石郷岡建氏にロシアの動向を聞く

■ 石郷岡建氏にロシアの動向を聞く           編集部

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■【編集部】
  最近の日露関係は領土問題をめぐってぎくしゃくしていますが、ロシアの外交
政策全般に変化があったのか。BRICsのなかでロシア経済はどうなのか。「
北方領土」はどう考えるべきかなどについてお伺いしたいと思います。

■【石郷岡】ロシア経済について言えば「長期的、中期的、短期的」によって、
また「良いか悪いか」を、どういうことで判断するかによって答えは違います
が、短期的にはオイルの値段がものすごく上り、お金はどんどん入ってきている
ので、金融的には悪くない状況といえるかもしれません。

 今回の世界金融危機で、明らかにひどかったのはアイスランド、アイルラン
ド、ギリシアですが、金融危機が起きたときにGDPで計るとドイツは7%位マ
イナスになり、ロシアも同じ位落ちた。GDPが極度にマイナスになったのは
「日本、ドイツ、ロシア」です。それでは「日本、ドイツ、ロシア」の経済がひ
どく悪かったかというと、そうとも言えない気がします。対外貿易に依存してい
たところはかなり酷くGDPは落ちたがすぐ立ち直った。しかし、アイスランド
とかギリシア、ポルトガルのように構造的な債務問題を抱えているというわけで
はない。

 金融危機後、再び、オイル価格が上がって、ロシアにはすごく現金が入ってい
るが、ロシア経済が非常に脆弱であるということも味わった。外から持ちこまれ
た金融危機で約マイナス7%の成長率の落ち込みを記録し、経済が非常にシュリ
ンクした。急激にシュリンクしても世界第三位の外貨準備高があるから、金融的
にはそんなに厳しくというわけではない。それでも、石油ガスのエネルギー収入
に過度に依存する経済のままで、ロシアはいいのかという疑問が湧きあがった。

 ロシアの政権も社会も、これを真剣に危機と受け止めた感じがある。プーチン
政権の8年間はプラス5%以上の成長をずっと続けていたから、リーマン・ブラ
ザーズの危機でGDPが急激に下がり、ジェットコースターのような気分を味わ
った。しかし、危機後に再び石油のお金が入ってくると、「のど元過ぎればーー
」で、また忘れてしまう。ロシアは資源がありすぎ、ダイナミックに発展する経
済にはなかなか入れないという宿命でもある。


◆BRICsについて◆


  BRICsについては、今後とも順調に発展していくのか、かなり疑問があ
る。とくに中国は本当に大丈夫なのか。今回の金融危機はうまく乗り切ったと見
えるが、本当にうまく乗り切ったのかどうか。どう見ても、バブルの末期に入っ
ているように思える。もし、中国のバブルが破裂でもすると、これまた世界的に
経済がシュリンクし、困ったことになる。BRICs論では、現時点では、中
国、インド、ブラジル、ロシアの四カ国が経済危機を乗り越えて発展しているよ
うな雰囲気で論じられているが、非常にあやふやで不透明な問題です。ただ、ロ
シアだけはこのBRICsの中で異質な立場にある。中国、インドは人口が多
く、資源をたらふく食う側にある。ロシアはその資源を供給する立場で、しか
も、人口が少ない。BRICsの中でも元々性格が違う。


◆ロシア経済の近代化◆


  ロシアのメドヴェージェフ大統領が主張する経済近代化というのは、簡単にい
えば、「資源に依存しない近代経済を作る」ということですが、首を傾げる人も
多い。本当にうまくいくのかということです。上からの掛け声だけで、下からの
動きになっていない。中国のようなダイナミックな動きがロシアには見られない。
ソ連崩壊後のロシア経済の推移を見てみると、社会主義から市場経済に移り、
その市場経済があまりにもひどい貧富の差を生んだので、プーチン時代に国家が
経済に介入する政策を取って少しバックさせた。介入のしすぎだという主張もあ
る。市場経済とはどのくらいオープンにし、どの程度国家が介入するのかという
のは未だに解答が出ていない。この問題は世界全体が市場経済はどうあるべきか
という議論に絡み、ロシア一国だけでは決まらない。


◆ロシアの外交政策◆


  ロシアの外交政策も、右へ、左へと揺れている。ソ連崩壊のエリツィン時代
に、欧米市場主義が流れ込む中で、一番過激なショック療法(急進経済改革)を
受けいれ、結果的に惨憺たる目にあった。それでロシア社会は、欧米の後を付い
ていくのはやめよう、という雰囲気になった。しかし、プーチン大統領(当時)は
非常に現実主義的な人で、いわゆる9・11事件があった時には、諸手を挙げて
アメリカ支援を声明することになる。その時、プーチンの頭の中には完全に、も
うロシアはもはや極ではなくなり、アメリカ一極の世界になったのだという感じ
で溢れていたと思う。

