誤魔化しだらけの日本近現代史

【自由へのひろば】

誤魔化しだらけの日本近現代史

篠原 令

 明治維新以降、日本は欧米列強と肩を並べようと領土拡張、侵略、植民地化の道を突き進み、敗戦ですべてを失った。戦後の日本外交を見ていると、とりわけ安倍政権になってからの日本外交は本質的に戦前と何ひとつ変わってはいないと思う。一言で言うなら「誤魔化し」である。この誤魔化し体質を改めないかぎり、日本は近隣諸国からの信頼を得ることは難しい。いくつか具体例を挙げて説明してみたい。

◆ 沖縄 ◆

 琉球国王の居城、首里城の正殿の左右にはそれぞれ北殿と南殿がある。北殿は中国皇帝からの冊封使の接待所、南殿は薩摩の役人の接待所として使い分けられていた。1430年、中国明皇帝より尚巴志が冊封されて以来、琉球王国は1879年、沖縄県として日本に編入されるまで、独立した王国であったことは事実である。これより先、明治六年、日本政府は琉球王尚某を東京に連れてきて爵位を与え、琉球国を琉球藩にしてしまった。当時、琉球では清国に頼って王国の独立を保とうとする動きもあったが、日本政府は強引に事を進めた。これが「誤魔化し」の始まりである。
 その後、明治政府が徳をもって同じ日本国民として接してきたかというと、それはなかった。また、沖縄に対してどれだけ善政をしいたかというと、それもなかった。異民族的に対処してきた。その結果、沖縄の地上戦では二十万人にのぼる犠牲を出し、うるさいからといってガマの中で泣く赤ん坊まで殺すようなことをしてきた。
 戦後、米国に占領された沖縄は1972年、やっと本土復帰が実現したが、沖縄返還にともなっては、米国との間で「非核三原則」などをめぐって、またまた多くの誤魔化しが行われたことは記憶に新しい。当時、日本政府の特使として交渉にあたった沖縄出身の若泉敬は、その後良心の呵責に耐えられなかったのか自殺している。そして普天間の基地移転をめぐる日本政府の対応の仕方を見ていると、またしても問答無用といった「植民地主義」的な態度が表に出ている。安倍政権というのは人間としての恥を知らない人たちである。

◆ ロシア ◆

 明治政府は北海道でも同じ誤魔化しを行っていた。元々北海道は日本民族の土地ではなかった。アイヌ民族が広く生存していた。北海道各地の地名には今も多くのアイヌ語がそのまま漢字表記で残されている。明治政府はアイヌの土地を取り上げておきながらアイヌの居留区を定め、アイヌに土地を与えて善政をしいたかのような誤魔化しを行った。アメリカがインディアンの土地を取り上げ、居留区に封じこめたのと同じである。「北方領土」問題でよく用いられる言葉だが「北方四島はわが国固有の領土である」という説明がいかに欺瞞的であるか、「アイヌ固有の領土」というのなら分かるが、わが国固有の領土と言うに至っては歴史の改竄もいいところだ。

 日本は「カイロ会談」に基づく「ポツダム宣言」を受諾した。この中では「千島列島はソ連が領有する」とはっきり宣言されていて、日本はそれを受諾している。この時の「千島列島」には歯舞と色丹二島は含まれていない。つまり当時ソ連は素早く二島も占拠していたが、この二島は日本の領土だと認めていた。
 だからこそ1956年日ソ国交正常化が実現したとき、ソ連は平和条約締結時にこの二島は返還しますよと約束したのである。ところが日ソの接近を快く思っていなかった米国は、国後、択捉をも含めた「北方領土」という概念を捏造し、北方四島の返還要求を日本政府に強要してきた。これではソ連が話しが違うと怒り出すのは当然ではないか。非は日本にある。ところが日本国民のほとんどがいつしか「北方領土は日本の固有の領土」だという政府の宣伝文句を信じてしまっている。まともな人間ならこういう誤魔化しを許せないはずだが、政治家も外務省も余程面の皮が厚いのだろう。

