2005年夏の大衆選挙―ひとつの考察

■2005年夏の大衆選挙―ひとつの考察 工藤邦彦

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2005年夏の大衆選挙―ひとつの考察

今回の総選挙は「大衆の、大衆による、大衆のための選挙」であった。それ故そのもたらす結果について、しばらくは大衆自身がこれを受容しなければならない。

(ここで用いている「大衆」という言葉は、かつて戦間期のヨーロッパで、しだいに高まるファシズム支配への動きを背景に、オルテガ・イ・ガゼットがその著『大衆の反逆』(1930年)の中で先駆的に用いた≪大衆人≫の謂いである。もちろんオルテガの思想には非ヨーロッパ世界に対する見方など問題点もあり、また75年前の世界を今日と直結させて考えるほど、私も安易ではないつもりだが、今回の選挙が自ら示して見せてくれたものが、私たちが歴史的経験として持つプレファシズム期の様相と(直接、軍事的・戦闘的ではないという一点を除いて)酷似しているという予感は、どうしてもぬぐえない。時代錯誤の誇大妄想と言われるかもしれないが、試論としてあえてこの視角から問題を考えてみたい)。

■コイズミという男

以前に私はこの『オルタ』(14号)に書いた文章で、小泉純一郎という男を“史上最も軽薄な「総理大臣」”“知的文化的には三流で、演技演出のみで状況を乗り切ってきた「総理大臣」”と呼んだが、この性格づけは今回の彼の大勝利のあとも些かも変わらない。この空虚な頭とさびしい心を持った男が今回やったことは、いかにもパラノイアの彼にふさわしい仕業だった。

1.ここは小泉という人物について何かを詳しく言う場所ではないが、今回の選挙について考えるうえで最小限の前提として、いくつか確認をしておかなくてはならない。私は前記の文章で「小泉政治の本質は≪シニシズム≫」とも書いたが、この皮肉・冷笑性こそ、この男の抜きがたい本性である。以前に国会の予算委員会かなにかの中継で、誰かの質問中にこの首相が答弁席に坐りながら、下を向いてニヤニヤと薄ら笑いを浮かべていたのを見てゾッとしたことがある。“日本憲政史上”に悪辣・愚劣な総理大臣は数々あれども、こんなシニカルな男は今まで一人もいなかったのではないか。

2.この選挙の最中も、大勝利のあとにも、マスメディアはこの男の果断さ、真剣さ、リーダーシップ、戦術の巧みさ、演説の分かりやすさ等々を称賛し、またそれに酔う人々を繰り返し映し出してきた。しかし、あの演説シーンが示している攻撃性、興奮と抑制の調子、力の集中と拡散、論点のすり替え、対手を馬鹿にした態度、そしてあの自己陶酔は、すべて彼の人間としてのシニカルな本性の現われであり、同時に、すべてのパラノイアタイプの権力者に共通のビヘイビアである。

彼はこれ以前にも、番記者を前にして「なんてたってアイドル、なんてたってコイズミ~」と口ずさんでみたり、外国に行って、聞かれもしないのに「自分は日本ではライオン宰相と呼ばれています」と自己紹介してみたり…ということが度々あった。彼からあふれ出る教養といえば、例の「米百俵」やら、「オペラ座の怪人」やら、時代小説の「信長」やらで、その大衆性はみごとに証明されている(直近のテレビ番組では、彼を「孤高の人」と名づけた局もあったが)。

3.ところでオルテガは、≪大衆人≫という新しい人間の心理構造を観察して次の三つを抽出している。「第一に、大衆人は生まれたときから、生は容易であり、あり余るほど豊かで、なんら悲劇的な限界を持っていないという根本的な印象を抱いている。したがって平均的な各個人は、自分のうちに支配と勝利の実感を持っている。第二に、この支配と勝利の実感が彼にあるがままの自分を肯定させ、彼の道徳的、知的財産はりっぱで完璧なものだと考えさせる。この自己満足の結果として、彼は外部からのいっさいの働きかけに対して自己を閉ざし、他人の言葉に耳を傾けず、自分の意見を疑ってみることもなく、他人の存在を考慮しなくなる。心の底にある支配感情がたえず彼を刺激し、彼に支配力を行使するように仕向ける。だから彼は、この世には彼と彼の同類しかいないかのように振舞うことになる。したがって第三に、彼はあらゆることに介入し、なんらの配慮も内省も手続きも遠慮もなしに、つまり「直接行動」の方式に従って、自分の低俗な意見を押しつけることになる」(『大衆の反逆』:白水社版p144~145)。

オルテガはこのような人間型を「満足したお坊ちゃん」「甘やかされた子供」にたとえている。だから彼の大衆概念では、≪大衆人≫は具体的な特別の社会階級を意味しているのではない(もちろんこの≪大衆人≫は、技術とデモクラシーが、つまり豊かな社会が生み出したものである―というのが、彼の主張する骨子であるが)。それゆえ現代のマス・デモクラシー社会では、指導者は同時に≪大衆人≫でもありうるのである。

4.彼によれば、この甘やかされた子供は、「相続人として振舞う以外には何もしない相続人」(同p149)である。事実、小泉首相は相続以外にこれまで何もしていない。いわゆる55年体制の成果である戦後の平和環境と「豊かな社会」を相続し、都合のよいときはそれを自身の政治の口実に使い(「戦後ずっと戦争してこなかった日本」など)、そしてそれを破壊する(善隣外交、金融財政、社会的基本権など)。そして自分自身を歴史に刻みつけたい一心で(?)、あれこれとツマミ食いをして(イラク、北朝鮮、道路改革、国連…)、結果は何も果たすことが出来ない。だからオルテガは、「このようなタイプの人間が支配的な人間像になったときには、警鐘を打ち鳴らして、生が衰退の危険に、つまり、死の接近に脅かされていることを知らせなければならない」(同)と言ったのである。