 その一極世界がおかしいなとプーチン大統領が思うのは03年のイラク戦争で
す。イラク戦争でロシアはちょっと、これではもうアメリカにはついていけない
という感じになり、国家戦略的に、米国と距離をとり始めた。04年から05年
にブッシュの二期目に入りますが、イラク戦争が全然うまくいかないので、ブッ
シュ政権は「テロとの戦い」から「自由と民主主義」の拡大戦略へと移っていく。
その自由の拡大戦略とは、要するにサダム・フセインは独裁だからそれを倒し
て自由を守れというもので、全世界に自由と民主主義を拡大するということで
す。その民主化の結果、何が起きたかというと、親米勢力の増大というよりは、
エジプトのムスリム同胞団やパレスチナの過激派が大幅に議席を得ることになった。

中東地域の民主化(自由の拡大)戦略が全然うまくいかないので、その代わり
に「グルジア・キルギス・ウクライナの民主化戦略だ」ということで、民主化戦
略の矛先が中東から旧ソ連地域に向かった。いずれの国も自由のために戦うとな
ると、その戦う相手は誰か?結局、独裁者のロシアだということになり、プーチ
ンとしては、一生懸命テロとの戦争で米国を支援したのは何だったのかとなった。

 そこから米露の乖離が始まり、もう世界は一極中心ではなく、多極化に向かっ
ているとプーチンは考えた。それはそうしたいというのではなく、イラクはうま
くいかないという前提で、米国だけで世界は回らないと考えたからです。結果的
に、米国の自由拡大戦略に対抗するために、中露が手を結び多極化世界が宣言さ
れる。しかし、まだ05~06年あたりではプーチンは依然として、米国を表立
って批判せず、なるべく喧嘩をしない政策を取った。しかし、07年には我慢で
きなくなり、ミュンヘンの国際安全保障会議の場でアメリカを痛烈に批判した。
プーチンは、「来ると思った一極世界は来なかった」。また「これからは、アメ
リカの支配というか、アメリカのコントロールのない非常に不安定な世界が来る
」とも言った。

 翌年の大統領選挙でメドヴェージェフがでてくるが、彼はプーチンが一極世界
から多極世界へ移ったと言ったことをあまり理解していないように見える。彼は
非常にリベラルだと言われ、欧米型のグローバリゼーションの中に入っていくこ
とに非常に意欲的で、今も、その政策がずっと出している。しかし、裏ではプー
チンが欧米一辺倒に偏よらないように常にバランスを取ろうとしている気配です。


◆NATOについて◆


  NATOについては、昨年11月に新戦略概念を作り、出来すぎともいえるほ
どの、NATOとロシアの友好関係が始まっている。というか、もうお互いに角
を突きあう関係ではない。ミサイル防衛とかいろんなことが言われていますが、
そういう細かい話よりも大きな流れからすると、もうヨーロッパとロシアが戦争
する可能性はない。なぜそういう同盟に近い関係になったかといえば、ロシアか
ら見れば多極化世界の中でロシアが手を握って基盤を固める相手は欧州しかない。

 それについてプーチンはやや懐疑的なところもありますが、それでも、やはり
ロシアは欧州という舞台を中心に生きるのだとの思いがあり、欧州もそう考えて
いる。欧州もアメリカも、はっきり言いませんが、もはやロシアを戦略的敵対国
だとは考えていないと思います。相手にしようとしているのは中国で、ロシアに
とっては、やはり中国がこれからの最大の問題になる可能性が強い。しかし、そ
れは口が裂けても言えない。軍人たちはいまだにNATOが仮想敵国だ、危険
だ、脅威だとか言うが、明らかにそれは違う。

 日本の軍事関係者などもロシア軍筋の細かい発言にとらわれ、大きな歴史的な
流れが見えていない。逆に、昨年、ロシアとNATOが、本心はどうであれ、と
にかく肩を組み、手を握ろうとした関係になったことに、中国は非常にピリピリ
していると思います。そのピリピリした関係が昨年9月の中露共同宣言で是正さ
れ、ロシアは中国に非常に譲歩している。もっとも、中国もロシアに譲歩した部
分がある。ロシアや中国、ヨーロッパというのは、大陸国家のマルチプレイヤー
で、ひとつのことだけで動くのではなく場合々々に様々な顔を見せるのです。


