編集後記82

【編集後記】 

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◎「地に落ちた検察の権威」というが、裁判所にも問題はなかったのか。果たし
て、昔は正しかったのか。「エース検察官」が証拠品を改ざんし、その上司はこ
れを隠蔽したとなると、日本の検察とは一体何なのか。推定無罪の原則どころ
か、ストーリーに沿った密室の調書によって、冤罪にされ、まして死刑にされた
のではたまらない。司法の退廃極わまれりである。
 
  日本は果たして法治国家といえるのだろうか。しかも先進諸国で死刑制度があ
るのは日本とアメリカぐらいなのである。EUは加盟の条件に死刑廃止を求め
る。日本もそろそろアメリカ追随型社会からヨーロッパ型先進国を目指したらど
うであろうか。

 長年、死刑廃止議員連盟に属し発言してきた千葉前法務大臣が退任直前に死刑
執行を命ずるとは、あきれた茶番劇だが、『絞首刑について可視化について』と
題して法律家ではなく文学者の視点から西村徹氏に前号に引き続き論じて頂いた。
  そして同じ問題を15年も衆議院法務委員を務め、死刑廃止議員連盟でも活躍さ
れた社民党前衆議院議員保坂展人(のぶと)氏に政治家としての視点から『日本
は法治国家だろうか』を執筆願った。

◎ 海兵隊は何のために沖縄にいるのか。抑止力とは何か。アメリカは本当に海
兵隊を必要としているのか。参院選直後に訪米し、上院歳出委員長ダニエル・イ
ノウエ氏(民主党)、下院歳出委員長バーニー・フランク氏(民主党)とポール下
院議員(共和党)という議会の重鎮に面会し、その真意を聞いた斉藤つよし議員
(民主党衆議院国会対策筆頭副委員長)を国会に訪ね、多忙の中をオルタのため
に長時間のインタービューに応じて頂いた。

インタービューを通して日本のマスコミが事あるたび伝える「アメリカの意向」
とは、俗に言うジヤパン・ハンドラー(別名安保マヒア)と称される共和党寄り
の常連メンバーの声であること。これを大仰にひたすら繰り返す日本のマスコミ
に大きな問題があること。11月の沖縄知事選の結果をアメリカは固唾を呑んで注
視していることなどが浮き彫りにされた。

◎ 先号から川西玲子氏によるオルタ映画評が始まったのに引き続き、今月から
は高沢英子氏のご紹介により、在米の翻訳家武田尚子氏によるアメリカからの
エッセーが届くことになった。武田さんは、メイ・サートンの訳書などのほか、
サイマル出版やみすず書房から多くの翻訳書を出されてきたが、ご自身でもホー
ムペ-ジ
(武田尚子のホームページ」http://jaanysr.com/naoko3/default.htm)を開設
し、エッセーを書かれている。是非ご覧いただきたい。オルタとしては、かねて
からアメリカ市民社会の実相に触れた寄稿が欲しいとの念願がかなえられ非常に
嬉しい。佐藤美和子さんの中国便りとともに味わって欲しい。

◎【オルタのこだま】には「平和賞」に望月喜市氏と「尖閣」に高木一氏からの
投稿があった。「平和賞」での中国当局の措置には国内外から批判が起きてい
る。一党支配体制の根幹に触れるだけに簡単に収まらないだろうが、世界は、中
国のためにも「大国」中国がもう少し自信をもってことに当ってはと思っている
筈である。尖閣問題では日中両政府が、ト小平氏の発言を思い出して、大人の知
恵を絞り、両国民のナショナリズムを下手に煽らないことである。
 
◎ 船長の拘留延長で両国関係が極度に緊張した時、メールマガジン「オルタ」
は意外にニュース発信源の近くにあった。「オルタ」の執筆者篠原令氏が民主党
細野豪志議員とともに北京に飛んだTV映像が飛び込んできたのだ。外交担当国
務委員とのトップレベル交渉が効を奏したのか否かは分からないが、その頃から
急速に両国関係が落ち着いてきたのは事実である。

◎ ようやく酷暑が去って、9月になると、あれこれ急に忙しくなった。27日には
法政大学大原社会問題研究所長の五十嵐仁教授と戦後期(1945~50)の青年運動
について、29日には河上民雄先生と石橋湛山の回想についてそれぞれお話を伺っ
た。10月に入ると1日に社会党青年部OB会があって旧友と交歓し、2日には「砂
川伊達判決を生かす会」に出席して沖縄問題へのアプローチ討議に参加。

 5日には沖縄基地問題での民主党斉藤つよし議員とのインタービューで国会に
行った。8日はオルタ映画評執筆者の川西玲子氏と編集プロジューサー赤羽高樹
氏と3人で学士会館で打ち合わせをする。9日は「保坂のぶと政治フオーラム」で
の雑誌世界編集長岡本厚氏と前朝日新聞コラムニスト・現桜美林大学教授早野透
氏のシンポジュームを聞きに四ツ谷プラザエフに出かけ、12日には横浜の参加型
システム研究所で東大名誉教授田端博邦氏の『幸せになる資本主義について』の
研究会に出席した。         

                (加藤宣幸 記)

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