◆ 中国 ◆

 「尖閣諸島は日本固有の領土」というのももちろん誤魔化しである。日清戦争のどさくさに紛れて日本の領土に編入したのは明らかである。明清時代の中国の地図や冊封使の記録を調べれば、日本領でも琉球領でもなく、中国領であったことは明らかである。問題は敗戦後、米国が尖閣諸島を中国に返還せず、沖縄駐留の米軍の施政権の及ぶ地域として地図上に線引きしてしまったことである。米国は沖縄返還に当たって尖閣諸島の施政権を日本政府に与えたが、領有権については中立の立場をとってきた。
 日中両国政府は尖閣にまつわるこうした複雑な事情を承知していたがため、1972年の国交正常化時にも1978年の日中平和友好条約締結時にも、この問題を「棚上げ」することで合意してきた。ところが時勢の変化に連れて、外務省自らがそのような密約はなかった、尖閣はわが国固有の領土だと主張するようになった。そして日中間の歴史に疎い民主党政権のもとで、尖閣の国有化という愚かな行動に出てしまった。それを引き継いだ安倍政権も外務省と一体となって声高々に「尖閣は固有の領土」と言っているが、これが誤魔化しであることは明らかである。

 日中関係における最大の誤魔化しは実は尖閣などではなく、満州事変以来15年続いた日中戦争を国民の記憶から消そうとする試みである。現在、多くの国民は先の大戦では日本は米国に敗れた、米国の豊富な物量に敗れたと思い込んでいる。ところが米国との戦争は三年八ヶ月に過ぎない。その四倍近い歳月を日本は中国大陸への侵略に費やした。米国との戦いで南太平洋で戦死、病死、餓死した人数は五十万から六十万といわれているが、中国大陸での戦死者は二百万人を越えている。南太平洋に遺骨収集に行く人々のニュースはよく目にするが、中国大陸に遺骨収集に行くという話はとんと聞くことがない。戦争映画といえば「硫黄島」「戦艦大和」「神風特攻隊」などほとんどが米国との戦いである。どうして中国との15年戦争を直視しようとしないのか。はなはだしくは南京大虐殺はなかったという政治家まで現れている。南京の記念館に行けば当時大虐殺を競って報じた日本の新聞や雑誌が山のように展示されている。歴史を直視し、歴史を鑑としてこそ未来に向けた対話ができるといのは中国の要人たちの常に言及することだが、その通りではないのか。このような誤魔化しは絶対に許してはならない。日本は先の大戦で中国と米国に敗れたという事実を忘れてはならない。
(オルタ2014年2月20日号「雲南紀行」参照)

◆ 韓国 ◆

 竹島問題も李朝の資料に詳しく目を通せばその帰属は明白である。日本の主張は1910年の日韓併合以後が根拠である。しかし、そもそも日韓併合自体が大変な誤魔化しであった。1894年に始まった日清戦争も戦場はほとんどが朝鮮領内であったし、それに続く閔妃虐殺、日韓議定書、日韓協約などはすべて日韓併合へ向けての地ならしであった。一部親日派を取り込んでの日韓併合は、琉球王に爵位を与えて沖縄県とした手口と同じである。
 私が学生運動に飛び込んだのは1965年の日韓闘争が初めてであった。結果的にはあの時の日本の援助があったから漢江の奇跡と呼ばれた韓国の経済発展があったのだと現在では評価されているが、それから五十年たった今日に至っても日韓関係がぎくしゃくしているのは、あの時、経済援助のみに捉われて、五十年前の誤魔化しをこの機会に是正するのだといった歴史観が双方の政治家たちに欠如していたためである。結局、五十年たった今日にまで禍根を残すことになり、日韓条約締結五十周年の記念行事さえ行われる見通しがたたない。

 36年間の植民地支配を真摯に詫び、20年間のブランクを埋めて、玄界灘を挟んだ両民族が、青天白日の下に平等互恵、自由な立場をもとに、それぞれ民族の誇りを傷つけることなく、大らかな立場において自らを宣揚しながら、再び悔いを後世に残さないようにすべきであったにもかかわらず、その大事な機会を逃してしまった。韓国は喉から手が出るほどに資金援助が欲しかった。日本は五十年前の誤魔化しを追求されないままに国交正常化できればこれにこしたことはなかった。かくして問題の解決は先送りされ、慰安婦問題、強制連行問題等、より複雑になってしまった。
 日本人よ、もっともっと襟度を広げようではないか。そして天運高く深く、天と地と共に悠久なる国を築いていこうではないか。われわれは今後、近隣諸国に接する場合には、より以上襟度を広げ、高い眼で以って眺めるような国民になっていかねばならない。そのためには過去の誤魔化しを自ら反省懺悔する必要がある。

 (筆者は日中ビジネス・コンサルタント)


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