◆アジア政策。◆


  ロシアのアジア政策はソ連崩壊後、ほとんど、きちっとしたものがなく、欧米
特に米国を中心にした政策の結果という従属的なものが多かった。しかし、昨年
の下半期にメドヴェージェフの訪問先を見ると、アジアが目立つ。極東、それか
らカムチャッカ、国後、横浜、ソウル、上海、大連、北京、インドなどです。下
半期の半年間、メドヴェージェフ大統領は、ほぼ毎月、アジアのどこかに行って
いた。日本の首脳が毎月アジアを訪問するということはまずない。モスクワから
極東には8時間から9時間かかるが、こういう場所に毎月のように行っていたの
です。

 これを見れば、ロシアはアジア地域に非常に気を使い、アジア戦略を構築しよ
うとしていることがわかる。メドヴェージェフ大統領は外交担当だが、もう一方
のプーチン首相は内政担当ながら、極東に入り浸りで、去年はカムチャッカ、ヤ
クーツク、それからハバロフスクには二回も行っている。それからチタですが、
ハバロフスクからチタまでの、2500kmのハイウェイが昨年完成し、プーチ
ン首相は昨年夏、4日間かけて、このハイウェイを車で走った。ちなみに、この
ハイウェイができて極東からバルトまで、ロシアは史上初めてキチッとした大陸
横断道路ができたのです。

 二人の半年間の動きを見ると、極東・アジア地域に何らかの大きな動きを見せ
ようとしている。メドヴェージェフは、7月に「経済だけじゃなく、世界の政治
の中心はアジアにいっている。それにロシアも入っていかなければいけない。イ
ンドとの多角的な協力関係は時代の要請だ」と言い、プーチンも同じようなこと
を言っている。


◆APECについて◆


  ロシアの極東・アジア重視外交は、昨年7月頃から本格化し、その後半年間
で、ものすごく動き、その中に国後島の訪問も入っている。ただ、プーチンは、
その前からずっと、アジアのことを考えている雰囲気が強く、その一つが
APEC(アジア太平洋経済協力会議)です。来年APEC首脳会議がウラジオ
ストックで開かれるが、このウラジオ会議開催は、プーチン大統領の時代から準
備されていた。
 
  ロシアは、その他のアジア関連国際組織とも積極的に関与し始めている。ま
ず、東アジア・サミットでは「ASEAN10+日中韓+インド、オーストラリ
ア、ニュージランド」だったものに、今度アメリカとロシアが入ることが決まっ
た。ロシアが東アジア・サミットの正式メンバーになり、その最初の会合が来年
ある。要するに18か国の東アジア首脳会議というフォーラムが出来て、そのメ
ンバーにロシアも入ったということです。

 去年、ロシアはアジア欧州会議にも参加することになり、上海協力会議という
のもある。さらに、朝鮮半島をめぐっては、6者協議という組織もある。こうし
て見てみると、APEC,東アジア・サミット、アジア欧州会議、上海協力会
議、6者協議と、アジアを中心にする国際組織に、ロシアは次から次へと入っ
て、何らかの働きかけをしようとしている。

 プーチンに言わせれば、あまりにも、アジアをなおざりにしてきたということ
で、明らかにヨーロッパとの協力よりアジアとの協力を強め、それに入ろうとし
ている。ちなみにAPECは10年横浜開催で、11年はホノルル、その次の
12年がウラジオストックの順です。日米露の三カ国が順番に首脳会議を開くと
いうことは、非常に興味深く、いろいろ考えを巡らせることができる。

 そして、ロシアは非常に息の長い見方で、アジアに入ろうとしている。アジア
に入ろうとする最大の理由は多極化世界、要するにアメリカがパワーを落とす中
で、中国が極の大きな一つになり、これとどうしても向き合っていかなければな
らないという長期戦略の構築の必要性です。だから東アジア・サミットにも、A
PECにも、上海協力機構にも、それからアジア欧州連合にも入る。全てに参加
し、二国間ではなく、多国間の協力関係を緊密に結びながら、アジアにおけるロ
シアの地位を確保するという戦略です。


◆膨大な極東開発計画◆


  プーチンは昨年の12月6日に、ハバロフスクで膨大な極東開発計画を発表し
た。それは各地の空港整備、道路、港湾、鉄道、それから天然ガス、石油、変わ
ったところでは宇宙基地建設です。昔カザフスタンにバイコヌール基地があった
が、今はカザフスタンが独立した。バイコヌール基地をそのままの緯度で極東に
移し、ハバロフスクからちょっと北のヴォストーチヌイーという町にロケットの
打ち上げ基地を造るという構想です。 