■今回小泉自民党がやったこと

今回小泉純一郎がやったこと、それは一言で言えば≪民主主義の破壊≫である。自民大勝利の結果を見た今、マスメディアは選挙中のことには口をぬぐって、「巨大与党」の危険性とか、小泉独裁への懸念だとか、いまこそマスコミや野党のチェック機能が大事だとか、デモクラシーの監視役のようなことを言っている。しかし彼小泉が、今になってそんなことを言うマスコミの不感症と無能と支援に守られて、ドサクサ紛れにやったことは尋常ではない。ここではその目に余る点だけ簡略に記すことにする。

1.まず手続き民主主義の面から見ると、1)政党の民主主義、2)議会の民主主義の二つにかかわっている。

前者の「政党の民主主義」についていえば、郵政法案反対派が指摘してきたとおり、同党総務会での慣行的合意手続きのスキップ、郵政特別委員の差し替えなどから始まって、まず解散の脅しをかけ、独断による解散を行い、その解散後は法案反対派の非公認、公認条件としての郵政法案賛成の確認(踏み絵すなわち「信従の強制」)、法案反対派候補者への対抗馬の派遣、離党勧告、選挙区組織への強制・切り崩し、除名の脅し、選挙資金の遮断、他党である公明党までも動員した候補者つぶしの連携など、思いつくことはなんでもやった。まさに従来の自民党が対立物として長く敵対してきた共産党の「民主集中」の手法を思わせるような、内部討論の封殺、上部からの統制、反対者の存在そのものの排除などが、当たり前の政治行為になったのである。しかもそれが「古い自民党の清算」というデマゴギーを伴って、マスメディアの全面支援の中で展開された。

これらの問題性を反対派はすべて指摘していたが、メディアは何も反応しなかった。一方、野党はコップの中の嵐で関係ないとか、新党結成は第二、第三自民党ができただけとか言って傍観した。ほとんど皆がこの政党民主主義の破壊(それは民主主義の連環の中の重要な環の破壊なのだが)のプロセスを面白がるか、あるいはその危険性を軽視した。こうして小泉反対派は、同党の腐敗政治と時代遅れのスケープゴートにされてしまったのである。

そうした雰囲気のなかで、竹中郵政改革担当相は選挙カーの上から、あたかもこの党の組織指導者であるかのように、反対派候補を改革の抵抗勢力と決めつけ、「あの人たちにはもう自民党に帰るところはないんです!」と叫んでいた。このファナティックな男は学者なのか全体主義の親衛隊なのか。そして細田官房長官は「これは自民党内の掃除なんだよ」と言ったという。

2.第二の「議会の民主主義」についてだが、「参議院の否決に対して衆議院を解散した」ことの荒っぽさに首をかしげる人は、メディアのコメンテーターの中にもいた。だがこれは顔をしかめる程度で済ます問題だったのだろうか。日本国憲法第59条には、「法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。衆議院で可決し、参議院でこれと異なった議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数決で再び可決したときは、法律となる。前項の規定は、法律の定めるところにより、衆議院が、両議院の協議会を開くことを求めることを妨げない」という文言がある。法律解釈には門外漢だが、少なくとも憲法に関する限り、国政の誤りなき運営を担保する役割をもつ第二院による、ある法律案への否認の意志は、出席衆議院議員総数の「三分の二」の意志とバランスするのであって、そんなに軽々しく扱うべきものではない。少なくとも、憲法的に国民を代表する全国会議員が鳩首して、今一度考え直すべき問題と考えるのが筋であろう。

しかし小泉首相は、この肝心の手続きを一顧だにせず、即座に解散に出た。「こんなことは考えられないことですよ」と言った亀井静香氏の発言に、テレビのコメンテーターはその政治的判断の甘さを指摘した。しかし代表民主制を国の政治の基本において考えてきた政治家であるかぎり(政治家はそれを義務づけられている)、総理大臣がこんなことをやるとは考えられないのが当たり前である。行動の断固さだの戦術の巧みさだのといったことと、これは次元が違うのである。

3.小泉首相はこの解散に当たり、「国会はこの法案を否決した。しかし私は、本当にこれでいいのか国民の意見をもう一度聞いてみたい」というような殺し文句を叫んだ。政治参加への直接の回路をもたない有権者は、この露骨な代表制民主主義無視のデマゴギーにころっと参って、彼があたかも新しい民主主義の旗手のように見えたのであろう。しかし、この国の基本法は、一法案に対する国民投票を、現有議員(全国民の代表者)の事実上の総罷免を通してやってよいなどと、どこにも書いていない。

自民党の郵政法案反対派は、当初からこの点についても鋭く指摘していた。しかし野党はこの降ってわいた解散を、代表制民主主義の破壊としてシリアスにとらえるのではなく、内心ではこれを自分たちの政治的躍進のチャンスとして歓迎した。一方、この点についてのマスメディアの対応の軽さは驚くべきことであった。テレビも新聞も、毎日毎日飽きるほど政局報道をしながら、この憲法軽視、議会軽視の政治的行為に対してはまったくの不感症であり、当たり前のことのように報道の関心をつぎの局面に移してしまった。それを見通すかのように、小泉自民党は坦々と形式民主主義の手続きを踏んで、この無謀な解散を合理化した。(その理由づけは「憲法第7条の天皇の国事行為にもとづく解散」だったと思うが、今回振り返ってみた朝日新聞の記事では、それさえ確認できなかった)。

4.しかし、どんなに国民に呼びかけるような民主的ポーズをとろうと、これは政治的動態として見るかぎり、独裁に踏み出す第一歩である。ファシズム絶頂期の1942年に、いろいろな全体主義政治を分析して『大衆国家と独裁』(原名は「恒久の革命」)という本を書いたシグマンド・ノイマンは、「デマゴーグの権力掌握は最も民主的な仕方で行なわれる」と言っている(みすず書房版p59)。

