TPPが破壊する日本の食(4)

【特別連載】TPPが破壊する日本の食 第4回(最終回)

遺伝子組み換え作物をめぐる企業と市民との戦い

                     白井 和宏

 TPPとは、多国籍企業が政治・経済・社会を支配し、市民を食い物にする体制に他ならない。遺伝子組み換え(GM)問題とは、まさにその象徴であり、世界中で予兆ともいえる事件が起きている。

■米国:食品産業に押しつぶされた「住民投票」

 オバマの大統領再選と同日の2012年11月6日に、カリフォルニア州では「GM食品の表示義務化」を求める住民投票が行われた。
 97万人以上の賛同署名が集まり、事前調査の段階では賛成60%、反対25%だったにも関わらず、住民投票は賛成47%に対して反対53%と否決に終わった。
 結果を覆させた要因は、企業がテレビやラジオ、インターネットに巨額を投じて、2週間の反対キャンペーンを展開したことにある。「表示にはコストがかかる。食品価格が上昇し、食費が大幅に増加する」という脅しが功を奏した。
 ちなみに、この反対キャンペーンに4560万ドル(約47億円)もの資金を提供したのはモンサントなどのバイテク企業だけではない。ペプシコーラ、クラフトフーズ、コカコーラ、ネスレ、ケロッグ、デルモンテ、キャンベル、ハインツなど、多国籍食品企業がこぞって参加した。消費者イメージを配慮するはずの食品業界が前面に躍り出て、カネの力で消費者意識をひっくり返したわけである。
 それでも2013年に入って全米各地では、表示の義務化を実現しようとする市民運動が盛り上がりを見せている。ワシントン州でも2013年11月5日には住民投票が行われた。しかし今回もまた、バイテク業界と食品業界が2200万ドル(約23億円)の資金を集めて反対キャンペーンを実施。賛成は約49%と、僅差で市民の敗北に終わった。

■EU:「学術誌」に侵入するバイテク企業

 ドキュメント映画「世界が食べられなくなる日」で紹介されたことで日本でも話題になった、フランス・カーン大学のセラリーニ教授の実験は、EUのGM政策に大きな影響を与えた。
 この実験は、「除草剤耐性トウモロコシ(NK603 )」と「除草剤ラウンドアップ」を含む餌を、700日間ラットに与えた影響を調べたものだった。バイテク企業が新規のGM作物を申請する際には、90日間の動物実験しか行っていない。それに対して、セラリーニ教授はラットの寿命に合わせて700日の実験を行ったところ、90日を過ぎた頃からラットに大きな影響が現れたのである。
 たとえば、雌には乳がんと脳下垂体異常が数多く発生し、雄では肝機能障害と腎臓の肥大、皮膚がん、消化器系に影響が見られた。通常のトウモロコシを与えたラットに比べて2倍〜3倍の発症率であり、雄の半分以上、雌の70%以上が早期に死亡した。
 しかし当然、この実験に対してはバイテク推進派からの非難が噴出した。「欧州食品安全機関(EFSA)」は「安全性評価としては科学的な質が不十分である」と批判し、日本の「食品安全委員会」も無視する態度を決め込んだ。
 それでもこの実験は大きな論争を呼び、結局、2013年1月、欧州委員会はGM作物の承認手続きを2014年末まで凍結することを決定。フランス環境省・持続可能開発委員会も長期摂取による健康評価について検討を開始。欧州委員会・保険消費者保護総局も、長期の毒性研究に対して資金提供することを決定した。
 その後、モンサント社も、「(すでに承認されているGM作物の栽培は継続するが)、EUにおける新規の栽培申請を取り下げる」と発表したため、EU市民は「小さな勝利」と評価した。
 ところが、そのまま引き下がるモンサント社ではなかった。何と、セラリーニ教授の実験論文を掲載した科学誌『Food and Chemical Toxicology』が、その掲載の撤回を発表したのである。「使用したラットの数が少なすぎる」というのが主要な理由だが、当初から明らかであった事実であり、前代未聞の屁理屈でしかない。実は、撤回の裏では信じられない人事があった。論文の掲載後、元モンサント社の研究員だったリチャード・E・グッドマンが、この出版社の編集員になっていたのである。当人は関与を否定しているが、「権威ある科学誌」といえども企業の影響下にあるとしか考えられない。