 メドヴェージェフはどっちかというとヨーロッパにフラフラ近づき、近代化だ
とか言っていますが、プーチンは極東地域重視のシグナルを強く出している。近
代化とは全く関係なく、ロシアは国家主導型の開発経済のような国家戦略を、こ
の地域で展開しようとしている。そのプーチンは演説の中で、「極東開発計画の
中で人々がヨーロッパ地域に移動せず、この地域に残るためには何らかの優遇策
が必要だ」と重要なことを言っています。
 
  これは、この地域からロシア人がどんどん減っていて、このままでは、この地
域は寂れてしまう。彼ははっきり言っていないが、中国通貨の元の経済圏に入っ
てしまう。これはまずいから、ロシア人が極東に残るための優遇策を出すべきだ
というのです。それは近代化計画と全く違い、国家主導型のインセンティブを出
して、この地域に中国に対抗するような経済圏を作ろうという強い意志がある。
この地域はソ連崩壊前には800万人いたのが、今は600万人位に減っていま
す。
  隣の中国・東北三省には一億人がいて、どうみても人口圧力がものすごい勢い
で中露国境にのしかかっている。事実、中国の商品、金融、労働力などが入って
きて、極東地域、特に中国国境沿いの町はほとんど中国と共に生きている感じで
す。最初、この地域の人達は、中国の経済圏に入ることについて感情的に、愛国
主義とでもいうのか、反発しましたが、最近は利害があると分かって、積極的に
それに入ろうとしている。これにモスクワ中央は非常に危機感を覚え、中国と向
き合う戦略に迫られている。この戦略は日本が思う以上に切迫していて、それが
分からない日本はのんびりと今回のように日露関係をギクシャクさせてしまって
いる。

 ロシアとしては、極東が中国経済圏に入ると、結局は領土問題に跳ね返ってく
る。沿海州は18世紀から19世紀にかけて、愛琿条約とか北京条約によってロ
シア領になったが、どうみても植民地主義的、大国主義的な恫喝によって領土を
割譲させたという感じで、歴史的に正当性があるとは思えない。もし、中国元の
経済通貨圏の拡大がくると、この地域の領土問題が出てくる可能性が強い。それ
は防ぎたい。そして、太平洋への道を失うのはまずいという意識が非常に強いの
で、そのためにもこの地域をしっかりさせたい。
 
  でも、中国とロシアはお互いに、圧倒的な潜在敵国であるにも関わらず、それ
を絶対に口にしない。つまり、脅威だとか危険だとかを言った途端に、中ロ関係
は大変なことになる。数千キロの国境線をはさんで、もし本気で向き合ったら膨
大な人的資源、それから兵器、お金が要る。このことは両方とも言わないが、常
に頭の中では思っている関係にある。これまでは、国境線については、お互いに
信頼しましょう、などと誤魔化し、じっとしてきた。
 
  両方とも過去の傷には触らないという感じでいたが、ここにきて中国経済があ
まりにも大きくなり、極東地域がその影響下に入りつつある。それに多極化世界
の中で中国の存在が無視できなくなった。ロシアにとっては極東地域が存亡の淵
に立つかもしれないという意識です。将来の中国対策をどうしても考えなくては
と、ロシアは積極的なアジア外交を展開し始めたのです。ただし、ロシアは中国
との二国関係では経済的に位負けするので、この中国をどう取り込むか、どう対
処するかを、多国間レベルの枠内で考えている。
 
  だから国際組織すべてに入って、そこで中国をある意味でけん制したり、ある
いは協力したりして、多国間組織の枠に中国をはめようとしている。そのなか
で、日本はロシアにとっては、できるならば協力したい相手というのが本音であ
り、長期的戦略の目標です。


◆ASEANなどと多国間協議◆


  昨年秋のメドヴェージェフ大統領のベトナム訪問では、ベトナム首脳と一緒に
笑顔をつくり、中国の南への進出に対抗して、武器援助などを約束しました。そ
れでいて中国とも、心の中は別として握手し、にこやかにしてみせる。いま、ロ
シアが長期的に考えているのは、アメリカのパワーが落ちたあと、このアジア地
域からアメリカが出ていく、パワーは中国に移る。このパワーバランスが崩れる
時が一番危険だから、どうしてもこの地域に目を配らざるを得ない。昔の冷戦外
交ならばアメリカと話し合っていれば、世界を抑えられたが、それができない時
代になりつつあり、多国間で危機回避をするしかない。