「デモクラシーの経験を経た国々に再び独裁をもたらそうとするものは、(たとえその経験がつかの間のものであろうと)その経験を忘れぬ民衆の疑問に答えねばならなくなった。この歴史的な記憶を克服し、配慮と統制とを忘れぬところに、「世論」の尊重が必要となったのである。こうして「民衆的独裁」が、大衆民主政の時代に登場することになる。それは確かにデモクラシーに対立するものではあるが、その根底には擬似民主的な基盤を見ることが出来る。「合法的」な権力掌握、選挙制に対する外見的尊重、人気維持に腐心すること―こうした半ば民主的な要素は、すべてこの新時代における独裁の存立の前提条件となるものである。」(同p13)。

小泉自民党は、「今回の選挙は郵政民営化に対する国民投票だ」と言い続けた。しかしこの「国民投票」なるものは、それ自体民主主義に直結するものではない。逆である。このことに関してもノイマンは次のように指摘している。「扇動的指導者の手によって、人民投票は適宜、慎重に選択された問題について行なわれる。…このような過程で行なわれる「選挙」は、デモクラシー下の選挙民の行為とは異なり、人民の代表の選出を行なうのでもなく、また彼等の業績を批判する(もの)でもない。独裁の下で、人民の投票は「指導者の欲するところを大衆に欲せしめる」ための有効な武器となるのである」(p145)。小泉純一郎は、すでに独裁に到達するまえに、それへの手段として、これを実行したと言わなくてはならない。

5.この稿では、選挙で提起された小泉自民党の政策内容にはあえてふれないことにしているが、デモクラシーの問題と関連してもう一つ指摘しておかなければならないことがある。それはあらゆる面にわたって展開されたデマゴギーのひどさである。「郵政法案」の「郵政民営化一般」へのすり替え、公務員労働者への悪意ある扇動、そしていつの間にか、郵政民営化は「改革の本丸」から、「改革の入り口」「改革の突破口」「改革の扉」へとすり替えられた。これまで鳴り物入りでやって来た「改革」の無残な結果を隠しつつ、課題の先延ばしを行なって、空虚な「改革」への期待を引きずったのである。

■劇場というより見世物

今回の選挙は「劇場型」だったということが、多数意見として確定している。しかし現在までのところメディアに現われる意見は、その「劇場型」という言葉で止まってしまい、その背景も、構造も、歴史的な経験にも、ほとんどが触れていない。しかし「小泉劇場」は、本当は劇場というほど知的・文化的なものではなく、≪大衆広場≫の見世物であった。ただ、その台本書きや役者たちは、その≪広場≫の在りようだけはよく心得ていた。私はこの広場の出し物が、過去のプレファシズム期ときわめてよく似たプロセスを辿っていると考える。そこで先に引用したシグマンド・ノイマンの著書を手がかりに、このあたりのことを跡づけてみよう(カッコ内のページは同書)。

(ノイマンによる大衆国家と独裁の分析は、「ラジオという新しい機関の登場」の時代、―「(このラジオこそ)民衆の登場した現代の第三の宣伝手段を提供したのである。ラジオはデマゴーグ的リーダーシップに新しい可能性を開いた」(p209)と記された時代に書かれたものである。したがってテレビとインターネットの21世紀とは、社会構造がまったく異なると見ることもできる。しかしこれは実際には、戦間/戦時期の「大衆社会」が、今日の「情報大衆社会」にまで成長し移行したということであり、彼が(そして多くの当時のマス的独裁の目撃者たちが)指摘した歴史的緊張と、その析出した原理は、今日の時代においてより先鋭化したとらえることもできる)。

1. ノイマンは書いている。「現代のデマゴーグは、マス化された人間の希求するところは何かを知っている。それは積極的参与の要求に応ずる感情的疏け口(ママ)であり、蹴球、野球の試合は例外として、現在盛んな商業的娯楽が提供し得ないものである」。「特に危機に際しては大衆の行動を感情的に操作することは容易である。この時には、常態にあって機能している抑制が崩壊し、安定を喪失した群集のむら気、ヒステリー、加虐性が前面に現れるからである」。「巧みに準備された大衆集会では、具体的争点に関する公開の討議はなく、指導者のみが一方的に自己を表明するのである」(以上p214)。今日のマス社会の状況が、ここで言われているような「危機の段階」にあるかどうかは別にして、言われていることは今日の傾向性にもよく通じていると言えるだろう。

2.今回の総選挙で小泉支持に大きく振れたのは、おそらく、1980年代末までの果てしないバブル経済とその破綻のあとの、激しい構造変動の影響をまともに受けた大都会や地方中小都市の人たちであり、特にその中で出口を失いながら浮動している若い層の人たちだったのであろう(東京10区の画面上の選挙光景では、道端に座り込んだ茶髪ガングロの若い娘が、「小池さんチョーきれい。小池さんに入れる」と奇声を上げていた)。

この選挙の背景にあったのは、超開発のあとに残された荒れた国土、社会における安定した雇用と平安な生活の崩壊、地域経済と社会的紐帯の急速な解体、人間味ある教育の欠如と伝統ある文化の希薄化、それらの帰結としての、最若年層から高齢世代までに至る親族殺人や仲間殺しなどの異常犯罪の日常化、等々の現実である。そうした現実が眼前にあるからこそ、「改革」という言葉がシンボルとなって、人々の不安な心にこだましたのであろう。選挙では、与野党を含めて「真の改革」や「本当の改革」が連呼され、まるで〈改革ごっこ〉の有様を呈した。生活と未来に不安な人々は、この「改革の約束」の先に出口があると思いこんで、より過激に演技された改革に向かって、“見る前に飛んだ”のだ。

3.今回の選挙では、大盛況を博した興行の功績を、小泉純一郎の「天才的手腕」に帰して説明することがマスメディアの一般的見解である。だが、この選挙プロセスを同時進行で見てきて感じたことは、意外としっかりしたポリトビューロー(政治局)と、よく計算された大衆操作システムがその背後で機能していたらしいことである。それを暗示する一つの例が、この選挙の少し前に明るみに出た竹中郵政改革担当相関連のプロダクションによる「郵政法案パンフレット」?の企画書の中身である。たしかテリー伊藤と竹中担当相が握手をしている写真の入った対談記事だったと記憶するが、ターゲットは偏差値がいくつ以下で、あまり物事を考えずにすぐ信じ込むタイプだとか、いろいろと訴求対象を露骨に分析し提案していた。

