~光の島を生きぬくバリの人々の信仰~

■宗教・民族から見た同時代世界        荒木 重雄 

~観光の島を生きぬくバリの人々の信仰~

───────────────────────────────────
 インドネシアのバリ島は、ビーチの歓楽とともに、神々と人々が交感する神秘
の島として、国際的な人気を集める観光スポットである。
 
  村々にはかならずヒンドゥー教の主要な三神、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴ
ァを祀る三つの寺院があり、各家の宅地内には祖霊を祀る家族の小寺があり、田
には田の神を祀る祠があり、人々は毎朝かかさず、これらの寺院・祠や、家の門
口、樹の根方、流れの畔などに供物をそなえて祈りを捧げる。土着の精霊崇拝と
ヒンドゥー教が習合した固有のバリ・ヒンドゥーを人々は厚く信仰しているので
ある。

 太古から変わらぬ姿と観光客の目に映るこの信仰の形にも、しかしじつは、さ
まざまな転変がその裏に潜んでいる。


◇◇ヒンドゥーの神々と生きた人々


  ジャワやスマトラなどインドネシアの海域には、7世紀頃から、一部仏教が混
淆したヒンドゥー教を信奉する王国が興亡を繰り返していた。ジャワ島に隣接す
るバリにも、その頃からヒンドゥーは伝わっていたが、11世紀にはジャワとバリ
の交流が深まり、さらに14世紀にジャワのマジャパヒト王国がバリを支配するに
およんで、ジャワの土着信仰と習合したヒンドゥー、いわゆるジャワ・ヒンドゥ
ー文化が色濃くバリを覆う。こうして、バリには、バリ・ジャワ両方の土着信仰
(精霊崇拝)を含んだ複雑なヒンドゥー教が醸し出された。

 16・7世紀にはインドネシアの島々にもイスラムがおよんでヒンドゥーは影を
潜めるが、唯一バリでは、ヒンドゥーを信奉する小王国の割拠がつづき、「王が
興行元、僧侶が演出家、住民が俳優と裏方と観客かねて協働でヒンドゥーの神話
劇を上演することが政治の基盤」と、アメリカの人類学者クリフォード・ギアツ
によって考察され「劇場国家」と概念化された、共同幻想にもとづく特異な社会
が営まれてきた。


◇◇観光地に作り変えられたバリ


 19世紀に東南アジアを舞台に繰り広げられた植民地争奪戦の中で、バリも半世
紀にわたるオランダの攻撃を受け、1908年にはついに全島がオランダの支配下に
入った。すると、1920年代には早くも、オランダ王立郵船会社によって、バリは
タヒチに代わる「最後の楽園」として売り出されることになる。
  美しい褐色の乳房をさらす娘たち、椰子の樹と揺れる波、神秘的な儀式など、
欧米人の通俗的な異国趣味をくすぐる風物が売りである。

 1930年代に入ると、楽園に憧れてバリに住みついた西欧の芸術家たち、ドイツ
人画家ヴァルター・シュピースやオランダ人画家ルドルフ・ボネらが、宗教的モ
チーフを様式的に描いていた地元の画家たちに、遠近法や色彩を駆使して「熱帯
の風物」を描く技法を伝え、欧米人観光客の嗜好に応える土産品の大量生産に道
をひらいた。
 
  とりわけ音楽・舞踊、映画制作の才もあるシュピースは、ほんらい寺院の中で
神に捧げて演じられる秘儀的な舞踊を、寺院の外に出して観光客に見せるショー
に作りなおした。

 たとえば、バリの芸能として今日有名なケチャは、トランス(神がかり)儀礼
のさいの男たちの叫びを、シュピースがインドのヒンドゥー神話劇『ラーマーヤ
ナ』に結びつけてスペクタクルに仕立てたものだし、チャロナランとよばれる悪
霊払いの儀礼は魔女ランダと聖獣バロンの闘いにショーアップされ、クライマッ
クスにはトランス状態に陥った男たちが自分の体にクリス(短剣)を突き立てる
演技をするという念の入れようである。
 
  バリでは現在、こうした芸能が毎晩のように、寺院の境内や劇場で観光客を集
めて上演されている。これら1930年代の西欧人芸術家に指導されたバリの絵画・
舞踊などの改革を「バリ・ルネッサンス」とよんでいるが、なんとも皮肉な呼称
ではある。


◇◇アイデンティティをどう守る


  インドネシアの独立にともなってバリは、インドネシア共和国の一州となっ
た。するとそこでまた新たな問題に当面することとなった。
 
  インドネシアの国是であるパンチャシラ(建国五原則)の第一条は「唯一神へ
の信仰」である。これは唯一神アッラーを信奉する多数派イスラム教徒の意向を
汲んだ規定だが、インドネシアで宗教は一神教でなければならず、精霊崇拝を基
盤に多神教のヒンドゥーを受け入れて森羅万象に神は宿るとするバリ・ヒンドゥ
ーが「宗教」と公認されるためにはどうすればよいのか。
 
  1959年代をつうじてのこの難題を、バリの人々は、サン・ヒャン・ウィディと
いう新たな神格を立てて、ヒンドゥー教の多様な神々はこの「唯一神」の多様な
働きの現れとする神学論議で乗り越えた。

 また、独立後も国家の開発政策の中で一層進んだ観光化の流れに対しても、バ
リの人々は、たとえば、「聖なる踊りを観光用に上演することを禁ずる州政府令
」を制定して、観光用の芸能と寺院で奉納される神聖な芸能を峻別したり、「バ
リ州における寺院および聖地への立ち入りに関する州政府令」によって、寺院に
入る観光客に伝統的な民族衣装の着用を義務づけるなど、観光化にともなう「文
化の汚染」に抗して自分たちのアイデンティティと誇りをまもる取り組みがおこ
なわれてきた。

 バリでは、村々で定期的に営まれる、華やかに飾り立てられた棺に火を放つ集
団火葬も、死者たちのより幸せな来世への旅立ちの祝いとして観光客にも公開さ
れているが、それも、バリの人々の、このアイデンティティへの揺るがぬ自信に
支えられた、信仰と観光のバランスのうえでのことであろう。

                 (筆者は社会環境学会会長)

                                                    目次へ