 それで、ASEAN、インド、韓国、中国とも話し合うのですが、ただ一つ、
全くその問題に関心が無くて動かない国が日本です。いろいろ日本を突つくので
すが、日本は全然そのことがわかってない。鳩山首相のときに東アジア共同体の
話が出て、中露は、これでやっとパワーバランスへの思考が変わると思った。ア
ジア地域の歴史が変わるということに、日本もようやく気づいたなと思ったので
すが、普天間問題で日本の新外交が崩れたあと、また日米同盟だとか言い始め
て、振り出しに戻っている。ロシアと中国はまたかと呆れているのが実態だと思
います。

 本来、ロシアは「北方領土問題」を解決し、日本と組んで、中国を入れた多国
間協議をしたい。その雛形としてあるのが六者協議です。この六者協議、もしく
はそれの拡大版または新しい多国間協議か、とにかく中国を暴走させないで、こ
の地域のバランスが崩れて何かが起きるような事態を避けるために、ある種の協
議の場を作りたい。だけど、日本は全ての話について二国間で進めようとする。
結局、ロシアは途中でさじを投げた。国後島の大統領訪問には、この話が背景に
あったのです。


◆北方領土問題について◆


  私の考えでは、そもそも北方領土問題というのは、条約論的には、日本の主張
する権利が確立されたものとは言い難く、弱い立場にあると思います。基本的に
は、日本側は1885年の日露和親条約という最初の条約のことを話し、ロシア
側は最後の条約のことを話す。最後の条約とはサンフランシスコ条約で、サンフ
ランシスコ条約の根底にあるのはヤルタ会談です。ヤルタ会談では、ロシアが対
日本参戦を実施する場合には、千島全島をロシアの領土に渡すという密約をルー
ズベルトとスターリンで交わしていた。

 これがすべてのもとで、サンフランシスコ条約には、日本は千島全島を放棄す
るとはっきり書かれています。当時の日本からすれば、千島列島全島の放棄は酷
い話ですが、戦争に負けた日本は、その条約には調印せざるを得なかった。

 そして、当時の日本のやりきれない気持ちから、「歯舞、色丹は千島に入って
ない」とおずおずと言いだした。それが二島返還論です。二島返還論を主張した
時に、ロシア側が「じゃあ、それでまとめましょう」というのが56年の共同宣
言です。その56年共同宣言が合意になりそうな雰囲気になった時、横やりを入
れたのがアメリカで、「共産圏のソ連と付き合うのはけしからん」と批判した。

 そして「二島以上を要求してもいい」と言い出して、四島返還論になった。日
本政府はこの四島返還論が元々日本の立場だと言うが、これは嘘です。最初、戦
争に負けた時は、日本には一島もないというのが実態だった。

 それを、まず二島返還まで引き上げた。しかし、当初は四島返還ではなかった
のです。例えば、衆議院で外務省の西村条約局長(当時)は、千島と日本の境界
は国後島だと有名な答弁をしている。つまり、日本の領土の限界は歯舞・色丹の
二島であるとはっきり説明していた。歯舞・色丹は千島ではないとの主張でもあ
ります。それは国後・択捉は、日本が放棄した千島の一部ですという立場でもあ
ります。

 しかし、その後、56年の共同宣言直前に四島返還に変わる。先ほど話したよ
うに、アメリカの圧力を受けて、四島は日本の領土で、サンフランシスコ条約で
放棄した千島列島の一部ではないという主張に変わるのです。外務省は条約局が
ものすごく強く、一度サインした条約はひっくり返さないという原則を堅持す
る。だから、サンフランシスコ条約は否定できない。千島放棄を認めながら、四
島を主張するには、四島は千島の一部ではないと主張するしかなかった。


◆「固有の領土」論◆


  そうなると、南千島は千島でないという馬鹿げた主張になる。その矛盾を解決
するために、南千島に変わる言葉として、「北方領土」(つまり「固有の領土))
という表現が浮かびあがったと思います。それ以後、南千島という言葉を、
日本政府は使わなくなります。ちなみに、西村条約局長時代には、逆に、「北方
領土」という言葉は、勿論、「固有の領土」という表現も使っていませんでした。

  つまり、「南千島を返せ」というと、サンフランシスコ条約に違反するから
「北方領土」という言葉を使い、「南千島」と言う戦前使われていた言葉を廃語
にした。でも、その「北方領土」がいつ頃から日本の領土になったかと言えば、
たかが150年ぐらいの話です。つまり、「固有の領土」とはいっても150年
程度の歴史しかないのです。

 もし、固有領土論を主張するのならば、どうやってロシアは説得するのかが問
題となります。ロシアには固有領土なんていう概念はない。ロシアから「じ
やぁ、ロシアの固有領土とはどこなんです?」と聞かれれば、日本は答えられな
い。領土はしょっちゅう変わっている。ロシアに限らず、ユーラシア大陸に存在
した国は、時代によって、国の形と国境をしょっちゅう変えている。そんな「固
有領土」という概念の無い国に向かって「固有領土」を主張するのは馬鹿げたこ
とです。