これについてのファシズム期の歴史的経験はこうである。「(独裁を目指すものの目には)人間は不決断、不安定と見られ、妥協の余地ない結論を強いる、強力な指導を大いに必要とする、とされる。更に重要なことは、現代の独裁者の手引によれば、大衆は理性によらず、感情によってのみ動かされるのである。白か黒か、愛か憎しみか、というような野生の感情が独裁的思想統制によって喚起されねばならぬ」(P201)。

「更に大衆の扇動は、大衆が感受性は豊かでなく、その理解能力も小さいという確信に基いて行なわれる。故に、およそ宣伝が有効であるためには、論点を極力制限し、且つそれを何処までも反復せねばならぬ」(p206)。

「追従者の心をよく把むものは、均衡ある綱領ではなく、感情に訴える神話である」(p130)。

この夏の選挙における「郵政民営化」の単一争点化は、まさにこの原理で行なわれた。そして小泉首相の演説と女刺客たちの「改革」の連呼は、テレビ画面で躍動するこの「原理」の目に見える実行・実演であった。坂本龍馬の「日本を掃除する」を新聞の全面広告にして打つというような、こちらが気恥ずかしくなるような鉄面皮も平気でやった。

4.現代の独裁の組織的な面について、ノイマンはこうも言っている。「現代の独裁には一見その激情的な動きと矛盾する要素がある。現代の独裁者は「運動の機構の統率者」である。つまり彼の支配は、強固な組織―半ば制度化したと言える組織の上に立っているからである。独裁者は、その多くの機能の技術面を副官たちに任すこともあるが、機構全体の最終的統制は彼の手になければならない」(p60)。

■選挙システムが大勝利を助けた

刺客騒ぎに象徴される小泉首相の今回の選挙戦略がいかに“天才的”であろうと、小選挙区+比例代表制と、政党助成金制という二つの制度の絶妙な組み合わせなくしては、十全には機能しなかったであろう。この仕掛けによって、自動的に投票が大政党にシフトし、小政党が弱体化し、無所属候補が無力化するというメカニズムが、選挙戦の前提条件として最初から機能していた。すでに周知のこのシステムが今回の選挙で大きな意味を持っているのは、それが小泉自民党執行部の反対勢力つぶしと有機的に連動していたからである。

1.第一にふれておきたいことは、自民党の反小泉勢力が解散後におかれた立場である。解散までは、自民党郵政法案反対派の人たちは、(衆参両院を貫いて考えると)、野党と合わせて、法的にも実質的にも「国民の声」の多数意見を代表していた。にもかかわらず小泉首相による独断的解散によって、「政見放送も出来ず、ポスターも限られ、政党助成金もなく…手足をもがれて戦わなくてはならない」という、まったくの無力状態に落とされた。だがこの制度的不平等は問題にもされず、むしろ、それへの対抗策として結成された(結党理由はそれだけではない)二つの新党に対して、「選挙互助会」とか「数合わせ」とかいう揶揄中傷がメディア上で横行した。

2.党の執行部による、現行の選挙制度と政党助成金制度を縦横に使ったトップダウンの選挙作戦は、地域からデモクラシーを国民的につくりあげるという政党代議制の「理念」(実態は別だが)にもとづく地方党組織を完全に無視して行なわれた。これが一部の県で「ねじれ現象」といわれるものを現出させたが、おそらく同じ事態は全国的規模で、党活動の不活性化と精神的退廃を伴いながら、より深く静かに進行していたのであろう。

3. 党中央による「単独比例代表」の恣意的活用によって、何の地域代表性もない、政治的に未成熟の候補者たちが操作のコマとして選ばれ(競争なき選抜)、しかもそれが政党近代化のメルクマールでもあるかのようにテレビ画面上で喧伝された。そのほか小選挙区・比例区をあわせて大量の新人候補者が全国に配置され、その最終的な当選者は83人にのぼったと報道されている。

これに関しては、シグマンド・ノイマンの次のように指摘を引用しておこう。「デモクラシーにおいては、将来の指導者は主として制度的に定められた経路によって選出される。彼等は特に中央議会における自由競争を通じ、またしばしば地方政治における成功を通じて選ばれる。…将来の指導者をめざす者は、議会という公開の場での激しい徒弟修業を経ねばならぬ。そこで彼の行政手腕が試験される。彼が各省の政務官の地位に到達するまでには、極度に批判的な聴衆を前にその手腕を発揮せねばならない…このような批判を受けぬ政府は、どんな人間の手に渡るかわからない」(P91)。

4.こうして最も声高に反官僚を叫んでいる党が、現行選挙システムのサポートにより、党運営の実体では最も独断的・トップダウン的・官僚的であるというパラドキシカルな事態が現出したのである。

■マスメディアという主役

1.選挙期間中もその後も、テレビメディアのコメンテーターたちは、「新しい政治家」としての小泉首相の果断さ、わかりやすさ、カッコよさ、強力な執行力などを称揚し、ついに9月15日朝のテレビ朝日などは、「小泉=信長論」を証明して見せていた。今回の選挙でメディアは「劇場型」を連発したが、彼らこそこの政治的見世物の芝居小屋の主であり、呼び込み屋であり、弁士だった。別の言葉で言えばこの大勝利のもう一人の主役だった。

連日のテレビの選挙報道の時間配分を調査分析してみる人がいるとよいのだが、「私たちも反省しなければならないのだが…」などと言いながら、メディアは少しも反省せずに、「注目選挙区」の見世物報道を繰り返した。そして同じ顔ぶれのコメンテーターや何々専門家と称する人たちが各局を渡り歩いた。

2.このテレビ一座に出演した人たちについて、書き留めておきたいことがある。それは今から12~13年前の「政治改革」騒ぎと、今回の「郵政民営化」騒ぎを比べたときの登場人物の顔ぶれである。あの時にも「守旧派反対」だの「55年体制の打破」だのと騒いだ果てに、多元性社会の首を自ら絞めるような選挙制度をみんなでつくってしまったが、そのときの「政治改革派」のテレビ知識人たちに、今回は「民営至上主義者」が大挙して加わった。

