隣は芸術学校 Academy of fine Art だった。施設内のホールのひとつは選挙期間なので政治集会にも使われていた。女の子たちはアヴァンギャルドなギャルといった雰囲気を持っていた。アートを志していたり関係したいたりする若者は国とは関係なく共通した雰囲気を持っているなと感じた。

 映画館は「ナンダン・フィルムセンター Nandan Film Centre」という。映画の上映まで少し時間があったので敷地の外側に行くと、そこは小さなイベントステージがあり、食べ物を売る屋台も出ていた。テーブルや椅子もあり、夜になったら楽しいだろうなと思いつつ映画へ。映画『チャンデル・パハール Chander Pahar(月の山)』は英帝国時代のベンガル語小説が原作。アフリカの大地でウガンダ鉄道会社に勤務するベンガル人の冒険物語。人喰いライオンと闘ったり、妖怪と闘ったり、イギリス人やイタリア人の男とダイヤモンドの洞窟を探しに行ったりと広大な内容だった。…がすごく眠くなった。

 完全なインド映画ではないらしく、定番の「歌ったり踊ったり」といったシーンはなかった。はっきり言ってはじめての面白くないインド映画だった。定番のないシリアスな映画も面白いと思っていたし、ドキュメンタリーも面白いと思った。気持ちよく居眠りさせていただいた。帰路は地下鉄に乗った駅からバスに乗り、息子は「インドのバスはなんて混んでいるのだ!」と英語で叫ぶと「混んでいることもあるし、みんなが座れることもあるよ」と諸行無常のような答えを出してくれた大学生がいた。息子の映画の感想は「失敗作だね。いろいろ実験したかったのだろうけれど、何回も山場みたいなところを作りすぎだよ」!! 

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5.コルカタ——TOHOシネマズのような映画館で
  「Hasee Toh Phasee」を鑑賞する——
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 コルカタ最終日。駅の手荷物預かり所に荷物を預けて出かけた。ここではじめてコルカタの地図を買った。気になっていたビッグ・バザール Big Bazaar へ行った。その辺りにも映画館があったからだ。映画館は『GUNDAY』や今一つの映画ばかりだった。どうしようかと思っていたところ、おじいさんに話しかけられた。「日本語を話す男がいる。会ってくれないか」と。で、会うことにした。装飾品などを売るお店の店主だった。チャイをごちそうになり、彼とおしゃべり…日本語ペラペラ。蕨市に住んでいたことがあり、今でも行き来しているらしい。彼の紹介で、えらくリッチなショッピングモールフォーラム Forum の5階にあったイノックス Inox という映画館に行くことになった。冷静に「ベンガル映画はヒンディ映画に比べて娯楽とユーモアが少ない」彼のおすすめで、3本目はヒンディ映画コメディを観ることにした。

 映画館はインド版TOHOシネマズといっていいような作りだった。そっくりだ。しかもセキュリティチェックあり。息子は森永キャラメルをタバコと間違えられて預かりとなった。なぜか冷蔵庫に入っていたので、チェックしてチョコレートと判断されたためだろう。中に入るととても広い。収容数は東京文化会館大ホール並み。今回も上映中にケータイが鳴った。これだけチェック厳しいのに。そして今回は普通に電話をしていた。会社経営者らしい人物のようで仕事の話をしていた。

 映画『ハッシーパッシー Hasee Toh Phasee』は、いかにもインド映画で面白かった。冒頭の幼少時代の部屋の鍵あけシーンの意味がわからなかった。今でもわからない。単に頭がいいカップルだということなのだろうか。主人公は大学時代に、変わったオタクっぽい女の子ミータと知り合う。その子はなぜか中国語が得意。ITに強く、中国語でのネット通信で行動をとってもいる。それには生い立ちと彼女の持病に意味があった。主人公はこの謎のミータに魅かれていく。その後、主人公は女優のカノジョと婚約するが、ミータと再会する。主人公が結婚式の日、ミータは中国へ。しかし主人公はミータを引き留め、そしてふたりでドイツへ向かう。という少女マンガのような展開だが、インドの結婚における結納金やネットの使い方、中国との経済関係など潜在的な風刺が入っていてのコメディだった。定番の歌も踊りも良かった。これは日本で上映しても面白いと思われる作品だった。コルカタ最終日はヒンディ映画で締めだった。帰路は列車に乗り遅れないように素直にタクシーでセアルダ駅に向かった。息子は「面白かったね」と映画の感想は一言だった。

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6.コルカタ——ベンガル映画と庶民の呼吸を知りダージリンへ向かう——
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 映画と映画館のセレクトは地元のみなさんから教えてくださったまま行った。それぞれ熱く「ベンガル映画はね」と語り、地元の文化を誇りに思っているのだと感じた。日本語ペラペラの彼ひとりだけベンガル映画は面白くないと言っただけだった。ベンガル映画は、歌って踊ってのシーンはやはり楽しいけれど、何度も死にかけて、すぐに格闘できてしまうリアリティがない場面が多すぎるし、「どよぉ〜ん」とした重さがあるということを知った。

 インド映画は言語によって分類される。ヒンディー、タミル、テルグ、グジャラートなど15言語で分けられている。日本生まれで日本育ちのパキスタン人の女子大生は「ヒンディ映画に代表されるボリウッド映画は、ウルドゥ語映画と言えませんか」。確かに俳優さんのほとんどはイスラム教徒である。日本で育った彼女ならではの客観的な考察だといえよう。またベンガル映画は、インド国内ではなくむしろバングラデシュの映画と比較したほうが面白いのかもしれない。

 インドは上映時間が長いのはよく知られていることだが、CMタイムも長い。CMの尺も長いような気がした。その昔1986年にデリーでやや大きめの映画館での記憶では、こんなにCMが長かったという気はしなかった。

 「世界的に中国人富豪スポンサーの映画が増えて面白くなくなった」という声を日本で日本語がわかる外国人の友人達からきいているのに、インド映画が地域性独自性を失わないのは、地元のスポンサーの力なのかもしれないと3軒梯子して感じたことだった。

 セアルダ駅までタクシーで戻り、ダージリン方面行きの列車のホームはネパール系チベット系のひとたちで溢れていた。国が同じなのに別世界に向かう予兆だった。

 1日1本…映画三昧☆映画館も3通り。コルカタで過ごした2泊3日は映画館巡りを通してインド社会の一端を垣間見た。…そして、母子の旅は、勝手にひかれた「国境線」で故郷に暮らせなくなった人々が集まる、魅力的でありながら悲しい土地であるダージリンにすごろくの駒をすすめたのだった。【続く】

 (筆者は埼玉県立岩槻高校非常勤講師)


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