◆四島即時一括返還論◆


  また、「四島返還論は日本の原則的立場」とよく言われますが、そもそもの始
まりは「四島即時一括返還論」でした。四島は一島ずつではなく、4島一緒に同
時に全部返せと言うのが、一昔前の四島論者の主張です。これが4島返還の原則
的立場といわれているものですが、ソ連が崩壊したあと、これではどうにもなら
ないと故橋本首相がユーラシア外交という新しい外交方針を打ち出した。

 そのときに、この「四島即時一括返還」の、「即時」と「一括」の言葉を除去
し始めます。いわゆる川奈秘密提案(四島の主権は日本側にあるが、四島の返還
の時期やその形は柔軟に考えるという提案)では、四島を返すのは即時ではなく
何年後でもいいということになった。そこから「四島同時一括返還原則論」は崩
れ、「四島返還原則論」へ移行します。


◆国境画定論


  また、元外務省局長の東郷さんが、双方の面子がぶつかり合うことになるか
ら、「返還」という言葉はやめようと言いだし、これに代わって、国境画定論と
いう言葉が浮上する。平和条約が調印されておらず、国境線が確定していないの
だから、国境確定をすることが問題だと言いだして、返還論そのものを返上し国
境画定論となった時代もあった。


◆並行協議◆


  その後、平行協議という話も出てくる。プーチンが2001年の9月に日本を
訪問した際、ロシアの首脳としては初めて56年の共同宣言の有効性を認め、「
平和条約を結んだら二島は返すという約束は、法律上、これを否定できない」と
の立場を示した。それはエリツィンも、ゴルバチョフも言わなかったので、画期
的な方針の転換になった。 

 その後、日本側はロシアが二島までは返すということを確約するならば、その
二島の返還手続きを話し合い、残りの二島については帰属決定の協議をしましょ
うというアイデアを出す。つまり、平行協議です。日露双方は、この並行協議を
めぐって探りあいをする。当時の日本政府は並行協議を日露交渉の核心だと説明
していましたが、これは4島同時一括返還のうち、「一括」という原則をとり除
いたことになる。


◆「国家の罠」◆


  ところが、そのあと、鈴木宗男氏と、佐藤優氏の「国家の罠」という大騒ぎに
なる。それは自民党の経世会と小泉純一郎氏の戦い、外務省の中のロシア派と欧
米派とのぶつかり合いという複雑な戦いで、ゴチャゴチャになり、鈴木氏や佐藤
氏は逮捕され、外務省のロシア派はほぼ全員追放される。そして、並行協議とい
う話し合いはなかったとの結論になる。つまり、4島返還の原則に戻ったとの主
張に戻る。

 そして、原則を守らなかった鈴木宗雄氏や佐藤優氏は"国賊"扱いを受ける。逮
捕、刑務所入り、裁判という過程を通り、のちに「国家の罠」と、佐藤氏が主張
することになります。そんな日本の動きをロシアは全部見ているから、一体、交
渉の原点はどこか。あの川奈提案はまだ生きているのか、と思っている。しかし、
日本側からはきちんとした説明はない。それが、領土交渉が進まない大きな背
景にあります。


◆「ウイン・ウイン解決方式」


  その中で2002-3年頃にかけて、プーチンは中露国境問題を「ウイン・ウ
イン方式」で解決した。係争地を折半方式にし、ロシアが譲歩し、実効支配地域
の一部を中国側に引き渡したという内容です。中国とは「ウイン・ウイン」で解
決をしたのですから、そういう解決が日露間にできないわけがないと、「ウイン
・ウイン」にしろとは言わないが明らかに「ウイン・ウイン」でいこうじゃない
かという発言をプーチンはする。

 そして、その延長線としてロシア側は常に「相互に受け入れられる解決法を探
しましょう」という発言をし、最近は「極端な立場を主張するのは、やめましょ
う」という。さらには「独創的なアプローチ」など、手を変え、品を変え、いろ
いろ働きかけをしてくる。
  これは0(ゼロ返還)と4(四島返還)は言うなということで、真ん中の2(
二島返還) +αのどっかで妥協しましょうということで、問題はαの扱いとい
うことだったのです。