それにしてもコメンテーターの水準は恐ろしく落ちたものである。長寿を誇る田原総一郎、筑紫哲哉、岩見隆夫、三宅久之、岸井何某、福岡政行、小林良彰、猪瀬直樹といった人たちにくわえ、今回は岩井奉信という日大法学部教授が売り出した。あの時は政治部隊の主役だった田中秀征も今回は改革支援に口頭で参加した。そのほか、なんでも屋の宮崎哲也、ジャーナリストだという大谷昭宏、大学教授の松原聡、「小泉改革が男女共同参画社会をつくるんじゃないか」などと期待を表明した樋口恵子、作家だという大下英治、なかにし礼、漫画家の倉田真由美、テレビ住人のテリー伊藤、デーブ・スペクター、タレントの北野誠、女優の萩尾みどり…といった人たちが、それぞれに立派な政見を開陳してくれた。

もはやこれらのテレビ人たちは、「媒介的知識人」(創造的な知的活動は期待できないが、社会の創造的知識人と生活人との文化的な相互媒介機能は果たす)としての機能さえ失い、知識人と大衆の境界線さえなくなって、彼ら自身がオルテガの言う≪大衆人≫として振舞った。彼らを起用して番組を作るディレクターたち、キャスターたち(現場知識人)の知的怠惰と退廃は言うに及ばずである。彼等は情報操作の担い手どころか、自ら信じ込んで踊っていたのである。こうして都市の≪大衆人≫の声しかテレビからは届いてこなくなった。

3.私はこの選挙期間中の各新聞紙によく目を通したわけではない。しかし要所での各紙の報道内容からすると、新聞メディアはほとんど全部、基本的に郵政民営化と「小さな政府」支持のオンパレードであった。朝日新聞の社説などは執拗に「反官・親民」の提唱を繰り返した。しかし(自民党政権が長期にわたって蓄積した)天文学的といわれる財政赤字を抱えて、大量の国債の償還にあえいでいる今日の政府が、破滅的で暴力的な施策を伴わずに「小さな政府」に向かえるわけがない。そしてまた、彼らの「幻想の小さな政府」が解決不能とも見える数多の国内矛盾と外的緊張に耐えられる保証はどこにもない。ここでも自らの負の遺産を隠蔽して大衆の期待を未来に引き伸ばすというデマゴギーへの、メディアの加担を見るのである。

■野党の失敗は何であったか。

今回の選挙は誰の目にも与党の大勝利であり、野党の敗北だった。しかし選挙結果をよく分析したのではないが、見かけほど野党が敗北をしたわけでもない。議席と得票率の差の問題は措くとしても、これだけの制度的・政治的・情報的ハンディをつけられながらの、社共や急造の新党、郵政法案反対派の無所属候補の健闘は特筆しておいていい。明確に負けたのは、とりわけ大都市圏における民主党である。これについてはこれから多くの専門家による政治学的・社会学的分析があるだろうが、私が問題にしたいのはそのことではない。この稿で主題としているのは、一見平時に見える今日の情報大衆社会において、政治の全体主義化はありうるか、どう進行するかということである。この観点から、野党の失敗について、二つのことに注目しておきたい。

1.第一の問題は、「郵政民営化」というデマゴジックな主題一本に絞って不意打ちをかけられた反小泉的政治勢力全体の、この選挙での布陣の問題である。

私は小泉首相による抜き打ち解散と、それに続いて次々と打ち出された自民党執行部の反デモクラティックなアクションと、それに迎合し増幅するマスメディアと、それらを歓迎し面白がっている画面上の有権者たちの熱い視線と大量的な期待とを見ながら、こう考えていた。―この選挙の「争点」は“政策”などではない。この選挙でまずやらなくてはならないことは、この乱痴気とでたらめを食い止め、小泉を引きずり下ろすことではないか。後のことはそれからみんなで論争したり考えればよい。そうした復元力が、今日の衰弱したデモクラシーにあるかどうかが第一に問われているのではないか、と。

つまり昔流に言えば、選挙の中心主題は「反小泉統一戦線」だったのだ。しかもそれへのサインは新党周辺から不器用に発せられていた。政策や進路が邪魔になって、明確な統一行動が出来なかったとしたら、この一点についてだけでも、それこそ「別個に進んで共に撃つ」でもよかったではないか(そうすれば少なくとも、流れをせき止めることぐらいは出来たはずだ)。しかし事態はそのようには展開しなかった。解散が仕掛けられたとき、野党はこれを「民主から独裁へ」の動きととらえず、むしろ自党の躍進への好機として歓迎した。民主党の岡田代表は「単独での政権奪取」を掲げ、社民党は民主党との違いを強調し、共産党(確かな野党!)は全政党との違いを強調し、自民党反小泉派が曝されていた党中央からの下卑た攻撃に対しては、「コップの中の嵐」だとして誰も目もくれなかった。彼らはみんな「ヘゲモニー」的政治の意味がわかっていなかった。戦後革新政治史に抜きがたく刻印されてきた「連合の思想の欠如」が、ここに来て最悪の形で出てきたのである。

2.この問題の背後に、戦後革新政治の根本的欠陥に起因する、さらに本質的な問題が横たわっている。それは戦後の〈革新勢力〉が、一度も≪ポストモダン状況への挑戦≫を本格的な主題にしてこなかったという事実である。これはここでの問題範囲をこえるが、「成長+改革」の戦後資本主義の総政策への対応は、「モダンとポストモダンの同時的解決」のプランしかありえない。しかし1960年代の構造改革派も含めて、成長と近代化が実現した後に来る現実を予見し、それを目の前にある、過去から現在の問題と重ねて自らの課題とするというスタンスをとることができなかった。そこで、資本主義的成長のどん詰まりまで突進する権力派の≪改革≫を、つねに彼らの「改革」で後追いするということを繰り返さざるをえず、それ故その「真の改革ごっこ」は、連戦連敗を続けることが避けられなかったのである。