■日本:毎日新聞に「おわび」をさせた「モンサントとその関係者」

 近ごろ、不思議なおわびが毎日新聞に掲載された。2012年2月から毎日新聞は、「中南米の乱」というタイトルで政治・社会・環境問題を定期的に報道してきた。2013年10月22日には「中南米の乱 第6部 アルゼンチン編(上)」において、GM大豆の生産増による、農薬問題を伝えた。除草剤「ラウンドアップ」を含めた農薬の総使用量は、1970年の100倍に達したこと。大豆畑の周囲でがん患者や奇形児の出産が増えたと訴える農民を報じていた。
 もっとも南米・アルゼンチンにおける農薬問題の深刻さは、世界中に知れ渡っている。例えば2012年4月には、アルゼンチンで農薬散布を止めた母親たちのリーダー、ソフィアさんがノーベル環境賞とも呼ばれる「ゴールドマン環境賞」を受賞した。生後すぐの娘を失ったソフィアさんは、近所で発生している病気を調べ、ガン発生率が全国レベルの41倍であることをつきとめた。彼女の活動はついに大統領を動かし、保健省は農薬の影響調査を実施。その結果、住民の居住地2500メートルの範囲における農薬空中散布が禁止されたのである。すなわち、毎日新聞の記事はスクープでもなければ、特段の目新しさもない一般的な内容だった。
 ところが驚くことに2013年11月30日になって、毎日新聞に「おわび」が掲載された。「南米アルゼンチンで米企業モンサント社が開発した除草剤ラウンドアップと・・・健康被害を直接的に結びつけたのは誤りで・・・科学的証明はなく、取材においても因果関係は認められなかった」と原記事をすべて撤回する内容だった。
 原記事には裏付けとして、「ラウンドアップが受精卵に異常をもたらす」と警告する、ブエノスアイレス大のアンドレス・カラスコ教授のコメントも掲載されていた。それにも関わらず、「健康被害とラウンドアップを直接的に結びつける印象を与えてしまい、モンサント社や関係者の皆様にご迷惑をおかけしました。おわびします。」と記事は結んでいた。大企業がジャーナリストを威圧するため、敢えて訴訟を起こす「スラップ訴訟」という手段がある。毎日新聞は、まさにその手の脅しに屈服したのではないかと想像させる「おわび」だった。

■日本:経団連・住友化学の狙い

 しかし、そもそも毎日新聞がおわびした本当の相手はモンサント社だったのだろうか。気になるのは、文中の「(モンサント社や)関係者の皆様」という表現である。
 この間、日本で最も積極的にTPP参加を要請してきたのが経団連であり、その経団連会長の米倉弘昌氏は住友化学(株)の会長でもある。
 菅直人元首相が、TPP交渉参加を表明したのは2010年11月のことだが、住友化学はちょうどその前月に、「モンサント社との長期的な協力関係ついて契約を締結した」と発表した。
 両社の目的はどこにあるのか。実は、GM種子「ラウンドアップレディ」を栽培する場合、農家にはモンサント社の除草剤ラウンドアップをセットで使用することが契約で義務付けられている。ところが長年、ラウンドアップを散布し続けた結果、雑草が耐性をもってしまい、ラウンドアップに枯れない雑草が増加した。モンサントにとっては致命的な問題だが、すでに住友化学は、米国における子会社ベーラントUSAを通じて、ラウンドアップに枯れない雑草に有効な除草剤「フルミオキサジン(国内商品名スミソーヤ)」の開発と販売を進めてきた。そこで両社は、業務提携を結び、モンサント社の遺伝子組み換え大豆、綿、テンサイを栽培する農家に、住友化学の除草剤も購入・使用することを推奨することにしたのだ。
 一気に除草剤の需要が拡大した住友化学は大分工場(大分市)の製造設備を増強。2015年度までに生産能力を約1.5倍に引き上げる計画である。しかも、住友化学が狙うのは米国だけではない。「フルミオキサジンは、南米を中心に需要拡大が見込まれ、新たな収益の柱となり得る」として、世界の大豆生産量の8割を占める南米や米国を中心に販売を拡大する計画だ。売り上げも現在の300億円から、400億〜500億円に増える見通しという。世界中に除草剤を販売し、グローバル企業として成長することが住友化学の戦略なのである。

■TPPによる国民国家の終焉?

 2013年3月には米国のNGO「パブリック・シチズン」が秘密裏に進められてきたTPP交渉の内容をリークした。TPP草案全26章のうち、貿易関連は2章のみであり、その他の章は、企業に多大な特権を与えて、各国政府の権限を奪う内容だ。結局、表向きの「貿易協定」とは異なり、TPPの正体とは「企業による世界統治」にある。だからこそ、約600人の企業顧問はTPP情報にアクセスできるのに、米国の議員にさえ内容は伝えられない。米国政府・議会が多国籍企業の代理人になった以上、米国に追随する日本の政府・議会はさらにその下請け機関にすぎなくなってしまった。
 内田樹・神戸女学院大学名誉教授は、こうした現今の世界情勢について、「国民国家」が解体過程に入ったと分析する。
 国民国家とは「国民を暴力や収奪から保護し、誰も飢えることがないように気配りする」基本単位のはずだった。それが今では、国民よりもグローバル企業の利害を優先するようになった。もはやグローバル企業にとって国民国家は、食い尽くすまでの資源でしかない。それにも関わらず、日本国民は“日本”のグローバル企業を守るために、低賃金、地域経済の崩壊、原発再稼働、そしてTPPによる農林水産業の壊滅を受け入れるべきだ、という論理を内田教授は批判する。(朝日新聞「オピニオン」2014年5月8日)
 「市民と企業との戦いは、21世紀における最も決定的な闘争になるだろう。もし企業が勝利すれば、自由と民主主義は終わりを告げることになる」と指摘したのは英国のコラムニスト、ジョージ・モンビオである。(拙訳『遺伝子組み換え食品の真実』、白水社、p16)
 遺伝子組み換え作物をめぐる多国籍企業と市民との闘いは、食の安全のみならず、自由と民主主義を守り育てる最前線にあるのだ。(了)

 (筆者は生活クラブ・スピリッツ代表取締役)


最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