 麻生首相は、これに乗って「ウイン・ウイン」方式の解決もあるのではないか
と言った。ロシア側は、日本もそこまできたのかと思い、もしここまでくるとし
たら、例えば、国後の引き渡しまで覚悟しなくてはならないかも、という際どい
ところまで来た。そして、日露はお互いの面子は保ちつつ、「ウイン・ウイン」
の腹の探り合いをした。ところが、麻生首相はやめる直前に「そんなものは関係
ない、不法占拠だ」と突然、言った。「不法占拠」の言葉にあまり意味を込め
す、軽く使ったつもりだったかもしれないが、ロシア側からすれば「なんだ」っ
てことになる。
 
  そのあと衆参両院の不法占拠決議があり、ロシア側は頭にくる。いったい20
年間やってきた交渉は何だったのか。衆参両院決議で、固有の領土・不法占拠と
いうなら、あなたがたは一体何を主張したいのか。というわけです。四島原則論
に戻るというが、それは、「即時・一括」返還を要求しているのか。もし「即時
一括」返還を要求しているのなら、あの川奈提案はやめたのか。しかし、そうい
う説明も全く無い。その説明もできない。ここでプーチンは切れて、その後日本
についての話を全くしなくなる。衆参両院決議があって、新しい大使が信任状出
した時に、メドヴェージェフ大統領から異例の批判を浴びるという事件があっ
た、あのへんです。


◆民主党外交◆


  そのころ、民主党政権への政権交代が起きるわけで、国内政局が混乱し、領土
問題どころでなくなり、領土交渉は全部無視されていった。最近、鳩山前首相は
「四島じゃ無理だろう」との発言をしていますが、0から4島の間のどっかで妥
協することを前から考えていたということを意味したのだと思います。ロシア側
もそれをうすうす感じて待っていたが、結局、鳩山首相がいつの間にか飛ばされ
てしまい、菅首相へ政権が移る。そして、岡田・前原両外相へと交渉が引き継が
れていくが、二人とも、日米同盟重視の人たちなので、ロシアから領土を返して
もらう交渉をどうしていいかもわからず、単に粋がって「固有の領土、不法占
拠」と口にするだけです。

 これは四島返還論者にとって非常に好ましいことに見えますが、ロシア側から
すると、もううんざりという感じです。問題はこれからです。北方四島はロシア
が実効支配しているので、ロシアは日本側が何を言おうと黙っていればいいので
すが、メドヴェージェフ大統領は国後島に行った。漫才で言うと「ボケ」たので
す。その意味は「突っ込んで欲しい」ということです。つまり、本当は日露関係
を打開して、中国も入れ、この地域でアジア戦略を構築したい。

 そのために、ロシアは少し焦ったところがある。これは、よく言われるように
資金や技術が欲しいとかいうことではなく、もっと戦略的な話なのです。ボケた
ら日本側もびっくりして話し合いに乗るかと思ったら全く動かない。

 外務省では、数年前まで「返還」ということは禁句で、正しくは「国境画定」
だった時代があったことを、岡田・前原両前外相にきちんと説明していないよう
に見える。「国境確定」と言っていたのに「返せ」に戻し、川奈提案の意味もき
ちんと説明していない。この20年間の返還交渉の内容が全く引き継がれておら
ず、総括もされてない。総括されない最大の理由は、鈴木宗男事件や、あのとき
の外務省ロシアスクールを追放した理由は何であったのか、総括できず、説明で
きていないからです。

 今度、どういう政策を取るのか? 表面的に見えるのは、あれは全部間違って
いたので四島返還に戻りましたみたいな感じです。でも、四島即時一括返還まで
は戻っていないような感じです。では川奈提案は? というと、曖昧なままで
す。ということで、もうロシア側は完全に諦め、日本抜きの路線にシフトした。
ただし、日本側が変われば、まだやってもいいという意識は非常に強い。しかし
日本側は、まだ固有領土だ。四島だとか言っているのです。


◆千島全島返還論と落とし所◆


  私は第二次大戦前の大西洋憲章で、敗戦国から領土を奪わないと、米英ソは合
意したはずで、日本が不法に占領した地域でもないので、千島が放棄させられる
のはおかしいと思っています。日本は千島列島全部を返してくれと要求する権利
があり、それが筋だと考えます。しかし、それには、サンフランシスコ条約やヤ
ルタ会談の見直しを求め、アメリカ・イギリス・ロシアにヤルタ会談はおかしい
と言わなくてはならないと思います。

 それを言わずにロシアだけを相手にすると、サンフランシスコ条約がずっと残
ったままで、日本にとって同条約にしばられ非常に厳しい。最近、韓国やマレー
シアの国際問題研究者と話したが、二人ともサンフランシスコ条約を読む限り、
日本の返還要求は無理だろうと言っていた。我々が思うほど四島返還というのは
説得力がないのが実情です。