3.この「ポストモダンを超える」課題を前にしては、「守旧派」とか「抵抗勢力」とかいわれてきた者たちの基盤の位置づけが逆転することさえありうることに注目しておきたい。スーパー資本主義のポストモダン的な〈疎外状況〉においては、「地域的」と「全国的」の意味が逆転し「地元密着」が今日性を持ったテーマとして再浮上する。メディアも既成野党も、「古い体質を持った自民党の抵抗勢力が地元への利益誘導をやっているからけしからん」と追い討ちをかけるが、誘導すべき地元利益などもはやほとんどないのである。若い世代の代表として“期待”をかけられている例の堀江という証券操作の専門家が、「改革」と染め抜いた黒シャツを着て、広島の農山村で年寄りたちと握手し、「改革だ、改革だ。変えます、変えます!」と叫んでいる物寂しくグロテスクな光景がテレビ画面に映っていたが、彼はこれ以上この国をどのように変えようというのか。

政官財癒着はもはや旧派によるのではない。権力を握った〈改革勢力〉が、その「改革」の看板を掲げながら、経団連とその政治的代表者に主導され、自動車・情報等の多国籍資本、金融資本、外国資本、そしてベンチャーたちとも結託して、国土の空虚な総都市化にむけて突き進んでいる今日、都市からの落下傘と党中央からの強制・圧殺と戦った〈抵抗勢力〉は、戦術的だけでなく、社会的にも提携の対象とならないだろうか。たとえば田中康夫氏の試行はそれを暗示している。

■この選挙で自民党は変わったか

選挙の結果出現した「巨大政党」に皆が驚いた。その驚きはいまも進行中であるが、多数意見は「自民党は新しく変わった」である。それではどう変わったのか。私の意見は、「自民党は変わっているし、変わっていない」という、ごく常識的なものである。さしあたり気づいた二、三の点を書きとめておきたい。

1.伝統的な自民党は小泉党にジャックされ、骨のある政治家たちは排除されて、古くからの議員集団には親米派とイエスマンと日和見だけが残った。これらにくわえて選挙の終盤からは、反郵政法案勢力からも転向者が続出し、いわば面従腹背派や、時節待望派が加わって、全体としての自民党の不活性化は覆うべくもない。この期間中、本来なら口を開いてしかるべき保守本流の議員たちも沈黙した。選挙後の初閣議で、席を立って拍手で首相を迎えた閣僚たちの姿に、この伝統政党の無力化がありありと見えた。自民党は小泉が「ぶっ壊した」のではない。精神的に内部から腐ってしまっていたのだ。

2. 「新しい自民党」というスローガンが大々的に掲げられた。しかしたとえば、東京12区の八代英太候補をめぐるドタバタが典型的に示したものは、この党がいかに卑しい利益誘導の党かということである。彼は、必ず単独比例候補に回すとか、社会保障関係の理事の職を用意しているとか、娘や息子をほかのところから出すといった、党本部からの約束手形を暴露した。このようなことはおそらく全国で展開されていたことだろう。

3. 地方党組織の行方は、これからの展開を見ないとわからない。一部の例外を除き、小泉‐武部中央本部との修復が進むであろうが、それは特に地方都市や農村部での極限的な高齢化とあわせて、この党の伝統政党としての根幹を揺るがすことになるだろう。すでに党-議員-後援会の連鎖の中での世襲議員の膨大化が、自民党地方組織の根底からの再構成を必要‐必然としていた(それが各種選挙において、なり振りかまわず始まっていた公明党依存の真の理由であろう)。今回のトップダウンによる選挙指揮は、すでに足腰が弱って内閉化していたそのような党に、予測不能な一撃を与えたのではないか。

4. 実際の選挙現場では何が行なわれていたか。メディアは“劇場選挙区”しか伝えないので、本当のところは何もわからない。しかしその突出した場面だけ見ても、あいた口のふさがらないような笑劇の連続であった。大仁田厚とかいう元格闘技の参議院議員は郵政国会で「悩めるハムレット」のような役割を演じていたが、選挙中には“改革のマドンナ”片山さつき候補のところへ出かけていって、「小泉首相は力道山だ!」と叫んでいた。その片山さつき候補やテレビで高級ケーキなどを紹介していたという料理研究家の藤野真紀子候補が、選挙区の実力者の前で土下座をしたとかいう話も報道された。もう一人のマドンナ・佐藤ゆかり候補は、「私は改革のために小泉総理からここに送られてきました」と演説していたが、そのうちに「岐阜市は既に私のふるさとになりました」とか言って地元のおじさんたちを喜ばせた。そして選挙が明けて、一人部屋に住んでいた杉村何某という26歳の青年は、転げ込んできた「初当選」の喜びをあまりテレビでべらべらしゃべるので、武部幹事長が電話で教育的指導をした。その青年は恐縮して電話を切り、「500%?小泉チルドレンです」とか応えて記者たちを笑わせた(9月15日)…等々。―この種のエピソードや笑劇は、政治学者たちが詳細に採集して記録しておく価値のあるものである。

5.こうした登場人物たちのなかで、どうしても言及しておかなくてはならないのは、例の堀江何某、通称「ホリエモン」についてである。プロ野球、地方競馬、フジテレビと次々にメディアの話題をさらい、出ると負けを喫してそのたびに儲けた彼は、今回とつぜん政治を発見した。絵になるこの男を追って、マスコミのカメラ取材陣が群れをなして広島県の街や村をついて回った。テレビ上の気に入らない質問にムカついて「そんなくだらない質問には答えられない」と露骨に不快感を示したこの男を、尾道のまだ選挙権もなさそうな女の子が「携帯撮れた!」と歓声で迎え、武部幹事長は演壇で堀江の手を持ち上げて、「弟です!息子です!」と叫んだ。そして敗戦後に彼は「またやる」と言いながら、「それとは関係なくご恩返しとして地元に何かを贈りたい」とテレビカメラの前で約束していた。

