~エジプトの国家再建で問われる宗教間融和~

■宗教・民族から見た同時代世界  荒木 重雄 

~エジプトの国家再建で問われる宗教間融和~

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  「アラブの春」から新たな国家体制づくりへとすすむエジプト。その首都カイ
ロで、10月9日、「信教の自由」の保障を求めるキリスト教の一派コプト教徒の
デモと軍治安部隊が衝突し、25人が死亡、300人以上が負傷する事件が起こった。
 
  衝突の発端は詳らかでないが、軍が銃撃を浴びせ、数人は軍の車両に轢き殺さ
れたという。このデモは、前月30日、南部アスワンで起きたイスラム教徒による
コプト教会襲撃に抗議するものであった。

 日本の報道では一言で「教会襲撃」と伝えられたこの事件だが、真相はなかな
か複雑である。コプト教徒が所有する「ゲストハウス」の屋上のドームに十字架
を立てたところ、数百人のイスラム教徒の群衆が押しかけ、暴徒化した群衆は十
字架を引きおろし建物に火を放った。さらに、許可なく施設を教会に改造しよう
としたとして管理者を告発した。
 
  エジプトでは法律上、信教の自由が保障され、イスラム教徒とコプト教徒の間
に差別はないたてまえであるが、実際には、コプト教徒による教会の建設にはイ
スラム教徒のモスク建設にはない複雑な条件がつけられ、事実上、困難にしてい
る。そこで、教会建設を断念したコプト教徒は別の施設の建築申請で許可をと
り、完成後、教会に転用している場合が少なくなく、これがしばしば地域に騒動
をもたらしている。9月のアスワンの事件もその一つである。
  では、コプト教とはそもそもいかなる宗教なのか。


◇◇キリスト教界の独立派


「コプト」という言葉はギリシア語でエジプトを意味する「アイギュプトス」に
由来する。これをアラブ人は「キプト」と省略し、のちのヨーロッパ人がさらに
「コプト」と呼ぶようになった。「コプト教」とはすなわち「エジプトのキリス
ト教」の謂である。
 
伝承ではエジプトへのキリスト教の布教は、聖書の『マルコ福音書』の記者とし
て著名なマルコが、紀元42年頃、アレクサンドリアに教会を設立したことにはじ
まるとされる。
 
  アレクサンドリア学派の神学ではキリストを神としてのみ捉える(単性論)傾
向にあったが、451年に開かれたカルケドン公会議がキリストは神性と人性の完
全な結合と定めて単性論を異端としたことから、これに反発したエジプトの教会
は東方正教会(ギリシア正教)から離脱し、ローマカトリックにも東方正教会に
も属さない独自の道を歩むこととなった。これがコプト教である。古代エジプト
語につながるコプト語(表記はギリシア文字)を典礼語とし、「神の母」マリア
への厚い崇敬が特徴である。
 
  現在、このコプト系キリスト教徒はエジプトを中心にエチオピア、シリア、ア
ルメニア、米国、豪州などで5千万人といわれる。ほとんどがイスラム教徒のエ
ジプトでは人口の約1割を占め、830万人ほどが住む。元国連事務総長のブトロ
ス・ガリ氏もコプト教徒である。


◇◇高まる宗教間対立


  イスラム教徒とコプト教徒は、法律上、平等とされ、これを後押しするように
2007年、エジプトのイスラム指導者は「イスラム教徒は自由に改宗することがで
きる」むねのファトワ(宗教令)を出している。しかし、先の教会建設の例と同
様、ことがさほど単純ではないことは、イスラムからコプトに改宗を志したある
人物(元警察官)のエピソードにも示されている。

 改宗を決意した彼は教会を訪れるが、秘密警察のスパイかと疑われ、複数の教
会で洗礼を断られる。ようやく入信は叶ったが、エジプトでは常時携行を義務づ
けられている身分証明書の宗教欄を「イスラム教徒」から「キリスト教徒」に変
更するためには高等行政裁判所に申請しなければならない。じつは、ここで却下
されることが多いのだが、彼は幸運にも認可を得る。ところが、「名誉を汚し
た」背教者として親族の怒りを買い、命を狙われるはめに遭うのである。
 
  伝統的にはイスラム支配下では、異教徒はジズヤとよばれる一定の税を払えば
生命、財産、名誉、信仰が保障される仕組みがあったこともあり、宗教間対立は
ほとんどなかったといわれる。そうした仕組みが否定される近代化の過程で逆に
対立が広がり、とりわけ2001年の9.11につづく対テロ戦争以降、エジプトでもイ
スラム教徒とコプト教徒の関係が緊張を帯び、前者による後者への襲撃事件が頻
発するようになった。
 
  今年に入ってからの主な事件だけを挙げてみても、1月1日未明、北部アレクサ
ンドリアの教会前で爆弾テロが起こり、新年ミサに集まったコプト教徒23人が犠
牲になった。これは昨年1月6日、南部ルクソールの教会付近でコプト暦のクリス
マスイブ礼拝に集まったコプト教徒が銃撃され6人が死亡したのにつづく新年
早々の惨劇である。さらに1月11日には中部ミニヤ県で列車内のコプト教徒が銃
撃され、1人が死亡し5人が負傷する事件も起きた。
 
この1月の事件では当時のムバラク政権は国際テロ組織アルカイダの関与を主
張。一方、ローマ法王ベネディクト16世が中東のキリスト教徒の安全に懸念を示
す発言をしたことに反発して駐バチカン大使を召還するなど、国際的な波紋も広
がった。


◇◇エジプト民主化の試金石


  やがて2月にはムバラク政権打倒の100万人デモが起こるなど「アラブの春」が
はじまるが、ムバラク政権に批判的ながらも、その後に最大野党ムスリム同胞団
などイスラム勢力が台頭する事態を恐れるコプト教徒は運動に慎重な姿勢をとった。
 
  新政権樹立過程で躍進が見込まれるムスリム同胞団はその新党「自由公正党」
の副代表にコプト教徒を据えるなど懸念払拭に努めているが、宗教間融和の実現
こそはまさにエジプトの真の民主化への試金石となろう。

                (筆者は社会環境学会代表)

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