 原則論、筋論はどっちが言っても平行線になるから、結局、政治解決しかな
い。政治用語で言えば「落とし所」を探すことで、その意味では四島を要求し
て、四島返還が「落とし所」というのはあり得ない。4島を要求し2島プラスα
で合意するか、何が何でも4島が必要というなら、千島全島を要求し「落とし
所」を4島にするという方がまだ分かりやすい。

 元外務省の東郷さんは、領土問題の解決方法として、武力で奪い取る。話し合
って返してもらう。そのまま放置する。という三つがあると言っている。菅首相
の「暴挙」という発言は、戦争するならともかく、戦争をせずに、向こうが持っ
ている(実効支配している)領土を返して下さいと頼むときに、「暴挙」、「固
有の領土」、「不法占拠」などと攻撃したら返して貰えない。たとえロシア側が
悪いとしても、武力を使わないのならば、説得して返して貰う以外にない。そう
いう立場にもかかわらず、現在の外務省や政府は国内向けに強いことを言うだけ
だから、ロシアにすれば、「そんなもの返すものか」となる。


◆多極化時代の日本の外交◆


  世界は多極化時代に入っていて、この大きな問題をどう対処するかという外交
戦略が出てくるまで、領土交渉も中断される可能性が強い。領土交渉は、多分そ
ういう大きな枠の中から答えが出てきて、ロシアは、そのときには何らかの譲歩
をすると思います。菅首相は、もし国家を担うなら多極世界が来るということを
しっかり認識しないと駄目です。外務官僚の言うことだけを聞いていると本当
に間違える。世界観、歴史観が狭く、既成概念にとらわれて、動けなくなってい
る。それに外務省は国益と称して平然と嘘を付く珍しい官庁です。だからサンフ
ランシスコ条約の件も黙るし、全部そういうものを隠す。

 現在の日本の外交は新しい外交戦略の構築ができておらず、ほとんど動いてい
ない。積極的なアジア外交、アジア戦略を打ち出すのではなく、ジッとしてアメ
リカの傘の下にいる。短期的にはともかく、長期的にアメリカの力が落ちていっ
て、どうなるかなどについては全く見通しがなく、アメリカは未来永劫、覇権国
だと思っている。仮にそうだとしても、外交としては、いくつかの選択肢を作っ
て、行動すべきです。ロシアはアメリカが落ちても、中国が落ちてもどちらでも
いいように、国際協議でいろいろなシナリオを様々に展開している。日本みたい
に選択肢が一つしかないというのではどうにもならない。民主党はそれを打ち破
るはずだったのに、見るも無残な形です。


◆大局を考える。◆


  北方領土は、あそこまでロシア側が言い切ると、もう当分返さないでしょう。
返す必要もないからです。日本は、奪い取るのでなく、返してもらうというのな
らば、何かもっと説得しなくてはならない。本当に四島返還論が正義だと思うな
らば、サンフランシスコ条約が間違っていると諄々と説くべきです。固有領土論
についても、ロシアには固有領土という概念は無いのですから、固有の領土を主
張するのは、世界の中で少数派であることをもっと認識すべきです。

 ロシアは、多国間組織の枠に中国を取り入れて、中国の暴走を止め、バランス
がおかしくなった時にある種の討論の場を作るのが大事だということを主張して
います。なのに、日本はアメリカの傘に逃げるだけです。アジアのバランスが崩
れたときに、思わぬ衝突という危険がどんどん高まるが、アメリカだけで回避さ
せる力はもうない。

 その一方で、中国経済がアメリカを抜くという時が来た場合、英米のアングロ
サクソン文明国は中国スタンダードを受け入れ難いとして、中国潰しにかかろう
とする可能性が強い。中国も経済力はあっても、脆弱なところがあり、中国国家
全体が揺れて、分かれるような事態さえも予想される。その際、日本はどうすべ
きなのか、今から考えておくべきだと思います。

≪石郷岡建氏略歴≫
1947年生まれ。モスクワ大学物理学部天文学科卒業、毎日新聞カイロ・中東・
  アフリカ・ウイーン・東欧・モスクワ特派員を経て、論説兼務専門編集委員。
2006年日本大学総合科学研究所教授。物理・数学修士。
  著書:『さまざまなアフリカ』三一書房、『ソ連崩壊』書苑新社、『ユー
ラシアの地政学』岩波書店など多数。 雑誌『世界』世界論壇月評欄毎月寄稿。

※ この原稿は2011年2月15日に編集部加藤宣幸がお聞きしたものを整理し石郷
岡氏に校閲して頂いたものですが文責は編集部にあります。

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