ついこの間まで、インタラクティヴとかオンデマンドとか、10年以上も前の情報用語を連発し、挙句の果ては「いま僕がやっていることがメッセージなんですよ」などと、マクルーハンの平俗な焼き直しで不勉強なメディアマンたちを煙に巻いていたホリエモン。「カジノ資本主義」や「マッドマネー」を地で行くこの男が、今度狙ったのは「メディア+政権党の議員」という、ベルルスコーニばりの旨みであることは明らかだった。そのためになら彼は「比例区は公明党に!」や、「関係のないご恩返し」くらいのことは平気でやるのである。

6.なぜこんな細かい週刊誌並みのことを書き付けるかというと、これらの画面上のエピソードが、今回小泉自民党に結集した人たちの在りようを見事に表わしているからである。派閥から切り離して小泉が教育するとか報じられた83人の新人たち。―この人たちはいったい何だろうか。

今ではマルクスを持ち出すことは嘲笑の種になりそうだが、あえて次の一説を引いておきたい。「あやしげな生計をいとなみ、あやしげな素性をもつ、くずれきった道楽者にならんで、おちぶれて山師仕事に日をおくるブルジョア階級の脱落者にならんで、浮浪人、元兵士、元懲役囚、徒刑場からにげてきた苦役囚、ぺてん師、香具師、たちん坊、すり、手品師、ばくち打ち、ぜげん、女郎屋の主人、荷かつぎ、文士、風琴ひき、くずひろい、とぎや、いかけや、こじき、一口にいえば、あいまいな、バラバラの、あちこちに投げ出された大衆、フランス人がラ・ボエームとよんでいる連中、こうした自分に気のあった分子をもってボナパルトは12月10日会の根幹をつくった」(『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』岩波文庫版p86)。

なにやら今日では差別語の連発と言われそうなこの文章を引いた理由は、ルイ・ボナパルトという人物が、小泉タイプの人間のおそらくは祖型であるということのほかに、小泉自民党に新しく集まった人々が、私には<情報大衆社会の12月10日会>に見えて仕方がないからである(もっともその12月10日会をつくったルイ・ボナパルトは、のちにパリ大衆社会のインフラをも造ったのだが…)。いろいろな専門職を持っていて、身分も地位も学歴も高いらしいこの人たちが、歴史の視野から見れば、なんの哲学も感性もなく都市の表面に漂う知的ルンペンプロレタリアに見えて仕方がないのである。もう一度ノイマンの言葉を拾えば、「彼等は政治的浮き草である。ただ社会秩序崩壊の水位の高まりを教える役をする」(p39)ということにでもなろうか。

7.こうして自民党は、何もかもごちゃ混ぜの鉛の足に過ぎないようなものとなった。党内には確固とした反対意見の存在も、派閥という形での利害の調整機能もなくなった。頂上部に哲学はなく、野中氏や後藤田氏のような人物もなく、扇動と組織運営だけは巧妙で、入れ物だけ大きくなった自民党。これこそが独裁を完成させ「新しい自民党に生まれ変わった」と言われる小泉体制の本質的なもろさである。それは、党から議会へと広がるヘゲモニー装置(グラムシ)をこの党が喪失したことを意味する。

■なにげない装いのファシズム

1.「自民圧勝」を伝えた9月12日の朝日新聞朝刊の社会面では、いつも連載されている家庭漫画「ののちゃん」が、とつぜん「総選挙番外ののちゃん-PNN」という政治漫画にジャックされた。作者は同じ「いしいひさいち」である。テレビ画面らしい最初のコマに「官から民へ!」と叫ぶ小泉がいて、最後のコマは「眠から棺へ!」と叫ぶ小泉である。この間にはさまっているあと2コマも鋭かったが、とにかくこの選挙期間を通じてメディアに登場した発言で、これほど小泉政治の本質を突いたものはなかった。

2.私なら、今から40年も前に上映された映画、ルイス・ブニュエルの『ビリディアナ』をなぞって、乱痴気騒ぎのあとは「猫も夜は灰色」と言いたい。この乱痴気騒ぎは、積極的な何ものも生み出さない≪逆カーニバル≫(バフチン的カーニバルの逆)であり、そのあとには、みなが同じ一つの言葉―「改革、改革」と低くつぶやいて過ごす白けた日常がやってくる(もちろんこの心象は先のフランス格言とは関係ない)。そしておそらく後をおそうのは、仮に≪冷笑する軽薄なファシズム≫とでも名づけるしかない、明るく憂鬱な季節であろう。

だがそうした明るい憂鬱の中で、今回小泉党が大衆の期待を引きつけて問題の先延ばしをした、国家財政と社会保障システムの破綻、ますます両極に引き裂かれる社会と地域の疲弊、どん詰まりに来た対外関係と安全保障問題、先のない雇用と生活不安の中で高まっていく社会心理の不安定化、異常化など、引きしぼられたすべての本質的矛盾が、これから一直線に先鋭化していっても不思議はない。その背後にあって制御不能な自然災害の予兆が追い討ちをかける。民主的な安定機構を失った脆弱な政治システムは、このますます高まっていくに緊張に耐えられるだろうか。

3.最後に、記号論で知られる現代イタリアの著名な哲学者・作家のウンベルト・エーコが1997年に発表した「モラルについての五つの文章」とでもいうべき評論集(訳書名『永遠のファシズム』岩波書店版)からの引用で、このささやかな考察を結ぶことにしよう。彼はイタリアのファシズムを、哲学もなく修辞のみの「<ファジー>な全体主義」だったとしたうえで、しかしそれはあらゆる場合に適用可能だとし、「原ファシズム(Ur-Fascismo)」もしくは「永遠のファシズム(Fascismo eterno)」という概念を提示した。それはお互いに矛盾しているものを含むが、「ファシズムという星雲を凝結させるためには、そうしたなかでどれかひとつ、特徴の存在を確認できれば充分です」と彼は言っている(p47)。そしてその原ファシズムの特徴として14の項目をあげたあと(その中には、指導者は「その力が大衆の弱さに立脚していることも、彼らが「統治者」を立てる必要に迫られるほど弱いことも、知っているのです」とか、「議会がもはや「民衆の声」を代弁していないことを理由に、政治家がその合法性に疑問を投げかけるときは、かならずそこに原ファシズムのにおいがするものです」といった教訓的な項目がいくつも含まれている)、結論的にこう記している。

「原ファシズムは、いまでもわたしたちのまわりに、ときにはなにげない装いでいるのです。いまの世の中、だれかがひょっこり顔を出して、「アウシュヴィッツを再開したい、イタリアの広場という広場を、黒シャツ隊が整然と行進するすがたをまた見たい!」とでも言ってくれるのなら、まだ救いはあるかもしれません。ところが人生はそう簡単にはいかないものです。これ以上ないくらい無邪気な装いで、原ファシズムがよみがえる可能性は、いまでもあるのです。わたしたちの義務は、その正体を暴き、毎日世界のいたるところで新たなかたちをとって現れてくる原ファシズムを、一つひとつ指弾することです」(p60)。

【追記1】

上に記してきた現代のプレファシズム的状況の予感への対応策は何かという問題は、この稿の範囲をこえる。ここではその対応は、全体主義に傾斜する大衆政治に対して、1)現有の反小泉勢力による大胆で柔軟な連合の組織化、2)より本質的な課題としての「知識人の党」の創出(構造的知識人、つまりグラムシの言う意味での「有機的知識人」の現代化)の二つに絞られるだろう、ということを書き留めておきたい。その将来の結晶化の核は、風土からの発想、社会的公正、アジアの連帯の三つである。 (ここまでは9月19日に記す)

【追記2】

1.自民党大勝利から数日を経ずして、その勝利の制度化が非常に速い速度で進められつつある。「任期はあと一年」というマヌーバー(小泉純一郎が形式的に自民党総裁をやめるかどうかなどは事態の本質と関係ない)のもとで、小泉たちがまず着手したのは、1)党本部による支部解散権の導入 (政治資金規正法改定の方針決定)、2)党本部直轄による大量な新人議員の教育の実施、3)「改革」後継者の決定に向けての競い合わせの明言、の三つである。このなかの第二項を実質的な小泉派の結成ととらえるのは甘い。あえて言えば派閥は代議政治の装置の一つだが、この大量な新人の「派閥からの切断」と党本部への抱え込みは、中央指導部の思いどおりに動く政治的親衛隊の組織化をねらったものであろう。それよりも何よりも、これは、曲がりなりにも国民の意志によって選出された国民の代表(議員)を、政党本部の官僚政治家が一から教育し直すという、ふざけた反デモクラシー的行為である。それだけ政治に無知な連中を集めたということだろう。だがいずれかの日に、この連中が決定的な分岐点で、その担わされた〈政治的分銅〉としての役割(彼らが多数決の行方を決する)を果たすことになるかも知れないのだ。

2.先の選挙戦で、保守政治の後退戦をよく戦っていた自民系無所属の大半が、小泉純一郎の首班指名に同調した。メディアは早速その変節をあげつらっているが、彼等メディアマンたちには〈悪戦〉というものの意味がわかっていない。しかもこれは、たしかに当座は反小泉運動を冷却化するが、他方、恨みを秘めた彼らを自民党が受容すれば、同党はさらに混成化して内部に矛盾を蓄積し、全党的な精神の退廃を伴いつつその脆弱性をいっそう強めることになるだろう。逆に冷遇すれば、こんどは彼らの完全野党化につながっていく。問題は、こうしたことをも次なる政治流動に向けてプラスに転化するような力が、反小泉陣営全体の中にないことである。

3.“巨大な権力党の出現”の衝撃をうけて、民主党は「前原新体制」を決定し、小泉自民党の<改革>路線に改革競争のさらなる“加速化”で応える道を選択した。この執行部はまた、公然たる海外派兵をも可能にする≪明確なる軍隊≫の明文化(集団的自衛権の承認)を軸にして、巨大与党との「合意改憲」にシフトしていくように見える。これは単なる予感だが、日本政治の今後の「全体化への傾斜」の中では、むしろこの党のこれからの動きのほうが意味をもつかもしれない。小泉首相が露骨に“期待”を表明しているように、この党の若手グループのほうが巨大自民党の混成部隊よりも、よくトレーニングされた<市場的改革派>(政策によって公共システムを最大限に市場へ明け渡す)であり、かつ現代的な意味において、よりナショナリスティックである。あとは民主党内にわずかでも社会民主主義的分子が残っているならば、その速度的行動だけが、ここまで衰弱した民主政治のこれからへの微かな契機となるはずだった。しかし、赤松広隆氏 (彼らこそ小選挙区比例代表制の導入によって今日の政治状況の遠因をつくった者たちである) の「党副代表」就任や、横道孝弘氏の衆議院「副議長」選出に見るように、この党の旧社会党グループは、この瞬間における自らの位置がまったくわかっていないことを証明してしまった。

4.大権を手にした首相・小泉純一郎は、選挙後の特別国会に正装して現れ、「国民」と「改革」を連発する無内容な自画自賛の短い演説を行った。そしてテレビは勢揃いした新人議員の群れの「いつまでも続く、嵐のような拍手」を俯瞰で映し出していた。この空虚な権力者のこれは最高の日であったろう。まだしばらくは彼の幸せの日は続く。—少々おおげさだが、バーナムの森が動くときまでは…である。だがこの現代ニッポンの“マクベス”は悲劇ではなく、「二度目は喜劇」の喜劇でさえもなく、興行としては、彼の好きそうな軽喜劇(オペレッタ)であろう。2005年9月26日という日付を、その三文芝居の「終わりの始まりの日」としなくてはならない。  (9月26日)

(筆者は出版編集者)

★この文章は『オルタ』第20号(9月20日発行)の原稿に、若干の語句の訂正・加筆と、その後の動きについて少しの追記を行ったものです。